石鹸、できたらしいです
背負い鞄の三個目を渡した翌日。
俺は珍しく、朝から特に予定がなかった。
背負い鞄は三個とも無事に売れた。次の注文はまだ入っていないし、ダリオに頼んでいる物もない。石鹸はセラに任せていて、完成までは一週間くらいと言われている。
つまり。
「暇だ」
久しぶりに、本当にやることがない。
◇ ◇ ◇
「じゃあ工房の掃除お願いね」
「なんで?」
「お父さんから聞いたわよ。袋を二つもらう代わりに手伝うって約束したんでしょう?」
母さんが笑顔で言った。
覚えてたのか。
「今日じゃなくてもよくない?」
「暇なんでしょう?」
「…………」
言わなきゃよかった。
自分から仕事を増やしてしまった。
◇ ◇ ◇
「お、来たな」
工房へ行くと、父さんが待っていた。
「母さんに言った?」
「何を?」
「掃除」
「言った」
「なんで?」
「お前、放っておいたら忘れそうだから」
「忘れてないよ」
「じゃあ問題ないな」
父さんが箒を渡してくる。
逃げ道がない。
「商売してる人間に掃除させる?」
「俺との約束を守れない商人は信用されねえぞ」
「信用を便利に使ってない?」
「最近覚えた言葉だからな」
父さんが楽しそうに笑う。
絶対ハンスの影響だ。
◇ ◇ ◇
工房の掃除を始める。
木くずを集めて、細かい削りかすを片づける。邪魔にならないところへ材料を寄せて、父さんに言われた場所だけ軽く拭く。
地味だ。
ものすごく地味だ。
でも、こういう作業をしていると少し懐かしい。
最初はここで父さんの仕事を手伝って、1リルもらった。
その1リルが欲しくて働いていた。
今は貯金だけで18リルある。
「増えたなあ」
「何が?」
「貯金」
「掃除しながら金のこと考えてたのか?」
「たまたま」
「本当か?」
「半分くらい」
父さんが笑った。
◇ ◇ ◇
「今いくらだ?」
「18リル」
「結構増えたじゃねえか」
「でしょ?」
「最初は12リル貯めるだけで大騒ぎしてたのにな」
「途中で鞄買ったからね」
「50リルのな」
「父さんまで言う?」
「町中で知ってるんじゃねえか?」
「そんなわけないでしょ!」
怖いこと言うな。
俺が50リルの鞄を買った話が町の伝説になってたら嫌すぎる。
◇ ◇ ◇
昼前には掃除が終わった。
「これでいい?」
「ああ。助かった」
「じゃあ袋代は?」
「払ったことになっただろ」
「労働で」
「そうだ」
無料でもらった気でいたけど、ちゃんと働いていた。
まあいい。
新しい財布を買うよりは安かったはずだ。
「午後どうしようかな」
「遊んでこい」
「八歳みたいに?」
「八歳だよ」
「そうだった」
最近、本当に忘れそうになる。
◇ ◇ ◇
昼を食べたあと、俺は市場へ出た。
今日は商売用の13リルを持っていない。
自由に使える3リルだけ。
商売の予定がないんだから、商売用の金を持つ必要もない。こうしておけば、何か思いついても勢いで材料を買ったりできない。
我ながら成長している。
市場をぶらぶら歩く。
何か買うつもりはない。
ただ見るだけ。
……自由に使える3リルはあるけど。
◇ ◇ ◇
果物が並んでいる。
三個で3リル。
買える。
パンもある。
一個2リル。
買える。
でも焼き串は4リル。
買えない。
「なんか安心するな」
買えないというのは強い。
欲しくなっても、金が足りなければ諦められる。
前世の俺には、これが必要だったのかもしれない。
財布に使っていい金だけ入れておく。
簡単なことなのに、三十年以上気づかなかった。
◇ ◇ ◇
「レイン!」
名前を呼ばれて振り返る。
ミラだった。
パン屋の前から手を振っている。
「暇そうだね」
「なんで分かるの?」
