毎回、俺が行かなくてもよくない?
翌朝。
昨日一日我慢した。
だから今日はいい。
朝食を食べ終えた俺は、食器を片づけるより先に立ち上がった。
「ハンスのところ行ってくる」
「待ちなさい」
母さんに止められる。
「なに?」
「食べたお皿」
「あ」
「商売の前に片づける」
「はい」
危ない。
昨日は家との信用が大事だと学んだばかりだった。
◇ ◇ ◇
食器を片づけ、今度こそ家を出る。
昨日はハンスの店へ行かなかった。
石鹸はどれくらい売れたのか。
残り七個だったはずだ。
一日で全部売れたとは思わないけど、何個かは減っているかもしれない。
背負い鞄の問い合わせも気になる。
今作っている二個とは別に、次の客が来ていたら嬉しい。
◇ ◇ ◇
「おはよう」
「来たか」
「昨日来なかったでしょ?」
「ああ」
「どうだった?」
「何がだ?」
「全部」
「雑だな」
ハンスが笑う。
俺は店の奥にある石鹸の棚を見る。
「……少なくない?」
「少なくなったからな」
「何個?」
「昨日三個。今朝一個」
「じゃあ残り三個?」
「ああ」
思わず笑った。
◇ ◇ ◇
二十個あった石鹸が、残り三個。
次の二十個はすでにセラへ頼んである。
「よかった。先に頼んどいて」
「そうだな」
「これなら完成する前になくなるかも」
「その可能性は高い」
「じゃあ次の次も頼む?」
「早い」
「言うと思った」
ハンスが帳面を閉じる。
「まず今頼んでいる二十個を受け取れ」
「はい」
俺も学習している。
ちょっと言ってみただけだ。
◇ ◇ ◇
「それと背負い鞄」
「何かあった?」
「昨日、一人見に来た」
「注文?」
「まだだ。仕事仲間が使っているのを見たらしい」
「誰の?」
「名前までは聞いていないが、荷運びの仕事だと言っていた」
最初の三個のうち、二人目に売った客が荷運びの仕事をしていた。
「たぶんあの人だ」
「かもしれんな」
「口コミ?」
「そういうことだろう」
石鹸と同じだ。
◇ ◇ ◇
「いくらって言った?」
「25リル」
「反応は?」
「少し考えていたが、また来るそうだ」
「買ってくれるかな」
「それは本人に聞け」
「ハンス冷たい」
「買うと言っていない客を勝手に注文客にするな」
正しい。
でも期待くらいしてもいいだろう。
◇ ◇ ◇
「今の二個は?」
「ダリオに聞け」
「あ」
そうだった。
ハンスは売る人。
作っているのはダリオ。
「今日ダリオのところ行ってくる」
「そうしろ」
「セラも行った方がいい?」
「なぜだ?」
「石鹸の進み具合」
「昨日行かなくても大丈夫だったんだろう?」
「…………」
「なら任せておけ」
何も言い返せない。
◇ ◇ ◇
ハンスの店を出て、ダリオの工房へ向かう。
この道もすっかり覚えた。
市場から少し外れて。
細い道を抜けて。
革の匂いがしてきたらダリオの工房。
「おはよう」
「おう」
ダリオは作業台に向かっていた。
その横に、見覚えのある形が二つ並んでいる。
◇ ◇ ◇
「もう鞄っぽい」
「鞄作ってんだから当たり前だろ」
「そうだけど」
「まだ終わってねえぞ」
「触っていい?」
「駄目だ」
「はい」
先に聞いてよかった。
前世の俺なら店の商品を勝手に触るタイプではなかったけど、これは自分の商品という感覚がある。
でも作っている途中はダリオの仕事だ。
◇ ◇ ◇
「予定通り?」
「ああ。このままならあと二日くらいだ」
「早い」
「二個だからな。それに一回作ってる」
「慣れた?」
「まあな」
ダリオが作業中の鞄を持ち上げる。
「最初の三個より手順が決まってきた。弟子にも任せられるところが増えたしな」
「じゃあもっと早くなる?」
「すぐ調子に乗るな」
「聞いただけ」
ダリオが笑う。
◇ ◇ ◇
「ただ、三個くらいなら前より楽に作れると思うぞ」
「ほんと?」
「ああ。型も残してあるし、革の切り方も分かった」
「じゃあ次も三個で」
「注文が入ったらな」
「分かってる」
「本当か?」
「最近はちゃんと待てる」
「昨日一日だけだろ」
「なんで知ってるの?」
「ハンスが言ってた」
俺が一日店に来なかっただけで情報共有されている。
どういうことだ。
◇ ◇ ◇
「そういえば、次の客が来るかもしれない」
「もうか?」
「荷運びの人が使ってるの見たって」
「いいじゃねえか」
「25リルで考えてるって」
「なら売れたらまた言え」
「うん」
俺は頷く。
そこで少し考えた。
◇ ◇ ◇
売れたらまた言う。
