今度こそ、貯金します
家に帰るまで、焼き串は買わなかった。
これは結構すごいことだと思う。
途中でちゃんと匂いは嗅いだし、一瞬だけ「4リルなら自由に使える金から出せばいいんじゃないか」と考えた。でも、自由に使える3リルは家に置いてある。
つまり買えない。
昨日の俺、賢い。
◇ ◇ ◇
「ただいま」
「おかえりなさい」
家に入ると、母さんが振り返った。
「鞄は?」
「三個できた。二個売れた」
「もう?」
「注文してた人に渡しただけだけどね」
「それでも売れたんでしょう?」
「うん」
母さんが嬉しそうに笑う。
「よかったじゃない」
「12リル儲かった」
「いきなりお金の話になるのね」
「大事だから」
「それで?」
「なに?」
「何を買うの?」
「買わないよ!」
反射的に答えた。
母さんが少し驚いた顔をする。
なんだよ。
俺だって買わないときくらいある。
◇ ◇ ◇
「父さんは?」
「工房よ」
「ちょっと行ってくる」
「またお金の相談?」
「なんで分かったの?」
「最近のレイン、そればっかりだもの」
否定できない。
工房へ向かうと、父さんは作業を終えたところだった。ちょうど道具を片づけている。
「父さん」
「おう。今日は何買った?」
「母さんにも同じこと言われた!」
「じゃあ何も買ってねえのか?」
「買ってない」
「どうした、具合でも悪いか?」
「ひどくない?」
父さんが大笑いする。
この家で俺の浪費癖は、完全に共通認識になっているらしい。
◇ ◇ ◇
「背負い鞄が二個売れた」
「お、できたのか」
「三個できた。そのうち二人が取りに来て、残りを払ってくれた」
「いくら残った?」
「俺の分は一個6リル。二個で12リル」
「ちゃんとハンスの分も決めたのか?」
「一個3リル」
「ダリオが16リル、ハンスが3リル、お前が6リルか」
「そう」
父さんが頷く。
「悪くねえんじゃないか?」
「でしょ?」
作るのはダリオ。
売る場所と注文の管理はハンス。
俺は商品を考えて、二人をつないだ。
それで一個6リル。
前より少し、商売らしくなった気がする。
◇ ◇ ◇
「それで相談」
「やっぱり金か」
「12リルをどう分けようかなって」
「自分で決めろ」
「早くない?」
「前に決めただろ。貯金、商売用、自由に使う金」
「決めたけど、何リルずつ入れるか」
「それも自分で決めるんだよ」
「父親らしく助言してよ」
「じゃあ全部貯金」
「極端!」
「ほら、嫌なんだろ?」
「嫌っていうか……」
12リル全部を貯金。
できなくはない。
でも、それだと商売用の金が増えない。
◇ ◇ ◇
「まず、今いくらある?」
「商売用が8リル。自由に使えるのが3リル。貯金が5リル」
「そこに12リル増えた」
「うん」
「今すぐ商売で払う予定は?」
「ない」
背負い鞄の製作代は客から預かった金と残金から払っている。
石鹸も、ハンスから先に受け取った21リルをセラへ渡した。俺の8リルはそのままだ。
「なら、いくら商売用に残したい?」
「……10リルくらい?」
「なんで?」
「なんとなく区切りがいい」
「まあ、今はそれでもいい」
父さんが笑う。
「商売用を8リルから10リルにするなら、増やすのは2リルだな」
「残り10リル」
「ああ」
自由に使うか。
貯金するか。
◇ ◇ ◇
「5リル貯金」
「残り5リル」
「自由に使う」
「ずいぶん使うな」
「じゃあ7リル貯金」
「俺に聞くな」
「相談してるんじゃん!」
父さんがまた笑う。
難しい。
貯金は増やしたい。
でも、自由に使える金がゼロなのも嫌だ。
今すでに3リルあるから、別に増やさなくても困らないんだけど。
「……待って」
「どうした?」
「俺、自由に使える金3リルあるじゃん」
「あるな」
「じゃあ増やさなくてもよくない?」
「俺に聞かれてもな」
「よし」
決めた。
◇ ◇ ◇
「商売用に2リル」
