一個ずつ、進めていこう
翌朝。
俺は商売用の袋から25リルを取り出し、革鞄へ入れた。
今日、セラに渡す金だ。
これで次の石鹸二十個を正式に頼む。残りの支払いについては、完成までに考えればいい。
貯金33リルには触らない。
「よし」
まず一個。
今日やることを一つずつ片づけよう。
◇ ◇ ◇
「今日は朝から市場?」
母さんが朝食を用意しながら聞いてくる。
「セラのところ」
「また石鹸?」
「次の二十個頼む」
「この前できたばかりじゃなかった?」
「もう半分以上売れた」
「そんなに?」
母さんが少し驚いた。
こういう反応を見ると嬉しい。
「三日で十一個」
「へえ。ちゃんと売れてるのね」
「ちゃんとって何?」
「最初は家で変な物を作り始めたと思ってたから」
「石鹸です」
「最初のは石鹸って呼んでいいのか怪しかったでしょう?」
それはそう。
◇ ◇ ◇
「次もレインは作らないの?」
「セラに全部お願いする」
「じゃあ今日はお金を渡すだけ?」
「それとハンスの店に寄る。背負い鞄の注文も確認する」
「忙しいわね」
「俺、商人だから」
「八歳よ」
「両立してる」
母さんが笑う。
「お昼までには一度帰ってきなさい」
「分かった」
商人でも昼飯は家で食べる。
八歳だから。
◇ ◇ ◇
セラの店へ着く。
「おはよう」
「本当に朝から来たね」
「約束したから」
「昨日は明日持ってくるとは言ってたけど、朝一番とは聞いてないよ」
「早い方がいいかなって」
「まあいいけどね」
セラは呆れながらも、少し笑っている。
俺は革鞄から25リルを出した。
◇ ◇ ◇
「二十個、お願いします」
「ああ。確かに25リル」
セラが金を確認し、記録をつける。
「残り15リルは完成したとき」
「覚えてる」
「完成は一週間くらい?」
「そのつもり。ただ、他の仕事もあるから多少前後するよ」
「分かった」
「今回は急かさないんだね」
「昨日急ぐなって言われたから」
「素直でよろしい」
セラが笑う。
俺だって学習する。
◇ ◇ ◇
「前と同じ物でいいんだね?」
「うん。今のところ問題も出てない」
「なら変にいじらない方がいいね」
「俺もそう思う」
売れているなら、まず同じ物を作る。
昨日ミラから聞いたパン屋の話もある。
新しいことをするのは楽しい。
でも、今売れている物をちゃんと続けるのも大事だ。
◇ ◇ ◇
「じゃあ任せた」
「ああ、任されたよ」
店を出ようとすると、セラに呼び止められた。
「レイン」
「なに?」
「金、足りるのかい?」
足が止まる。
「……完成までには」
「昨日、32リルしかないって言ってただろ」
「覚えてた?」
「そりゃ覚えてるよ」
セラ、意外と細かい。
◇ ◇ ◇
「貯金は使わないんだろ?」
「使わない」
「なら、残りを払えるようにしときな」
「分かってる」
「できました、金ありません、は困るからね」
「それは絶対しない」
そこは信用に関わる。
ダリオにもハンスにもセラにも、約束した金はちゃんと払ってきた。
そこを崩したくない。
「ならいいよ」
セラが俺の頭を軽く撫でる。
「無理なら早めに相談しな」
「うん」
厳しいけど、ちゃんと逃げ道も教えてくれる。
ありがたい。
◇ ◇ ◇
セラの店を出て、次はハンスのところへ向かう。
これで石鹸は正式に発注した。
二十個。
一週間くらい。
あとはセラに任せる。
俺が毎日見に行っても早くはならない。
「一個終わり」
次は背負い鞄。
◇ ◇ ◇
「おはよう」
「今日は早いな」
「セラに払ってきた」
「次の二十個か?」
「うん。正式に頼んだ」
「そうか」
ハンスが帳面を出す。
「こちらも昨日から少し動いたぞ」
「石鹸?」
「まずそっちから見るか?」
「うん」
昨日の時点で残り九個。
そこからどうなったか。
◇ ◇ ◇
「昨日、君が帰ったあとに一個。今朝一個」
「残り七個?」
「ああ」
「早いな」
「最初ほどではないが、まだ動いている」
三日で十一個。
その後さらに二個。
二十個のうち十三個売れた。
残り七個。
「次頼んで正解だった?」
「今のところはな」
「よし」
少し安心した。
◇ ◇ ◇
「それと背負い鞄」
「注文入った?」
「一件」
「二人目!」
「声」
「ごめん」
またやった。
ハンスが周りを見てから帳面を開く。
「昨日の夜、店を閉める少し前に来た。前から見本を見ていた男だ」
「もう手付けもらった?」
「いや」
「なんで?」
「今日また来る」
「じゃあまだ注文じゃないじゃん」
「買うとは言っていた」
「じゃあほぼ注文」
「ほぼ、だな」
こういうところはハンスが細かい。
