三個、できました
背負い鞄をダリオに正式に頼んでから、五日目。
俺は朝から落ち着かなかった。
予定通りなら、今日には三個できるはずだ。もちろん、ダリオから「朝一番で取りに来い」と言われたわけではないし、他の仕事もあるから多少遅れる可能性だってある。
だから昼までは待とうと思っていた。
思っていたんだけど。
「レイン」
「なに?」
「さっきから同じところ歩いてない?」
母さんに言われて、足を止めた。
家の中を行ったり来たりしていたらしい。
「今日、鞄できる予定なんだよ」
「ああ、三個お願いしたっていう?」
「そう」
「じゃあ見に行けばいいじゃない」
「でも、まだ朝だし」
「珍しいわね」
「何が?」
「待てるようになったのかと思って」
「俺だって待てるよ」
母さんが笑う。
なんだその顔。
◇ ◇ ◇
結局、昼まで待った。
正確には、昼よりちょっと前まで。
十分だろう。
「行ってきます!」
「はいはい。走らないのよ」
「分かってる!」
家を出て、ダリオの工房へ向かう。
途中でハンスの店にも寄ろうか迷ったけど、先に完成しているか確認することにした。まだできていなかったら、ハンスまで連れていって無駄足になる。
それに。
最初に見たい。
考えたのは俺なんだから、それくらい許されるはずだ。
◇ ◇ ◇
「こんにちは!」
「おう」
工房に入ると、ダリオは作業台の向こうにいた。
俺の声を聞いて顔を上げる。
「来ると思ったぞ」
「今日で五日だから」
「朝から来なかったのは偉いな」
「でしょ?」
「どうせ昼まで我慢しただけだろ」
「なんで分かるの?」
「顔」
また顔。
俺ってそんなに顔に出るのか。
◇ ◇ ◇
「それで?」
「何が?」
「できた?」
「何が?」
「ダリオまでやるの?」
ハンスだけで十分なんだけど。
ダリオは声を上げて笑うと、工房の奥を指さした。
「できてるよ」
「ほんと?」
「ああ。三個な」
その言葉を聞いた瞬間、俺は奥を見る。
そこには布がかけられた作業台があった。
ダリオが布を外す。
「おお……」
三個。
本当に三個ある。
同じ形の背負い鞄が、並んでいた。
◇ ◇ ◇
一個目を持ち上げる。
革の感触。
二本の肩紐。
外側の収納。
上につけた持ち手。
ロイドに一日使ってもらって、直したところも全部そのままだ。
「試作品と同じ?」
「ほぼな。ただ、三個とも底は少し補強してある」
「オルドが仕事道具入れるって言ってたから?」
「ああ。どうせ同じ物を三個作るなら、全部そうしておいた」
「重くない?」
「ほとんど変わらん。それに、補強したからって何でも詰め込んでいいわけじゃねえぞ」
「それはちゃんと言う」
「ならいい」
俺は二個目、三個目も確認する。
ちゃんと同じだ。
もちろん、全部手作りだから細かい違いはある。でも、どれか一個だけ明らかに変ということはない。
◇ ◇ ◇
「三個できた……」
「さっきからそう言ってるだろ」
「いや、分かってるけど」
最初は、俺が50リルで買った革鞄を見ながら思いついただけだった。
両手が空いて、荷物を分けて入れられて、肩も楽な鞄。
前世では珍しくもなかった。
でも俺は作れない。
だから父さんに相談して、ダリオを紹介してもらった。
最初の試作品は微妙だった。
直して。
ロイドに使ってもらって。
また直して。
いくらなら買うか、何人にも聞いた。
ハンスの店に見本を置いた。
そして三人から、本当に注文が入った。
「商品になったな」
ダリオが言った。
「うん」
その言葉が、一番しっくりきた。
もう試作品じゃない。
売るために作った商品だ。
◇ ◇ ◇
「で、ちゃんと確認しろ」
「何を?」
「売るんだろ?」
ダリオに言われ、俺はもう一度三個を見る。
「壊れてない」
「それだけか?」
「縫い目?」
「そういうのもだ」
一個ずつ手に取る。
