俺がいなくても、回るようにしよう
翌朝。
昨日完成した二十個の石鹸は、セラがハンスの店まで届けてくれることになっている。
前回と同じ条件なら、ハンスが二十個を70リルで買う。ただ今回は、その取引を終わらせるだけじゃない。
次からのやり方を決めたい。
背負い鞄みたいに、俺が毎回あっちへ行って、こっちへ行って、金を持って走り回らなくても済むようにする。
「今日は大事な話し合いです」
朝食の席で宣言した。
「そう」
母さんの反応は薄かった。
◇ ◇ ◇
「もうちょっと興味持ってよ」
「昨日も大事な日だったんでしょう?」
「昨日は二つとも完成した」
「一昨日は?」
「待つのが仕事だった」
「その前は?」
「仕組みを作った」
母さんが父さんを見る。
「毎日大事みたいよ」
「商売人は忙しいな」
「父さんまで」
二人とも笑っている。
俺としては本当に毎日大事なんだけど。
◇ ◇ ◇
「今日は何を決めるんだ?」
父さんに聞かれた。
「石鹸の次からのやり方」
「今までと何が違う?」
「今までは俺がセラに頼んで、俺が金払って、できたら俺がハンスに売ってた」
「そうだな」
「それを、セラとハンスで直接やってもらえないかなって」
「お前は?」
「売れたら取り分もらう」
父さんが少し笑った。
◇ ◇ ◇
「どんどん働かなくなるな」
「効率化です」
「その言葉好きだな」
「いい言葉だから」
「まあ、相手二人が納得するならいいんじゃねえか?」
「父さんもそう思う?」
「ああ。ただし、お前だけ得する形にしようとするなよ」
「分かってる」
ハンスにもセラにも、それぞれ仕事がある。
俺が楽になる代わりに二人の手間だけ増えたら意味がない。
◇ ◇ ◇
「あと、何かあったとき誰が責任持つかは決めとけ」
「責任?」
「出来が悪かったら誰に言う。売れ残ったら誰が損する。材料が高くなったらどうする。そういうのだ」
「……増えた」
「商売なんだろ?」
「はい」
やっぱり父さん、こういうとき急にちゃんとしている。
「なんだその顔」
「父さんって意外と商売分かるよね」
「家具売って生活してんだぞ、俺は」
そうでした。
◇ ◇ ◇
朝食を終え、市場へ向かう。
ハンスの店へ着くと、まだセラは来ていなかった。
「おはよう」
「今日は何をするつもりだ?」
「話し合い」
「朝から嫌な予感がするな」
「なんで?」
「君がそういう顔で来ると、大体こちらの仕事が増える」
「今日は減らす話」
「誰の?」
「俺の」
「やっぱり増えるじゃないか」
鋭い。
◇ ◇ ◇
「でもハンスにも得はあるよ」
「聞こう」
「石鹸がなくなるたびに俺を探さなくていい」
「元々探してはいない」
「……俺が来るから?」
「ああ」
「じゃあ別の得考える」
「先に考えてから来い」
完全に順番を間違えた。
でも、話しているうちに決めればいい。
◇ ◇ ◇
「昨日の石鹸、二十個は前と同じ70リルでいい?」
「状態を見てからだ」
「セラが持ってくる」
「ならそのとき確認する」
「分かった」
ハンスは帳面を開く。
「前の二十個についても、一応まとめておくぞ」
「全部売れた」
「ああ。最初の数日は入荷を待っていた客が多かったから速かった。その後少し落ちたが、それでも止まらなかった」
「じゃあ次も二十個なら売れそう?」
「今のところはな」
「もっと増やす?」
「それも今日話せばいい」
ちょうどいい。
◇ ◇ ◇
しばらくして、店の扉が開いた。
「重いよ、これ」
セラだ。
布で包んだ石鹸を抱えている。
「持つ」
「もう着いたからいいよ」
「ごめん」
「謝るくらいなら次から考えな」
「今日それを考える」
「また何か始める気かい?」
「始めるんじゃなくて、楽にする」
セラがハンスを見る。
「嫌な予感しない?」
「もうしている」
「二人ともひどくない?」
◇ ◇ ◇
まずは石鹸を確認する。
二十個。
形も大きさも、前回と大きな違いはない。
