次は、何をしようかな
貯金83リル。
翌朝、目を覚まして最初に確認した。
ちゃんとある。
当たり前だけど、昨日から一枚も減っていない。
「……よし」
袋を閉じて、棚の奥へ戻す。昨日市場で見た木箱のことが一瞬だけ頭をよぎったけど、今のところ袋で困ってはいない。
二日連続で我慢できたんだ。
三日目だっていける。
◇ ◇ ◇
朝食を食べながら、今日の予定を考える。
ハンスのところへ行く必要はない。昨日、新しい石鹸二十個を並べたばかりだし、次の発注はハンスが売れ方を見てセラへ伝えることになった。
ダリオのところへ行く必要もない。背負い鞄の注文が集まれば、ハンスから直接連絡してもらえる。
「……やることないな」
「また?」
母さんが笑った。
◇ ◇ ◇
「昨日、忙しそうに出ていったじゃない」
「昨日で色々決まった」
「じゃあ今日はお休み?」
「たぶん」
「なら遊んできたら?」
「またそれ?」
「八歳なんだから普通でしょう?」
それはそうなんだけど。
中身が三十過ぎの男に、八歳らしく遊べと言われても困る。
◇ ◇ ◇
「父さんは?」
「もう工房よ」
「じゃあ見に行こうかな」
「手伝うの?」
「いや、見る」
「それ楽しい?」
「意外と」
母さんが少し笑う。
「お父さん、喜ぶわよ」
「ほんと?」
「レインが横でずっと見てると、ちょっと嬉しそうだもの」
「へえ」
本人には言わないでおこう。
◇ ◇ ◇
工房へ行くと、父さんは椅子の脚を削っていた。
「おはよう」
「おう。今日はどこ行くんだ?」
「ここ」
「珍しいな」
「だから最近それ言われすぎ」
俺はいつもの場所に座る。
木を削る音がする。
一定の音。
前世なら、こういう時間は暇だと思っていたかもしれない。
◇ ◇ ◇
「父さん」
「ん?」
「俺、貯金83リルになった」
父さんの手が止まった。
「おお」
「昨日一気に50リル入れた」
「やるじゃねえか」
「もっと驚いて」
「十分驚いてるよ」
父さんが笑う。
「最初はいくらだった?」
「0リル」
「なら大したもんだ」
その言い方は、ちょっと嬉しい。
◇ ◇ ◇
「100リルまであと17リル」
「もう次か」
「だって目標は100万リルだから」
「まだ言ってんのか」
「言ってる」
「何に使うんだよ、そんな金」
「老後」
「八歳だぞ」
「早めに準備するのが大事なんだよ」
前世では遅すぎた。
今世では、早すぎるくらいでちょうどいい。
◇ ◇ ◇
「で、100万リル貯まったらどうする?」
「働かない」
「はっきりしてんな」
「湖の近くに家建てる」
「ほう」
「朝ゆっくり起きて、適当に飯食って、散歩して、昼寝する」
「じいさんみてえだな」
「理想の生活です」
父さんが声を出して笑う。
◇ ◇ ◇
「でも今も似たようなことできるぞ」
「え?」
「今日は暇なんだろ?」
「まあ」
「散歩して、飯食って、昼寝すりゃいい」
「……確かに」
言われてしまった。
100万リルなくても、今日一日くらいならできる。
◇ ◇ ◇
「でもずっとは無理じゃん」
「そりゃそうだ」
「だから稼ぐ」
「なら頑張れ」
「うん」
父さんはまた作業に戻る。
俺は椅子の脚が少しずつ形になっていくのを眺めた。
しばらくして、ふと思う。
◇ ◇ ◇
石鹸を始めた頃は、自分で全部やっていた。
灰を集める。
油を買う。
何度も失敗する。
固める。
切る。
ミラに置いてもらう。
売れたら喜んで、材料がなくなったらまた走る。
今は、そのほとんどをやっていない。
◇ ◇ ◇
背負い鞄だってそうだ。
俺が作ったのは最初の発想くらい。
実際に形にしたのはダリオ。
試してくれたのはロイド。
売ってくれるのはハンス。
注文が集まれば、俺がいなくても次が作られる。
俺一人でできた商売じゃない。
◇ ◇ ◇
「父さん」
「今度は何だ?」
「商売って、一人でやらない方が楽だな」
「そりゃそうだろ」
「もっと早く教えてよ」
「聞かれてねえよ」
正論。
「でも、人に頼むと金かかる」
「当たり前だ」
「最初はそれが嫌だった」
「全部自分の取り分にしたかったのか?」
「うん」
「欲張りだな」
「否定できない」
◇ ◇ ◇
でも今は少し違う。
セラに金を払う。
ハンスにも利益が残る。
ダリオにも払う。
その代わり、俺一人では作れない数を作れるし、俺がいなくても売れる。
取り分が減っても、続けられるならそっちの方がいい。
◇ ◇ ◇
「父さんも誰かと一緒に家具作ったりする?」
「大きい仕事ならな」
「その方が儲かる?」
「仕事による」
「じゃあ何で?」
「一人じゃできねえ仕事ができる」
「ああ」
それだ。
俺が次にやりたいことも、たぶんそこにある。
◇ ◇ ◇
昼前に工房を出た。
今日は市場へ行かない。
ハンスの店も見ない。
昨日決めたばかりなんだから、ちゃんと任せる。
その代わり、町を歩くことにした。
◇ ◇ ◇
目的はない。
前なら、売れそうな物を探すために市場ばかり見ていた。
今日はもう少し広く歩いてみる。
住宅の並ぶ道。
職人の工房が集まる一角。
荷車が行き交う通り。
宿屋。
食堂。
馬を預ける場所。
井戸の周りで話している人たち。
