気づけば、五年経ってました
第2章スタートです!
ここからレインも十三歳になります。
十三歳になった。
いや、正確には少し前に十三歳になったんだけど、改めて考えると結構すごい。前世の記憶を取り戻して、この世界で貯金すると決めたのが八歳。あれからもう五年も経っている。
五年。
小学校なら、かなりの年月だ。
そして俺の貯金も――あの頃とは、かなり変わった。
「……よし」
自分の部屋で帳面を閉じる。
貯金、3,842リル。
八歳の頃、83リルを眺めて喜んでいた俺に見せてやりたい。お前は五年後、ちゃんと貯金してるぞ、と。
俺の感覚なら約38万円。
十三歳の貯金として考えれば、かなり優秀なんじゃないだろうか。前世の三十過ぎの俺より、今の俺の方が金を持っている。
「……悲しくなってきたな」
比較する相手を間違えた。
とはいえ、目標は100万リルだ。
あと996,158リル。
「…………」
帳面をもう一度閉じた。
見なかったことにしよう。
◇ ◇ ◇
「母さん、行ってくる」
「今日はどこ?」
「まずミラのところ。そのあとハンスさん」
「お昼は?」
「たぶん外で食べる」
「またパンだけで済ませないでよ」
「十三歳なんだから大丈夫だって」
「十三歳だから心配してるの」
五年経っても、母さんは母さんだった。
俺の背も伸びたし、声も少し変わった。八歳の頃に比べれば一人でできることも増えたけど、母さんからすれば大した違いではないらしい。
「レイン」
「なに?」
「無駄遣いしないのよ」
「……なんで出かけるたびに言うの?」
「五年間見てきたからよ」
反論できない。
俺は黙って家を出た。
五年もあれば、人は成長する。
ただし、すべての欠点が治るとは限らない。
◇ ◇ ◇
リーネの町も、この五年で少し変わった。
新しい店ができたところもあれば、なくなった店もある。道そのものは大して変わらないけど、毎日歩いていると店の看板や人の顔が少しずつ入れ替わっているのが分かる。
俺自身も、昔ほど町で珍しがられなくなった。
「あ、レイン。おはよう」
「おはようございます」
「今日は鞄の方か?」
「いや、今日は見るだけです」
「また何か始めるんじゃないだろうな」
「なんでみんな警戒するんですか」
顔見知りの職人に笑われながら通り過ぎる。
五年間で得たもの。
金。
商売の経験。
それから、なぜか「何か思いつくと周りを巻き込む子」という評判。
最後のはいらなかった。
◇ ◇ ◇
「おはよう、ミラ」
「あ、レイン。ちょうどいいところに来た」
パン屋へ入ると、ミラが焼き上がったパンを棚へ並べていた。五年前は二十歳くらいだったから、今は二十代半ば。見た目が劇的に変わったわけじゃないけど、店に立つ姿は前よりずっと板についている。
「これ、運ぶの手伝って」
「客として来たんだけど」
「十三歳なんだから、それくらい持てるでしょ」
「その理屈、さっきも聞いたな」
結局、籠を一つ運ばされた。
棚の一角には、二種類のパンが紙に包まれて並んでいる。片方は肉と野菜を挟んだもの。もう片方は少し甘いパンだ。
その横には、小さな札。
『朝の二個組』
名前は、俺が付けたんじゃない。
「これ、まだ売れてるんだ」
「失礼ね。今日も朝だけで六組売れたわよ」
「結構売れてるじゃん」
「忙しい職人さんが買っていくの。考えなくていいから楽なんだって」
始めたのは、俺が十歳の頃だった。
朝、工房へ向かう父さんがパン屋で何を買うか悩んでいるのを見て、二個まとめて包んでおけばいいんじゃないかと思った。ただそれだけ。
新しい料理を作ったわけじゃない。
それでも意外と売れた。
「最初、二個売りたいだけでしょって言ってたよね」
「言った」
「俺が正しかった」
「はいはい。じゃあ発案者さん、これ食べる?」
「食べる」
「3リル」
「金取るの?」
「商売を教えてくれたの、誰だったかしら」
「俺です」
