23リルでも、なんとかなる?
ハンスの店を出た俺は、そのままセラのところへ向かった。
二十個の石鹸を作ってもらうには40リル。でも、今の俺が商売に動かせる金は23リルしかない。昨日まではそこで完全に行き止まりだと思っていたけど、ハンスに言われて考え方が少し変わった。
必要なのは、最初から二十個分の金を全部用意することじゃない。
まずは確認用の石鹸を作る。
そのために、いくら必要なのかを聞けばいい。
◇ ◇ ◇
「また来た」
セラの店に入った瞬間、第一声がそれだった。
「昨日、明日から試すって言ったじゃん」
「言ったね」
「だから来た」
「昨日は何日も来なかったくせに、今日は早いねえ」
「俺だってやるときはやるから」
「八歳はもう少し遊んでてもいいと思うけどね」
セラは笑いながら、作業台の上を片づけ始めた。
「それで? 何か聞き忘れた?」
「最初に作る分って、何個?」
「まだ決めてなかったね。そうだな……まず四個くらいでいいんじゃない?」
「四個」
俺は頭の中で計算する。
一個2リルなら、8リル。
「8リルでいい?」
「単純に計算するならね」
「単純じゃない場合がある?」
「最初だから、多少余分に材料を使う可能性はある。前に一度試してはいるけど、今回はあんたの商品として作るんだから、記録も取りながらやるつもりだよ」
「じゃあ、いくら?」
「最初は10リル預からせて。余ったら残りの分に回す」
10リル。
俺の手持ちは23リル。
余裕で払える。
「払える!」
「何をそんなに喜んでるんだい」
「昨日まで40リル必要だと思ってたから」
「ああ」
セラは納得したように頷いた。
「全部一度に作るつもりだった?」
「うん」
「気が早いねえ」
「それ、最近よく言われる」
「言われる理由があるんだろ」
否定できない。
◇ ◇ ◇
俺は革鞄から10リルを取り出して、セラに渡した。
これで商売に動かせる金は23リルから13リルになる。貯金の5リルには触っていない。
「確かに10リル。余った分はちゃんと記録しておくよ」
「お願いします」
「急に丁寧になったね」
「お金を渡したから」
「普通は逆じゃない?」
セラが笑いながら硬貨をしまう。
俺はその様子を見ながら、少し不思議な気分になっていた。今までは材料を自分で買って、自分で石鹸を作って、それを自分で持っていって売っていた。
でも今回は違う。
俺は金を払っただけだ。
「…………本当に俺、作らなくていいんだ」
「そのために私に金払ったんだろ?」
「そうなんだけど」
「不安?」
「ちょっと」
意外だった。
楽になるんだから、もっと嬉しいだけだと思っていた。でも、自分の商品を誰かに任せるとなると、少し落ち着かない。
セラはそんな俺を見て、小さく笑った。
「最初なんだから、それでいいんじゃない?」
「え?」
「いきなり全部人に任せて、何も気にしなくなるよりはね。私が作った物をあんたも確認する。ハンスにも見てもらう。それで問題なければ、少しずつ任せる量を増やせばいい」
「なるほど」
「それに、あんたが考えた石鹸なんだろ。気になるのは普通だよ」
セラはそう言って、俺の頭を軽く撫でた。
「ただし、横でずっと見張るのは禁止」
「しないよ!」
「本当かねえ」
信用がない。
◇ ◇ ◇
「四個できるまで、どのくらい?」
「すぐには渡せないよ。作って終わりじゃないからね。状態も見たいし、急いで駄目にしたら意味がない」
「じゃあ、できたら教えて」
「ああ。今度は忘れないようにね」
「もう忘れないって」
「背負い鞄に夢中になっても?」
「…………たぶん」
「はい、今ので信用なくなった」
セラが声を上げて笑った。
俺も笑いながら店を出る。
これで石鹸の方は、俺が今すぐやることがなくなった。
セラが四個作る。
俺が確認する。
ハンスにも見てもらう。
問題がなければ二十個の正式な注文を受けて、そのときに先払いの金額を交渉する。
今までだったら、この間にも俺は灰を集めたり、油を買いに行ったり、石鹸を作ったりしていた。でも、その時間が丸ごと空いている。
「時間を買う、か」
前にセラが言っていた意味が、少しずつ分かってきた気がする。
◇ ◇ ◇
家へ戻ると、父さんが工房の前で木材を削っていた。
「お、帰ったか」
「ただいま」
「今日は薬師のところか?」
「なんで分かったの?」
「昨日、ハンスのところへ行くって言ってただろ。その次ならセラさんかなと思ってな」
「父さん、俺の行動読めるようになってない?」
「八歳の息子が毎日商売の話してりゃな」
父さんは豪快に笑った。
俺は工房の端に腰を下ろして、セラとの話を説明する。最初に10リルを渡して四個だけ作ってもらい、品質を確認してから残りを進めること。それから、ハンスが正式に注文したら一部を先払いしてもらえないか交渉すること。
「なるほどな」
「これなら23リルでも始められた」
「今は13リルだけどな」
「言わないで」
「減ったのは事実だろ」
父さんが笑う。
「でも、悪くないんじゃないか?」
「ほんと?」
「ああ。仕事でも似たようなことはあるぞ」
「家具でも?」
「大きい仕事ならな。材料を揃えるだけで結構な金になる。全部こっちで払って完成してから代金をもらってたら、注文が重なったときに金が足りなくなることもある」
「父さんも先にもらうの?」
「相手と仕事による。材料代を先にもらうこともあるし、付き合いが長い相手なら俺が先に出すこともある。逆に、初めての相手なら全部完成してから払うと言われても断ることはあるな」
