あと二人が、なかなか来ない
あと二人。
背負い鞄を25リルで買ってくれる人が、あと二人見つかればいい。
三人から10リルずつ先に預かえば30リル。その金でダリオに製作を始めてもらい、残り18リルは完成後に払う。そうすれば、今持っている商売用の13リルにも、貯金の5リルにも手をつけずに三個作れる。
完璧だ。
あとは注文を待つだけ。
俺はそう思っていた。
◇ ◇ ◇
翌日。
「まだ?」
「まだだ」
ハンスの店に入って最初に聞いたら、即答された。
「誰も見てない?」
「そんなことはない。三人ほど触っていった」
「三人!」
「全員買ってないぞ」
「なんで?」
「私に聞くな」
ハンスは棚に商品を並べながら、昨日の客の様子を教えてくれた。
一人は旅人らしい男で、背負った感触はかなり気に入っていたらしい。ただ、今使っている袋がまだ新しいから、壊れたら考えると言って帰った。
もう一人は職人風の男。両手が空くところには興味を持ったけど、25リルなら仕事道具を買いたいと言った。
最後の一人は値段を聞いて、少し悩んだあと「15リルなら」と言ったらしい。
「15リルじゃ作れないよ」
「だから売っていない」
「20リルなら?」
「値切られたからといって、すぐ値段を下げるな」
「聞いただけじゃん」
危ない。
危うく一人目の客から25リルで注文を受けた翌日に値下げするところだった。
◇ ◇ ◇
「でも、三人も見たんでしょ?」
「ああ」
「一人くらい買ってくれてもよくない?」
「昨日一人売れたから、簡単だと思ったか?」
「ちょっと」
「正直でよろしい」
ハンスが笑う。
「昨日のライルは、ちょうど今使っている袋が傷んでいた。そこへ新しい物を見つけて、25リルを払う価値があると思った。それだけだ」
「ロイドも言ってたな……」
「何を?」
「25リルの価値はある。でも、自分の鞄が壊れたり、長い仕事に行ったりするなら買うって」
「まともな感覚だ」
言われてみれば、俺だって前世で似たようなことはあった。
便利そうな物を見つけても、今持っている物が使えるならすぐには買わない。逆に壊れた直後なら、多少高くても新しい物を探す。
まあ、俺の場合は壊れてなくても買ってたけど。
そこは参考にならない。
◇ ◇ ◇
「じゃあ待つしかない?」
「今のところはな」
「どのくらい?」
「昨日、最長十日くらいと決めただろう」
「十日ずっと待つの?」
「君は別のことをしていればいい」
「気になるじゃん」
「石鹸は?」
「あ」
ハンスが呆れた顔をする。
「セラに任せたんだろう?」
「任せたよ。だから俺がやることない」
「なら、新しい物でも考えていろ」
「また?」
「君はそれが好きなんじゃないのか?」
確かに好きだ。
でも今は、店の扉が開くたびに「二人目か?」って気になってしまう。
「ここで待ってていい?」
「邪魔にならないならな」
「やった」
「ただし、客に背負い鞄を押しつけるなよ」
「そんなことしないって」
たぶん。
◇ ◇ ◇
一時間くらい経った。
見本を見る人は、一人もいなかった。
ハンスの店には何人か客が来たけど、みんな普通の商品を買って帰っていく。布を買う人、小さな鍋を買う人、針を買う人。背負い鞄の前を通っても、そのまま素通りする。
「ハンス」
「なんだ?」
「置く場所悪くない?」
「昨日はそこで売れた」
「じゃあ札?」
「昨日はそれで売れた」
「俺が横に立ってるから?」
「それはあるかもしれないな」
「えっ」
「知らない子供が商品をじっと見ていたら、近づきにくいだろう」
俺は黙って見本から離れた。
なんだよ。
俺が邪魔だったのか。
◇ ◇ ◇
さらに少し待つと、ようやく一人の男が足を止めた。
旅装ではない。腰に道具袋をつけた、三十代くらいの男だ。
俺は離れた場所から見守る。
男が試作品を持ち上げる。
肩紐を見る。
