これ、買えるの?
ハンスの店を出た俺は、そのままダリオの工房へ向かった。
石鹸はセラが作っている。背負い鞄の試作品はハンスの店に置いてきた。つまり今の俺は、売り物になりそうな物を二つ抱えているのに、そのどちらも手元にない。
前だったら少し不安になっていたと思う。でも今は、それぞれ得意な人に任せているだけだと考えられるようになってきた。
俺は作らなくていい。
その代わり、俺にしかできないことをやる。
たぶん今からやるのが、それだ。
◇ ◇ ◇
ダリオの工房へ入ると、奥から革を叩く音が聞こえてきた。声をかけると、作業台に向かっていたダリオが顔を上げる。
「おう、50リルの坊主」
「そろそろ普通にレインって呼んでくれない?」
「嫌だ」
「なんでだよ」
「覚えやすいからな」
楽しそうに笑っている。
「それで、今日はどうした? 試作品なら昨日渡しただろ」
「ハンスに見せてきた」
「早いな。なんて?」
「店に置いてもいいって」
「ほう」
ダリオの顔が少し変わった。
からかっていたときとは違う、職人の顔だ。
「縫い目は見てたか?」
「めちゃくちゃ見てた。底も押してた」
「さすが商人だな」
「それで、値段とか売り方を決めようとしたら、ダリオ呼んでこいって」
「俺を?」
「作る人間を抜きにして勝手に決めるなって」
ダリオは一瞬きょとんとしてから、声を上げて笑った。
「ハンスらしいな」
「知ってるの?」
「そりゃ知ってるさ。この町で商売してりゃ顔くらい合わせる。仕事を頼まれたこともあるぞ」
「じゃあ話早いじゃん」
「そうでもない」
「なんで?」
「知り合いだからって、商売が簡単になるとは限らねえからな」
そう言いながらも、ダリオは作業を止めて立ち上がった。
「まあ行くか。俺も、自分の作った物がいくらで売られるのかは気になる」
「よし」
「ただし、安売りするって言ったら止めるぞ」
「まだ言ってない!」
「お前、20リルで売ろうとしてただろ」
「最初はね」
「ほらな」
やっぱり呼んで正解だったかもしれない。
◇ ◇ ◇
ハンスの店へ戻ると、試作品は店の奥に置かれていた。
「連れてきたよ」
「見れば分かる」
「久しぶりだな、ハンス」
「ああ。相変わらず革臭いな」
「薬草臭いよりいいだろ」
「私は薬師じゃない」
「そうだったな」
二人とも笑っている。
知り合いどころか、思ったより普通に仲がよさそうだ。
「じゃあ始めよう」
俺が言うと、二人の視線が同時にこっちへ向いた。
「なんだよ」
「いや」
「急に仕切り始めたと思ってな」
「俺の商品なんだからいいじゃん」
「まだ試作品だ」
ハンスに訂正された。
細かい。
◇ ◇ ◇
ハンスが試作品を台の上に置く。
「物としては悪くない。少なくとも、雑な作りではない」
「誰が作ったと思ってる」
「だから褒めている」
「ならいい」
ダリオが満足そうに腕を組む。
「問題は値段だな」
「俺は25リルくらいがいいと思ってる」
ダリオが先に言った。
「一個だけ作るなら20リルくらいかかるが、同じ物を三個まとめて作るなら一個16リルまで下げられる。俺の取り分もその中に入ってる」
「それは聞いている」
ハンスが俺を見る。
「客には聞いたのか?」
「聞いた。何人かに試作品を見せて、いくらなら買うか聞いたよ。だいたい20リルから25リルくらいなら考えるって感じだった」
「『考える』か」
「そこ、ロイドにも言われた」
「なら分かっているな。25リルで欲しいと言う人間と、25リルを実際に払う人間は別だ」
「だから見本を置くんでしょ?」
「そうだ」
ハンスが頷いた。
◇ ◇ ◇
「仮に25リルで売るとして、問題はどう分けるかだな」
ダリオが言った。
「俺は一個16リルなら作れる。ただし三個まとめて作る場合だ」
「俺が三個48リル払って作ってもらって、ハンスに売る?」
「その方法なら、私がいくらで仕入れるか決める必要がある」
ハンスが答える。
「例えば私が一個21リルで買い、25リルで売れば、私に4リル。レインには一個5リル残る」
三個なら俺の利益は15リル。
悪くない。
でも、最初に48リル必要だ。
「無理」
「知っている」
「即答しないでよ」
「昨日23リルしかないと言っていただろう」
「今は13リル」
「減ってるじゃねえか」
ダリオが笑う。
「石鹸に使ったんだよ!」
「お前、ほんと金が貯まらねえな」
「貯金は5リルあるから!」