「歩き方」
「歩き方まで?」
「いつもは何か探してるみたいに市場うろうろしてるじゃん」
「今日は何も探してない」
「やっぱり暇なんだ」
ミラが笑う。
「パン屋手伝う?」
「パン一個?」
「覚えてたの?」
「報酬だから」
「ほんとそういうところだけしっかりしてるよね」
どうしよう。
暇だし、一個2リルのパンがもらえるなら悪くない。
◇ ◇ ◇
「何するの?」
「今はいいよ。午後そんなに忙しくないし」
「じゃあなんで誘ったの?」
「暇そうだったから」
「遊び?」
「八歳なんだから遊びなよ」
「みんなそれ言うな」
「だって八歳だもん」
ミラが俺の頭を軽く撫でる。
避けようとしたけど遅かった。
「そういえば、石鹸は?」
「セラが作ってる」
「もうできた?」
「まだじゃない? 一週間くらいって言ってたし」
「そっか。最近お客さんに聞かれるよ」
「ほんと?」
「うん。ハンスさんの店で買えるって教えてるけど、品切れしてるって言ってた人もいた」
「え?」
それは初耳だ。
◇ ◇ ◇
「いつ?」
「昨日かな。パン買いに来た人」
「どんな人?」
「女の人。前にも石鹸買ったことあるって」
「ハンスの店、もう在庫ないの?」
「私に聞かれても」
「行ってくる」
「暇じゃなかったの?」
「今、仕事できた!」
ミラが笑っている。
「ほんと忙しい八歳だね」
「また今度パン手伝う!」
「はいはい」
俺はハンスの店へ向かった。
走ってはいない。
早歩きだ。
◇ ◇ ◇
「ハンス!」
「今日は来ないと思っていた」
「石鹸ないの?」
「ない」
「いつ売れた?」
「最後の一個なら一昨日だ」
「言ってよ!」
「セラに二十個頼んでいるだろう」
「そうだけど」
「完成していない物は売れん」
正しい。
でも、品切れしている間に欲しい人が来ているなら、早く欲しい。
「昨日も買いに来た人いた?」
「一人な」
「ミラから聞いた」
「そうか」
「他には?」
「今週に入ってから二人ほど聞かれた」
三人。
商品がないのに、三人が買いに来ている。
◇ ◇ ◇
「予約取れない?」
「石鹸でか?」
「だって欲しい人いるんでしょ?」
「取れなくはないが、今回は初めてセラが二十個まとめて作っている」
「あ」
「まず完成した物を確認してからだ」
「そっか」
背負い鞄と同じようにはいかない。
石鹸は、作る人を変えたばかりだ。
四個の試作は問題なかったけど、二十個まとめて作ったときも同じ品質になるかはまだ分からない。
「じゃあ、完成したらすぐ売れるかも?」
「少なくとも、待っている客はいるな」
「いいじゃん」
ちょっと嬉しくなる。
◇ ◇ ◇
「そういえば、そろそろ一週間じゃないか?」
ハンスに言われて数える。
「……明日くらい?」
「私に聞くな」
「セラのところ行っていいかな」
「行けばいいだろう」
「急かしてるみたいにならない?」
「様子を聞くだけなら問題ない」
そうか。
なら行こう。
暇だったはずの一日が、急に忙しくなってきた。
「じゃあ行ってくる」
「ああ」
「できてたら戻ってくる」
「分かった」
俺は店を出た。
◇ ◇ ◇
セラの店へ着く。
扉を開けると、いつもの薬草の匂い。
「こんにちは」
「おや、レイン」
セラが奥から顔を出す。
「どうしたんだい?」
「石鹸」
「やっぱりそれか」
「そろそろ一週間かなって」
「待てるようになったと思ったら、ちゃんと数えてたんだね」
「商売だから」
セラが笑う。
「ちょうどよかったよ」
「え?」
「できた」
「…………」
一瞬、聞き返しそうになった。
◇ ◇ ◇
「二十個?」
「ああ」
「全部?」
「二十個頼んだのはあんただろ?」
「そうだけど!」
