一月だけ、使ってみません?
ダリオの工房を出た俺は、そのまま市場へ向かった。
ベルクがリーネにいるのはあと数日。とはいえ、昨日から何度も顔を出しているせいで、そろそろ「また来たのか」と言われそうな気もする。
まあ、言われても行くんだけど。
市場の端まで来ると、見覚えのある荷馬車が停まっていた。ベルクはその横で別の商人と話していて、俺に気づくと一瞬だけこっちを見た。
そして、露骨に嫌そうな顔をした。
「また来たのか」
「ほら、やっぱり言った」
「何がだよ」
「こっちの話」
ベルクは一緒にいた商人に軽く手を上げて別れると、俺の前まで歩いてきた。
「石鹸なら三個買っただろ」
「今日は石鹸じゃない」
「じゃあ何だ?」
「背負い鞄」
「ああ、昨日の」
覚えていた。
これは少し期待できるかもしれない。
「ベルクさんって、旅してる間も鞄使う?」
「そりゃ使うが、荷物の大半は荷馬車だぞ」
「普段持ち歩くのは?」
「金と帳面、食い物、水、細かい道具……あとはそのとき次第だな。荷馬車から離れるときは売り物を持つこともある」
「結構あるじゃん」
「全部一つに入れるわけじゃねえけどな」
なるほど。
俺が思っていたより、背負い鞄を使う場面はありそうだ。
「一日にどれくらい背負ってる?」
「そんなもん数えてねえよ」
「ですよね」
「今日は質問多いな」
「ダリオさんから聞いてこいって」
「今度は革屋の宿題かよ」
ベルクが笑った。
◇ ◇ ◇
「で、その背負い鞄をどうしたいんだ?」
「一月だけ使ってみてほしい」
「俺が?」
「うん」
「何で?」
ベルクが眉を上げる。
俺は昨日考えたことを、そのまま説明した。
町の中で使っている人はいる。
職人にも、荷物を運ぶ人にも売れた。
でも何日も町から町へ移動する人が長期間使った例は、俺の知る限りまだない。
「だからベルクさんに使ってもらって、戻ってきたら感想が欲しい」
「なるほどな」
「肩が痛くならないか、紐が緩まないか、底が擦れないか、荷物を出しにくくないか。あと雨の日とか」
「多いな」
「全部覚えなくていいよ」
「最初から紙でも入れとけ」
「それいいね」
「俺が仕事増やしてどうすんだ」
自分で言ったくせに。
でも紙に書いて渡すのはありだ。
「で、いくらだ?」
「え?」
「その鞄」
「ああ。一個25リルで売ってる」
「それを買えって?」
「いや、今回は試してほしいから――」
無料で貸す。
そう言いかけて、止まった。
ダリオが言っていた。
タダで貸したら、感想が甘くならないか。
それにベルクからすれば、頼まれて使う物だ。こっちが試験をお願いするのに、普通に25リル払えというのも違う。
「……ちょっと考えさせて」
「今から?」
「今から」
「決めてから来いよ」
ごもっともです。
◇ ◇ ◇
ベルクの荷馬車の横で考える。
今回は俺とダリオが10リルずつ負担して、一個用意する予定だ。つまりベルクに無料で渡しても、俺たちは20リル分を試験に使うことになる。
でも完全にあげる必要はない。
一月使って、戻ってきたら返してもらう。
壊れていなければ、その後も試験品として使えるかもしれない。
「貸す」
「最初からそう言ってただろ」
「ちゃんと条件を決めるの」
「はいはい」
「一月無料で貸す。戻ってきたら返して、使った感想を教えてほしい」
「普通に使っていいのか?」
「もちろん」
「汚れるぞ」
「それも見たい」
「傷もつく」
「それも」
「壊れるかもしれん」
「普通に使って壊れたなら、むしろ知りたい」
ベルクが少し意外そうな顔をした。
「売り物なのにか?」
「壊れる物を知らずに売り続ける方が嫌でしょ」
「……十三だったよな?」
「十三」
「たまに年齢分からなくなるな、お前」
「よく言われる」
危ない。
前世では三十過ぎでした、とは言えない。
「ただし、わざと壊すのはなし」
「するかよ」
「荷馬車で踏むとか」
「何の試験だそれ」
「象に踏ませるとか」
「象って何だ?」
「あ」
余計なことを言った。
「でかい動物」
「いるのか?」
「……俺も会ったことない」
「何の話してんだ?」
本当に何の話だろう。
◇ ◇ ◇
「でもな」
ベルクが荷馬車を軽く叩いた。
「俺にはこれがある」
「荷馬車?」
「そうだ。荷物を全部背負って歩いてるわけじゃねえ。わざわざ新しい鞄を使う意味があるか?」
そこはもっともだ。
俺は少し考えてから、ベルクが腰に下げている小さな袋を見る。
「荷馬車から離れることは?」
「ある」
「町に入って店を回るときは?」
「売る物によっては持って歩く」
「宿に行くときは?」
「必要な物は持ってくな」
「じゃあ、そのとき使ってみて」
「その程度でいいのか?」
「むしろ普段通りがいい」
無理に使ってもらっても意味がない。
ベルクが必要だと思った場面だけで使う。
それで「別にいらない」と思うなら、それも答えだ。
「使わなかった日があったら、それも教えて」
「使わなかったことまで?」
「うん。なんで使わなかったか知りたい」
ベルクが俺を見て、少し笑う。
「お前、売りたいのか売りたくないのか分からんな」
「売りたいよ」
「なら便利だったって言わせたいだろ」