外側の収納を開く。
背負う。
お。
いいぞ。
そのままハンスのところへ行った。
「これ、いくら?」
「販売予定は25リルだ」
「25か……」
男が考える。
俺も息を止める。
「20にならない?」
心の中で崩れ落ちた。
「今のところ値下げする予定はない」
「そっか」
男はもう一度試作品を見る。
「物はいいんだけどな」
「何に使う?」
「仕事道具。今は腰と肩に分けて持ってるんだけど、移動するとき邪魔でさ」
「なら、こういう形は合うかもしれないな」
「だよなあ」
男はかなり悩んでいる。
あと5リル。
たった5リル。
俺からしたら、もう買ってくれとしか思えない。
でも、その5リルを払うかどうかを決めるのは俺じゃない。
◇ ◇ ◇
「ちょっと考える」
結局、男はそう言って店を出ていった。
「…………惜しい」
「聞こえてるぞ」
「だって惜しかったじゃん」
俺は見本のところへ戻る。
「20リルなら買ってたかな?」
「かもしれない」
「一個16リルで作れるなら、20リルでも4リル残る」
「昨日もその話をしただろう」
「そうだけど」
25リルなら一個9リル。
20リルなら一個4リル。
三個売ったときの差は15リル。
かなり大きい。
「値段下げた方が売れる。でも下げたら利益が減る」
「当たり前だな」
「難しい」
「だから商売なんだろう」
最近、ハンスにこれを言われる回数も増えてきた。
◇ ◇ ◇
「でもさ」
俺はもう一度見本を見る。
「25リルで売れる人を待つのと、20リルにして早く三人集めるのって、どっちがいいんだろ」
「場合による」
「便利な答え」
「本当にそうだから仕方ない」
ハンスが手を止めて、俺の方を見る。
「高く売れば、一個あたりの利益は大きい。その代わり、買える客は減る。安くすれば買える客は増えるかもしれないが、一個あたりの利益は減る」
「うん」
「それだけじゃない。ダリオが一日に何十個も作れるなら、安くして数を売る方法もあるだろう。だが今は、通常の仕事をしながら三個作るのに五日ほどかかると言っていたな?」
「あ」
「作れる数に限りがあるなら、ただ安くしてたくさん売ればいいとも限らない」
なるほど。
売れる数だけじゃない。
作れる数も考えないといけない。
◇ ◇ ◇
「じゃあ25リルのまま?」
「少なくとも、一人はその値段で注文している」
「ライル」
「ああ。最初から値下げする理由はないだろう」
「でも、あと二人来なかったら?」
「そのとき考えればいい」
「いつ?」
「十日待つ必要はない。数日見れば、ある程度は分かる」
「じゃあ三日?」
「そのくらいは様子を見てもいいんじゃないか?」
三日。
長い。
今すぐ二人来てほしい。
でも、俺が焦って値段を下げても仕方ない。
「分かった。三日は25リルのまま」
「それでいい」
「その間、毎日来る」
「来なくていい」
「なんで!」
「君がいると客が近づきにくい可能性があると、さっき分かっただろう」
そうだった。
◇ ◇ ◇
仕方なく、俺は店を出た。
でも家へ帰っても、やることがない。
石鹸はセラ。
背負い鞄はハンス。
作るのはダリオ。
俺の仕事がない。
「…………暇だ」
これが、時間を買うということなのか。
思っていたのとちょっと違う。
もっと「自由だ!」って感じになると思っていた。
実際には、任せた物が気になって仕方ない。
◇ ◇ ◇
市場を歩いていると、パン屋の前でミラを見つけた。
「あれ、レイン」
「こんにちは」
「今日は鞄背負ってないんだ?」
「ハンスの店に置いてある」
「売れた?」
「一個」
「すごいじゃん!」
ミラは素直に喜んでくれた。
「25リルで?」
「うん」
「あの鞄、本当に売れたんだ」
「本当にって何」
「だって最初に聞いたとき、また変なこと始めたなって思ってたから」
「ひどい」
「でも売れたならすごいよ」
