じゃあ、二十個お願いします
翌朝。
俺は朝食を食べながら、母さんの顔をちらちら見ていた。
昨日渡した、セラの石鹸。あれを使ってみてほしいと頼んである。
「レイン」
「なに?」
「そんなに見られると食べにくいんだけど」
「石鹸どうだった?」
「やっぱりそれね」
母さんが笑った。
向かいでは父さんがパンを食べながら、呆れたように俺を見ている。
「朝起きて最初に聞くことがそれか?」
「大事だから」
「母さんにおはようは?」
「言ったよ!」
「そうだったか?」
「言った!」
たぶん。
◇ ◇ ◇
「ちゃんと使ってみたわよ」
母さんは少し考えてから話し始めた。
「前のと大きくは変わらないと思う。汚れも落ちたし、香りも近かったわ」
「ほんと?」
「ええ。ただ、少しだけこっちの方が硬い気がする」
「硬い?」
「気のせいかもしれないけどね。水に濡らしたとき、前のより形が崩れにくい感じがしたの」
それは悪いことなんだろうか。
俺には判断できない。
「父さんも使った?」
「ああ」
「どうだった?」
「石鹸だった」
「感想が雑!」
「汚れが落ちて、変な臭いもしなかった。それ以上何を言えばいいんだ?」
「もっとあるでしょ。使った感じとか」
「俺は家具作る方だからな。石鹸評論家じゃねえ」
そう言って父さんが笑う。
でも、少なくとも問題はなさそうだ。
◇ ◇ ◇
「前の方がよかった?」
俺が聞くと、母さんは首を横に振った。
「私はどちらでもいいわよ」
「同じ5リルなら?」
「同じくらいの大きさなら、どっちでも」
「よし」
「でも、一回使っただけだからね?」
「分かってる」
母さんの感想だけで決めるつもりはない。
セラも確認しているし、ハンス自身も見る。それに、ハンスは何度か買ってくれている客にも試してもらうと言っていた。
そこまで問題がなければ、かなり安心できるはずだ。
「じゃあハンスのところ行ってくる」
「もう?」
「結果聞きたい」
「朝ご飯は最後まで食べなさい」
「はい」
八歳は商売より朝食が優先らしい。
◇ ◇ ◇
朝食を食べ終えて家を出る。
今日は商売用の8リルだけ持ってきた。自由に使える3リルは家に置いたままだ。
市場へ向かう途中、焼き串の匂いがしたけど問題ない。
金は持っている。
でもこれは商売用だ。
「……強い」
自分でも驚くほど簡単に通り過ぎられた。
前世でも財布を用途ごとに分けていれば、俺の人生は少し違ったかもしれない。
いや、クレジットカードがあるから無理か。
◇ ◇ ◇
「こんにちは」
「来たか」
ハンスの店へ入ると、ちょうど客はいなかった。
「どうだった?」
「何が?」
「石鹸!」
「鞄じゃないのか?」
「そっちも気になる」
「欲張りだな」
「二個同時にやってるんだから仕方ないじゃん」
ハンスが笑う。
「まず石鹸だな。私も使った」
「どう?」
「問題ないと思う」
よし。
「それと、前の石鹸を三回買っている客にも一つ渡した」
「もう使ってくれた?」
「ああ。昨日の夕方に寄ってくれた」
「なんて?」
「前の物と大きな違いは感じないそうだ。香りも気に入っていると言っていた」
「おお」
「ただ、エレナと似たことを言っていたな」
「少し硬い?」
「そうだ。前より少し硬く感じると」
同じ感想が二人から出た。
なら、気のせいではなさそうだ。
◇ ◇ ◇
「それって駄目?」
「私は問題だとは思わない」
「なんで?」
「使いにくいとは言っていないからだ。むしろ、その客は前より長く使えるなら嬉しいと言っていた」
「なるほど」
硬い。
それだけ聞くと違いに思えるけど、それが悪いとは限らない。
「じゃあ、前より良くなった?」
「そこまで決めるのも早い」
「慎重だなあ」
「一個試しただけだからな」
確かに。
二十個作って、その全部が同じようになるかはまだ分からない。
◇ ◇ ◇
「でも、売っていい?」
「私はいいと思う」
「じゃあ二十個!」
「待て」
「なんで!」
「セラと話すんだろう?」
「あ」
「作るのは彼女だ」
そうだった。
俺とハンスだけで「二十個作ります」と決めても、セラが作る。
「あと、最初の10リルがいくら残っているのかも確認する」
「それもあった」
「昨日自分で聞いていただろう」
「覚えてるよ」
ちょっと忘れてただけだ。
◇ ◇ ◇
「背負い鞄は?」
俺が聞くと、ハンスが苦笑する。
「やっぱり聞くのか」
「だって気になる」
「昨日、ダリオのところへ30リルを持っていったばかりだぞ」
「進んでる?」
「私は知らん」
「見に行ってないの?」
「なぜ私が毎日見に行くんだ」
正しい。
でも気になる。
「あと四日くらい?」
「予定通りならな」
「新しい注文は?」
「一人、また見ていった」
「買った?」
「買っていない」
