そろそろ、次を頼んでもいい?
翌日。
俺はハンスの店へ行かなかった。
別に我慢しているわけじゃない。
毎日行ったところで、石鹸が売れる速さが変わるわけでもないし、背負い鞄の注文が増えるわけでもない。昨日ハンスにも「焦るな」と言われたばかりだ。
だから今日は行かない。
「……昼までは」
朝から行かないだけでも成長だと思う。
◇ ◇ ◇
「今日も市場?」
朝食を食べながら母さんに聞かれた。
「昼から」
「午前中は?」
「何しよう」
「遊んだら?」
「またそれ?」
「八歳の子に遊びなさいって言うの、そんなに変?」
「変じゃないけど」
遊ぶ。
何をして遊べばいいんだろう。
前世ならゲーム、動画、映画。
今は全部ない。
◇ ◇ ◇
「父さん、八歳って何して遊ぶの?」
「なんだ急に」
「母さんに遊べって言われた」
「友達と遊べばいいだろ」
「友達……」
ミラ。
二十歳くらい。
ハンス。
四十歳くらい。
セラ。
三十代。
ダリオ。
四十代。
「俺、友達の年齢おかしくない?」
「誰を友達に数えてるんだ?」
「……知り合いか」
「近所の子と遊べよ」
そういえば、この世界で八歳になってから、同年代とほとんど関わっていない。
ちょっと問題な気がしてきた。
◇ ◇ ◇
「まあ、そのうちな」
「何が?」
「お前も普通に遊びたくなるだろ」
「そうかな」
「ずっと金のことだけ考えてたら疲れるぞ」
父さんがそう言ってパンをちぎる。
前世では、むしろ遊びに金を使いすぎた。
今世では逆に、金を貯めることばかり考えている。
ちょうどいいところって難しい。
◇ ◇ ◇
午前中は父さんの工房を覗いたり、家の周りを歩いたりして過ごした。
途中で本当に近所の子供たちが遊んでいるのを見かけたけど、混ざる勇気はなかった。
精神的には三十過ぎ。
見た目は八歳。
この状態で子供の輪に入るの、思っていたより難易度が高い。
「今度にしよう」
誰に言うでもなく呟いた。
これは逃げではない。
保留だ。
◇ ◇ ◇
昼食を食べてから、市場へ向かう。
今日はまずミラのところへ寄った。
「こんにちは」
「あ、暇な八歳」
「その呼び方やめて」
「昨日は忙しかった?」
「結局、結構動いた」
「やっぱり」
ミラが笑う。
「今日は?」
「石鹸の売れ方を確認しに来た」
「また仕事じゃん」
「午後からだから」
「午前中は遊んだ?」
「散歩した」
「おじいちゃんみたい」
「八歳です」
「自分で言った」
最近、周りに言われすぎて受け入れ始めた。
◇ ◇ ◇
「石鹸、また聞かれたよ」
「ほんと?」
「昨日の夕方。一人」
「ハンスの店教えた?」
「もちろん」
「買ったかな」
「そこまでは知らないよ」
気になる。
すぐ見に行きたい。
でも、せっかくミラのところへ来た。
「パン売れてる?」
「急にどうしたの?」
「石鹸以外の話もしようと思って」
「気を遣った?」
「ちょっと」
ミラが吹き出した。
◇ ◇ ◇
「売れてるよ。いつも通り」
「新しいパンとか作らないの?」
「そんな簡単に増やさないよ」
「なんで?」
「売れなかったら余るじゃん」
「ああ」
「材料だって使うし、作る時間もかかるし。今あるパンを買ってくれる人がいるなら、まずそっちをちゃんと作る」
「なるほど」
「何その顔」
「勉強になった」
「パン屋で?」
「商売の」
ミラは少し呆れたあと、笑った。
「ほんと何でも商売にするね」
◇ ◇ ◇
新しい物を増やす前に、今ある物をちゃんと売る。
当たり前なんだけど、俺はすぐ次へ行きたくなる。
石鹸。
背負い鞄。
その次の商品も、すでに少し考えている。
