外で売るなら、いくらにする?
ベルクと別れたあと、俺はそのままハンスの店へ戻った。
今日二回目だ。
扉を開けると、帳場にいたハンスが顔を上げる。
「……何か思いついたな?」
「まだ何も言ってないんだけど」
「さっきと顔が違う」
「そんなに?」
「そんなにだ」
十三歳になっても、どうやら顔に出るらしい。
俺は帳場の前まで行き、さっき会った行商人の話をした。名前はベルク。ハンスとも何度か取引したことがあって、数日はリーネにいる。そして、売れそうな物があるなら見るだけ見てくれるらしい。
最後まで聞いたハンスは、少し考えてから頷いた。
「ベルクなら問題ないだろう」
「信用できる?」
「少なくとも、代金を持って消えるような男じゃない」
「そこ重要」
「行商人は信用なくしたら終わりだからな」
それもそうか。
町から町へ移動するからこそ、好き勝手できそうにも見える。でも実際には、次に同じ町へ来たとき誰も取引してくれなくなったら困る。
逃げ続ける商売なんて、長くは続かない。
「で?」
ハンスが俺を見る。
「ベルクに何を売るつもりだ?」
「石鹸か、背負い鞄」
「だと思った」
「どっちがいいと思う?」
「俺に聞く前に、お前はどう思ってる」
来た。
五年前から時々ある、ハンスの質問返し。
たぶん答えを教えてくれないやつだ。
◇ ◇ ◇
「石鹸は小さい。軽い。何個か持っていっても邪魔になりにくい」
「そうだな」
「一回使って終わりじゃないから、気に入ればまた売れるかもしれない」
「それで?」
「鞄は石鹸より高い。でも一個売れたときの金は大きい。それに、ベルクさん自身が使えば宣伝にもなるかも」
「悪くない」
「ただ、どっちも問題がある」
俺は店に並んでいる商品を見る。
まず石鹸。
今ではリーネで一個5リルで売っている。
セラが二十個40リルで作るなら、一個あたり2リル。そこから俺とハンスにも利益が残る形で回している。
でもベルクが別の町で売るなら、当然ベルクの利益も必要になる。
「人が一人増える」
「そういうことだ」
ハンスが頷く。
「今までと同じ値段でベルクに渡したら、あいつが儲からない」
「でも安く渡したら、今度は俺たちの取り分が減る」
「そうなるな」
「じゃあ外で高く売る?」
「売れるならな」
そこなんだよな。
リーネで5リルだからといって、別の町で6リルや7リルで売れるとは限らない。
むしろ向こうに似たような商品があれば、5リルでも高い可能性がある。
「……外の値段、分からないじゃん」
「ようやくそこまで来たか」
「最初から教えてよ」
「自分で考えた方が覚える」
先生か。
五年前より教え方が厳しくなっている気がする。
◇ ◇ ◇
「じゃあ石鹸は、いきなり売るんじゃなくて値段を調べてもらう?」
「それも一つだな」
「でもベルクさんに何の得もない」
「だから頼むなら、その分は考えろ」
「情報にも金がかかるのか……」
「人を動かすんだから当たり前だ」
世知辛い。
でも、これは前世でも同じだったはずだ。俺が意識していなかっただけで、調べるにも運ぶにも売るにも、人が動けば金がかかる。
だったら――。
「少量だけ安く渡して、試しに売ってもらうのは?」
ハンスが少しだけ笑った。
「それが一番分かりやすい」
「やっぱり?」
「売れれば値段が分かる。売れなければ、それも分かる」
「向こうの客の反応も聞ける」
「そうだ」
いきなり二十個、三十個と持っていってもらう必要はない。
三個。
多くても五個。
それなら売れ残っても被害は小さい。
「……三個くらい?」
「俺ならそれくらいから始める」
「じゃあ三個」
「まだベルクが引き受けるとは言ってないぞ」
「あ」
そうだった。
話が進むと、すぐ決まった気になる。
ここは八歳の頃からあまり変わっていない。
◇ ◇ ◇
「鞄は?」
俺は壁に掛かっている背負い鞄を見る。
「こっちは一個25リル」
「今はな」
「今は?」
「ダリオが少し作り方を変えてる。材料の値段も五年前と同じじゃない」
「……聞いてない」
「聞かれてないからな」
この人、本当にそれ好きだな。
「今いくら?」
「店にある分は25リルでいい。次に作る分は、ダリオと話してからだ」
「じゃあ今ある二個を勝手に計算しちゃ駄目か」
「駄目だな」
危ない。
五年前なら、たぶん25リルを基準にベルクへの値段まで決めていた。
商売が続けば、材料費も変わる。
人件費だって変わる。
五年前に決めた数字が、永遠にそのままなわけじゃない。
「これ、ベルクさんに見せるだけならいい?」
「もちろんだ」
「売るなら?」