「じゃあ払いなさい」
強くなったな、この人。
俺は自分の財布へ手を伸ばして――止まった。
「……やめとく」
「えっ」
「何その顔」
「買うと思った」
「俺だって成長するんだよ」
「本当に?」
「五年経ってるからね?」
ミラが笑いながら、パンを棚へ戻す。
危なかった。
朝飯は食べてきた。
つまり今のパンは不要。
十三歳の俺は、その程度の判断ならできる。
「ちなみに焼きたて」
「……そういう情報いらないから」
◇ ◇ ◇
ミラの店を出て、東側の市場へ向かう。
途中、父さんの工房の前を通った。
入口近くには、小さな木製の棚がいくつか並んでいる。壁に掛けられる棚や、中を細かく仕切った箱。俺が昔「こういうのあったら便利じゃない?」と言ったのがきっかけで、父さんが作り始めたものだ。
最初は結構期待していた。
これは売れる。
俺にまた金が入る。
そう思った。
結果。
「普通に似たようなのあるぞ」
父さんに言われた。
探したら、本当にあった。
少し形を変えて売ったら何個かは売れたけど、別に革命は起きなかった。
現代人だからって、思いつくもの全部がこの世界に存在しないわけじゃない。
当たり前のことを学ぶのに、材料代が少しかかった。
勉強代である。
浪費ではない。
たぶん。
◇ ◇ ◇
「おう、来たか」
ハンスの店へ入ると、五年前と変わらない声が飛んできた。
「おはようございます」
「今日は何だ?」
「特に用事ないです」
「じゃあ帰れ」
「扱いひどくなってません?」
「五年の付き合いだからな」
そう言いながら、ハンスは笑っている。
店の中を見回すと、昔より商品が増えていた。その一角には見慣れた石鹸。そして壁際には、ダリオが作った背負い鞄が二つ掛けられている。
石鹸は、今でも売れている。
最初の頃みたいに「珍しい物がある」と一気に客が集まることはない。今では知っている人が普通に買っていく日用品の一つになった。
売れる数には波がある。
それでもセラが作り、ハンスが売る形は続いていた。
俺は毎回走り回る必要がない。
これが地味に強い。
「石鹸は?」
「今十二。まだ頼まなくていい」
「鞄は?」
「一つ昨日売れた。こっちはダリオに伝えてある」
「了解」
俺、何もしてない。
最高である。
五年前の俺が作りたかった状態が、ちゃんと続いている。
◇ ◇ ◇
「そういえば、あれ使ってる?」
俺が帳場を見ると、ハンスが指を向けた。
木札が何枚か並んでいる。
それぞれに番号が振られていて、注文品と同じ番号を客に渡す仕組みだ。注文が増えてきた頃、誰が何を頼んだのか分からなくなることがあって提案した。
「使ってる。便利だぞ」
「じゃあ使用料を」
「取るのか?」
「冗談です」
「五年前なら本気で言ってたな」
「……否定しづらい」
この仕組みでは、一銭も儲からなかった。
ハンスからは「助かった」と言われた。
以上。
世の中には便利でも金にならないアイデアがある。
これも五年間で学んだ。
ちなみに後から知ったけど、もっと大きな町では似たような札を使っている店もあるらしい。
また俺の発明ではなかった。
◇ ◇ ◇
「そういや、最近は変なもの作ってないのか?」
ハンスが帳面を書きながら聞いてきた。
「変なものって何ですか」
「前に作ってた食い物」
「あれは忘れてください」
「セラから聞いたぞ。すごい匂いだったらしいな」
「なんでセラさんまで知ってるんだよ……」
十一歳の頃。
前世で食べていたある料理を再現しようとした。
味は覚えていた。
見た目もなんとなく覚えていた。
だから作れると思った。
甘かった。
何をどの順番で入れるのか分からない。
そもそも必要な材料が全部この世界にあるのかも分からない。
似たものを混ぜてみたら、母さんが鍋の蓋を閉じた。
父さんは一口食べて、水を三杯飲んだ。
俺も食べた。
その日は全員、夕飯のパンがやたら美味しく感じた。
