俺、今日なにもしてなくない?
石鹸と背負い鞄を頼んでから、三日が経った。
その間、俺はセラの店へ行っていない。ダリオの工房にも行っていないし、ハンスの店にも一度しか顔を出していない。
別に体調を崩したわけでもない。
行かないようにしている。
頼んだものが気にならないわけじゃない。むしろ朝起きるたびに、石鹸どこまでできたかなとか、鞄もう形になってるかなとか考えている。
でも、俺が見に行ったところで完成が早くなるわけじゃない。
それどころか邪魔になる可能性がある。
「待つのも仕事」
最近覚えた言葉だ。
◇ ◇ ◇
「今日はどこ行くの?」
朝食のあと、母さんに聞かれた。
「どこにも行かない」
「市場は?」
「行かない」
「セラさんは?」
「行かない」
「ハンスさんも?」
「行かない」
母さんが俺の額に手を当てた。
「熱ないよ」
「念のため」
「俺が家にいるのそんなに変?」
「最近は朝ごはんを食べたら、すぐどこか行っちゃうから」
八歳児に対する評価として、だいぶおかしくなってきた気がする。
◇ ◇ ◇
「今日は父さんのところ手伝う」
「お、珍しいな」
父さんがパンを食べながら笑う。
「金は払わねえぞ」
「なんで?」
「手伝うって言っただろ」
「労働には対価が必要では?」
「じゃあ手伝わなくていいぞ」
「手伝います」
即座に折れた。
今日は金を稼ぐためじゃない。
暇だからだ。
◇ ◇ ◇
父さんの工房へ行き、床に落ちた木くずを集める。
前にもやったことがある。
最初に石鹸を作るための金が欲しくて、ここで一時間働いて1リルもらった。
あの頃は1リルが大きかった。
今だって大事だけど、感覚はかなり変わった。
「父さん」
「ん?」
「俺、最初ここで1リル稼いだよね」
「そうだったな」
「今、貯金33リルある」
「知ってる」
「すごくない?」
「自分で言うな」
でもちょっとくらい褒めてほしい。
◇ ◇ ◇
「しかも商売用の金もある」
「そっちは今いくらだ?」
「……7リル」
「減ってんじゃねえか」
「石鹸頼んだから!」
商売用32リルから、セラへ25リル払った。
だから今は7リル。
貯金33リル。
自由に使える金3リル。
数字だけ見ると、また少し心細い。
ただ、今回は使った先がはっきりしている。
◇ ◇ ◇
「一週間くらいしたら石鹸二十個できる」
「ああ」
「それをハンスが70リルで買ってくれる」
「ちゃんとできれば、だろ?」
「そう」
「ならまだ70リル持ってるつもりになるなよ」
「分かってる」
そこは前より理解している。
注文がある。
作っている。
売る約束もある。
でも、まだ金は入っていない。
未来の70リルで買い物を始めたら、前世と同じだ。
◇ ◇ ◇
「前世なら使ってたな……」
「ん?」
「なんでもない」
危ない。
父さんには、俺が前世持ちだなんて話していない。
「金入る前から何買うか考えてたってこと」
「今も考えてそうだけどな」
「考えるだけなら無料だから」
「まあ、それはそうだ」
父さんが笑う。
理解のある父親で助かる。
◇ ◇ ◇
昼前まで工房を手伝った。
掃除をして、木材を運ぶのを少し手伝って、父さんが家具を作るところを眺める。
俺は木工なんてできない。
父さんが簡単そうにやっている作業も、実際にやれば全然できないんだろう。
石鹸もそうだった。
知識があることと、作れることは違う。
背負い鞄なんて完全にダリオ頼みだ。
「俺、本当に作らなくなったな」
「何が?」
「商品」
父さんが作業の手を止める。
◇ ◇ ◇
「いいんじゃねえか?」
「いいのかな」
「お前が全部作らなきゃいけない決まりでもあるのか?」
「ないけど」
「セラは薬屋だ。ダリオは革職人だ。お前より上手いだろ」
