なんか、勝手に回り始めてない?
翌朝。
目が覚めて最初に見たのは、棚の奥に押し込んだ袋だった。
昨日、石鹸二十個の取引を終えて持ち帰った34リルが入っている。寝て起きても金額は変わっていない。当たり前だけど、こういう大きめの金が手元にあると、朝から少し嬉しい。
ただし、全部使える金ではない。
昨日の俺はそこまで理解している。
「よし。分けよう」
寝起きで金勘定。
八歳の朝として正しいのかは知らない。
◇ ◇ ◇
机の上に袋を並べる。
貯金18リル。
商売用13リル。
自由に使える金3リル。
そして、まだ分けていない34リル。
この34リルのうち4リルは、最初に俺がセラへ渡した金の残りが戻ってきたようなものだ。残り30リルが今回の二十個を70リルで売って、40リルで作ってもらった差になる。
ただし、その前の試作で6リル使っている。
そこまで含めれば、今回の外注化で実際に増えたのは24リル。
「……分けにくいな」
全部まとめて34リルあるから、余計にややこしい。
◇ ◇ ◇
しばらく考えて、まず商売用の袋へ4リルを戻した。
これで商売用は17リル。
残り30リル。
「半分貯金?」
15リル貯金。
15リル商売用。
悪くない。
そうすると貯金は33リル、商売用は32リルになる。
自由に使える金は3リルのまま。
「……3リル」
少ない。
でも、この3リルを増やした瞬間に使う未来が見える。
◇ ◇ ◇
「よし」
15リルを貯金袋へ。
残り15リルを商売用へ。
これで決定。
貯金33リル。
商売用32リル。
自由に使える金3リル。
合計68リル。
「おお……」
ちゃんと金がある。
少し前まで、手元の金が一桁になって焦っていたのに。
◇ ◇ ◇
「でも使えるの3リルか」
合計68リル持っているのに、自由に使えるのは3リル。
なんだこれ。
前世なら絶対に納得していない。
口座に68万円あったら、68万円持っている気分になっていた。家賃もカードの支払いも、翌月の生活費も全部無視して。
そして使う。
今考えると恐ろしい。
「成長したな、俺」
誰も褒めてくれないので、自分で褒めておいた。
◇ ◇ ◇
朝食のとき、父さんに金の分け方を話した。
「貯金33リルになった」
「お、増えたな」
「商売用が32リル」
「そっちも増えたな」
「自由に使えるのは3リル」
「それでいいんじゃねえか?」
「少なくない?」
「何を買うんだ?」
「決めてない」
「ならいらねえだろ」
正論。
父さん、最近こういうとき強い。
◇ ◇ ◇
「でもさ、俺の金なのに3リルしか自由に使えないんだよ?」
「全部お前の金だろ」
「そうだけど」
「貯金も商売用も、誰かに取られたわけじゃねえ」
「まあね」
「使い道を決めただけだ」
母さんがパンを置きながら笑った。
「お父さん、珍しくいいこと言うわね」
「珍しくは余計だろ」
「いつもはレインと一緒になって変なこと言ってるから」
「俺も?」
「二人とも」
母さんの中では、俺と父さんは同じ枠らしい。
◇ ◇ ◇
「今日は何するの?」
母さんに聞かれて、俺は少し考える。
「……特にない」
「昨日も最初はそう言ってなかった?」
「途中から忙しくなった」
「じゃあ今日も市場?」
「一応ハンスのところ見てくる」
「石鹸が気になるの?」
「それもある」
昨日二十個入って、その場で一個売れた。
残り十九個。
待っていた客があと二人いるなら、今日も売れる可能性は高い。
それに背負い鞄。
最初の三個は全部売れたけど、次の注文が入るかもしれない。
◇ ◇ ◇
朝食を終え、家を出る。
今日は商売用の32リルを持っていくか少し迷った。
結局、10リルだけ持つことにした。
全部持ち歩く必要はない。
必要になったら家へ戻ればいい。
自由に使える3リルは――。
「置いていこう」
昨日市場を歩いて思った。
持っていなければ使えない。
最強の節約術である。
◇ ◇ ◇