材料費だけが消えた。
あれ以来、俺は一つの真理を胸に刻んでいる。
食べたことがあるのと、作れるのは別だ。
「料理は専門家に任せる」
「ようやく覚えたか」
「俺は料理人になるつもりないし」
「その割には、また何か考えてる顔してるぞ」
「今日は本当に何もないですよ」
ハンスが俺を見る。
疑っている。
信用がない。
「本当に?」
「本当に」
「じゃあ珍しい日だな」
「みんなして俺を何だと思ってるんだ」
「面倒事と金を一緒に持ってくるやつ」
「半分褒めてます?」
「半分な」
まあいいか。
◇ ◇ ◇
八歳から十三歳までの五年間。
ずっと商売が上手くいっていたわけじゃない。
石鹸みたいに続いたものもある。
背負い鞄みたいに少しずつ広がったものもある。
パン屋みたいに、俺にはほとんど金が入らなくても店の役に立ったものもある。
作ってみたら既に似た物があったこともあるし、材料費だけ使って終わったこともある。
失敗した回数なんて、もう数えていない。
それでも一つだけ、八歳の頃とは明らかに変わった。
思いついた瞬間に金を出すことが減った。
誰が買うのか。
いくらなら買うのか。
誰に作ってもらうのか。
売れたら、俺にはいくら残るのか。
最低でも、それくらいは考える。
俺も五年かけて、少しは商売人らしくなったらしい。
「で」
俺はハンスの店の帳場に肘をついた。
「何か儲かる話ないですか?」
「今言ったこと全部台無しだな」
「考えてからやるとは言ったけど、儲けたくないとは言ってない」
「それでこそお前だよ」
ハンスが笑った。
◇ ◇ ◇
店を出る前に、壁の背負い鞄を見る。
五年前。
50リルもする鞄を勢いで買って、金がなくなった。
そこから思いついた物が、今ではダリオの工房で普通に作られて、ハンスの店で普通に売られている。
人生、何が金になるか分からない。
……いや。
そう考えると、あの50リルも結果的には投資だったんじゃないか?
「レイン」
「はい?」
「今、ろくでもないこと考えただろ」
「なんで分かったの?」
「五年の付き合いだからな」
怖い。
俺は何も買わずに店を出た。
外はよく晴れていた。
市場には五年前と同じように人がいて、商人が声を上げ、職人が商品を運び、町の門から荷車が入ってくる。
この町の中だけでも、まだ商売はいくらでもできると思う。
実際、この五年間で俺はそこそこ稼いだ。
貯金も3,842リルになった。
でも。
100万リルまで、あと996,158リル。
「……やっぱり、このままじゃ遠すぎるよな」
今の商売を十年、二十年続ければどうなるのか。
もちろん増えるだろう。
でも俺が欲しいのは、いつか働かなくても暮らせるだけの金だ。
だったら、もう少し大きく稼ぐ方法が必要になる。
そのとき、町の門から一台の荷馬車が入ってきた。
荷台には、この辺ではあまり見ない印のついた木箱が積まれている。御者台の男も見覚えがない。後ろには荷物を背負った男が二人ついていた。
たぶん、町の外から来た商人だ。
俺はなんとなく、その荷馬車を目で追った。
五年前の俺なら、積んである商品を見ていただろう。
今の俺が気になったのは、少し違った。
あの荷物は、どこから来たんだろう。
そして――帰りには、何を持っていくんだろう。
「……町の外、か」
今まで考えていなかったわけじゃない。
ただ、俺の商売はずっとリーネの中で完結していた。
石鹸も。
背負い鞄も。
それ以外の小さな商売も。
でも、別にここだけで売らなきゃいけない理由はない。
荷馬車が市場の方へ曲がっていく。
俺は少しだけ考えてから、その後ろを歩き始めた。
もちろん、まだ何も決まっていない。
ただ見に行くだけだ。
十三歳の俺は、思いついたからってすぐ商売を始めたりしない。
まず見る。
話を聞く。
ちゃんと考える。
「……たぶん」
そこだけは、五年前からあまり変わっていなかった。