「めちゃくちゃ上手い」
「なら任せりゃいい」
父さんは木材の表面を確かめながら続ける。
「その代わり、任せたならちゃんと金払えよ」
「それは分かってる」
「あと、何かあったとき人のせいにするな」
「それも分かってる」
「ならいいんじゃねえか」
◇ ◇ ◇
単純な話に聞こえる。
できる人に頼む。
金を払う。
自分は別のことをする。
でも最初の俺は、石鹸を自分で作ることしか考えていなかった。
売れるならもっと作る。
もっと売れるなら、さらに作る。
それを続けていたら、今頃ずっと石鹸を作っていたかもしれない。
◇ ◇ ◇
「俺、何すればいいんだろ」
「暇ならそこの木くず捨ててこい」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ何だ?」
「石鹸も人に作ってもらってる。鞄も人に作ってもらってる。売るのはハンス」
「楽でいいじゃねえか」
「でも俺、必要?」
父さんが俺を見る。
少し考えたあと、笑った。
「じゃあお前抜きで始まったか、その商売?」
「あ」
石鹸を最初に作ったのは俺。
背負い鞄の形を考えて、ダリオに相談したのも俺。
セラに製造を頼んで、ハンスと売り方を決めたのも俺だ。
◇ ◇ ◇
「別に手を動かすだけが仕事じゃねえだろ」
「父さんがそれ言う?」
「俺は手を動かす仕事が好きなんだよ」
「じゃあ俺は?」
「知らん。自分で考えろ」
「そこまで言ったなら教えてよ」
「何でも父親に答えを求めるな」
急に突き放された。
でも父さんは笑っている。
◇ ◇ ◇
昼食を食べたあと、本当にやることがなくなった。
市場へ行こうかと思った。
でも、行けば絶対ハンスの店へ寄る。
石鹸何個売れた?
鞄どうなった?
たぶん聞く。
「今日は行かない」
決めた。
代わりに町の外れまで歩いてみることにした。
◇ ◇ ◇
リーネは大きな町ではない。
市場から離れると人通りも減り、家と畑が増えていく。さらに歩けば、遠くに低い丘と森が見えた。
俺は道の脇に座る。
静かだ。
風が気持ちいい。
「こういうのでいいんだよな」
二度目の人生の目標。
稼いで。
貯めて。
いつか静かな場所で暮らす。
湖の近くに家でも建てて、朝は好きな時間に起きて、働きたくなったら少し働く。
そんな生活。
◇ ◇ ◇
そのために商売を始めた。
なのに最近は、朝から市場を走り回っていた。
ハンス。
セラ。
ダリオ。
ミラ。
家に帰ったら金勘定。
「全然スローじゃないな」
まだ八歳なのに。
老後のために忙しくしている八歳。
文章にするとかなり変だ。
◇ ◇ ◇
「でも今は……」
セラが石鹸を作っている。
ダリオが背負い鞄を作っている。
ハンスが店で石鹸を売っている。
俺は町の外で座っている。
「これ、かなり理想に近くない?」
俺が休んでいても商売が止まっていない。
もちろん完全に放っておけるわけじゃない。
支払いもある。
次の注文も考えなきゃいけない。
問題が起きれば対応も必要だ。
◇ ◇ ◇
でも、毎日ずっと作業する必要はない。
少しずつだけど、俺が欲しかった形になっている。
「……いいな」
何もしない時間。
前世では休みの日なんて普通にあった。
昼まで寝て、飯を食って、欲しい物をネットで見て、そのまま買って。
金が減っていた。
今は何も買えない。
そもそも自由に使える金が3リルしかない。
◇ ◇ ◇
「やっぱもうちょっと自由に使える金増やそうかな」
風に吹かれながら考える。
3リルだと焼き串すら買えない。
貯金は33リル。
少しくらい――。
「いや」
危ない。
何もしていないと、金を使うことを考え始める。
俺は立ち上がった。
「帰ろう」
暇も危険だった。