◇ ◇ ◇
この町に来てから何度も見ている景色なのに、今日は少し違って見えた。
前は「何がないか」を探していた。
石鹸がない。
使いやすい鞄がない。
じゃあ作れば売れるかもしれない。
でも今は、物だけじゃなくてもいい気がする。
◇ ◇ ◇
例えば宿屋。
前世のホテルとは全然違う。
食事。
風呂。
予約。
荷物。
掃除。
客への案内。
改善できそうなことはいくらでもありそうだ。
ただ、宿屋を始める金なんてない。
◇ ◇ ◇
食堂もそうだ。
前世で食べていた料理を、この世界の材料で再現できるかもしれない。
でも俺は料理人じゃない。
毎日厨房に立つつもりもない。
それなら料理が得意な人と組めばいい。
「……そういうことか」
少し分かってきた。
◇ ◇ ◇
俺が全部できる必要はない。
むしろ、できない方が多い。
革細工なんてできない。
薬の知識もない。
家具だって作れない。
でも、知っていることはある。
前世では普通だった物。
普通だったサービス。
普通だった仕組み。
◇ ◇ ◇
それを、この世界でできる人と一緒に形にする。
石鹸と背負い鞄で、偶然それができた。
次は最初から、そのつもりで考えてもいい。
「もっと大きいこと、できるかも」
口に出すと、少し楽しくなった。
◇ ◇ ◇
もちろん、いきなり店を買うとかは無理だ。
貯金83リル。
俺の感覚なら8,300円くらい。
前世だったら、ちょっといい飯を食って飲みに行ったら消える。
「……少な」
さっきまで結構持ってる気分だったのに。
◇ ◇ ◇
でも0じゃない。
商売用の金も24リルある。
石鹸と背負い鞄から、これからも金が入る可能性がある。
だったら焦る必要はない。
次に何をするか、ちゃんと考えればいい。
◇ ◇ ◇
町の外へ続く道の近くまで来た。
荷車が一台、門へ向かって進んでいく。
その横を旅人らしい二人組が歩いていた。
俺は立ち止まる。
この町の中だけでも、まだ知らないことはたくさんある。
でも、この道の先には別の町もある。
◇ ◇ ◇
王都もある。
もっと大きな市場もある。
もっと多くの職人。
もっと多くの商人。
そして、もっと多くの客。
今すぐ行くつもりはない。
八歳だし。
一人で行ったら母さんに怒られる。
◇ ◇ ◇
「でも、いつかは行きたいな」
前世では旅行する金があったら普通に使っていた。
今世では、その先で稼ぐ方法まで考えている。
成長した。
たぶん。
◇ ◇ ◇
昼になり、家へ戻る。
母さんが昼食を用意していた。
「今日はどこ行ってたの?」
「散歩」
「ちゃんと遊べた?」
「考え事してた」
「やっぱり遊んでないじゃない」
「楽しかったよ」
「ならいいけど」
母さんが笑う。
◇ ◇ ◇
食べながら、今日見たものを思い返す。
宿屋。
食堂。
工房。
荷車。
旅人。
町の外へ続く道。
やれそうなことはいくらでもある。
でも全部やる必要はない。
◇ ◇ ◇
まずは石鹸と背負い鞄。
ちゃんと続くかを見る。
貯金も増やす。
その間に、次を考える。
前みたいに「これ売れそう」で即座に金を使うんじゃなくて、少しくらい考えてから動く。
俺も成長している。
◇ ◇ ◇
「レイン」
「なに?」
「パン食べる?」
「食べる」
「お昼食べたばっかりでしょう」
「……試した?」
「何を?」
「俺が我慢できるか」
「普通に聞いただけよ」
危ない。
成長したと言った直後だった。
◇ ◇ ◇
午後。
自分の部屋で帳面を開く。
最初のページ。
石鹸を何個作った。
何リル使った。
何リル売れた。
そんな小さな数字から始まっている。
ページをめくると、少しずつ数字が大きくなっていた。
◇ ◇ ◇
石鹸。
背負い鞄。
貯金83リル。
まだ二つ。
まだ83リル。
でも、最初は何もなかった。
そこからここまで来た。
◇ ◇ ◇
帳面の空いているところに、一行書く。
『次にやること』
その下で手が止まる。
「……何にしようかな」
まだ決めなくていい。
今度はちゃんと探そう。
自分だけで作れる物じゃなくてもいい。
誰かと一緒ならできること。
この町だけじゃなく、その先まで広げられること。
◇ ◇ ◇
そして何より。
ちゃんと儲かること。
「そこは大事」
最終目標は変わっていない。
稼ぐ。
貯める。
いつか、のんびり暮らす。
◇ ◇ ◇
ただ最初の頃より、一つだけ分かったことがある。
一人で全部やる必要はない。
俺が考えて。
得意な人に頼んで。
売ってくれる人に任せて。
みんなにちゃんと金が残る形を作る。
そうすれば、俺が休んでいる間にも商売は動く。
◇ ◇ ◇
「それなら、もっと大きく稼げるかもな」
帳面の『次にやること』の下は、まだ真っ白だ。
焦らなくていい。
明日埋まるかもしれない。
一か月後かもしれない。
でも次は、石鹸一個から始めたときより、もう少し大きなことができる気がする。
◇ ◇ ◇
俺は帳面を閉じた。
貯金83リル。
目標まで、あと999,917リル。
「……遠すぎない?」
思わず笑った。
まあいい。
二度目の人生は、まだ始まったばかりだ。
次は、何をしようかな。




