まずは、三個だけ
翌朝。
俺はハンスにもらった紙を持って、ベルクを探しに市場へ向かった。
昨日のうちに聞いておけば二度手間にならなかった質問が、紙にはきっちり並んでいる。次の行き先、出発日、向こうの相場、客層、似た商品の有無、それから取引方法。
昨日の俺は何を聞いていたんだろう。
荷物を見て「なるほど」と言っていただけな気がする。
「……勉強一日目なら、こんなもんだろ」
十三歳だし。
中身の年齢については考えないことにする。
市場へ着いてしばらく探すと、ベルクはすぐに見つかった。荷馬車の横で、昨日は見なかった麻袋をいくつか積んでいるところだった。
「ベルクさん」
「ん?」
俺に気づいたベルクが手を止める。
「おお、昨日の商売人」
「ちゃんと覚えてた」
「変なガキは覚えやすい」
「普通の十三歳です」
「普通の十三歳は、初対面の行商人を追いかけて商売の話を聞かねえよ」
確かに。
「今日は何だ?」
「質問しに来た」
「またかよ」
「今度はちゃんと聞くこと書いてきた」
紙を見せると、ベルクが吹き出した。
「学校の宿題か?」
「ハンスさんからの宿題」
「なるほど。あいつか」
なぜそこで納得する。
◇ ◇ ◇
「まず、次はどこに行くの?」
「エルダだ」
「エルダ?」
「知らねえのか?」
「名前は聞いたことある」
本当に名前だけだ。
リーネから西へ向かった先にある町で、ベルクによれば荷馬車で三日ほど。途中の天候や道の状態によっては四日かかることもあるらしい。
リーネより少し大きく、人の出入りも多い。近くを通る街道の関係で、旅人や商人も比較的集まりやすいという。
「次はエルダで売って、また仕入れて、そのあと別の町だ」
「リーネにはいつ戻ってくる?」
「順調なら一月くらいだな。遅れればもっとかかる」
「一月……」
商品を渡したら、結果が分かるまで一月。
今までとは全然違う。
ハンスの店なら、気になれば翌日にでも見に行けた。
「そんな顔するな。行商なんてそんなもんだ」
「いや、一月待つの長いなって」
「待てないなら自分で売りに行け」
「それは母さんに止められる」
「母ちゃんは大事にしろ」
「急にまともなこと言うね」
「俺を何だと思ってんだ?」
行商人です。
◇ ◇ ◇
「じゃあ次。エルダって石鹸いくらくらい?」
「石鹸?」
「昨日言ったやつ」
「ああ。値段までは知らんな」
「知らない?」
「俺は石鹸屋じゃねえからな」
そりゃそうだ。
行商人なら何でも知っていると思っていた俺が悪い。
「ただ、似たようなもんはあるぞ」
「あるんだ」
「そりゃあるだろ」
ですよね。
この世界に石鹸そのものが存在しないわけじゃない。俺が最初に気づいたのも、リーネでは質のいい物が身近ではなく、日常的に使う人が少なかったというだけだ。
町が変われば状況も変わる。
「どんなの?」
「固めた洗い物なら見たことある。高いのも安いのもある。匂い付きもあった気がするな」
「俺の、売れない可能性あるじゃん」
「最初からあるだろ、その可能性」
「そうなんだけどさ」
改めて言われると怖い。
リーネで売れた。
だから外でも売れる。
そんな単純な話ではないらしい。
◇ ◇ ◇
「客は?」
「何の客だよ」
「石鹸買いそうな人」
「知らん」
「ハンスさん、これ聞けって」
「ハンスに言え。質問が雑だって」
帰ったら言っておこう。
ベルクは少し考えてから、荷馬車にもたれた。
「エルダはリーネより旅人が多い。宿も多いし、商人も多い。金持ってるやつもいるが、安い物しか買わないやつもいる。お前の石鹸が誰に売れるかは、見てみねえと分からん」
「じゃあ、やっぱり試すしかないか」
「持っていけって話なら、物を見てからだ」
「そう言うと思った」
「昨日から何を学んだんだよ」
商品も見せずに取引しようとしていた。
危ない。
◇ ◇ ◇