「そっか」
残念。
でも今は三個をちゃんと完成させる方が先だ。
◇ ◇ ◇
「じゃあセラのところ行ってくる」
「ああ。話がまとまったら戻ってこい」
「ハンスも来る?」
「必要ならな」
「先に出す金の話もあるよ」
「なら、セラの条件を聞いてから来い」
「分かった」
俺は店を出る。
今度は西側。
最近、町の中を行ったり来たりしてばかりな気がする。
自分で作る時間は減ったのに、歩く距離は増えた。
これ、本当にスローライフに近づいてるんだろうか。
◇ ◇ ◇
「また来たね」
セラの店に入ると、本人は薬草を束ねているところだった。
「結果出た」
「早いね」
「母さんと父さんとハンスと、前から買ってるお客さんにも使ってもらった」
「ずいぶん確認したじゃないか」
「みんな問題ないって」
「そうかい」
セラは少し嬉しそうに笑った。
「ただ、前より少し硬いって」
「ああ、それはあたしも思った」
「分かってたの?」
「そりゃ作った本人だからね」
「言ってよ」
「悪いことじゃないから黙ってたわけじゃないよ。あんたたちがどう感じるか聞きたかったのさ」
試されたらしい。
◇ ◇ ◇
「硬いのは大丈夫?」
「今のところはね。少なくとも、使いにくくなるほどじゃない」
「じゃあ同じ商品として売れる?」
「そこは売る側が決めることだよ」
「ハンスはいいって」
「なら、あたしは作れる」
来た。
「二十個?」
「最初に話した通りならね」
「一個2リルで、二十個40リル」
「ああ」
「じゃあ、二十個お願いします」
言った。
ついに正式に頼んだ。
自分で石鹸を作らない。
二十個全部、セラに作ってもらう。
◇ ◇ ◇
「分かった」
セラはあっさり頷いた。
「ただ、少し時間はもらうよ。本業の合間にやるからね」
「どのくらい?」
「材料が揃ってから始めて、まとめて形にするところまでは数日。ただ、そのあとすぐ全部店に並べるつもりなら、もう少し余裕を見な」
「なんで?」
「状態を見る時間も欲しいからさ」
「ああ」
前にも言われた。
できた瞬間だけじゃなく、その後どうなるかも確認する。
「じゃあ一週間くらい?」
「そのくらい見てくれれば助かる」
「分かった」
背負い鞄があと四日くらい。
石鹸が一週間くらい。
来週、忙しくなりそうだ。
◇ ◇ ◇
「それで、お金」
「そこだね」
セラは奥から帳面を持ってきた。
「最初にもらった10リル。試しの四個を作るのに使った材料と、細かい分をまとめて……残りは4リル」
「6リル使った?」
「ああ」
「四個で?」
「試しだからね。少量で用意した分や、確認に使った分もある。本番と同じ一個2リルにはならないよ」
「なるほど」
試作品は高い。
背負い鞄でもそうだった。
一個だけ作るのと、まとめて作るのでは値段が違う。
◇ ◇ ◇
「じゃあ本番40リルのうち、4リルはもうある」
「そういうこと」
「あと36リル」
「ああ」
「今、俺が8リル持ってる」
「出すのかい?」
「…………」
出せる。
8リル全部出せば、残り28リル。
でも、それをやったら俺の商売用の金がゼロになる。
せっかく昨日分けたばかりなのに。
「ハンスに聞いてくる」
「それがいいね」
「即答だね」
「あんた、今いくつ商売動かしてる?」
「石鹸と鞄」
「なら手元の金を全部一個に入れない方がいいだろ」
「やっぱり?」
「何かあったとき困るからね」
セラも同じ考えらしい。
◇ ◇ ◇
「セラは、先にいくら必要?」
「そうだねえ」
少し考えてから、セラは帳面に目を落とした。
「残ってる4リルと合わせて、先に25リルくらいあれば材料は揃えられる」
「25リル」
「つまり、あと21リル先にもらえれば始められる」
「残り15リルは?」
「完成してからでいいよ」
「ほんと?」
「二十個全部売る相手が決まってるんだろ?」
「品質が問題なければ、ハンスが70リルで買う」
「ならいいさ。それに、あたしも自分で確認してから渡したい」
話が早い。
背負い鞄と同じだ。
全部を先に払わなくても、作り始められる。
◇ ◇ ◇
「じゃあ21リル」
「ああ」
「ハンスに頼んでくる」
「ちゃんと『貸して』みたいに言うんじゃないよ」
「分かってる」
「本当に?」
「先に受け取る売上!」
「そう。それならいい」
セラが笑う。
「だいぶ商売人らしくなってきたじゃないか」
「ハンスにも言われた」
「そのうち八歳に見えなくなるね」
「…………」
「どうした?」
「もう結構言われてる」
主に母さんに。
気をつけよう。
◇ ◇ ◇
再びハンスの店へ戻る。
「早かったな」
「決まった」
「どうなった?」
「二十個で40リル。最初の10リルから4リル残ってるから、あと36リル」
「それで?」