「昨日のうちに形は揃った。今日は状態を確認してたところさ」
「問題ない?」
「今のところはね」
来た。
本当にできた。
「見ていい?」
「もちろん」
セラが奥へ案内してくれる。
そこには、布を敷いた台があった。
そして。
「おお……」
石鹸が並んでいる。
一個。
二個。
三個。
数える必要がないくらい、たくさん。
いや、数えるけど。
◇ ◇ ◇
「一、二、三、四……」
「本当に数えるのかい」
「確認」
「二十個あるよ」
「十九、二十」
「疑ってた?」
「そうじゃない」
ちゃんと二十個。
俺が今まで一度に作った数より多い。
しかも形が揃っている。
「これ全部、セラが?」
「あたし一人でずっと付きっきりってわけじゃないけどね。仕事の合間に進めたよ」
「大変だった?」
「二十個なら、まあこのくらいだね」
「もっと作れる?」
「もう次の話かい?」
セラが呆れたように笑った。
しまった。
完成を喜ぶ前に増産を考えてしまった。
◇ ◇ ◇
「まず確認しな」
「はい」
試作のときと同じように、いくつか手に取って見る。
大きさ。
形。
香り。
見た目に大きな違いはない。
「全部同じ?」
「できるだけ揃えた。ただ、手で作ってるんだから多少の違いはあるよ」
「それくらいなら大丈夫」
「一つはあたしが確認用に使う。売る分は二十個ちゃんと別にしてある」
「二十一個作ったの?」
「正確にはね」
「その一個の材料代は?」
「細かいねえ」
「大事だから」
セラが笑う。
「確認用まで含めて40リルでいいよ。最初に決めた値段は変えない」
「よし」
「ほんと金の話になると嬉しそうだね」
否定はしない。
◇ ◇ ◇
「じゃあハンスに持っていく?」
「全部いきなり持っていくのかい?」
「売るんだから」
「まず一個見せてきな」
「あ」
また先走った。
「ハンスが確認して問題ないってなってから、二十個渡す?」
「その方がいいだろうね。あたしも明日まで状態を見ておきたい」
「分かった」
「それに」
「なに?」
「残りの15リル、まだもらってないからね」
「忘れてないよ!」
「本当に?」
「今日は商売用13リルしか持ってないから払えない」
「足りないじゃないか」
「ハンスから残りもらうんだよ」
「なら忘れてないね」
危ない。
払えないことが信用の証明になった。
◇ ◇ ◇
セラから確認用に一個預かる。
俺はそれを布で包み、革鞄の中へ入れた。
「これ、俺が作った石鹸じゃないんだよな」
「今さら何言ってるんだい?」
「いや」
並んだ二十個を見る。
俺は一個も作っていない。
灰を集めていない。
油を買っていない。
混ぜてもいない。
型にも入れていない。
それなのに、二十個できた。
◇ ◇ ◇
「変な感じ」
「何が?」
「俺の石鹸なのに、俺が作ってない」
セラが少し考えてから笑った。
「別に、あんたの石鹸じゃなくなるわけじゃないだろ」
「そうなの?」
「あんたが考えて、売って、こうした方がいいって持ってきた。あたしは作るのを引き受けただけさ」
「でも作ったのはセラ」
「そうだね」
「じゃあセラの石鹸でもある?」
「面倒くさいこと考えるねえ」
セラが俺の頭を軽く叩く。
「売れる物を一緒に作ってる。それでいいだろ」
「……そっか」
それが一番分かりやすい。
◇ ◇ ◇
俺はセラの店を出て、ハンスのところへ戻る。
行きより少しだけ革鞄が重い。
石鹸一個分だけ。
でも、その一個の後ろには二十個ある。
「石鹸、できたらしいです」
店に入って最初に言うと、ハンスが俺を見る。
「らしい?」
「俺、一個も作ってないから」
「見てきたんだろう?」
「見た。二十個あった」
「なら、できたんじゃないか」