◇ ◇ ◇
「何か気にしてた?」
「待ち時間だ」
「やっぱり?」
「ああ。仕事で使いたいらしくてな。三件集まるまで待つなら、どれくらいになるか聞かれた」
「分からないよね」
「だからそう答えた」
「一個だけ作ったら高くなるし」
「そこも説明した」
前回は三件集まるまで数日だった。
今回も同じとは限らない。
一人目のノルドは待てると言ってくれたけど、二人目も同じとは限らない。
◇ ◇ ◇
「一個だけならダリオは20リルくらいだったよね」
「ああ」
「25リルで売ったら、ハンスの3リル引いたら俺2リルしか残らない」
「そうなるな」
「少ない」
「だが客を待たせずに済む」
「うーん」
利益を取るか。
早く渡すか。
前なら迷わず利益を取っていた気がする。
でも客からすれば、俺の都合で三人集まるまで待たされている。
◇ ◇ ◇
「二個まとめてなら?」
「それはダリオに聞け」
「あ」
そうだった。
三個で一個16リルになることは聞いた。
一個なら20リルくらい。
二個の場合は聞いていない。
「聞いてくる」
「今?」
「一個ずつ進める」
「便利な言葉を覚えたな」
「昨日から使ってる」
ハンスが少し笑った。
◇ ◇ ◇
ダリオの工房へ向かう。
石鹸。
ハンス。
ダリオ。
最近、この三か所をずっと回っている気がする。
でも今日は目的がはっきりしている。
二個まとめて作る場合の値段。
それだけ聞けばいい。
余計なことを思いついて、別の商品を頼んだりしない。
◇ ◇ ◇
「おう、どうした?」
「背負い鞄」
「三個集まったか?」
「まだ一個。もう一人買いそう」
「じゃあ二個か」
「二個まとめてなら、いくらで作れる?」
ダリオが腕を組む。
「前は三個で48リルだったよね」
「ああ。一個16リルだな」
「一個だけなら20リルくらい」
「そうだ」
「二個は?」
「二個なら……」
ダリオが少し考える。
◇ ◇ ◇
「一個18リル。二個で36リルならやる」
「おお」
「三個ほど効率はよくねえが、一個ずつよりは楽だからな」
「じゃあ二個で作ってもらうのもあり?」
「俺は構わんぞ」
「今頼んだら?」
「二個目が本当に決まってから来い」
「やっぱり?」
「買うかもしれない客のために作り始める気か?」
「……危ないところだった」
ダリオが笑う。
◇ ◇ ◇
「それと、今なら二個でも五日くらいでいける」
「ほんと?」
「ああ。ただ、頼むなら明日までに決めてくれ。その後は別の仕事に入る」
「明日?」
「俺にも仕事があるんだよ」
「分かってる」
「本当か?」
「最近みんなにそれ聞かれる」
信用があるのかないのか分からない。
◇ ◇ ◇
「じゃあ二件目が決まったら、また来る」
「おう」
「二個で36リル」
「ああ」
「覚えた」
「ちゃんとハンスとも話せよ」
「分かってる」
工房を出る。
二個なら36リル。
一個18リル。
25リルで売って、ハンスへ3リル。
俺に残るのは4リル。
三個まとめたときの6リルより減る。
でも、一個だけ作るよりはいい。
◇ ◇ ◇
「待たせるか、利益を減らすか」
歩きながら呟く。
どっちが正しいんだろう。
たぶん、いつも同じ答えじゃない。
急いでいる客なら早く渡す価値がある。
待てる客なら三個集めた方がいい。
こういうのを、その都度決めるのが商売なのかもしれない。
面倒だけど、ちょっと面白い。
◇ ◇ ◇
ハンスの店へ戻る。
「聞いてきた」
「早かったな」
「二個なら36リル」
「一個18リルか」
「うん。明日までに頼めば五日くらい」
「なら今日来る客に聞いてみよう」
「待てるなら三個?」
「ああ。早く欲しいなら、二個で作ることもできる」
「ノルドにも確認した方がいい?」
「そうだな。先に注文したのは彼だから、勝手に条件を変えない方がいい」
それもそうだ。
◇ ◇ ◇
「ノルド今日来るかな」
「市場にはよく来ると言っていたな」
「探す?」
「待て」
「はい」
言われると思った。
「会えなければ、二人目にも明日まで待ってもらえばいい。今日中に全部決める必要はない」
「ダリオは明日までって」
「だから明日までに決めればいい」
「……なるほど」
本当に俺、急ぎすぎるな。
◇ ◇ ◇
昼前。
例の男が店へ来た。
昨日、背負い鞄を買いたいと言っていた人だ。
「昨日の話なんだけど」
「はい」
「やっぱり頼みたい」
「ありがとうございます」
今度は声を抑えた。
成長。
◇ ◇ ◇
「ただ、できれば早い方がいい」
「どれくらい?」
「一週間くらいなら待てる。それ以上だとちょっと困るかな」