「少なっ」
「俺にとっては大金なの!」
大事な5リルだ。
そこは笑わないでほしい。
◇ ◇ ◇
「なら、今は在庫を作らない方がいい」
ハンスが話を戻した。
「昨日言った通り、この試作品を見本として置く。欲しい客が現れたら、注文を受けてから作る方法を考える」
「一個ずつ?」
「そこが問題だ」
ダリオが試作品を指で叩いた。
「一個だけなら20リルくらいかかる。三個まとめてなら一個16リル。注文が一個入るたびに作ってたら、せっかく数をまとめて安くできる意味がなくなる」
「じゃあ、三人集まるまで待ってもらう?」
「客が待つならな」
なるほど。
作る側には、まとめて作りたい理由がある。
買う側には、欲しいなら早く欲しいという気持ちがある。
その間をどうするか。
◇ ◇ ◇
「ダリオ、三個なら何日?」
「材料が揃ってて、普段の仕事と並行なら……そうだな。五日くらいは欲しい」
「一個なら?」
「二、三日。ただし20リル」
「三個なら五日で48リル。一個なら二、三日で20リル……」
俺が考えていると、ハンスが口を挟んだ。
「客に選ばせてもいい」
「選ばせる?」
「急ぐなら高くなる。待てるなら安くなる。そういう売り方もある」
「おお」
「ただ、最初から複雑にしすぎるな。まずは25リルで見本を出して、どれだけ反応があるかを見る。その上で注文が入ったら考えればいい」
「じゃあ25リルで決まり?」
「見本に出す仮の値段としてはな」
ついに数字が一つ決まった。
販売予定価格、25リル。
まだ売らないけど。
◇ ◇ ◇
「もう一つ決めておくぞ」
ハンスが言った。
「壊れた場合はどうする?」
「壊れる?」
「鞄なんだから使えば傷む。だが、買って翌日に肩紐が取れたら客は怒るだろう」
「そりゃそうだ」
ダリオが頷く。
「普通に使っててすぐ壊れたなら、俺が見る。作りに問題があったなら直すさ」
「無料?」
「俺のミスならな。ただし、剣で切ったとか、無茶な量を詰めて破ったとかまで面倒は見ねえぞ」
「それでいい」
ハンスが俺を見る。
「今の話は、売るときに客へ説明できるようにしておけ」
「分かった」
「それと、修理の窓口をどうするかもな」
「ダリオの店に直接来てもらえば?」
「この店で買った客に、いきなり別の店へ行けでは不親切だろう。私が一度受け取ってダリオに渡す方がいい」
「そこまでやってくれるの?」
「売るならな」
ハンスが当然のように言った。
商品を店に置くだけじゃない。
売ったあとまで考える。
俺一人で市場に立っていた頃には、考えたこともなかった。
◇ ◇ ◇
三人で話している間にも、何人か客が店へ入ってきた。
布を買う人。
小さな鍋を見ている人。
仕事道具を探している人。
俺たちは邪魔にならないよう、試作品を店の端に置いた。
「見本って分かるようにした方がいいよね」
「そうだな」
ハンスが小さな札を用意する。
そこに俺が文字を書こうとすると、ダリオに止められた。
「お前、字は読めるんだよな?」
「読めるよ」
「絵みたいにならねえ?」
「文字と絵は別!」
まだ亀を引きずってる。
結局、ハンスが書いた。
――新しい背負い鞄。試作品。
――販売予定価格25リル。
――興味のある方は店主まで。
「これでいい」
「なんか本物っぽい」
「店に置いてるんだから本物だろ」
ダリオが笑った。
◇ ◇ ◇
すぐに誰かが食いつくとは思っていなかった。
今日は置くだけ。
何日か様子を見て、何人が興味を持ったかハンスに聞く。そのつもりだった。
ところが、俺たちがまだ店にいるうちに、一人の男が試作品の前で足を止めた。
三十歳くらいだろうか。厚手の服に革の靴。腰には短い剣があり、肩から使い込んだ布袋を下げている。
男は札を読んでから、試作品を持ち上げた。
「これ、触っていいか?」
ハンスが答える。
「ああ。まだ試作品だがな」
男は肩紐を確かめ、実際に背負ってみた。
「おお」
俺とダリオが同時にそっちを見る。
「両肩か。こりゃ楽そうだな」
「荷物を入れるともっと分かるぞ」
ダリオが嬉しそうに言った。
「作ったのはあんたか?」
「ああ」
「へえ」
男は一度鞄を下ろし、外側の収納を開ける。
「ここに火打ち石とか入れられるのか」
「そういう小物用だな」
「中は?」
「大きい物を入れる場所と、小物が底に全部沈まないよう簡単に分けてある」
ダリオが説明する。
俺、いらなくない?