「じゃあハンスさんの店、行ける?」
「今からか?」
「うん」
「俺、仕事中なんだけど」
「あ」
そうだった。
俺に付き合うためにリーネへ来ているわけじゃない。
「いつなら空いてる?」
「昼過ぎなら少し時間ある」
「じゃあそのとき」
「お前、本当に商売になると遠慮なくなるな」
「褒めてる?」
「褒めてねえ」
最近このやり取り多いな。
でもベルクは嫌そうにはしていない。
たぶん。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
俺はハンスの店でベルクを待っていた。
「で、ちゃんと聞けたか?」
「聞いた」
「次は?」
「エルダ。三日くらい。一月くらいで戻ってくる予定」
「相場は?」
「分からないって」
「似た商品は?」
「ある」
「客は?」
「質問が雑だって言われた」
ハンスが黙った。
「俺じゃなくてベルクさんが言ったからね?」
「分かってる」
「怒らないの?」
「別に間違ってない」
認めるんだ。
「エルダなら試すには悪くない」
「知ってる?」
「何度か行ったことはある。ベルクの言う通り、リーネより人の出入りは多い」
「石鹸売れるかな」
「だから、それを調べるんだろ?」
「そうでした」
答えを先に欲しがる癖も、まだ残っている。
しばらくすると店の扉が開いた。
「来たぞ」
ベルクだった。
◇ ◇ ◇
「これか?」
ハンスが棚から石鹸を一つ出す。
ベルクは手に取って、表と裏を見る。それから匂いを確かめ、指で表面を軽く押した。
「思ってたよりちゃんとしてんな」
「どういう意味?」
「十三のガキが作ったって聞いたからな」
「今は俺が作ってないよ」
「そうなのか?」
「作ってるのはセラさん。薬屋の人」
そこから、今の仕組みを簡単に説明した。
俺が考えた石鹸をセラがまとめて作る。
ハンスが売る。
俺にも取り分が入る。
ベルクは途中から俺ではなくハンスを見ていた。
「本当にこいつが始めたのか?」
「残念ながらな」
「残念って何?」
「面倒だったからな」
「五年前の話でしょ」
「だから覚えてる」
根に持つタイプだったらしい。
ベルクが笑う。
「なるほどな。で、これを俺に持ってけって?」
「まず三個」
「買い取りか?」
いきなり本題に来た。
俺はハンスを見る。
ハンスは何も言わない。
自分で話せということらしい。
「できれば買い取ってほしい」
「いくらで?」
「……そこを相談したい」
「決めてねえのかよ」
「向こうでいくらで売れるか分からないから」
ベルクが少し笑った。
「そこは分かってるんだな」
「昨日より成長した」
「一日でか?」
「成長期なんで」
十三歳だからね。
◇ ◇ ◇
今リーネでは一個5リル。
だからベルクが5リルで買っても意味がない。
向こうで6リル以上で売れれば利益は出るけど、そもそも売れる保証がない。
「俺なら一個いくらで買う?」
「物を知らねえ状態なら、高くても3リルだな」
「3リル……」
三個で9リル。
安い。
と思ったけど、ベルク側からすれば売れなければ9リル丸ごと損になる。
「向こうで5リルで売れたら、一個2リル儲かる」
「売れればな」
「6リルなら3リル」
「売れればな」
「毎回それ言うね」
「そこ忘れるやつは商売向いてねえぞ」
大事なので二回言ったらしい。
俺はハンスを見る。
「どう思う?」
「お前は?」
「……三個だけなら、ありだと思う」
「理由は?」
「儲けるためっていうより、調べるためだから」
自分で言って、少し納得した。
三個売って大儲けする必要はない。
エルダで売れるのか。
いくらなら買ってもらえるのか。
どんな人が買うのか。
それを知るための三個だ。
「なら俺もいいと思う」
ハンスが頷いた。
◇ ◇ ◇
「ただし」
ハンスが続ける。
「今回は試しだ。次も同じ値段とは限らない」
