俺の金って、どれ?
家に帰って最初にしたことは、父さんを探すことだった。
工房を覗くと、父さんは椅子の脚を削っているところだった。声をかけようとしたけど、刃物を使っている最中だったので少し待つ。
こういうところは、俺もちゃんと八歳らしく成長している。
たぶん。
「父さん」
「おう。どうした?」
「金の相談」
「また何か買ったのか?」
「なんで最初にそれ聞くの?」
父さんが豪快に笑った。
「お前が金の相談って言ったら、だいたい使った後だからな」
「今日は違うよ」
「じゃあ使う前か」
「使わない話!」
信用がない。
いや、これまでを考えると仕方ないかもしれない。
◇ ◇ ◇
俺は父さんに、背負い鞄の注文が三件入ったことを話した。
一個25リルで、三個なら合計75リル。客から10リルずつ先に預かり、その30リルをダリオへ渡した。ダリオへの製作代48リルのうち、残り18リルは完成後に払う。
「なるほどな」
「で、俺の金は使ってない」
「いいじゃねえか」
「でしょ?」
「ちゃんと三個売れればな」
「もう注文入ってるって」
「完成して、渡して、残りを受け取るまでが商売だろ」
ハンスと同じようなことを言う。
商売をしてる大人って、みんな最後まで喜ばせてくれない。
◇ ◇ ◇
「それで相談ってのは?」
「俺、今11リル持ってる」
「減ってないか?」
「昼にパン買った」
「商売の金で?」
「だからそれ!」
俺は革鞄から硬貨を出し、作業台の端に並べた。
「今まで、これを商売に動かせる金って考えてたんだけど、腹減ったらここからパン買ってるじゃん?」
「ああ」
「でも客から先にもらった金は、絶対パンに使っちゃ駄目じゃん?」
「当たり前だな」
「じゃあ、俺の金ってどれ?」
父さんが手を止めた。
少し考えてから、削りかけの椅子を横へ寄せる。
「お前、今までどう分けてた?」
「貯金と、それ以外」
「雑だな」
「八歳だから」
「こういうときだけ八歳になるな」
ばれた。
◇ ◇ ◇
「まず、その11リルは誰かに返す金か?」
「違う」
「何か買うって決めてあるか?」
「今はない」
「じゃあ全部お前の金だ」
「え?」
思ったより簡単な答えだった。
「ただし、その中から次の商売に使うつもりなら、その分は取っておいた方がいい。油を買う金を残しておいたときと同じだ」
「ああ」
「それとは別に、飯を食ったり、自分の欲しい物を買ったりする金がある」
「じゃあ分ける?」
「分けた方が、お前には分かりやすいだろうな」
最後の一言に、妙な含みを感じる。
「俺にはって何?」
「全部同じ袋に入れたら、使うだろ?」
「…………」
「使うよな?」
「否定しにくい」
◇ ◇ ◇
父さんは作業台の上に、小さな木片を三つ置いた。
「例えばだ。一つは貯金。一つは商売に使う金。もう一つは好きに使っていい金」
「三つ?」
「ああ。それから、客から預かった金があるなら、それは別だ」
「四つじゃん」
「客の金を自分の金に数えるな」
「なるほど」
そこは大事だ。
今回の30リルはもうダリオへ渡したから手元にはないけど、あれを受け取った瞬間に「俺、41リル持ってる!」と考えたら危ない。
絶対危ない。
41リルあったら、何か買えると思ってしまう。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、貯金は5リル」
「そこはまだ残ってるんだな」
「残ってるよ!」
「偉い偉い」
父さんが大きな手で頭を撫でる。
「子供扱いするなよ」
「八歳だろ」
「そうだけど」
「5リルをずっと守ってる八歳なんて、十分偉いぞ」
そう言われると悪い気はしない。
前世では口座残高427円だった男が、今世では5リルを守り続けている。
金額にすると、俺の感覚では500円くらい。
……急にしょぼく感じるから換算するのやめよう。
◇ ◇ ◇
「商売用はいくら残す?」
父さんに聞かれて、俺は考えた。