ちょっと寂しい。
◇ ◇ ◇
男はもう一度札を見た。
「25リルか」
来た。
値段。
俺は黙って男の反応を見る。
「安くはないな」
ですよね。
「でも、今の袋よりは使いやすそうだ」
お?
男は自分の肩から下げていた布袋を見る。かなり使い込まれていて、端の方には何度か縫い直した跡がある。
「これ、買えるの?」
俺は思わずハンスを見る。
ハンスも俺を見た。
ダリオまで俺を見る。
なんで全員俺を見るんだ。
「えっと……」
今、目の前にあるのは試作品。
売る予定ではなかった。
でも、25リルを払うかもしれない客が、目の前にいる。
「これは見本なんです」
俺が答えると、男は少し残念そうな顔をした。
「なんだ、売り物じゃないのか」
「でも、注文なら……」
言いかけたところで止まる。
勝手に約束していいのか?
ダリオを見ると、笑いながら頷いた。
「作れるぞ」
次にハンスを見る。
「条件を決めればな」
男が首を傾げる。
「条件?」
俺は一度だけ息を吸った。
「今から作るので、少し待ってもらうことになります。それでもよければ、注文できます」
「どのくらい?」
「五日くらい」
ダリオが答える。
男は少し考えてから、また試作品を背負った。
「同じ物になる?」
「なる」
ダリオの返事には迷いがない。
「じゃあ、欲しい」
あっさり言った。
俺は一瞬、意味を理解するのが遅れた。
「25リルで?」
「その値段なんだろ?」
「はい」
「なら、それで」
売れた。
いや。
まだ作ってない。
でも。
売れた。
俺が何人にも「いくらなら買います?」と聞いて回ったときとは違う。
目の前の人が、自分から25リル払うと言った。
ハンスが俺を見て、少しだけ笑った。
「レイン」
「ん?」
「これが『欲しい』と『買う』の違いだ」
なるほど。
全然違う。
なんというか――。
めちゃくちゃ嬉しい。
◇ ◇ ◇
「じゃあ代金を」
男が硬貨を出そうとしたところで、ハンスが止めた。
「待ってくれ」
「ん?」
「まだ受け取り方を決めていない」
俺も止まった。
そうだった。
注文を受ける。
そこまでは考えていた。
でも、25リル全部を先にもらうのか。一部だけ預かるのか。完成してから全部もらうのか。
何も決めてない。
「…………」
「だから先に決めろと言っただろう」
「今、初めて客来たんだから仕方ないじゃん」
「来る可能性があるから見本を置いたんだ」
「正論やめて」
男が吹き出した。
「なんだ、あんたら今決めてんのか?」
「すみません」
「いや、面白いからいいけどよ」
怒ってはいないらしい。
助かった。
ハンスは俺とダリオを見る。
「せっかくだ。今ここで決めよう」
最初の注文。
25リル。
そして俺の手元には13リル。
どうやら、石鹸で覚えたばかりの話を、もう一度使うことになりそうだ。