ハンスが一つ手に取り、表面や硬さを確かめる。
「問題なさそうだ」
「じゃあ70リル?」
「ああ」
ハンスが俺へ70リルを渡す。
受け取る。
重い。
「おお……」
「数えろ」
「はい」
◇ ◇ ◇
きちんと確認して、70リル。
昨日の時点で商売用の袋には4リル残っていた。
これで74リル。
貯金33リル。
自由に使える金3リル。
合計110リル。
「……百超えた」
「何が?」
セラに聞かれる。
「俺の金」
「へえ」
「全部合わせて110リル」
「結構持ってるじゃないか」
「でも貯金は33リル」
「そこは増えてないんだね」
「今から増やす予定」
たぶん。
◇ ◇ ◇
「それで本題」
俺は二人を見る。
「次の石鹸から、俺が毎回セラに注文しなくてもよくない?」
「どういうことだい?」
「ハンスが必要な数をセラに直接頼む」
「私が?」
「うん」
「それで?」
「セラが作る」
「それは今も同じだね」
「できたらハンスに直接持ってくる」
「今日みたいに?」
「そう」
ここまでは単純。
◇ ◇ ◇
「で、ハンスがセラに直接40リル払う」
「待て」
ハンスに止められた。
「何?」
「それでは私が70リルで買う話と合わなくなる」
「あ」
今までは俺がセラへ40リル払い、完成した石鹸をハンスへ70リルで売っていた。
差は30リル。
ハンスがセラへ40リル直接払うなら、俺にいくら払うのかを決めなきゃいけない。
「じゃあ俺に30リル?」
「単純に考えればそうなる」
「いいじゃん」
「まだ決めるな」
最近この言葉をよく言われる。
◇ ◇ ◇
セラが腕を組む。
「私としては、二十個で40リルもらえるなら誰から受け取っても同じだよ」
「作る条件も同じ?」
「今の数ならね」
「ハンスは?」
「私も支払う総額が70リルなら、金額だけ見れば同じだ」
「じゃあ決まり?」
「だから待て」
「はい」
ハンスがため息をつく。
◇ ◇ ◇
「今までは君がセラに注文していた」
「うん」
「数を決めるのも君だ」
「うん」
「出来を確認するのも君だった」
「そう」
「それを私がやるなら、その分はこちらの仕事が増える」
「あ」
父さんに言われたばかりだ。
俺が楽になる代わりに、誰かの仕事が増える。
◇ ◇ ◇
「じゃあハンスの取り分増やす?」
「すぐ金の話にするな」
「でも仕事増えるんでしょ?」
「まず何が増えるか整理しろ」
なるほど。
ハンスが次の注文数を決める。
セラへ伝える。
完成した物を確認する。
セラへ金を払う。
俺への取り分を記録する。
「結構増えるな」
「そうだな」
「じゃあやっぱり増やす?」
「そこは相談だ」
◇ ◇ ◇
セラが横から口を挟む。
「私は今より楽になるところもあるよ」
「どこ?」
「レインに完成したって伝えて、レインが来るのを待って、それからハンスのところへ持っていく必要がなくなる」
「確かに」
「最初からハンスに届ける日を決めればいい」
「じゃあセラは今の40リルでいい?」
「ああ。二十個ならね」
問題はハンス。
◇ ◇ ◇
「ハンスはいくら欲しい?」
「そういう聞き方をするのか?」
「だって分かんない」
「正直だねえ」
セラが笑う。
「背負い鞄は一個3リルだよね」
「ああ」
「石鹸二十個で……」
考える。
今までハンスは二十個を70リルで仕入れて、一個5リルで売っていた。
二十個全部売れば100リル。
ハンスの粗い取り分は30リル。
そこは今も変わらない。
◇ ◇ ◇
「ハンス、もう30リル残るじゃん」
「そうだ」
「じゃあ増やさなくてもよくない?」
「私もそう思っている」
「え?」
予想外だった。
「仕事増えるって言ったじゃん」
「増える。だが、その代わり君から商品が届くのを待つ必要がなくなる」
「……あ」
「売れ方を一番把握しているのは私だ。次を頼む時期も判断しやすい」
「じゃあハンスにも得ある?」
「ある」
◇ ◇ ◇