今すぐ必要な金はない。
背負い鞄は客から預かった金で製作が始まるし、石鹸の試作にはセラへ10リルを先に渡してある。
ただ、何か問題が起きたときに金がないのは困る。
「8リルくらい?」
「理由は?」
「なんとなく」
「なら、もう少し考えろ」
「厳しいな」
父さんが笑う。
「正解がある話じゃねえよ。何に使うか決まってないなら、全部商売用に残してもいい。逆に、少しくらい自分で使える金を持っておきたいなら分ければいい」
「じゃあ……商売用8リル。自由に使えるの3リル」
「いいんじゃねえか?」
「貯金5リルは別」
「それで合計16リルだな」
整理できた。
貯金、5リル。
商売用、8リル。
自由に使える金、3リル。
そして客から預かった金は、そもそも俺の所持金には入れない。
◇ ◇ ◇
「なんか急にちゃんとしてない?」
「自分で言うな」
「でも前より分かりやすい」
「なら入れ物も分けるか?」
「欲しい!」
即答した。
父さんが俺を見る。
俺も父さんを見る。
「……いや、違う」
「何が?」
「今の『欲しい』は危ないやつだった」
「自覚あるんじゃねえか」
「新しい財布を三つ買おうとした」
「買うな」
「分かってる」
危なかった。
金を管理するために金を使うところだった。
◇ ◇ ◇
「袋なら家に余ってるだろ」
父さんが工房の棚を探し、小さな布袋を二つ出してきた。
「これ使え」
「無料?」
「その代わり、今度工房の掃除手伝え」
「有料じゃん」
「金は減らんぞ」
「時間が減る」
「八歳が生意気言うな」
父さんが笑いながら布袋を投げてくる。
俺はそれを受け取った。
一つには商売用の8リル。
もう一つには自由に使える3リル。
貯金の5リルは、今まで通り別にしておく。
「これなら間違えない」
「袋ごと持ち歩いて全部使うなよ」
「俺をなんだと思ってるの?」
「息子」
なんか強い。
それを言われると何も返せない。
◇ ◇ ◇
翌日。
俺は商売用の8リルだけを革鞄に入れて家を出た。
自由に使える3リルは家に置いてある。
これなら市場で何か欲しい物を見つけても、商売用の金しか持っていないから買えない。
完璧だ。
自分を信用できないなら、物理的に使えなくすればいい。
「俺、賢くない?」
一人で呟く。
前世の俺にも教えてやりたい。
クレジットカードを持つな、と。
◇ ◇ ◇
今日はハンスの店へ行くつもりはない。
背負い鞄はダリオが作り始めている。完成まで五日ほどと言われているんだから、毎日見に行ったところで早くなるわけじゃない。
だから今日は、セラの店へ向かう。
四個だけ試しに作ってもらうことになってから、何日か経っている。
そろそろ何か分かっているかもしれない。
「こんにちは」
店へ入ると、薬草の匂いがした。
棚には乾燥させた葉や根、小さな瓶が並んでいる。
「おや」
奥からセラが顔を出した。
「ちょうどいいところに来たね」
「石鹸?」
「ああ」
その一言で、俺の意識が完全に石鹸へ切り替わる。
「できた?」
「形にはなったよ」
「おお!」
「ただし、まだ売る話はするな」
「まだ何も言ってないじゃん」
「顔に書いてある」
俺の顔、そんなに分かりやすいのか。
◇ ◇ ◇
セラは奥から布を敷いた小さな板を持ってきた。
その上には、四個の石鹸が並んでいる。
見た目は悪くない。
少なくとも、俺が最初に作った謎の塊よりずっと商品っぽい。
「これ、セラが作ったの?」
「そうだよ。あんたの記録を参考にして、こっちで扱いやすいように少し調整した」
「使える?」
「一個は確認した。汚れは落ちるし、今のところ変な感じもない」
「じゃあ売れる?」
「だから早いって」
セラが笑いながら俺の額を指で軽く押す。
「作れたことと、同じ物を何度も作れることは別だよ」
「あ」
「前にも言っただろ?」
「言われた」
「覚えてるならよし」
◇ ◇ ◇
セラは四個のうち一つを持ち上げた。
