先に、少しだけもらえます?
最初の注文。
販売予定価格は25リル。そして今、俺の手元にある商売用の金は13リル。
目の前の男は買うと言ってくれている。ダリオも同じ物を作れると言っているし、ハンスも注文を受けること自体には反対していない。
問題は、金の受け取り方だ。
「全部、完成してから払ってもらうのは?」
俺が聞くと、ダリオが腕を組んだ。
「一個だけ作るなら、それでもいいぞ。材料は俺が持ってるからな」
「でも20リルかかるんだよね」
「ああ。一個だけならな」
三個まとめて作れば、一個16リルで合計48リル。一個だけなら20リル。
せっかく25リルで売れても、一個だけ作れば俺に残るのは5リルしかない。それなら三個まとめて作って、一個あたり9リル残る形にしたい。
「じゃあ、三個まとめて作りたい」
「俺もその方が助かる」
ダリオが頷く。
「同じ形なら、革を切るのも縫うのもまとめてやれるからな。だから16リルまで下げられる」
「でも今、注文は一個だよ?」
「そうだな」
「あと二個……」
俺は店の中を見回した。
当然、二人目の客が都合よく立っているわけではない。
◇ ◇ ◇
「なあ」
話を聞いていた男が声をかけてきた。
「俺、急いでないぞ?」
「え?」
「今の袋もまだ使えるからな。五日って言ってたけど、もう少しかかっても別に構わない」
「ほんと?」
「ああ。ただ、一月とか言われたら困るけど」
ありがたい。
これなら、すぐに一個だけ作らなくてもいい。
「じゃあ、他に注文が入るまで少し待ってもらってもいいですか?」
「どのくらい?」
「それを今から決めます」
「また今からかよ」
男が笑った。
すみません。
初めてなんです。
◇ ◇ ◇
「待たせるなら期限は決めた方がいい」
ハンスが口を挟む。
「『あと二人来るまで』では、いつになるか分からないからな」
「じゃあ……五日?」
「三個作るのに五日欲しいって話だろ。それから作り始めたら、合わせて十日になるぞ」
「あ、そっか」
注文を集める時間と、作る時間。
両方必要だ。
「ダリオ、注文が三個集まってから五日でいい?」
「ああ。材料が足りなくなってなけりゃ問題ない」
「材料って取っておける?」
「何日も待つなら保証はしねえぞ。他の仕事にも使うからな」
また一個増えた。
客の注文だけじゃなく、材料の都合まである。
俺は商売を始めてから、「考えること多くない?」と思う回数が明らかに増えている気がする。
◇ ◇ ◇
「なら、最長で十日くらいにしておけ」
ハンスが言った。
「その間に注文が三個集まれば、すぐダリオに頼む。集まらなければ、その時点でどうするか改めて客と相談する」
「一個だけ作るか、もう少し待ってもらうか?」
「そうだ。客が待ちたくないと言うなら、注文を取り消せるようにしておけばいい」
俺は男を見る。
「十日くらいなら待てます?」
「それくらいならいいぞ」
「よし」
一つ決まった。
注文を受けてから、最長十日くらいを目安にする。
その間に三個分の注文を集める。
「じゃあ、お金は完成したときでいい?」
俺が聞くと、ハンスが首を横に振った。
「それでも構わないが、注文だけ受けて何も預からなければ、完成した頃に『やっぱりいらない』と言われる可能性があるぞ」
「…………あ」
作ったのに買ってくれない。
それは困る。
しかも三個まとめて作るなら、誰か一人がやめるだけで計算が変わってしまう。
◇ ◇ ◇
「じゃあ……」
俺は男を見る。
「先に、少しだけもらえます?」
「いくら?」
来た。
そこを決めてなかった。
「ハンス」
「私を見るな」
「ダリオ」
「俺を見るな」
「初めてなんだから助けてよ!」
二人とも笑っている。
男まで笑っていた。
完全に俺だけ新人だ。