「おはよう」
「今日も来たか」
ハンスの店へ入ると、予想通りの反応をされた。
「石鹸売れた?」
「売れた」
「何個?」
「昨日、君が帰ったあとに二個」
「じゃあ残り十七個?」
「今朝一個売れたから十六個だ」
「もう四個?」
「ああ」
二十個あった石鹸が、もう十六個。
まだ一日も経っていない。
◇ ◇ ◇
「早くない?」
「入荷を待っていた客がいたからな」
「このままならすぐなくなる?」
「そう単純でもない」
「なんで?」
「待っていた客が買えば、そこからは普段の売れ方に戻る」
「ああ」
最初だけ勢いがある可能性もある。
なるほど。
「じゃあ、次の二十個頼むのはまだ早い?」
「私はそう思う」
「何個まで減ったら?」
「数だけで決めるな。何日で何個売れたかを見る」
「期間も?」
「当然だ」
また見る数字が増えた。
◇ ◇ ◇
「記録してる?」
「している」
「見せて」
ハンスが帳面を開く。
石鹸が入った日。
売れた数。
残り。
簡単だけど、ちゃんと分かる。
「これ毎日?」
「他の商品でも似たようなことはしている」
「全部?」
「主な物だけだ。細かくやりすぎると記録するだけで一日が終わる」
「それは嫌だな」
「だから必要なものだけ見る」
この辺は経験なんだろう。
俺は数字を見るのは好きだけど、全部記録し始めたら確かに面倒くさい。
◇ ◇ ◇
「背負い鞄は?」
「そっちも話がある」
「注文?」
「一件」
「ほんと!?」
声が大きくなった。
店にいた客がこっちを見る。
「静かにしろ」
「ごめん」
ハンスが苦笑しながら、別の記録を取り出す。
「昨日の夕方に一人来た。見本を背負って、25リルなら欲しいと言っている」
「手付けは?」
「まだだ」
「なんで?」
「君とダリオに確認してから受けると言った」
「何を確認するの?」
「次も三個まとめて作るのか。それとも一個でも作るのか」
「あ」
◇ ◇ ◇
前回は三件の注文を集めた。
10リルずつ手付けをもらって、合計30リル。
その30リルをダリオへ渡して製作を始めてもらい、残り18リルは完成後に払った。
だから俺の商売用の金を使わずに済んだ。
今回、一件だけなら手付けは10リル。
ダリオに一個だけ作ってもらうなら、前に聞いた一個だけの値段は20リルくらいだった。
それだと利益が減る。
◇ ◇ ◇
「三人集めたい」
「私もその方がいいと思う」
「じゃあ注文受けていいじゃん」
「待てるかどうか確認していない」
「あ」
「前回は最初のライルが待つと言ったから、三件集まるまで待てた。今回の客も同じとは限らない」
「なるほど」
注文が来た。
じゃあ前と同じ。
とはならないらしい。
「今日また来る?」
「夕方に寄ると言っていた」
「じゃあ俺もいる」
「ずっと?」
「……一回帰ってくる」
「そうしろ」
◇ ◇ ◇
店を出る。
石鹸は勝手に四個売れていた。
背負い鞄には、俺が知らない間に次の客が来ていた。
「なんか……」
俺、何もしてない。
昨日はセラから石鹸を受け取って、ハンスへ渡した。
今日は店に来ただけ。
それなのに商品が売れて、次の注文まで来ている。
「なんか、勝手に回り始めてない?」
もちろん本当に勝手ではない。
セラが作って。
ハンスが売って。
ダリオが作れる状態になっている。
その人たちが動いているからだ。
でも、俺が全部に付きっきりじゃなくても進んでいる。
◇ ◇ ◇
「レイン!」
市場を歩いていると、またミラに呼ばれた。
「今日は忙しそうだね」
「普通」
「昨日は暇そうだったのに」
「今日は背負い鞄の注文が一件入った」
「また売れたの?」
「まだ注文になるか分からないけど」
「すごいじゃん」
ミラが嬉しそうに笑う。
「石鹸も入ったんでしょ?」
「もう四個売れた」
「早っ」
「でしょ?」
こういう反応が欲しかった。
ハンスはすぐ冷静な話をするから。
◇ ◇ ◇