「そうだな」
ベルクもすぐ頷く。
「売れた値段と客の反応は教えてほしい」
俺が言うと、ベルクが腕を組んだ。
「三個売るだけで、そこまで覚えてろって?」
「お願い」
「面倒だな」
「一個3リルで仕入れられるよ?」
「交渉覚えてきたじゃねえか」
「五年やってますから」
ちょっと得意げに言ってみた。
ベルクはしばらく考えてから、石鹸をもう一度見る。
「分かった。三個だけな」
「よし」
「ただ、売れなくても返さんぞ」
「買い取りだからね」
「売れた値段は覚えておく。客と長話するつもりはねえから、反応は分かる範囲だ」
「それで十分」
決まった。
初めての商品が、リーネの外へ出る。
たった三個だけど。
俺にとっては、かなり大きな三個だ。
◇ ◇ ◇
ハンスが三個を用意し、ベルクから9リルを受け取る。
ただし、この9リルがそのまま俺の金になるわけじゃない。セラの製造分もあるし、ハンスの取り分もある。
ここを間違えなくなっただけでも、八歳の頃より成長している。
詳しい精算はハンスの帳面に残してもらうことにした。
ベルクは石鹸を布に包んで荷物の横へ置く。
「壊れ物じゃないのは楽でいいな」
「軽いでしょ?」
「まあな」
「場所も取らない」
「そうだな」
「いっぱい持っていける」
「まだ三個しか買ってねえぞ」
「将来の話」
「気が早い」
笑われた。
でも、もし売れたら。
三個が十個になるかもしれない。
十個が二十個になるかもしれない。
エルダだけじゃなく、その次の町でも売れるかもしれない。
そう考えると、ちょっと楽しい。
◇ ◇ ◇
「そういえば」
ベルクが店を出る前に、壁の方を見た。
「これ何だ?」
そこに掛かっていたのは、背負い鞄だった。
「あ」
俺とハンスが同時に声を出す。
ベルクは近づいて、鞄を眺める。
「変わった形だな」
「背負い鞄」
「背負うのは見りゃ分かる」
「普通のとちょっと違うんだよ」
「へえ」
ベルクが肩紐を触る。
俺は説明したくなった。
荷物を分けられること。
両肩で背負うこと。
長く歩いても負担が偏りにくいこと。
旅人や職人から評判がいいこと。
全部一気に言いたい。
でも。
「……試してみる?」
「何を?」
「いや、まず値段とかダリオさんに確認してからにする」
止まった。
俺、止まれた。
ハンスを見る。
少しだけ笑っている。
「何だよ」
「いや」
「成長したと思った?」
「少しな」
「もっと褒めていいよ」
「調子に乗るからやめとく」
ベルクだけが意味が分からない顔をしていた。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
家へ帰って帳面を開いた。
石鹸、三個。
行き先、エルダ。
ベルクに一個3リルで買い取り。
結果が分かるのは、およそ一月後。
書き終えてから、しばらくその文字を見る。
たった三個。
金額にすれば9リル。
今の俺の貯金からすれば、ものすごく大きな取引というわけじゃない。
でも、五年前に初めて石鹸を売ったときも、最初は一個だった。
そこから始まった。
「まずは三個だけ、か」
いい。
最初はそれでいい。
売れなかったら理由を考える。
売れたら次を考える。
そして、その前にもう一つ。
俺は帳面の端に書き足した。
『背負い鞄――ベルクに試してもらえるか確認』
行商人。
毎日のように荷物を運ぶ。
町から町へ何日も歩く。
考えれば考えるほど、背負い鞄を試してもらう相手としてはちょうどいい。
「……これ、石鹸より相性いいんじゃない?」
新しい商売の匂いがしてきた。
ただし、今度はちゃんと順番を守る。
まずダリオに相談。
値段を確認。
それからベルク。
十三歳の俺は、もう勢いだけでは動かない。
「明日の朝一で行こう」
……行動が早いのは、別に悪いことじゃない。