でも、今は二つをちゃんと回す。
それが先だ。
◇ ◇ ◇
「じゃあハンスのところ行ってくる」
「結局それが目的でしょ」
「半分くらい」
「帰りに暇だったら寄りなよ」
「パンくれる?」
「なんで?」
「暇な八歳を遊ばせるんでしょ?」
「調子いいなあ」
ミラに笑われながら、店を出る。
こういう寄り道は悪くない。
前なら全部無駄な時間だと思っていたかもしれないけど。
◇ ◇ ◇
「こんにちは」
「今日は遅かったな」
ハンスが俺を見る。
「昼まで我慢した」
「我慢だったのか」
「石鹸何個売れた?」
「やっぱりそれか」
ハンスが帳面を開く。
昨日の夕方に見た時点で、残り十四個だった。
「昨日、君が帰ってから二個。今日は今のところ三個だ」
「じゃあ残り九個?」
「ああ」
「もう半分以上売れたじゃん」
二十個入って、残り九個。
十一個売れた。
思っていたよりずっと早い。
◇ ◇ ◇
「何日?」
「入荷した日を含めれば三日目だ」
「三日で十一個」
「そうだ」
「これなら次頼んでいい?」
「君はどう思う?」
「え?」
聞き返されると思っていなかった。
「だから聞いてるんだけど」
「いつまでも私に決めてもらうつもりか?」
「……そういうこと?」
「売れた数も期間も分かっている。次を作るのに一週間ほどかかることも知っている。考えてみろ」
なるほど。
試されている。
◇ ◇ ◇
三日で十一個。
残り九個。
同じ速さで売れるとは限らない。
最初は入荷待ちの客もいた。
だからここから遅くなる可能性はある。
でも、次の二十個を頼んでも完成まで一週間くらい。
「……頼んでもいいと思う」
「理由は?」
「残り九個だから」
「それだけか?」
「違う。次ができるまで一週間かかる」
「それで?」
「残り九個が一週間で全部売れなくても、ある程度は減ると思う。次の二十個ができたときに少し残ってても、今の売れ方なら全部売れないって感じはしない」
ハンスが黙って聞いている。
「あと、一回目の二十個を70リルで買ってくれたけど、次も同じ条件なら」
「そこだ」
「え?」
「勝手に同じ条件だと思うな」
「あ」
◇ ◇ ◇
「今回の二十個は、作る者を変えても売れるか確認する意味もあった」
「うん」
「結果は今のところ悪くない。だが、次も私が二十個すべて買い取るなら、条件を改めて確認する必要がある」
「値段変える?」
「それも含めて話す」
そうだった。
セラに頼めば二十個40リル。
ハンスに70リルで売る。
前回そうだったから、次も絶対同じとは限らない。
◇ ◇ ◇
「ハンスはどうしたい?」
「今の品質と売れ方なら、次も二十個70リルで構わない」
「いいの?」
「ああ」
「じゃあ決まり?」
「ただし、今回は前払いなしだ」
「…………」
そこが変わった。
「なんで?」
「前回は君に金がなく、試験的な取引でもあった。今回は違うだろう?」
「俺に金あるの知ってる?」
「君が自分で言っているからな」
「そうだった」
隠しておけばよかった。
いや、そういう問題じゃない。
◇ ◇ ◇
「つまり俺が先に40リル払う?」
「セラとの支払い条件次第だ」
「商売用32リルしかない」
「足りないな」
「8リル足りない」
「貯金は?」
「使わない」
即答した。
ハンスが少し笑う。
「そこは迷わなくなったな」
「貯金だから」
「ならセラと話してこい」
「前みたいに一部だけ先に払う?」
「それを決めるのはセラだ。もう一度二十個作るなら、今回はどういう条件で受けるのか聞いてみろ」
なるほど。
◇ ◇ ◇
「でもハンス、商品できたら70リルで買ってくれる?」