「そういえば、石鹸買ったって人、今朝来たよ」
「パン屋に?」
「うん。前よりちょっと硬いけど使いやすいって」
「ほんと?」
「まだ一回使っただけらしいけどね」
「それでもいい」
作る人を変えて最初の商品。
売れた。
使ってもらった。
今のところ問題なし。
少し安心する。
「セラに教えてこようかな」
「喜ぶんじゃない?」
「行ってくる」
「また忙しくなってるよ」
ミラが笑う。
本当だ。
◇ ◇ ◇
セラの店へ行くと、ちょうど客がいなかった。
「セラ」
「今度は何だい?」
「石鹸、もう四個売れた」
「へえ、早いね」
「一人使った人が、前より少し硬いけど使いやすいって」
「そうかい」
セラの顔が少し緩む。
「よかった?」
「そりゃね。作った物がちゃんと使えたって聞けば安心するよ」
「ハンスも問題ないって言ってた」
「なら、次も頼まれるかもしれないね」
「まだ頼まないよ」
「おや」
「売れる速さを見てから」
セラが俺を見る。
◇ ◇ ◇
「何?」
「いや、ちゃんと待てるようになったんだと思って」
「俺だって成長するよ」
「昨日は完成した瞬間に、もっと作れるか聞いてきたけどね」
「昨日から成長した」
「一日で?」
「八歳だから」
「そういうときだけ八歳を使うんじゃないよ」
セラが笑いながら俺の頭を軽く撫でる。
便利なのに。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、一度家へ戻った。
「おかえり」
「ただいま」
「早かったわね」
「また夕方出る」
母さんが少し呆れた顔をする。
「今日は何件回ったの?」
「ハンス、ミラ、セラ」
「昨日と同じじゃない」
「順番は違う」
「そういう問題?」
違うらしい。
◇ ◇ ◇
父さんも昼食を食べに戻っていたので、背負い鞄の次の注文について話した。
「また三件集めるのか?」
「そのつもり」
「ダリオには聞いたのか?」
「まだ」
「じゃあ先に聞いとけ」
「今日?」
「注文受けてから『作れません』じゃ困るだろ」
「確かに」
完全に忘れていた。
ダリオにも普通の仕事がある。
前回作れたから、今回もすぐ作れるとは限らない。
◇ ◇ ◇
「父さん、今日ダリオ忙しいか知ってる?」
「知らん」
「友達じゃないの?」
「友達なら予定全部知ってると思うな」
「じゃあ行ってくる」
「飯食ってから行け」
「あ」
立ち上がろうとして、母さんに睨まれた。
「食べます」
「よろしい」
商売より昼飯。
この家では優先順位が決まっている。
◇ ◇ ◇
食後、ダリオの工房へ向かう。
「こんにちは」
「おう、レイン。どうした?」
「次の注文入りそう」
「もうか?」
「一件だけ」
「いいじゃねえか」
ダリオは素直に嬉しそうだった。
「また三個まとめて頼んだら作れる?」
「いつからだ?」
「まだ決まってない」
「じゃあ今すぐじゃねえのか」
「三件集まったら」
「なら大丈夫だろ。ただ、始める前に一度来い。仕事の具合を見る」
「分かった」
「前と同じ形でいいんだな?」
「今のところは」
これで一つ確認できた。
◇ ◇ ◇
「前の三個、何か言われたか?」
「今のところ壊れたって話はない」
「そうか」
「オルドも普通に使ってると思う」
「あいつのはちょっと気になるな」
「金槌?」
「そうだ。補強はしたが、道具を入れて毎日使うなら傷み方を見ておきたい」
「じゃあ今度聞いてみる」
「頼む」
作って売って終わりじゃない。
使ったあとを見る。
ダリオもそこを気にしている。
なんか、ちゃんと商品になってきた。
◇ ◇ ◇
夕方。
もう一度ハンスの店へ行く。
「来たか」
「お客さんは?」
「まだだ」
「石鹸は?」
「さらに二個売れた」
「六個!?」
「だから声が大きい」
「ごめん」
残り十四個。
思ったより早い。
でも、まだ次を頼むとは言わない。
俺は成長したから。
◇ ◇ ◇
しばらく店の端で待つ。