ハンスは帳面を指で叩く。
「在庫が減ったら、私からセラに次を頼める。君を一度挟まなくていい」
「早い」
「ああ。それに、今まで通り二十個70リル相当で仕入れるなら、私の取り分も変わらない」
「じゃあ俺は?」
「二十個が問題なく納品されたら30リル」
「何もしなくても?」
「その言い方はやめろ」
また怒られた。
◇ ◇ ◇
「君が作り方の元を持ち込んで、売れる形になるまで試して、セラと私をつないだ。その分の取り分だ」
「なるほど」
「ただし、条件はずっと同じとは限らない」
「材料が高くなったら?」
「セラの40リルが変わる」
「売れなくなったら?」
「次を頼まない」
「品質に問題が出たら?」
「一度止める」
父さんが言っていたことが、順番に出てくる。
◇ ◇ ◇
「それと数」
セラが言う。
「次も二十個なら同じ条件でいい。でも、いきなり四十個とか言われても困るよ」
「二十個ずつ?」
「今はね」
「どれくらいなら増やせる?」
「売れるからって急に増やさない。私には薬屋の仕事もあるんだから」
「はい」
「本当に分かってる?」
「今日は分かってる」
「今日は、ね」
セラが笑う。
◇ ◇ ◇
「じゃあ次も二十個?」
俺が聞く。
ハンスは棚を見る。
今日届いた二十個が並んでいる。
「まずこれを売る」
「うん」
「残りが七、八個くらいになったところで、売れる速さを見て次を考える」
「分かった」
「注文するときは私からセラへ」
「うん」
「二十個40リル」
「今のところはね」
セラが付け足す。
◇ ◇ ◇
「完成したらセラがハンスへ」
「ああ」
「ハンスが確認」
「問題なければ受け取る」
「セラに40リル」
「ああ」
「俺に30リル」
「そうだ」
「ハンスは売り切れば30リル」
「そうなるな」
すごく分かりやすい。
俺がいない。
◇ ◇ ◇
「……俺、本当にいらなくない?」
「またそれか」
ハンスが苦笑する。
セラも笑っている。
「何か問題が出たら呼ぶよ」
「問題ないときは?」
「好きにしてな」
「最高じゃん」
「そこまで堂々と言われると腹立つね」
「ごめん」
でも嬉しい。
◇ ◇ ◇
「あと一つ」
ハンスが言う。
「君への30リルは、私がセラから商品を受け取った時点で記録する。ただ、毎回その日に取りに来なくてもいい」
「まとめて?」
「ああ。背負い鞄の取り分と一緒に記録しておく」
「じゃあ俺、たまに来ればいい?」
「店に来るなとは言っていない」
「寂しい?」
「そういう話ではない」
セラが吹き出した。
◇ ◇ ◇
「レイン、嫌われてないか確認したいんだね」
「違う」
「じゃあ毎日来なくても平気だろ?」
「平気」
「なら決まりだね」
セラが俺の頭をぽんと叩く。
「暇になったからって、また変な物作り始めるんじゃないよ」
「なんで分かった?」
「やる気だったのかい」
「ちょっとだけ」
「まず今ある二つをちゃんと続けな」
「はい」
ミラと同じことを言う。
◇ ◇ ◇
話し合いは終わった。
思っていたより簡単だった。
背負い鞄。
注文はハンス。
製作はダリオ。
受け渡しもハンス。
俺は一個売れるごとに6リル。
石鹸。
次の発注はハンス。
製作はセラ。
納品もセラからハンスへ。
二十個ごとに、俺の取り分30リル。
◇ ◇ ◇
もちろん、ずっと同じとは限らない。
売れなくなれば止まる。
材料が高くなれば値段も変わる。
作れなくなることだってある。
でも、今のところはこれで回る。
俺が毎回走り回らなくても。
◇ ◇ ◇
「じゃあ帰る」
「もう?」
セラに聞かれる。
「話終わったし」
「今日は珍しく早いね」
「俺いなくてもいいんでしょ?」
「拗ねるな」
「拗ねてない」
むしろ逆だ。
嬉しい。
◇ ◇ ◇
店を出ようとして、思い出す。
「あ、70リル」
「どうした?」
「分けるの忘れてた」
さっき受け取った金がそのまま革鞄に入っている。
商売用に全部入れる必要はない。