「品質が前回と同じならな」
「約束?」
「ああ」
「じゃあセラに言っていい?」
「構わない」
これで売り先はある。
前回と違うのは、完成前にハンスの金を使えないこと。
つまり、作るための金をどう用意するかが俺の問題になる。
◇ ◇ ◇
「背負い鞄は?」
「今日はまだ注文なし」
「そっか」
「昨日のノルドで一件だけだ」
「あと二件」
「ああ」
こっちは待つ。
石鹸は次を頼めそう。
二つの商品が、同じ速さで動くわけじゃない。
当たり前だけど、実際にやると面白い。
◇ ◇ ◇
「セラのところ行ってくる」
「行ってこい」
「今日二回目の商談」
「一回目は?」
「今の」
「商談のつもりだったのか」
「70リルで買う約束したじゃん」
「なら商談だな」
なんか少し格好いい。
八歳だけど。
◇ ◇ ◇
セラの店へ向かう途中、俺は商売用の金について考える。
32リル。
二十個の製作費は40リル。
8リル足りない。
貯金は33リルある。
そこから8リル出せば簡単だ。
でも、それは嫌だ。
せっかく貯めた金を、また商売に戻したら意味がない気がする。
◇ ◇ ◇
「こんにちは」
「今日は何個売れたんだい?」
店に入るなりセラに聞かれた。
「なんで分かったの?」
「昨日も報告に来ただろ」
「今日は違う」
「じゃあ何だい?」
「次の二十個、お願いしたい」
セラが一瞬止まる。
それから笑った。
「早かったねえ」
「今、残り九個」
「もう十一個売れたのかい?」
「三日で」
「それなら悪くないね」
◇ ◇ ◇
「ハンスも次の二十個を70リルで買うって」
「じゃあ売り先も決まってるのか」
「品質が前と同じなら」
「そこは任せな」
頼もしい。
「で、40リルなんだけど」
「うん?」
「今32リルしかない」
「また金が足りないのかい」
「今回は8リルだけ」
「だけって言うけどね」
セラが腰に手を当てる。
「前より金持ってるんじゃなかった?」
「貯金はある」
「じゃああるじゃないか」
「貯金は使わない」
俺が言うと、セラが少し意外そうな顔をした。
◇ ◇ ◇
「へえ」
「何?」
「いや。前なら使ってたんじゃないかと思って」
「俺のこと何だと思ってるの?」
「50リルの鞄を買う子」
「もうその話やめない?」
最近、町の人たちの中で俺の代表作みたいになっている。
石鹸を作ったことより、50リルの鞄を買ったことの方が有名なんじゃないだろうな。
◇ ◇ ◇
「それで相談なんだけど」
「全部先払いじゃなくてもいいよ」
「ほんと?」
「前回ちゃんと払ってもらってるからね」
「じゃあいくら?」
「25リル先にもらおうか。残り15リルは完成したとき」
「前と同じ?」
「結果的にはね。今回は試作がないから、その25リルをそのまま材料と仕事に回せる」
商売用32リル。
そこから25リル。
残り7リル。
◇ ◇ ◇
「払える」
「なら受けるよ」
「今払う?」
「急ぐねえ」
「だって一週間かかるんでしょ?」
「だいたいね」
「じゃあ今日から始めてほしい」
「分かった分かった」
セラが笑う。
「ただし、前回と同じ品質を目指すけど、何か問題があったら途中で止めるからね」
「それはもちろん」
「数を優先して変な物を作る気はないよ」
「うん」
そこは任せられる。
◇ ◇ ◇
俺は持ってきていた10リルを見る。
「…………」
「どうした?」
「今日10リルしか持ってきてない」
「何しに来たんだい」
「最初から頼む予定じゃなかったから!」
商売用32リル全部を持ち歩かないようにした結果、今度は商談が決まっても払えない。
節約と商売。
両立が難しい。
◇ ◇ ◇