「そうなんだけどさ」
俺は布包みを出して、ハンスの前へ置いた。
◇ ◇ ◇
「これが確認用」
「分かった」
ハンスが石鹸を手に取る。
見た目を確認する。
匂いを確かめる。
前にセラが作った試作品とも比べる。
「大きな違いはなさそうだな」
「セラも問題ないって」
「なら、今日これを確認して、問題がなければ明日二十個受け取ろう」
「70リル?」
「ああ」
「先に21リルもらってるから、残り49リル」
「覚えていたか」
「そこは覚えてる」
「セラへは?」
「残り15リル」
「なら、明日すべて終われば?」
「ハンスから49リル受け取って、セラに15リル払う」
「残りは?」
「34リル」
「全部利益か?」
「違う。4リルは最初にセラへ渡して残ってた俺の金」
「よし」
試験みたいになってきた。
◇ ◇ ◇
今回の二十個だけで考えれば、売上70リル。
製作代40リル。
差は30リル。
ただし、その前に四個の試作をして、そのために6リル使っている。
だからセラへ任せるところから全部まとめて考えるなら、今回の時点で実際に増えた分は24リル。
「合ってる?」
「そう考えるならな」
「よし」
前なら70リル入ると聞いた時点で、70リル儲かるような気分になっていたかもしれない。
今は違う。
売上と利益は別。
先にもらった金は利益じゃない。
試作に使った金も忘れない。
俺、かなり成長してない?
◇ ◇ ◇
「それと」
ハンスが言う。
「石鹸を買いに来た客が三人いたと聞いたか?」
「聞いた」
「なら二十個は、前より早く売れるかもしれない」
「ハンスはもう70リルで買うんだよね?」
「ああ。品質に問題がなければ、二十個はこちらで買い取る」
「じゃあ売れ残っても俺は困らない?」
「今回についてはな」
「おお」
「ただし、売れなければ次は買わんぞ」
「ですよね」
そこまで甘くない。
◇ ◇ ◇
「じゃあ明日」
「ああ」
「二十個ここに来る」
「そうなる」
「背負い鞄もここで売ってる」
「そうだな」
「俺の商品増えてない?」
「増えてるな」
なんだか嬉しい。
最初は石鹸一個をミラに置いてもらうところから始まった。
今はハンスの店に二十個まとめて卸そうとしている。
その横では、背負い鞄の注文も受けられる。
しかも俺は、どちらも作っていない。
◇ ◇ ◇
「これなら俺、暇になれるんじゃない?」
「今日何回町を往復した?」
「…………」
ミラのところ。
ハンス。
セラ。
またハンス。
「結構歩いた」
「暇そうには見えんな」
「おかしいな」
「自分で作らなくなった分、別の仕事が増えたんだろう」
「話すとか?」
「確認する。頼む。金を管理する。売れ方を見る。次を考える」
「多くない?」
「商売を増やしたのは君だ」
そうだった。
◇ ◇ ◇
でも、不思議と嫌じゃない。
石鹸を二十個、自分で作る。
背負い鞄を三個、自分で縫う。
そんなことは俺にはできない。
でも、セラとダリオがいるからできた。
ハンスがいるから売れる。
ミラみたいに、欲しい人がいることを教えてくれる人もいる。
俺一人で稼いでいるわけじゃない。
その代わり、一人だったころより大きな商売ができる。
◇ ◇ ◇
「明日、楽しみだな」
「また開店直後に来るのか?」
「……何時に来ればいい?」
「好きにしろ」
「じゃあ朝」
「やっぱりか」
ハンスが笑う。
俺も笑った。
明日、石鹸二十個が店に並ぶ。
俺は一個も作っていない。
それでも、売れれば俺にも金が残る。
なんか。
ようやく「商売を広げる」って意味が分かってきた気がする。
そしてその金は――。
今度こそ、ちゃんと貯金する。
全部とは言ってないけど。