注文が三件集まったらダリオに来る。
完成したら確認に来る。
ハンスのところへ戻る。
客に連絡。
金を受け取る。
ダリオへ支払う。
またハンス。
「……俺、ずっと往復してない?」
「何が?」
「いや、こっちの話」
前回もそうだった。
今回の二個を頼んだ日なんて、何回店と工房を行き来したか分からない。
◇ ◇ ◇
「ダリオ」
「ん?」
「ハンスの店に直接行くことある?」
「そりゃあるぞ」
「どれくらい?」
「用があれば」
「仲いい?」
「何だその質問」
「普通に聞いてる」
「昔から知ってる。革紐なんかを置いてもらうこともあるしな」
「あ」
そういえば。
別に俺がいないと話せない二人ではない。
◇ ◇ ◇
「じゃあさ」
「なんだ?」
「背負い鞄の注文が入ったら、ハンスから直接ダリオに言ってもらうのって駄目?」
ダリオの手が止まった。
「お前は?」
「後で聞く」
「ずいぶん楽しようとしてんな」
「駄目?」
「駄目とは言ってねえよ」
ダリオが笑う。
「ハンスがやるって言うなら、俺は構わん」
「ほんと?」
「ああ。ただ値段とか数とか、勝手に変えられたら困るぞ」
「そこは決めとけばいい」
◇ ◇ ◇
今の条件。
背負い鞄は25リルで売る。
三個まとめて作るなら、ダリオは一個16リル。
ハンスは一個3リル。
俺は一個6リル。
前回決めた。
「三個注文が集まったら、ハンスがダリオに伝える」
「ああ」
「手付けもハンスが預かる」
「ああ」
「その金をダリオに渡す」
「そこは今まで通り相談だな。革の値段が変わることもある」
「じゃあ作り始める前に確認」
「それならいい」
できそうだ。
◇ ◇ ◇
「俺、来なくていい?」
「寂しいなら来てもいいぞ」
「そうじゃなくて」
「別に毎回来なくてもいいだろ。何か変えるなら来い」
「それだ」
形を変える。
値段を変える。
何か問題が起きる。
そういうときだけ俺も入る。
いつもと同じ注文なら、ハンスとダリオで進めてもらう。
◇ ◇ ◇
「ちょっとハンスに聞いてくる」
「また走るのか?」
「最後の往復になるかもしれない」
「大げさだな」
「大事なことだよ」
工房を出る。
そして数歩進んだところで止まった。
「……今日も結局走り回ってるな」
仕組みを作るためには、最初だけ走る必要があるらしい。
◇ ◇ ◇
ハンスの店へ戻る。
「ただいま」
「お前の店じゃない」
「細かいな」
「それで?」
「相談がある」
「今度は何だ?」
「背負い鞄の注文、毎回俺がダリオに伝えなくてもよくない?」
ハンスが少し眉を上げる。
◇ ◇ ◇
「ダリオとは話した?」
「話した。ハンスがいいなら構わないって」
「条件は?」
「今と同じ。三件集まったらダリオに確認。値段とか材料に変化がなければ作ってもらう」
「手付けは?」
「今まで通り10リル」
「完成時に残り15リル」
「うん」
「私の取り分は一個3リル」
「もちろん」
ハンスが少し考える。
◇ ◇ ◇
「私は構わない」
「ほんと?」
「元々注文を受けるのは私だからな。その後ダリオに伝えるくらいなら大した手間ではない」
「じゃあ俺、来なくていい?」
「来たいなら来ればいい」
「ダリオにも同じこと言われた」
「嫌われてはいないらしいな」
「そこ心配してない」
たぶん。
◇ ◇ ◇
「ただし」
ハンスが帳面を指で叩く。
「一つ決めておけ」
「何?」
「お前の6リルをいつ払うかだ」
「あ」
俺が来なくても注文が入り、作って、客に渡せる。
でも俺の取り分は残る。
「客が受け取ったあと?」
「それが一番分かりやすいだろうな」
「じゃあそうする」
「ここへ来たときにまとめて渡してもいいか?」
「いいよ」
俺が毎回受け取りに来る必要もない。
◇ ◇ ◇
「記録してくれる?」
「もちろんだ」
「誰に売れたかも?」
「ああ」
「壊れたとか言われたら?」
「まず私が聞く。作りの問題ならダリオに確認する」
「俺は?」
「必要なら呼ぶ」
「……楽すぎない?」
「その代わり、私には一個3リル払うんだろ?」
「ああ」
「なら仕事だ」
なるほど。
無料で全部やってもらうわけじゃない。
◇ ◇ ◇
「じゃあ決まり」
「ああ」
「注文三件集まる」
「ダリオに確認する」
「作ってもらう」
「客に渡す」
「ハンス3リル」
「ダリオ16リル」
「俺6リル」
「今の条件ならな」
俺がいなくても進む。
完成した商品一個につき6リル。
「……すごくない?」
「何がだ?」
「俺、何もしなくても6リル入る」