肩紐を引っ張ってみる。
留めるところを動かす。
外側の収納を開け閉めする。
中の仕切りも確認する。
「問題なさそう」
「俺も見てるが、売る側でも確認しとけ。客に渡してから気づくよりいい」
「分かった」
石鹸でも似たようなことをした。
作った人が大丈夫と言うだけじゃなく、売る側でも確認する。
俺の仕事、ちゃんとあるじゃん。
◇ ◇ ◇
「じゃあハンス呼んでくる」
「ああ」
「持っていかないの?」
「三個抱えて市場まで行く気か?」
「……無理か」
一個なら背負えばいい。
二個目も手に持てる。
三個目は――。
「頭に乗せる?」
「やめろ」
「冗談だよ」
「お前ならやりそうなんだよ」
失礼な。
でも、ちょっと考えた。
◇ ◇ ◇
俺はハンスの店まで走った。
いや、途中から歩いた。
母さんに走るなと言われたのを思い出したからだ。
「ハンス!」
「どうした?」
「できた!」
「何が?」
「鞄!」
「三個?」
「三個!」
ハンスが少し笑う。
「予定通りだな」
「見に行こう」
「今?」
「今」
「店があるんだが」
「あ」
そうだった。
ハンスは暇じゃない。
◇ ◇ ◇
「少し待て」
ハンスは店の中を確認してから、近くにいた店の手伝いをしている人へ声をかけた。
「長くは空けられない。確認だけだぞ」
「うん」
「それと、完成していたからといって、すぐ客へ連絡するな」
「なんで?」
「まず私も見る。それから、どうやって三個を店まで運ぶか決める」
「ああ」
「注文を受けたのはこの店だからな。客への受け渡しも、ここでした方が分かりやすい」
「確かに」
売る場所を借りているだけじゃない。
注文を記録して、手付けを預かって、客が戻ってくる場所にもなっている。
ハンスの店、思っていたよりずっと重要だ。
◇ ◇ ◇
「おう、来たか」
工房へ戻ると、ダリオが待っていた。
「見せてもらうぞ」
「ああ」
今度はハンスが三個を確認する。
見た目。
肩紐。
留め具。
収納。
俺よりずっと丁寧に見ている。
「いいな」
「だろ?」
ダリオが少し得意そうに笑った。
「試作品より底がしっかりしているか?」
「少しだけな。仕事道具を入れる客がいるって聞いたから、三個とも補強した」
「値段は?」
「変えねえよ。約束通り三個で48リル」
「分かった」
そこで俺は思い出した。
「残り18リル」
「ああ」
最初に30リルを渡している。
製作代は合計48リル。
だから、あと18リル。
◇ ◇ ◇
「でも、まだ客から残りもらってないよ?」
「だから完成後でいいって話だったろ」
ダリオが言う。
「完成したけど?」
「客に渡して金を受け取ってからでいい」
「そこまで待ってくれるの?」
「今さら三個持って逃げねえだろ?」
「逃げないよ」
「なら問題ねえ」
ダリオは笑っている。
でも、これは結構大きい。
三個の商品はもう完成している。
ダリオは約束した仕事を終えているのに、18リルをまだ受け取っていない。
「なるべく早く払う」
「おう。頼むぞ」
こういうのも信用なんだろう。
◇ ◇ ◇
「で、店までどうする?」
俺が聞く。
「俺が持っていく」
ダリオが答えた。
「いいの?」
「三個くらいならな。どうせ午後に市場の方へ用がある」
「助かる」
「その代わり、運び賃で一個――」
「取るの?」
「冗談だ」
「びっくりした!」
「お前、金の話になると本当に食いつくな」
ダリオとハンスが笑う。
笑い事じゃない。
一個1リルでも三個なら3リルだぞ。
◇ ◇ ◇
午後。
三個の背負い鞄がハンスの店に並んだ。
試作品を含めれば、同じ形の鞄が四個。
今まで一個だけ置いてあったときとは、見え方が全然違う。
「店っぽい」
「ここは元から店だ」
「そうじゃなくて」
商品が複数並ぶだけで、本当に売り物らしく見える。
ハンスは注文の記録を取り出した。