知らなかった。
父さんは家具を作る人だと思っていたけど、考えてみれば父さんだって自分で仕事を受けて、材料を買って、値段を決めている。
「父さんも商売してるんだな」
「今さら気づいたのか?」
「家具職人だと思ってた」
「家具職人だよ!」
工房に父さんの笑い声が響いた。
◇ ◇ ◇
「でもな、レイン」
ひとしきり笑ったあと、父さんが少し真面目な顔になる。
「先に金をもらうなら、その分だけ責任も増えるぞ」
「ハンスにも言われた」
「だろうな」
「商品を渡すまでは自分の金だと思うなって」
「その通りだ」
父さんは削っていた木材を置いた。
「先にもらった金を使って材料を買う。それはいい。でも関係ないことに使って、仕事を完成させられなくなったら信用を失う。金がなくなるより、そっちの方が怖いぞ」
「分かってる」
「本当に?」
「なんで父さんまで疑うの?」
「50リルの鞄」
「またそれ!」
どこへ行っても言われる。
あの鞄、一生俺について回るんじゃないだろうか。
◇ ◇ ◇
「でも、その鞄の方はどうなった?」
「試作品はできてる。何人かにいくらなら買うか聞いて、20リルから25リルくらいなら考えるって人が多かった」
「売るのか?」
「まだ。ハンスに見てもらって、店に見本として置いてもらおうと思ってる」
「なるほど」
「実際に欲しい人がどれくらいいるか調べてから作る。三個作るだけでも48リルかかるから」
「今13リルだもんな」
「だから言わないでって」
父さんがまた笑う。
でも、本当にそうだ。
石鹸に10リル払ったから、今動かせる金は13リル。背負い鞄を三個作るには48リルだから、今すぐ作るなんて無理だ。
ただ、昨日までの俺なら「48リルないから作れない」で止まっていた。
今は少し違う。
「鞄も、先に欲しい人を見つければいいのか」
「ん?」
「いや、まだ分かんないけど」
見本を置いて、欲しい人を探す。
もし本当に買う人が見つかったら、その人から注文を受けてから作る方法もあるかもしれない。
もちろん、石鹸と鞄では値段も作る人も違う。ハンスやダリオとも相談しないといけない。
でも、少なくとも一つ分かった。
金が足りないからといって、そこで終わりとは限らない。
◇ ◇ ◇
俺は家の中から背負い鞄の試作品を持ってきた。
ダリオと何度も直した鞄だ。二本の肩紐があり、外側には小さな物を入れる場所がある。上には手で持つための取っ手もつけてもらった。
「父さん」
「ん?」
「ちょっと背負ってみて」
「俺が?」
「ハンスに持っていく前に、もう一回見たい」
「ロイドって奴が試したんじゃなかったのか?」
「試した。でも父さんの方が体大きいから」
「まあいいけどよ」
父さんが背負うと、当然ながら俺が背負ったときよりずっと自然に見えた。ダリオが大人向けに作っているんだから当たり前だけど、こうして見ると最初の試作品よりかなり完成品らしくなっている。
「どう?」
「悪くないな。両手が空くのはやっぱり楽だ」
「でしょ?」
「ただ、俺なら仕事道具を入れるなら、もう少し中を分けたいかもな」
「また新しい意見出てきた……」
「全部入れなくていいんだぞ」
「分かってる」
危ない。
意見を聞くたびに全部直していたら、永遠に完成しない。
◇ ◇ ◇
翌朝。
俺は背負い鞄の試作品を背負って、ハンスの店の前に立っていた。
石鹸の方はセラに任せた。
今、俺がやるべきなのはこっちだ。
「よし」
店の扉を開ける。
「こんにちは」
「いらっしゃ――」
ハンスの視線が、俺の背中で止まった。
「それか?」
「そう」
俺は背負い鞄を下ろし、台の上に置いた。
「ダリオと作った試作品」
ハンスはすぐには何も言わなかった。肩紐を持ち上げ、縫い目を見て、外側の収納を開き、今度は底の部分を指で押している。
さすが商人。
見るところが細かい。
「どう?」
「急かすな」
「売れそう?」
「だから急かすな」
ハンスはしばらく鞄を調べたあと、ようやく顔を上げた。
「少なくとも、店に置いて恥ずかしい物ではないな」
「おお!」
「まだ売るとは言ってない」
「分かってるって」
「本当か?」
信用がないな。
ハンスはもう一度鞄を見て、それから店内の一角へ視線を向けた。
「見本として置くなら、あそこだな」
ついに。
俺が作った二つ目の商品が、店に並ぶ。
いや、まだ商品じゃない。
売らない見本だ。
それでも、少し嬉しい。
「値段はどうする?」
俺が聞くと、ハンスは少し考えてから答えた。
「そこを決める前に、一つやることがある」
「何?」
「ダリオを呼んでこい」
「ダリオ?」
「作る人間を抜きにして、勝手に売り方を決めるつもりか?」
「あ」
確かに。
石鹸では、セラと俺とハンス。
背負い鞄では、ダリオと俺とハンス。
作る人。
考える人。
売る人。
気づけば俺の商売は、俺一人では回らなくなっていた。
「分かった。呼んでくる」
俺は試作品を抱えて店を出ようとして、足を止める。
「これ、置いてっていい?」
「そのために持ってきたんだろう?」
「そうだった」
ハンスが呆れたように笑った。
俺は試作品を店に残して、ダリオの工房へ向かう。
石鹸はセラが作っている。
背負い鞄はハンスの店に置いてある。
そして俺は、どちらも作っていない。
それなのに、商売は少しずつ前に進んでいる。
なんだか不思議だ。
でも。
こういうの、結構好きかもしれない。