「ああ」
「残り10リル、全部貯金」
父さんが少しだけ目を見開いた。
「本気か?」
「本気」
「明日になって返してくれって言うなよ」
「言わないよ!」
「預かるわけじゃねえだろ。自分の貯金だ」
「あ、そうだった」
危ない。
父さん銀行みたいになってた。
◇ ◇ ◇
俺は部屋へ戻り、三つの袋を並べた。
商売用。
自由に使う金。
貯金。
まず12リルの中から2リルを商売用へ入れる。
これで10リル。
そして残った10リル。
全部、貯金の袋へ。
「…………」
硬貨を入れる。
音がする。
今まで入っていた5リルと合わせて――15リル。
「おお」
増えた。
三倍だ。
たった15リル。
俺の感覚なら1,500円くらい。
でも、今までずっと5リルだった。
石鹸を売っても。
鞄を買っても。
また稼いでも。
商売を広げても。
貯金だけは、ずっと5リル。
それがようやく15リルになった。
◇ ◇ ◇
「今度こそ、貯金してる」
誰もいない部屋で呟いた。
前世。
俺は何度も貯金しようと思った。
給料が入ったら3万円。
余裕があれば5万円。
ボーナスは半分。
そんな予定だけは立派だった。
実際には、給料が入れば欲しかった物を買った。
残ったら貯金しようと思って、残らなかった。
だから今回は順番を変えた。
残ったら貯金じゃない。
先に入れる。
「これだよ」
俺は貯金袋を見る。
「前世の俺、聞いてる?」
聞いてるわけない。
俺なんだから。
◇ ◇ ◇
翌日。
俺はハンスの店へ向かった。
昨日来なかったオルドが、今日は来るかもしれない。
革鞄の中には商売用の10リルだけ。
自由に使える3リルは家。
貯金15リルも家。
持っていなければ使えない。
完璧だ。
「こんにちは」
「来たな」
「オルド来た?」
「まだだ」
「そっか」
「だが、昨日の夕方に話は届いている。今日か明日には来るだろう」
「じゃあ待つ」
「また?」
「最後の一個だから」
「好きにしろ」
最近、ハンスも諦めてきた気がする。
◇ ◇ ◇
店には背負い鞄が二個置いてある。
一個は試作品。
もう一個がオルドの商品。
見た目はほとんど同じだけど、売り物の方には注文済みだと分かるようにしてある。
「これ、間違えて売らない?」
「売らない」
「誰か欲しいって言ったら?」
「新しく注文を受ける」
「もう受けるの?」
「なぜ受けない?」
言われてみればそうだ。
三個売れたら終わりじゃない。
欲しい人がいるなら、四個目、五個目を作ればいい。
◇ ◇ ◇
「次も三個まとめて?」
「それはダリオと相談だな」
「また三件集めてから作る?」
「今のやり方なら、それが安全だろう」
「でも注文した人、待つよね」
「待てない客が増えてきたら、先に在庫を作ることも考えればいい」
「在庫」
石鹸では普通にやっていた。
先に作って、店に置いて、売れるのを待つ。
背負い鞄でも同じことはできる。
ただし一個16リル。
三個なら48リル。
売れなかったときの痛さが石鹸とは全然違う。
◇ ◇ ◇
「今は注文されてから作る方がいいか」
「私もそう思う」
「売れる数がもっと増えたら?」
「そのとき考えろ」
「ハンス、それ多くない?」
「何が?」
「そのとき考えろ」
「今考えても分からないことが多いからな」
確かに。
俺は未来のことを考えすぎる癖があるのかもしれない。
老後のために100万リル貯めようとしてるくらいだし。
◇ ◇ ◇
昼前。
店の扉が開いた。
「お、あったあった」
入ってきたのはオルドだった。
「来た!」
「なんだ、待ってたのか?」
「待ってた!」
「暇なのか?」
「違うよ!」
たぶん暇でもある。
オルドは店に置かれた自分の背負い鞄を見ると、嬉しそうに持ち上げた。
◇ ◇ ◇
「底、少し補強してもらった」
「俺が道具入れるって言ったからか?」
「うん。三個とも同じようにしてある」
「ありがたいな」