「何もしていないわけじゃないだろ」
「でもそのときは何もしない」
「最初に商品を考えて、売り方を決めたのは誰だ?」
「俺」
「なら、その分だと思えばいい」
父さんと似たことを言う。
◇ ◇ ◇
「ただし、売れなくなったら0リルだ」
「分かってる」
「ダリオが作れなくなっても止まる」
「うん」
「革が高くなれば条件も変わる」
「うん」
「何もしなくて一生6リル入ると思うなよ」
「そこまでは思ってない」
少しだけ思った。
危なかった。
◇ ◇ ◇
「石鹸も同じようにできないかな」
口に出してから、ハンスを見る。
「セラに直接頼んでもらう?」
「できなくはないだろう」
「ほんと?」
「だが背負い鞄とは少し違う」
「どこが?」
「私は石鹸をお前から買っている」
「あ」
背負い鞄は、客から注文を受けて売る。
石鹸は、俺がセラに作ってもらい、それをハンスがまとめて買う。
似ているようで少し違う。
◇ ◇ ◇
「じゃあ石鹸は俺が頼んだ方がいい?」
「今はな」
「今は?」
「もっと数が増えるなら、やり方を変えてもいい」
「例えば?」
「セラから私が直接仕入れて、お前に取り分を払う形も考えられる」
「それできる?」
「三人で条件を決めればな」
また新しい形が出てきた。
◇ ◇ ◇
「やりたい」
「今すぐ決めるな」
「はい」
「まず今頼んでいる二十個を終わらせろ」
「分かってる」
「その売れ方を見て、次の数を決める」
「うん」
「そのときセラも交えて話せばいい」
「分かった」
今度は本当に待つ。
◇ ◇ ◇
店を出る。
背負い鞄は一つ変わった。
次からは、俺が毎回ダリオまで走らなくていい。
注文はハンス。
製作はダリオ。
受け渡しもハンス。
俺は必要なときだけ入る。
それでも一個売れれば6リル。
◇ ◇ ◇
「これだよ」
俺が欲しかったの。
自分がずっと働かなくても、少しずつ金が入る。
そしてその金を貯める。
いつか仕事を減らす。
湖の近くで暮らす。
かなり遠いと思っていた目標に、ほんの少しだけ形が見えてきた気がする。
◇ ◇ ◇
でも。
その日の帰り。
俺は市場で立ち止まった。
店先に、小さな木製の箱が並んでいる。
蓋つき。
仕切りつき。
金を分けて入れるのにちょうどよさそうだった。
「……これ、袋より管理しやすくない?」
値札を見る。
18リル。
高い。
でも貯金、商売用、自由に使う金をきれいに分けられる。
帳面も一緒に入れられそうだ。
◇ ◇ ◇
「商売の管理に使うなら……」
必要経費。
その言葉が頭に浮かぶ。
「いやいやいや」
俺は首を振る。
今日は商売を楽にする仕組みを作った日だ。
ここで新しい物を買って金を減らしてどうする。
しかも商売用の金は今7リルしかない。
買えない。
◇ ◇ ◇
「……貯金ならあるけど」
33リル。
買える。
買ったら15リル。
「駄目だろ」
自分で声に出した。
店主がこっちを見る。
「なんでもないです」
危ない危ない。
◇ ◇ ◇
俺は木箱から離れる。
袋で困っているわけじゃない。
父さんにもらった袋でちゃんと分けられている。
欲しい。
と。
必要。
は違う。
前世では、この二つをほぼ同じ意味で使っていた。
◇ ◇ ◇
少し歩いてから、もう一度振り返る。
木箱が見える。
「……売り切れたら縁がなかったってことで」
買わない。
今日は買わない。
明日も――。
「いや、明日のことは明日考えよう」
そこまで約束すると苦しくなる。
◇ ◇ ◇
家に帰って、三つの袋を棚に並べた。
貯金33リル。
商売用7リル。
自由に使える金3リル。
見た目は木箱よりだいぶ地味だ。
でも0リル。
今ある袋を使えば、追加費用は0リル。
「こっちの方がいいな」
たぶん。
少なくとも今日は。
◇ ◇ ◇
そして、ふと思う。
明日から背負い鞄の注文が入っても、俺が毎回動く必要はない。
石鹸も、そのうち同じ形にできるかもしれない。
そうなったら。
「俺、何するんだ?」
また暇になる。
でも今度は少し違う。
暇になったら、次の商品を考えられる。
それとも、本当にのんびりしてもいい。
どっちでもいい。
◇ ◇ ◇
「……いや、まず金貯めよう」
まだ33リル。
目標は100万リル。
のんびりするには、桁が足りなさすぎる。
俺は貯金袋を棚の奥へ戻した。
木箱は買わない。
少なくとも、今日は。
商売は少しずつ俺の手を離れ始めている。
問題は――俺の浪費癖の方が、まだ全然離れてくれないことだった。