一人目、ライル。
二人目、荷運びの仕事をしている男。
三人目、木工の仕事をしているオルド。
三人とも10リルずつ手付けを払っている。
「残りは一人15リル」
「ああ」
「三人で45リル」
「そうだ」
「そこからダリオに18リル」
「その前に、もう一つ決めることがある」
「え?」
ハンスが俺を見る。
◇ ◇ ◇
「私の分だ」
「…………」
忘れてた。
いや。
忘れてたというか。
まだ決めてなかった。
「店で見本を置いて、客に説明して、注文を受けて、手付けを預かって、完成した商品を渡す」
「うん」
「それを無料で続けると思っていたのか?」
「…………ちょっとだけ」
「正直だな」
ハンスが苦笑する。
そうだった。
前にも話している。
売る場所にも金がかかる。
背負い鞄は25リルで売れる。
ダリオに払う製作代は、一個16リル。
差は9リル。
でも、その9リルが全部俺の利益になるわけじゃない。
ハンスの店を使っている。
◇ ◇ ◇
「いくら?」
「そこを決めよう」
「今?」
「最初の三個を渡す前がいいだろう」
「確かに」
俺は頭の中で計算する。
一個25リル。
製作16リル。
残り9リル。
ここからハンスの分。
「1リル?」
「帰れ」
「まだ何も交渉してないじゃん!」
ハンスが笑う。
「冗談だ」
「そっちが言うの!?」
「ダリオの影響だな」
やめてほしい。
商売相手がどんどん悪い冗談を覚えている。
◇ ◇ ◇
「私は一個3リルでいい」
「3リル?」
「ああ」
「三個で9リル」
「そうなる」
すると、一個25リルからダリオの16リルを引いて9リル。
そこからハンスへ3リル。
俺に残るのは6リル。
三個なら18リル。
「どうだ?」
「……思ってたより減った」
「嫌なら、自分で客を探して、自分で注文を受けて、自分で金を預かって、自分で受け渡せばいい」
「それは面倒」
「なら安いだろう?」
「……安い」
悔しいけど、納得できる。
◇ ◇ ◇
「それに、客から不具合の相談があった場合も、まず私が話を聞く」
「あ、それもやってくれる?」
「この店で売った以上、知らないとは言えないからな。ただし、修理そのものはダリオだ」
「分かってる」
「なら一個3リルでどうだ?」
「お願いします」
決まった。
背負い鞄一個25リル。
ダリオ、16リル。
ハンス、3リル。
俺、6リル。
三個売れば、俺の取り分は18リル。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、残り45リル受け取ったら?」
「ダリオへ18リル」
「うん」
「私の分が9リル」
「うん」
「残り18リルが君の分だ」
「分かりやすい」
ちょうど三つに分かれる。
もちろん最初に客から受け取った30リルは、すでに全部ダリオへ渡している。
だからこれから入る45リルを分ければ、それで最初の三個の精算が終わる。
「18リル……」
俺は少し嬉しくなる。
商売用8リルより多い。
貯金5リルより、かなり多い。
「まだ受け取ってないぞ」
「分かってるって」
最近、喜ぶ前に必ず誰かに止められる。
◇ ◇ ◇
「客にはどうやって知らせる?」
「カイルはこの辺によく来ると言っていたな。二人目も荷運びで市場へ来る。オルドも近くで仕事をしている」
「じゃあ待つ?」
「それでもいいが、早く渡した方がいい」
「ダリオにも早く18リル払いたいし」
「ああ」
ハンスは少し考えた。
「知り合いを通じて、完成したと伝えられるか当たってみる。少なくとも一人か二人は今日中に話が届くだろう」
「俺も探す?」
「市場を走り回って?」
「……やめとく」
「それがいい」
顔しか知らない人を町中で探す八歳。
普通に迷子になりそうだ。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