◇ ◇ ◇
町へ戻る途中、見慣れた姿を見つけた。
「あれ、レイン?」
「ミラ」
パンを入れた籠を抱えている。
「何してるの?」
「配達。レインは?」
「何もしてない」
「え?」
「今日は本当に何もしてない」
「珍しいね」
「みんな同じこと言う」
そんなに俺はいつも動いているんだろうか。
◇ ◇ ◇
「暇なら手伝う?」
「配達?」
「この籠持って」
「重そう」
「男の子でしょ?」
「八歳です」
「こういうときだけ八歳になるね」
セラにも同じことを言われた。
俺の使い方が悪いらしい。
「半分なら持つ」
「じゃあお願い」
二人でパンを分けて持つ。
◇ ◇ ◇
「どこまで?」
「市場の向こう」
「結構遠いじゃん」
「だから助かった」
「報酬は?」
「手伝ってくれるんじゃなかったの?」
「労働には対価が必要」
「誰に教わったの?」
「俺」
「じゃあ一個パンあげる」
「やる」
即決。
俺の労働単価はパン一個だった。
◇ ◇ ◇
配達を終え、約束通り小さなパンを一個もらった。
「ありがとう」
「こっちこそ。助かったよ」
ミラが俺の頭を撫でる。
「また暇だったら手伝ってね」
「パン出る?」
「働き次第」
「厳しい」
「商売だからね」
言うようになったな。
◇ ◇ ◇
そのまま二人で市場まで戻る。
ハンスの店の前を通った。
俺は一瞬だけ中を見る。
「寄らないの?」
ミラに聞かれる。
「今日は行かないって決めた」
「へえ」
「何その顔」
「我慢できるんだなって」
「できるよ」
「じゃあ行こ」
ミラに背中を押され、そのまま通り過ぎる。
少し気になる。
かなり気になる。
でも行かない。
◇ ◇ ◇
「石鹸売れてるかな」
「気になるなら聞けばいいのに」
「今日は休み」
「自分で決めたの?」
「うん」
「じゃあ休みなよ」
簡単に言う。
でも、そういうものなのかもしれない。
自分で商売を始めたからって、毎日ずっと商売のことを考えなきゃいけないわけじゃない。
◇ ◇ ◇
家へ帰ると、母さんが少し驚いた。
「今日は早いのね」
「市場には行ってない」
「じゃあ何してたの?」
「父さんの手伝いして、散歩して、ミラの配達手伝った」
「結構いろいろしてるじゃない」
「でも商売は何もしてない」
「いいんじゃない?」
母さんは当然みたいに言った。
◇ ◇ ◇
「俺が何もしなくても、石鹸作ってるし、鞄も作ってる」
「そうね」
「ハンスも売ってる」
「そうね」
「……俺、今日なにもしてなくない?」
「パンの配達したんでしょ?」
「俺の商売の話」
「じゃあ何もしてないんじゃない?」
あっさり。
「それで困ったの?」
「困ってない」
「ならいいじゃない」
母さんまで簡単に言う。
◇ ◇ ◇
夜。
自分の部屋で三つの袋を見る。
貯金。
商売用。
自由に使える金。
今日はどの袋も増えていない。
減ってもいない。
俺自身の売上は0リル。
使った金も0リル。
「……0リルの日か」
以前なら、何も稼げなかった日だと思ったかもしれない。
◇ ◇ ◇
でも今この瞬間にも、セラのところでは次の石鹸を作る準備が進んでいる。
ダリオの工房では二つの背負い鞄が作られている。
ハンスの店には、前に作った石鹸が並んでいる。
俺が今日一日そこにいなくても、全部止まらなかった。
「これ、結構すごいことかも」
自分で作って、自分で売っていたころにはできなかった。
何もしない日を作れる商売。
それなら、いつか本当にのんびり暮らせるかもしれない。
◇ ◇ ◇
「よし」
明日はハンスのところへ行こう。
一日休んだ。
十分だ。
石鹸が何個売れたか、めちゃくちゃ気になる。
「……朝一で行こう」
やっぱり完全なスローライフには、まだ少し遠そうだった。