「嘘の感想もらっても次が売れないじゃん」
「まあ、そうだな」
欲しいのは褒め言葉じゃない。
売れる商品だ。
そこは五年前より、かなり分かるようになった。
◇ ◇ ◇
「分かった。使ってやる」
「本当?」
「無料ならな」
「そこ強調する?」
「商人だからな」
いい笑顔だった。
この人とは長く付き合ったら値段交渉で苦労しそうだ。
「ただ、今は鞄持ってきてない」
「知ってる」
「じゃあどうする?」
「これからダリオさんに頼む」
「まだ作ってねえのかよ」
「使ってくれるか分からないのに作ったら無駄になるでしょ」
ベルクが黙った。
「何?」
「昨日より賢くなってんな」
「一日で成長したから」
「その成長速度なら来月には爺さんだな」
「それは嫌だな」
ようやくベルクとの話し方にも慣れてきた気がする。
「出発いつ?」
「明後日の朝だ」
「明後日!?」
「数日いるって言っただろ」
「もっといると思ってた」
「お前の都合で旅程は決まらん」
まずい。
ダリオに間に合うか聞いていない。
◇ ◇ ◇
「ちょっと待ってて」
「どれくらい?」
「今からダリオさんのところ行って聞いてくる」
「今?」
「明後日出るんでしょ?」
「そうだけどよ」
「じゃあ時間ないじゃん」
「忙しいな、お前」
「ベルクさんが早く出るからでしょ」
「最初に聞かなかったお前が悪い」
何も言い返せない。
俺は市場を出ようとして、数歩で止まった。
「あ、最後に一個」
「まだあるのか」
「背負い鞄、使ってみて気に入ったらどうする?」
「どうするって?」
「返す?」
「貸すって話だろ。返すよ」
「欲しくなっても?」
「……お前」
ベルクが笑い出した。
「そういうところは商人だな」
「大事な確認です」
「気に入ったら、そのとき値段を聞く」
「よし」
「まだ買うとは言ってねえぞ」
「分かってる」
これで十分だ。
気に入れば買う可能性がある。
気に入らなくても感想が手に入る。
そして一月、実際の旅で使われる。
20リルを使う試験としては悪くない。
◇ ◇ ◇
俺はそのままダリオの工房へ走った。
扉を開ける。
「ダリオさん!」
「うるせえ!」
「ベルクさん使ってくれるって!」
「お、そうか」
「でも明後日の朝出る!」
「は?」
ダリオの顔が止まる。
「間に合う?」
「昨日の今日で何言ってんだ」
「無理?」
「一からなら無理だ」
「そっか……」
さすがに急すぎた。
ベルクの次の出発は一月後になる。
そう思ったところで、奥にいた弟子が口を開いた。
「親方、あれは?」
「あれ?」
「調整前のやつです」
ダリオが工房の隅を見る。
そこには、一つの背負い鞄が置いてあった。
「ああ……」
「何それ?」
「注文が流れたやつだ」
「あるじゃん!」
「最後まで聞け」
ダリオが鞄を持ってくる。
形はいつもの背負い鞄とほぼ同じ。ただし肩紐がまだ仕上がっておらず、留め具も仮のものらしい。
「明日までなら?」
「通常の仕事もある」
「お願いします」
「早えよ」
「10リル出します」
「金で押すな」
「商売なので」
ダリオが額を押さえる。
その横で弟子が笑っていた。
「親方、やりたいんじゃないですか?」
「余計なこと言うな」
「行商人が一月使うんですよ?」
「分かってる」
「雨の日も」
「分かってるって」
「道もいっぱい歩く」
「……面白そうではある」
落ちた。
◇ ◇ ◇
「明日の夕方だ」
「できる?」
「仕上げだけならな。ただし他の仕事を後回しにはしねえ。間に合わなかったら諦めろ」
「分かった」
「あと、試験用だから見た目は店に出すやつより少し雑になるぞ」
「使えればいい」
「そこは俺が嫌なんだよ」
職人だ。
ダリオは文句を言いながらも、もう肩紐を確認し始めている。
俺は約束通り10リルを出した。
ダリオも同じだけ負担する。
「これで一月後、何も感想ありませんでしたって言われたら泣くね」
「お前が泣け。俺は怒る」
「ベルクさんに?」
「お前に」
「なんで?」
「知らん」
理不尽だ。
でも、ダリオは楽しそうだった。
◇ ◇ ◇
工房を出たころには、もう昼を過ぎていた。
石鹸は三個。
背負い鞄は一個。
片方は商品として、片方は試験品として、明後日リーネを出る。
俺自身は町から出ない。
でも、自分が関わった物は出ていく。
エルダまで三日。
そこからさらに別の町へ。
今まで地図の上でしか知らなかった場所を、俺の石鹸と鞄が先に見に行く。
「……ちょっと羨ましいな」
口に出してから、自分でも意外だった。
町の外へ行きたいなんて、今まで強く思ったことはない。
リーネには家族がいる。
商売相手もいる。
金だって稼げる。
ここで十分だった。
でも、ベルクの話を聞いてしまった。
エルダ。
その先の町。
さらに先には王都もある。
俺の知らない値段があって、知らない商品があって、知らない商売がある。
そこへ俺の商品だけが先に行く。
「一月か」
ベルクが戻ってくるまで。
そのとき石鹸が売れたのか。
鞄を使ってどう思ったのか。
聞きたいことは山ほどある。
そして、ほんの少しだけ。
その一月の旅がどんなものだったのかも、聞いてみたいと思った。