最初に店へ来たのは、ライルだった。
「できたって聞いたぞ」
「できました!」
「早かったな」
「予定通り五日!」
「お前が作ったみたいに言うなよ」
ハンスに突っ込まれる。
「考えたのは俺だから!」
「作ったのはダリオだ」
「分かってるよ!」
ライルが笑っている。
俺たちのやり取りを見て、楽しそうだ。
◇ ◇ ◇
「これが俺の?」
「三個とも同じだけど、好きなの選んでいいよ」
「いいのか?」
「うん」
ライルは三個を見比べ、一つを手に取った。
肩にかける。
背負う。
少し歩く。
「やっぱいいな、これ」
「でしょ?」
「両手が空くのがいい」
その言葉を聞いて、ちょっと嬉しくなる。
何度も聞いた感想だけど。
今度は試作品じゃない。
この人が自分の金で買う、自分の鞄だ。
◇ ◇ ◇
「残り15リルだな?」
「はい」
ライルがハンスへ15リルを渡す。
ハンスが確認して、注文の記録に受け取り済みと書く。
そしてライルへ鞄を渡した。
「もし普通に使っていて、すぐ縫い目がほどけたりしたらここへ持ってきてくれ。作った職人に確認してもらう」
「分かった」
「無茶な使い方で壊した場合は別だからな」
「岩でも詰めなきゃ大丈夫だろ?」
「岩はやめて」
俺が言うと、ライルが笑った。
◇ ◇ ◇
「じゃあな」
「ありがとうございました!」
ライルが店を出ていく。
その背中には、俺が考えて、ダリオが作った背負い鞄がある。
なんか変な感じだ。
市場を歩いている人が、自分の商品を使っている。
「一個」
「ああ」
ハンスが答える。
残り二個。
◇ ◇ ◇
その日は、もう一人来た。
荷運びの仕事をしている男だ。
この人も実際に背負って確認し、問題なく残り15リルを払った。
「これなら仕事の帰りに買い物しても、手が空くな」
「重い物入れすぎないでね」
「分かってるって」
二個目も店から出ていった。
残り一個。
オルドだけは、その日には来なかった。
◇ ◇ ◇
「30リル」
閉店前、ハンスが今日受け取った金を確認する。
二人分の残金。
15リルずつで30リル。
「この中から、ダリオに?」
「二人分なら、製作代の残りは一個6リルずつと考えれば12リルだな」
「ハンスは6リル」
「ああ」
「俺は12リル」
「そうなる」
俺は硬貨を見る。
12リル。
まだオルドの分が残っているから、全部終わったわけじゃない。
それでも、二個分は売買が終わった。
◇ ◇ ◇
「俺の12リル、もらっていい?」
「もちろんだ」
ハンスが12リルを俺へ渡す。
受け取った硬貨が手の中で鳴る。
自分で石鹸を作って売ったときとは、少し違う感覚だった。
今回、俺は革を切っていない。
縫っていない。
店で一日中売っていたわけでもない。
でも、俺のところに12リルが残った。
「……ちゃんと儲かった」
「二個分はな」
「うん」
「ダリオへの12リルは私が渡しておこう」
「お願い」
「私の6リルもここから受け取る」
「うん」
全部役割が違う。
でも、ちゃんと回っている。
◇ ◇ ◇
家へ帰る途中、俺は革鞄の中を確認した。
商売用として持っていた8リル。
今日入った12リル。
合わせて20リル。
家には自由に使える3リル。
そして貯金5リル。
「…………」
20リル。
ちょっといい数字だ。
市場を歩けば、買える物がかなり増える。
でも。
俺は革鞄を閉じた。
まだオルドへの受け渡しも残っている。
石鹸二十個も製作中だ。
それに、今回の利益を全部自由に使っていいわけじゃない。
「帰ったら分けよう」
商売用。
自由に使う金。
そして貯金。
今度は、増えた金をどう分けるか。
前の俺なら、12リル増えた瞬間に「12リル使える」と考えていた。
今は違う。
たぶん。
……帰り道に焼き串の匂いだけ嗅いでいこう。