オルドは鞄を背負い、肩紐を調整する。
試作品を使ったときと同じように少し歩いて、今度は自分の腰の道具袋を外した。
「入れていいか?」
「もちろん」
中へ道具を移していく。
小さな金槌。
細い道具。
布。
いくつかの細かい物。
「重すぎない?」
「これくらいなら大丈夫だろ?」
「たぶん。でも、無茶はしないでね」
「分かってる」
オルドが背負い直す。
◇ ◇ ◇
「おお」
「どう?」
「いいな」
両手を動かす。
腰を少しひねる。
歩く。
「腰の周りが空くのが思ったより楽だ」
「でしょ?」
「これなら仕事場を移るとき便利だな」
そのまま帰りそうになったので、俺は一瞬焦った。
「オルド!」
「ん?」
「お金!」
「ああ!」
忘れてたのかよ。
危ない。
◇ ◇ ◇
「残り15リルだな」
「はい」
オルドが笑いながらハンスへ支払う。
ハンスが受け取り、記録をつける。
これで三人目。
全部終わった。
「普通に使っててすぐ壊れたら、ここに持ってきて」
「分かった」
「でも無茶な使い方は――」
「分かってるって。岩は入れねえよ」
「なんでライルと同じこと言うの?」
「何の話だ?」
偶然らしい。
この世界の人、鞄を見ると岩を入れたくなるのか?
◇ ◇ ◇
オルドが帰ったあと、ハンスが15リルを作業台に置いた。
「これで三個すべて受け渡し完了だ」
「うん」
「ダリオへ6リル」
「ハンスに3リル」
「そして」
「俺に6リル」
ハンスが硬貨を分ける。
俺の前に6リルが置かれた。
「はい」
「ありがとう」
受け取る。
これで背負い鞄三個。
売上75リル。
ダリオへ48リル。
ハンスへ9リル。
俺に18リル。
最初の一回が、全部終わった。
◇ ◇ ◇
「……ちゃんと三個売れたな」
「ああ」
「25リルで」
「ああ」
「値下げしなくてよかった」
「最初に20リルにしようとしていたな」
「ちょっと考えただけ」
「待つのも商売だ」
「覚えました」
本当に。
あのとき焦って20リルにしていたら、三個で15リルも売上が減っていた。
もちろん20リルならもっと早く売れたかもしれない。
でも今回は、25リルで三人見つかった。
◇ ◇ ◇
「次の注文、来るかな」
「さあな」
「来たらまた三個?」
「だからダリオと相談しろ」
「そのとき考える?」
「覚えたじゃないか」
ハンスが笑う。
俺も笑った。
とりあえず今は、最初の三個がちゃんと売れたことを喜ぼう。
そして俺の手には、新しく6リル。
◇ ◇ ◇
家に帰る。
部屋に入る。
三つの袋を並べる。
商売用10リル。
自由に使える3リル。
貯金15リル。
そして今日入った6リル。
「…………」
さて。
どうする。
全部貯金すれば21リル。
商売用に入れれば16リル。
自由に使えば9リル。
俺は三つの袋を順番に見る。
「貯金……」
昨日、10リル入れた。
だから今日は別に入れなくても――。
「いや」
その考え方。
前世で何度もやった。
◇ ◇ ◇
昨日貯金したから今日はいい。
今月頑張ったから来月でいい。
ボーナス入るからそのときでいい。
そして結局、何も残らない。
「今度こそ、貯金します」
俺は6リルのうち、3リルを貯金袋へ入れた。
これで18リル。
残り3リルは商売用。
商売用は13リルになった。
自由に使える金は、変わらず3リル。
◇ ◇ ◇
貯金袋を持ち上げる。
18リル。
目標は100万リル。
残り、99万9,982リル。
「…………」
計算しなきゃよかった。
遠すぎる。
でも、5リルだった貯金は18リルになった。
まだ小さい。
それでも、ちゃんと増えている。
俺は貯金袋をしまった。
今世では。
稼いだら使う、じゃない。
稼いだら、まず残す。
そして残った分で、また稼ぐ。
「よし」
今度こそいける。
たぶん。
……自由に使える3リルで何を買うかは、また別の話だ。