「先にダリオと話せ」
「了解」
石鹸より確認することが多い。
でもベルクが行商人なら、背負い鞄との相性はかなりいい気がする。
毎日荷物を持って移動する人だ。
実際に使ってもらえれば、俺たちが気づいていない問題も出るかもしれない。
「売るより、使ってもらう方が面白いかも」
「また試作品からやるのか?」
「いや、今あるやつを普通に買ってもらう」
「金は取るんだな」
「当たり前でしょ」
「安心した」
何に安心してるんだ。
◇ ◇ ◇
ハンスが帳場から紙を一枚取り出した。
「ベルクは次にどこへ行くと言ってた?」
「聞いてない」
「いつ出る?」
「数日はいるって」
「次の町で石鹸がいくらなら売れそうかは?」
「聞いてない」
「客層は?」
「聞いてない」
「向こうに似た石鹸があるかは?」
「……聞いてない」
質問されるたびに、俺の勢いがなくなっていく。
何も聞いてないじゃん。
「俺、何を勉強してきたんだろう」
「行商人がどういう商売してるかは分かったんだろ?」
「まあ」
「なら今日はそれで十分だ」
ハンスは笑いながら紙にいくつか書き込んだ。
次の行き先。
出発日。
現地の相場。
似た商品の有無。
どんな客が多いか。
ベルク自身が欲しいと思う商品。
「これくらい聞いてこい」
「宿題?」
「売りたいんだろ?」
「売りたい」
「なら聞け」
紙を渡される。
八歳の頃なら、商品を抱えてベルクのところへ走っていただろう。
今は質問を書いた紙を持たされている。
成長とは、地味なものらしい。
◇ ◇ ◇
「でもさ」
「何だ?」
「もし向こうで石鹸が7リルで売れたら、結構大きくない?」
「もう儲けの計算してるのか」
「仮の話」
「なら、その7リルからベルクの取り分が必要だ」
「うん」
「売れ残る危険もあいつが負うのか、お前が負うのかでも変わる」
「あ」
「先に買い取ってもらうなら、ベルクは売れなくても金を払ってる。なら安く仕入れたい」
「売れた分だけ後で払うなら?」
「お前たちが売れ残りの危険を負う。その代わり、ベルクへの取り分を小さくする交渉はできる」
「……なるほど」
卸売りと委託。
五年前、ハンスに教わったことと同じだ。
場所が町の外になっただけ。
「なんか急に分かる話になった」
「今までやってきたことが無駄じゃなかったってことだ」
ちょっと嬉しいことを言う。
こういうところがあるから、俺は何かあるとハンスのところへ来るんだと思う。
「じゃあベルクさんには両方聞いてみる」
「買い取りか、売れた分だけ精算するか?」
「うん」
「それでいい」
少しずつ形になってきた。
◇ ◇ ◇
店を出ようとしたところで、俺はもう一度背負い鞄を見る。
「これ、一個借りていい?」
「どこに持ってく?」
「ベルクさんに見せる」
「見せるだけだぞ」
「分かってる」
「勝手に値段を決めるな」
「分かってるって」
「勝手に売るな」
「俺の信用どうなってんの?」
「五年間の積み重ねだな」
悪い意味で積み上がっていた。
結局、商品を持ち出すのはやめた。
先にベルクから話を聞く。
必要なら、そのあと見せる。
ちゃんと順番を守ることにした。
偉い。
十三歳としては普通かもしれないけど、中身の年齢まで考えたらもっと普通だった。
◇ ◇ ◇
家へ帰る途中、もらった紙をもう一度見る。
次の行き先。
出発日。
相場。
客。
取引方法。
今まで俺は、リーネで売ることしか考えてこなかった。
ここならハンスが客を知っている。ミラもいる。ダリオもセラもいる。何か問題が起きても、自分で歩いて話を聞きに行ける。
でも町の外は違う。
売れたかどうかすら、自分では見られない。
それなら、見に行ける人に頼むしかない。
「……人に任せるのは同じなんだよな」
石鹸をセラに任せた。
販売をハンスに任せた。
背負い鞄をダリオに任せた。
今度は、町の外で売ることを行商人に任せる。
やること自体は、そこまで違わない。
ただ、距離が伸びる。
それだけだ。
……たぶん。
でも、その「それだけ」が上手くいけば。
俺が行ったこともない町で、俺の商品が売れる。
その町の人が金を払い、その一部がリーネにいる俺のところまで戻ってくる。
「それ、めちゃくちゃいいな」
思わず笑ってしまった。
働かずに稼ぐ。
いや、違う。
仕組みで稼ぐ。
こっちの方が聞こえがいい。
目指している老後にも、確実に近づいている気がする。
まずはベルクから話を聞く。
石鹸三個を持っていってもらえるか。
背負い鞄はどうか。
そして――外では、いくらなら売れるのか。
町の外へ出る最初の商売は、そこからだった。