ハンスと顔を見合わせる。
二個まとめて作れば五日くらい。
ちょうどいい。
「今、一人注文してる人がいます」
「ああ」
「その人も大丈夫なら、二個まとめて作れます。そうしたら五日くらい」
「それなら助かる」
「今日か明日には決めます」
「分かった」
男が頷く。
◇ ◇ ◇
「手付けは10リルです」
「今払っていい?」
俺はハンスを見る。
ハンスが頷く。
「大丈夫です」
男が10リルを渡す。
ハンスが受け取り、別の袋へ入れる。
「名前をお願いします」
「エド」
「エドさん」
二件目。
今度は正式な注文だ。
◇ ◇ ◇
エドが帰ったあと、俺は少し考える。
「二件で20リル」
「ああ」
「ダリオに払うのは36リル」
「全部を先に払うとは限らないだろう」
「あ」
「前回も30リルで始めてもらった」
「じゃあ今回も相談?」
「そういうことだ」
また一個、やることが増えた。
でも今度は焦らない。
◇ ◇ ◇
「まずノルド」
「ああ」
「二個で作っていいか確認」
「そうだ」
「次にダリオ」
「ああ」
「最初にいくら払えば始められるか相談」
「そうだな」
「一個ずつ」
「やっと覚えたか」
ハンスが笑う。
俺も少し笑った。
◇ ◇ ◇
その日の午後、運よくノルドが店へ来た。
事情を説明する。
三件集まるまで待てば、一番安く作れる。
でも二人目の客は一週間くらいまでなら待てる。
二個なら五日ほどで作れる。
「俺は別にいいぞ」
ノルドはあっさり答えた。
「ほんと?」
「ああ。早くなるなら助かるくらいだ」
「じゃあ二個で作る?」
「頼むよ」
決まった。
◇ ◇ ◇
今度はダリオ。
俺とハンスで相談して、俺が一人で工房へ向かった。
「二件決まった!」
「お、早かったな」
「二個でお願いします」
「36リルだぞ」
「うん。それで相談」
「金か?」
「なんで分かったの?」
「お前が相談って言うと、大体金だろ」
否定できない。
◇ ◇ ◇
「手付けで20リル預かってる」
「じゃあ20リル先でいい」
「いいの?」
「残り16リルは完成時」
「前より少ないけど」
「二個だからな。それに前の分もちゃんと払ってる」
また信用。
俺が直接作っていない商売なのに、俺が約束を守ったことが次の条件につながっている。
「ありがとう」
「礼は完成してからにしろ」
「じゃあ五日後」
「予定な。多少前後するぞ」
「分かってる」
◇ ◇ ◇
ハンスの店へ戻り、預かっていた20リルを受け取る。
もちろん俺の金ではない。
そのままダリオへ渡すための金。
もうそこは迷わない。
ダリオへ20リルを渡し、記録してもらう。
これで背負い鞄二個も製作開始。
「……終わった」
朝から動き回って、ようやく一段落した。
◇ ◇ ◇
整理する。
石鹸。
二十個、セラへ正式発注。
25リル支払い済み。
一週間くらい。
背負い鞄。
二個、ダリオへ正式発注。
客から預かった20リルをそのまま渡した。
五日くらい。
どちらも作り始める。
◇ ◇ ◇
「同時に二つ動いてる」
自分で言って、ちょっと嬉しくなった。
俺は石鹸を作っていない。
鞄も作っていない。
でも、二つの商品が別々の場所で作られている。
完成したらハンスの店へ。
そこで売れる。
そして俺にも金が残る。
◇ ◇ ◇
もちろん問題はある。
石鹸の残りの支払い。
背負い鞄も完成したら残り16リルをダリオへ払う必要がある。ただ、こっちは客二人から完成時に30リル入るから、その中から払える。
石鹸だけは、完成時に少し足りない。
でも今日はそれを考えすぎない。
まだ一週間ある。
◇ ◇ ◇
家へ帰る途中、俺は今日のことを思い返す。
朝は石鹸。
次にハンス。
ダリオ。
またハンス。
客と話して。
ノルドと確認して。
またダリオ。
「……全然一個ずつじゃなかったな」
一日で結構やっている。
でも、一個ずつ決めた。
だから途中で分からなくならなかった。
◇ ◇ ◇
前世の俺なら、思いついたことを全部同時に始めていた気がする。
欲しい物を見つける。
買う。
別の物も欲しくなる。
買う。
カードの請求が来てから考える。
今世では、そうならないようにしたい。
商売だって同じだ。
一個ずつ。
払えるか確認して。
売れるか確認して。
約束を守って。
それから次。
◇ ◇ ◇
「ただいま」
「おかえりなさい。お昼までに帰るんじゃなかったの?」
「…………」
母さんが笑顔で立っていた。
忘れてた。
「一個ずつ進めてたら遅くなりました」
「まず家との約束を一個守りなさい」
「はい」
商売の信用より先に。
家での信用が危なかった。