もう次の石鹸の製作費を俺が先に用意する必要もなくなった。
「……これ、結構貯金できるんじゃない?」
「家で考えろ」
「はい」
ハンスに追い出された。
◇ ◇ ◇
市場を歩く。
革鞄の中には70リル。
家には貯金33リル。
商売用として残っていた4リル。
自由に使える3リル。
合計110リル。
今までで一番多い。
◇ ◇ ◇
しかも次の石鹸のために、俺が40リルを用意しておく必要はない。
背負い鞄も客の手付けを使って作り始められる。
もちろん商売用の金が不要になったわけじゃない。何か問題が起きたり、新しいことを始めたりするなら必要になる。
でも、前みたいに次の製作費を全部抱えておく必要はなくなった。
「貯金、増やせるな」
ちょっと嬉しくなる。
◇ ◇ ◇
そのとき。
昨日見た木箱の店が目に入った。
蓋つき。
仕切りつき。
18リル。
まだ売れていない。
「…………」
昨日は商売用の金が足りなくて買えなかった。
今日は70リル持っている。
余裕で買える。
◇ ◇ ◇
「いや」
俺は立ち止まる。
仕組みを作った。
金も入った。
次の製作費を抱えなくてよくなった。
だから買っていい。
その理屈が、ものすごい速さで頭の中に出来上がる。
「怖いな、俺」
前世から何も変わってない。
◇ ◇ ◇
木箱を見る。
確かに便利そう。
でも袋で困っていない。
帳面だって別に持てる。
18リル。
俺の感覚なら1,800円くらい。
買えない金額ではない。
むしろ今なら安く感じる。
それが一番危ない。
◇ ◇ ◇
「帰ろう」
今日は買わない。
昨日に続いて二日連続。
これはかなり偉い。
自分で自分を褒めながら家へ帰った。
◇ ◇ ◇
部屋に入り、袋を並べる。
まず貯金33リル。
そこへ、今日受け取った70リルから50リルを入れた。
「……83リル」
一気に増えた。
貯金83リル。
商売用は、元の4リルに20リルを足して24リル。
自由に使える金は3リルのまま。
◇ ◇ ◇
「合計110リル」
ちゃんと合う。
貯金83リル。
商売用24リル。
自由3リル。
初めて自分の金が100リルを超えた。
しかも、その大半を貯金に入れた。
◇ ◇ ◇
「……俺、すごくない?」
前世の俺に見せたい。
給料が入ったら使う。
ボーナスが入ったらもっと使う。
貯金しようと思った日に、なぜか貯金箱をカードで買う。
そんな男が。
二度目の人生では、ちゃんと金を残している。
◇ ◇ ◇
もちろん目標は100万リル。
83リルなんて、まだほんの少しだ。
それでも0リルから始まった。
父さんの工房で1リル稼いで。
石鹸を一個売って。
少しずつ増やして。
途中で50リルの鞄を買って。
「……あれは必要だった」
誰もいないのに言い訳した。
◇ ◇ ◇
でも、その鞄から背負い鞄の商売が始まった。
石鹸も、自分で作らなくてよくなった。
今は二つとも、俺がずっと付きっきりじゃなくても回る。
そして貯金83リル。
「100リル、見えてきたな」
あと17リル。
次の石鹸が二十個納品されれば、俺の取り分は30リル。
その前に背負い鞄が売れるかもしれない。
◇ ◇ ◇
「次は100リル」
その次は。
1,000リル。
1万リル。
10万リル。
100万リル。
先は長い。
ものすごく長い。
◇ ◇ ◇
でも今は、最初の頃とは違う。
俺一人で石鹸を何百個も作る必要はない。
背負い鞄を自分で縫う必要もない。
俺が寝ていても。
遊んでいても。
何もしていなくても。
誰かが欲しいと思って買ってくれれば、商売は動く。
◇ ◇ ◇
「よし」
貯金袋を棚の奥へしまう。
今日は83リル。
明日になっても83リル。
使わなければ。
「……木箱、まだあったな」
頭に浮かんだ。
俺は貯金袋をさらに奥へ押し込んだ。
商売の仕組みはできた。
あとは、この金を守れる仕組みが必要かもしれない。
主に俺から。