「セラは、残ってる4リルと合わせて25リルあれば材料を揃えて始められるって。だから今必要なのは21リル」
ハンスが頷く。
「残り15リルは?」
「完成後でいいって」
「なら問題ない」
「え?」
あっさりしすぎて聞き返した。
◇ ◇ ◇
「21リル、先に出してくれるの?」
「ああ」
「もっと交渉するかと思った」
「何を交渉するんだ?」
「15リルにして、とか」
「それでは材料が揃わないんだろう?」
「うん」
「なら意味がない」
正論。
「ただし、確認しておくぞ」
「はい」
「これは二十個の石鹸を買う代金70リルの一部として、私が先に21リルを渡す。君の利益ではなく、セラに製作を始めてもらうための金だ」
「はい」
「完成後、品質を確認して問題がなければ、残り49リルを払う」
「……49?」
「70リルから21リルを引けば49リルだろう」
「あ、そっか」
セラへ払う残り15リルとは別だ。
ハンスから俺へ入る残りが49リル。
そこからセラへ15リル払う。
すると――
◇ ◇ ◇
「34リル残る?」
「何が?」
「完成したとき。ハンスから49リル受け取って、セラに15リル払ったら34リル」
「そうなるな」
「でも最初に4リル残ってたよね?」
「ああ」
「あれも本番の40リルに使う」
「そうだな」
頭の中で整理する。
ハンスから入る売上は合計70リル。
セラへ払う製作代は40リル。
差は30リル。
これは変わらない。
「じゃあ34リル全部が利益じゃない」
「気づいたか」
「そのうち4リルは、前に俺がセラへ渡した金の残りだから」
「そういうことだ」
危ない。
34リル儲かった気になるところだった。
◇ ◇ ◇
「最終的に今回の二十個だけ見れば、70リル入って40リル出る。差は30リル」
「うん」
「ただし、最初の試作に使った分まで考えるなら?」
「……利益減る」
「そういうことだ」
最初に渡した10リルのうち、6リルは試作で使った。
あれも石鹸をセラへ任せるために必要だった金だ。
今回の二十個だけなら30リル残る。
でも、新しい作り方を試すところから考えれば、実際にはそこまで単純じゃない。
「商売って、どこから数えるかで儲かった金変わらない?」
「ようやく気づいたか」
「難しくない?」
「だから記録するんだ」
また記録。
結局そこへ戻ってくる。
◇ ◇ ◇
ハンスは21リルを用意し、小さな袋へ入れた。
「これをセラへ」
「俺が持ってくの?」
「そのつもりだったが」
ハンスが俺を見る。
「使わないよ!」
「何も言っていない」
「顔が言ってる!」
受け取った袋は、ずしっと重かった。
21リル。
今の俺の全財産より多い。
でも、俺の金じゃない。
「これで焼き串五本――」
「レイン」
「計算しただけ!」
ハンスの反応が速すぎる。
◇ ◇ ◇
俺は袋を革鞄の奥へ入れた。
商売用の8リルが入っている袋とは、別の場所。
混ぜない。
絶対に混ぜない。
「じゃあセラに渡してくる」
「ああ。受け取ったことも記録してもらえ」
「分かった」
「それとレイン」
「なに?」
「帰りに腹が減ったら、その21リルからパンを買うなよ」
「買わないって!」
信用。
大事。
俺、昨日学んだばかり。
◇ ◇ ◇
セラの店へ戻り、21リルを渡した。
セラはその場で金額を確認して、帳面に書き込む。
「これで合計25リル分、先にもらったことになるね」
「うん」
「じゃあ材料を揃えて始めるよ」
「お願いします」
「完成まで一週間くらい。途中で何かあったらハンスにも伝える」
「分かった」
これで正式に動いた。
石鹸、二十個。
俺は作らない。
材料も買いに行かない。
それでも、商品が作られ始める。
◇ ◇ ◇
店を出て、俺は少しだけ立ち止まった。
背負い鞄は三個。
石鹸は二十個。
どちらも今、俺以外の人が作っている。
しかも今回の石鹸では、俺の手元にある商売用の8リルにも触れていない。
ハンスから先に21リル受け取って、それをそのままセラへ渡した。
「……俺、今日何した?」
母さんたちに感想を聞いた。
ハンスと話した。
セラと話した。
またハンスと話した。
そして金を運んだ。
作ってない。
でも、二十個の石鹸が動き始めた。
これが商売なら。
俺がやるべきことは、全部自分で作ることじゃないのかもしれない。
売れる物を考える。
作れる人を見つける。
売る人と条件を決める。
そして、それぞれがちゃんと得をする形にする。
そうすれば、俺一人では作れない数の商品が動く。
「これなら、そのうち……」
俺が何もしなくても金が入る。
そんな未来もあるかもしれない。
いや。
今はまだ歩き回って話しまくってる。
全然何もしてなくない。
「スローライフ、遠いなあ」
でも。
前よりは、少し近づいている気がした。