「家に取りに戻る」
「明日でもいいよ」
「今日」
「一日くらい変わらないって」
「今日払えば今日から一週間」
「別の仕事もあるから、今日払ったら今日から作り始めるとは限らないよ」
「……そうなの?」
「当たり前だろ」
そうだった。
セラは俺専属の石鹸職人じゃない。
◇ ◇ ◇
「じゃあ明日25リル持ってくる」
「ああ。それで正式に受けるよ」
「完成は?」
「そこから一週間くらい見ておきな」
「分かった」
「急ぎすぎないこと」
「最近みんなに言われる」
「みんな正しいんじゃない?」
否定できない。
◇ ◇ ◇
セラの店を出る。
まだ正式発注ではない。
でも条件は決まった。
二十個。
40リル。
最初に25リル。
完成時に15リル。
ハンスは完成した二十個を70リルで買う。
「30リル残る」
今回は試作もない。
問題なく全部進めば、前回より分かりやすい。
40リル出して70リル戻る。
30リル増える。
◇ ◇ ◇
しかも、今度はハンスから先に金をもらわない。
自分の商売用の金で作ってもらう。
少し怖い。
25リル払ったあと、商売用の金は7リルまで減る。
完成したらさらに15リル必要になるから、そのままだと足りない。
「……あれ?」
足が止まった。
32リルから25リル払う。
残り7リル。
完成時に15リル。
8リル足りない。
「結局足りないじゃん」
さっきも分かっていたはずなのに、先に25リル払えることで安心していた。
◇ ◇ ◇
ただ、完成まで一週間ある。
その間に背負い鞄の注文があと二件入れば、あっちは客の手付けで作り始められる。
俺の金は使わない。
でも俺自身の手元に金が増えるのは、鞄が完成して客が残金を払ったあとだ。
一週間以内にそこまで進むかは分からない。
「どうしよう」
貯金33リル。
使いたくない。
商売用32リル。
8リル足りない。
◇ ◇ ◇
前なら、ここでハンスに8リル先にくれと言っていたかもしれない。
でも今回は、前払いなしと言われた。
それなら別の方法を考える。
完成まで一週間。
今すぐ40リル全部必要なわけじゃない。
あと8リル。
「……稼ぐ?」
久しぶりに、自分で何か売る?
いや。
それだとせっかく作らなくても回るようにした意味が薄い。
◇ ◇ ◇
市場を歩きながら考える。
そして、ふと思った。
別に今日、答えを出さなくてもいい。
セラへの正式な依頼は明日。
残り15リルが必要になるのは一週間くらい先。
その間に石鹸はさらに売れる。
背負い鞄の注文が増えるかもしれない。
何か別の金が入る可能性もある。
「そのとき考えればいいか」
ハンスの言葉を思い出した。
今考えても分からないことまで、全部先に解決しようとしなくていい。
◇ ◇ ◇
家へ帰る。
商売用の袋から、明日セラへ持っていく25リルを分けた。
残り7リル。
貯金33リルには触らない。
自由に使える3リルにも触らない。
「明日、次の二十個を頼む」
石鹸はもう、俺が作らなくても売れる。
だったら止める理由はない。
ただし、金が足りなくなったらそのとき考える。
借りるのか。
稼ぐのか。
支払いを相談するのか。
それとも別の方法があるのか。
◇ ◇ ◇
「……商売って、ずっと金足りなくない?」
稼げるようになれば楽になると思っていた。
実際は、稼げるようになるほど次に使う金も増えている。
でも前とは違う。
欲しい物を買って金がないわけじゃない。
次に稼ぐための金が足りない。
「これは浪費じゃない」
言ってから少し不安になる。
この言葉。
前にも使った気がする。
でも今回は本当だ。
たぶん。