「手付けを取る考え自体は悪くない」
ハンスが助け舟を出してくれた。
「客が本当に買うつもりなのか確認できるし、作る側も注文が確定したと判断しやすい。ただし、何のために預かる金なのかは決めておけ」
「何のため?」
「注文を確定するためなのか、材料を買うためなのか。それから、客が途中でやめた場合に返すのか返さないのか」
「そこまで?」
「金を先にもらうなら当然だ」
なるほど。
ただ「先にちょうだい」では駄目らしい。
◇ ◇ ◇
「俺としては、材料に使えると助かる」
ダリオが言った。
「三個分の注文が確定して、ある程度先に金が入るなら、材料を押さえやすいからな」
「じゃあ材料代として預かう?」
「全部じゃなくていいだろ」
販売価格は25リル。
そこから一部を先に預かって、残りは完成したときに払ってもらう。
俺は少し考えた。
「10リルくらい?」
男が肩をすくめる。
「俺はそれでいいぞ」
「ほんと?」
「どうせ買うなら、先でも後でも同じだろ」
「ありがとうございます!」
「ただ、完成しなかったら返してくれよ?」
「もちろん」
俺が即答すると、ハンスが頷いた。
「それなら分かりやすいな。注文時に10リルを預かい、完成時に残り15リル。こちらの都合で作れなかった場合は、預かった10リルを返す」
「客がやっぱりいらないって言ったら?」
「そこは少し難しい」
ハンスは男の方を見る。
「今回は初めてだから、期限内なら返す形でもいいだろう。ただし、ダリオがその客の注文分を作り始めた後に取り消されると困る」
「確かにな」
ダリオも頷いた。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、作り始める前なら返す。作り始めた後は?」
俺が聞くと、男が先に答えた。
「俺は返さなくていいぞ」
「え?」
「こっちの都合でやめるならな。作り始めてるのに返せってのも変な話だろ」
「いい人……」
「なんだそりゃ」
男が笑う。
ハンスも少し笑ってから、話をまとめた。
「では今回はそれでいこう。注文時に10リル。完成時に15リル。製作開始前なら取り消し時に10リルを返す。製作開始後に客側の都合で取り消した場合は返さない。こちらの都合で作れなかった場合は返す」
「分かりやすい」
「最初だからな。複雑にしすぎても仕方ない」
俺は頭の中でもう一度確認する。
10リルを先に預かる。
でも、その10リルは俺の利益じゃない。
注文された背負い鞄を作るための金だ。
◇ ◇ ◇
「じゃあ10リル」
男が硬貨を出した。
俺は受け取ろうとして、手を止める。
「ハンス」
「今度は何だ?」
「これ、誰が持つ?」
「そこに気づいたか」
ちょっと嬉しそうに言うな。
「店で注文を受けるなら、私が預かった方がいいだろう。客が君を探し回る必要もない」
「でも、作るときは?」
「ダリオへ発注するときに渡せばいい」
「俺に?」
「材料を用意するのは君だろう」
「まあな」
ダリオが頷いた。
客からハンスへ。
ハンスから、必要になったらダリオへ。
完成したら客が残りをハンスへ払い、その中からダリオの製作代と俺の分を分ける。
金が人の間を動いていく。
「俺、一回も金触らなくない?」
「触りたいのか?」
「いや……別に」
なんだろう。
ちょっと寂しい。
でも、俺が全部持つ必要はないのか。
◇ ◇ ◇
男はハンスに10リルを渡した。
ハンスはそれを普段の売上とは別にして、小さな袋へ入れる。
「名前は?」
「ライルだ」
「分かった。注文一件、ライル。背負い鞄一個、25リル。手付け10リル受け取り済み」
ハンスが木板に記録していく。
名前はライル。
俺の背負い鞄を、初めて本当に買うと言ってくれた人だ。
「十日くらいしたら来ればいいか?」