今日は余計な説明をしない。
客が来てもハンスに任せる。
俺は見ているだけ。
これも仕事。
たぶん。
「暇そうだな」
「仕事中」
「何をしてる?」
「待ってる」
「便利な仕事だ」
ハンスに笑われた。
俺もそう思う。
◇ ◇ ◇
少しして、一人の男が店へ入ってきた。
三十代くらい。
腰に小さな袋を下げていて、服には少し土汚れがついている。
「ああ、来たな」
ハンスが言う。
この人か。
「昨日の鞄、注文できるって?」
「できます」
俺が答えると、ハンスが横から俺を見る。
「できることは確認したのか?」
「ダリオに聞いてきた」
「ならいい」
ちゃんと先に動いておいてよかった。
◇ ◇ ◇
「ただ、三個まとめて作る予定なんです」
「三個?」
「一個ずつ作るより安く作れるから」
「なるほど」
「だから、あと二人注文が入るまで少し待ってもらうかもしれない」
男は少し考える。
「どれくらい?」
「前は三件集まるまで数日だったけど、今回は分からないです」
ここで適当に「すぐです」とは言わない。
前回、待つのも商売だと教わった。
「急ぎなら一個だけ作れるか職人に聞けます。でも、その場合は同じ25リルでできるか分からない」
「いや、急いでないよ」
男が見本をもう一度背負う。
◇ ◇ ◇
「これと同じのが来るんだろ?」
「はい。細かい違いはありますけど、同じ形です」
「じゃあ待つ」
「手付けが10リルです」
「残り15リルは完成したとき?」
「そうです」
男がハンスへ10リルを渡す。
ハンスが記録をつける。
新しい注文。
一件目。
◇ ◇ ◇
「名前は?」
「ノルド」
「ノルドさん」
「ああ」
「完成の目安が決まったら、ここで伝えます」
「分かった。市場にはよく来るから、何日かしたらまた寄るよ」
ノルドはもう一度見本を眺めてから、店を出ていった。
俺は扉が閉まるのを待つ。
そしてハンスを見る。
「一件」
「ああ」
「あと二件」
「焦るな」
「分かってる」
本当に分かってる。
たぶん。
◇ ◇ ◇
ハンスが10リルを別の袋へ入れる。
客から預かった金。
俺の金ではない。
もう間違えない。
「これ、前と同じように三件集まったら30リルになるね」
「ああ」
「それをダリオに渡して、残り18リルは完成後」
「ダリオの都合が変わらなければな」
「今日確認したら大丈夫そうだった」
「なら、あと二件だ」
仕組みは前と同じ。
一度やったから、今回はずっと分かりやすい。
◇ ◇ ◇
店を出る前、石鹸の棚を見る。
残り十四個。
背負い鞄の注文は一件。
俺が今日やったことといえば、店を回って話をして、ダリオに確認して、客に少し説明したくらいだ。
石鹸はセラが作った。
ハンスが売った。
背負い鞄も、注文はハンスの店に来た。
ダリオは次を作れると言っている。
「……やっぱり回ってるな」
最初は全部、自分でやっていた。
自分で作って。
自分で持っていって。
売れたら喜んで。
材料がなくなったら自分で買いに行った。
◇ ◇ ◇
今は違う。
俺が何もしていない時間にも、石鹸が売れる。
俺が店にいない時間にも、背負い鞄を欲しい人が来る。
もちろん放っておけば全部進むわけじゃない。確認することも、決めることも、金を管理することもある。
でも、自分一人で動いていたころとは明らかに違う。
「これなら、もっと増やせるかも」
商品を。
売る場所を。
作ってくれる人を。
そして――貯金を。
◇ ◇ ◇
家へ帰る途中。
焼き串の店の前を通った。
いい匂いがする。
「…………」
一個4リル。
自由に使える金は家に3リル。
買えない。
「やっぱり持ってこなくて正解だったな」
俺はそのまま通り過ぎる。
今日は石鹸が六個売れて、背負い鞄の新しい注文が一件入った。
俺の財布には、一銭も増えていない。
それでも商売は前に進んでいる。
こういう日もあるらしい。
悪くない。
焼き串は食べられないけど。