「今回見たかったのは、あたしのやり方で同じくらいの物を作れるか。それから、材料をどれくらい使うか、手間がどのくらいかかるか」
「2リルで作れそう?」
「そこだね」
以前、セラは二十個作るなら、一個あたり2リルくらいで引き受けられると言っていた。
二十個で40リル。
ハンスが品質を確認して問題なければ、二十個を70リルで買うことを考えてくれている。
うまくいけば、差は30リル。
「今回やってみた感じなら、二十個で40リル。そこは変えなくてよさそうだ」
「ほんと?」
「ああ。ただし、今の材料の値段ならね」
「油が高くなったら?」
「そのときは相談」
「下がったら?」
「そこ聞くんだ?」
「大事じゃん」
セラが声を上げて笑った。
「下がり方によるよ。ずっと安く仕入れられるなら、もちろん話はする」
「よし」
「ほんと金の話になると元気だねえ」
否定はしない。
◇ ◇ ◇
「でも、一番大事なのはここから」
セラが石鹸を板へ戻す。
「この四個を、あんたが作ってた物と比べる」
「ハンスに持ってく?」
「一個はね。あんたにも一個渡すから、家で確認してもらいな」
「母さんたちに?」
「そう。今まで使ってた物との違いを見てほしい。匂い、使った感じ、減り方。その辺りだね」
「分かった」
「残りはあたしが置いておく。少し時間が経ったときに変わらないかも見たい」
なるほど。
作った直後だけ良くても駄目なのか。
商品として売るなら、客の手元に置かれる時間まで考えないといけない。
◇ ◇ ◇
「これが問題なかったら?」
「二十個作る話を進めてもいい」
「40リル」
「ああ」
「俺、今8リルしか持ってない」
「急に悲しくなるね」
「でもハンスが――」
「先に少し出してくれるかもしれないんだろ?」
「うん」
前にハンスと話したとき、品質を確認して正式に注文するなら、一部を先に渡すことは相談できると言っていた。
ただし、その金は利益じゃない。
製作のための金だ。
今ならちゃんと分かる。
「今日、ハンスのところ行っていい?」
「いいけど、まず見てもらうだけだよ」
「分かってる」
「本当に?」
「俺、成長してるから」
「八歳は成長するもんだよ」
「そういう意味じゃない」
セラはまた笑った。
◇ ◇ ◇
俺は石鹸を二個預かった。
一個は家で確認する分。
もう一個はハンスに見せる分。
店を出ようとしたところで、ふと気づく。
「セラ」
「ん?」
「最初に渡した10リルは?」
「ああ、それね」
セラが棚から帳面を取り出した。
「今回の材料と手間で使った分を引いて、残りは本番を頼むならそのまま回すつもりだよ」
「残ってる?」
「残ってるよ」
「いくら?」
「ちゃんとまとめてから教える。試しに使った材料も記録してる途中だからね」
「分かった」
以前の俺なら、残っていると聞いた瞬間に「返して」と言っていたかもしれない。
でも今は違う。
あれは石鹸を作るために渡した金だ。
本番を頼むなら、そのまま製作に使えばいい。
◇ ◇ ◇
店を出て、革鞄を見る。
中にある俺の商売用の金は8リル。
家には自由に使える3リル。
貯金は5リル。
セラに渡した10リルの残りは、石鹸のための金。
背負い鞄の客から預かった30リルは、もうダリオへ渡して製作に使われている。
全部、同じ金だったはずなのに。
今はそれぞれ役目が違う。
「俺の金って、意外と少ないな……」
分けたら急に貧乏になった気がする。
でも、前よりずっと分かりやすい。
そして不思議なことに、俺の手元の金は少ないのに、背負い鞄は三個作られていて、石鹸も四個できている。
自分で全部抱えなくなってから、商売の方が大きくなっている。
「……いい感じじゃん」
あとは、この石鹸をハンスがどう見るか。
俺は預かった一個を大事にしまい、東側の店へ向かった。
今日は背負い鞄の注文を確認しに行くんじゃない。
次は石鹸だ。
二つの商売が、同時に動き始めていた。