「それまでにできたらどうする?」
「この辺にはよく来る。ハンスに伝えといてくれれば寄るよ」
「分かった」
カイルはもう一度試作品を背負って感触を確かめてから、元の場所へ戻した。
「楽しみにしてるぞ」
「はい!」
店を出ていく背中を、俺はしばらく見送った。
◇ ◇ ◇
「……注文入った」
「入ったな」
「25リル」
「まだ10リルしか受け取ってないぞ」
「分かってるって」
ハンスの訂正が早い。
でも、嬉しいものは嬉しい。
前に何人かへ聞いたときは、「20リルなら欲しい」とか「25リルなら考える」とか、そういう反応だった。
今回は違う。
25リルで買う人が、本当に現れた。
しかも10リルを先に払ってくれた。
「これなら作れる?」
俺が聞くと、ダリオが首を振る。
「まだ一個だろ」
「そうだった」
三個まとめて作るなら48リル。
今入った手付けは10リル。
俺の手元には13リルあるけど、全部合わせても23リルだ。貯金の5リルを足したところで、まだ足りない。
でも、そもそも俺が全部出す必要があるのか。
「あと二件注文が入って、それぞれ同じように10リル預かったら30リルになる」
「そうだな」
「その時点でダリオに30リル渡して、残り18リルは……」
俺はそこで止まった。
まだ足りない。
◇ ◇ ◇
「俺が残りを完成まで待ってもいいぞ」
ダリオがさらっと言った。
「え?」
「30リル入るなら材料代は十分出る。残り18リルは、三個完成して客から残りを受け取ったあとでいい」
「いいの?」
「注文が三個ちゃんと入ってるならな」
ダリオは笑った。
「俺だって商売してるんだ。売れるのが分かってる仕事なら、全部先にもらわなくてもいい」
「ダリオ……」
「ただし」
「はい」
「売れた金を持って逃げんなよ」
「逃げるか!」
「50リルの鞄買うのも禁止な」
「もう持ってる!」
ダリオとハンスが揃って笑った。
ひどい。
◇ ◇ ◇
でも、これならいける。
三人から10リルずつ先に預かえば30リル。その30リルをダリオへ渡して製作を始めてもらい、残り18リルは完成後に払う。
三個完成すれば、客から受け取る総額は75リル。
そこからダリオへ48リル。
残るのは27リル。
試作品を作るために払った20リルはすでに使った金だから、それまで含めれば最初の三個だけで全部取り戻せるわけじゃない。それでも、商品そのものの売買ではちゃんと利益が残る。
そして何より。
今の俺が13リルしか持っていなくても始められる。
「俺の金、使わなくても作れるじゃん」
「注文があと二件入ればな」
ハンスが言う。
「そこ大事だから」
「分かってる」
俺は店の隅に置かれた試作品を見る。
さっきまでは、ただの見本だった。
今は違う。
あれを見て、本当に金を払った人が一人いる。
あと二人。
その二人が見つかれば、俺の手持ち13リルにも、貯金の5リルにも触らずに三個作れる。
「……これ、すごくない?」
「何が?」
「俺、お金ないのに商売できてる」
「言い方が悪いな」
ハンスが苦笑する。
「信用があるから、先に注文を受けられたんだ。ダリオも、注文が入っているから残りの支払いを待つと言っている」
「信用か」
「そうだ。それをなくしたら、このやり方はできない」
先に金を払ってくれる客。
完成まで待ってくれるダリオ。
店と金を預かってくれるハンス。
どれか一つ欠けても成り立たない。
俺はもう一度、見本の背負い鞄を見た。
「じゃあ、あと二件」
「ああ」
「早く来ないかな」
「店の前で客引きするなよ」
「まだ何もしてない!」
ハンスに釘を刺されながら、俺は店の入口を見る。
あと二人。
初めて、売れてほしい理由が「金が欲しい」だけじゃなくなった気がした。