ミラが笑いながら俺の頭を撫でる。
「それで、なんでそんなに元気ないの?」
「あと二個売れない」
「一個売れたのに?」
「三個まとめて作りたいから」
「ああ、そういうこと」
俺はミラに、三個まとめて作れば安くなること、三人から先に少しずつ預かえば自分の金を使わずに作り始められることを説明した。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、待てばいいじゃん」
「簡単に言うね」
「だって昨日置いたんでしょ?」
「うん」
「一日で一個売れたんでしょ?」
「うん」
「なのに今日二個売れないから困ってるの?」
「…………」
言われてみると、ものすごくせっかちに聞こえる。
「レインって、売れるようになると急に欲張るよね」
「商売だから」
「前は石鹸一個売れただけで喜んでたのに」
「今も一個売れたら嬉しいよ」
「じゃあ喜んでなよ」
「それとこれは別」
「面倒くさい八歳だなあ」
ミラが笑う。
俺も少し笑った。
確かに、焦りすぎなのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「そういえば石鹸は?」
「セラが作ってる」
「レインが作ってないの?」
「うん」
「じゃあ最近、何作ってるの?」
「何も」
「暇じゃん」
「今それに気づいた」
「じゃあパン屋手伝う?」
「給料出る?」
「八歳のくせに、まずそこ聞く?」
「大事だから」
ミラが呆れたように笑った。
「じゃあ、今度忙しい日に手伝ってくれたらパン一個」
「2リルの?」
「普通のやつね」
「考えとく」
「偉そう!」
やっぱり、こういう時間も悪くない。
◇ ◇ ◇
それから三日間。
俺は本当にハンスの店へ行かなかった。
正確には、前を二回通った。
でも入ってないから数えない。
三日目の午後、さすがにもういいだろうと思って店へ向かう。扉の前に立つと、なぜか少し緊張した。
一件くらい増えていてほしい。
できれば二件。
欲を言えば五件。
いや、ダリオが困るから五件は駄目か。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
ハンスはいつも通りだった。
俺は店内を見る。
試作品は同じ場所に置いてある。
「…………どう?」
「何が?」
「分かってるでしょ」
「ちゃんと言え」
「注文!」
ハンスが少し笑った。
「増えたぞ」
「何件?」
「一件」
「おお!」
思わず声が出た。
あと一人。
「誰?」
「近くで荷運びの仕事をしている男だ。昨日来て、試して、その場で注文した」
「25リル?」
「ああ。手付けも10リル預かっている」
「よし!」
これで二件。
手付けは合計20リル。
三個まとめて作るまで、あと一件だけ。
◇ ◇ ◇
「それと、もう一人いる」
「え?」
「注文はしていないが、明日また来ると言っていた」
「どんな人?」
「昨日来た職人だ。20リルならと言っていた男とは別だぞ。試作品をかなり長く見ていた」
「25リルで?」
「値段は伝えてある」
俺の心臓が少し速くなる。
あと一人。
しかも、その候補がもういる。
「明日来る?」
「そう言っていた」
「じゃあ俺も明日来る」
「来なくていい」
「なんでだよ!」
「だから君がいると――」
「もう邪魔しないから!」
ハンスが笑う。
「好きにしろ」
明日。
あと一件。
三人目が本当に注文してくれたら、ようやくダリオに三個まとめて頼める。
俺は店の隅に置かれた試作品を見る。
三日前は、あと二人がものすごく遠く感じた。
今は、あと一人。
待つだけなのに、商売ってこんなに落ち着かないものなのか。
前世の俺なら、たぶん待てずに何か買って気を紛らわせていた。
でも今は買わない。
そもそも13リルしかない。
……いや。
金があっても買わない。
たぶん。




