俺、今いくら持ってる?
ロイドを待ちながら、俺はダリオの店の隅で腰の革鞄を開いた。
三つに分かれた収納。これを買ったときは「金を分けて管理できる。完璧だ」とか思っていたし、実際、最初はちゃんと分けていた。
次の材料を買うための金。貯金。自由に使っていい金。
でも、石鹸を作って売って、また材料を買って、セラに5リル払って、ダリオに試作代20リル払って――気づけば途中から普通に混ざっている。
「…………完璧とは」
前世でも家計簿を始めて三日でやめたことがある。
人間、そう簡単には変わらない。
「何してんだ?」
作業台からダリオが聞いてくる。
「資産確認」
「八歳が言う言葉じゃねえな」
「大事なんだよ」
「菓子でも買うのか?」
「違う。鞄作る金」
「それならちゃんと数えろ」
「今やってる」
俺は中身を全部出して、硬貨を作業台の端に並べた。
さて。
ここ最近、いくら入って、いくら出ていった?
記憶を辿っていく。
石鹸を四個売ったあと、手元には18リルあった。そこから次の油に11リルを回して、初めての貯金として5リルを分け、自由に使える金が2リル残った。
そのあとハンスから十五個の注文を受けて、石鹸を作って納品し、50リルを受け取った。
そこから――。
「俺に20リル」
ダリオが口を挟んだ。
「そう。あとセラに5リル」
「忘れんなよ」
「忘れてないよ」
「石鹸は忘れてたけどな」
「なんで知ってるの?」
「さっき自分で喋ってただろ」
「…………そうだった」
最近、忘れてることが多い気がする。
◇ ◇ ◇
俺は硬貨を並べ直した。
ハンスから受け取った50リルと、それ以前から自由に残っていた2リル。そこからセラに5リル、ダリオに20リル。
「…………27リル」
今、商売に動かせる金は27リル。
そして、それとは別にしてある5リルがある。俺は革鞄の一番奥から、その硬貨を取り出した。
「それは?」
「貯金」
「5リル?」
「5リル」
「少な」
「うるさい!」
大事なんだよ、この5リルは。
「俺の人生で初めてちゃんと貯めた金なんだから!」
「人生八年だろ?」
「…………そうだった」
危ない。
また変なこと言った。
「とにかく、これは使わない」
「じゃあ27リルだな」
「うん」
三個作るなら48リル。今ある27リルとの差は21リル。
微妙に頑張れば何とかなりそうな額なのが嫌だ。
◇ ◇ ◇
「一個だけじゃ駄目?」
聞いてみると、ダリオはすぐに首を横に振った。
「作れるぞ」
「じゃあ16リル?」
「いや」
「え?」
「さっき言っただろ。同じ物をまとめて作るから、一個16リルまで下げられるって」
「…………そうだった」
一個だけなら20リル前後。三個まとめれば、一個16リル。
今の金でも一個なら作れる。でも、それを売って、また一個だけ作るなら次も20リル前後かかる。
「まとめて作った方が得なのに、まとめて作る金がない」
「よくある話だな」
「あるの?」
「あるに決まってんだろ」
ダリオが笑う。
「材料だって、まとめて買った方が安くなることはある。でも安いからって百個分買えるかって言われりゃ、別の話だ」
「金がある方が安く買える……」
「そういうこともある」
「ずるくない?」
「誰に文句言ってんだ」
「世界」
「でけえな」
前世でも似たようなことはあった。大容量の方が安い、まとめ買いの方が安い。でも、その分だけ最初に出す金は増える。
金を増やすために、まず金がいる。
嫌な仕組みだ。
◇ ◇ ◇
「貸してくれない?」
「嫌だ」
「早いな」
「なんで俺が、俺に払う金をお前に貸すんだよ」
「売れたら返す」
「売れなかったら?」
「…………鞄あげる」
「俺が作った鞄だろうが」
確かに。
「じゃあ分割払い」
「お前、どこでそんな言葉覚えた?」
「…………なんとなく」
「またそれか。便利だなあ、なんとなく」
ダリオは笑っていたが、少し考えてから作業台に肘をついた。
「まあ、やり方がないわけじゃねえぞ」
「え?」
「三個作るとしても、今すぐ三個分全部払う必要があるかって話だ」
「どういうこと?」
「材料代を先にもらって、俺の手間賃は完成したときにもらうとか。そういう話ならできなくはない」
「できるの?」
「俺が納得すりゃな」
「じゃあそれで!」
「待て待て」
ダリオが笑いながら手を上げた。
「まだ作るって決めてねえだろ。ロイドに値段を聞くんじゃなかったのか?」
「あ」
「今日のお前、本当に大丈夫か?」
「いろいろ考えてるから」
「考える前に一個ずつ覚えとけ」
耳が痛い。
◇ ◇ ◇
でも、今の話は結構大事かもしれない。
48リル必要。でも持っていない。だから作れない。
最初はそう思っていた。
けれど、支払う時期を変える方法もある。材料代だけ先に払って、完成したときに残りを払えば、今48リルを持っていなくても三個作れる可能性はある。
「…………」
なんだろう。
急に危険な匂いがしてきた。
「ダリオ」
「何だ」
「今の仕組み、ちょっと怖くなってきた」
「お前が食いついたんじゃねえか」
「そうなんだけど」
金がなくても買える。
支払いは未来の俺。
聞き覚えがありすぎる。
前世の俺は、それで何度「来月の俺なら大丈夫」と思ったことか。
「やっぱり借金はやめよう」
「別に借金の話はしてねえよ」
「でも似てる」
「まあ、支払いを後に回すなら似たところはあるな」
「怖い」
「お前、変なところで慎重だな」
身に覚えがありますので。
◇ ◇ ◇
「じゃあどうする?」
ダリオが聞く。
「金が貯まるまで待つか?」
「うーん……」
それも一つの方法ではある。
石鹸がまた売れれば金は入るし、セラに製造を任せる話も進めている。急ぐ必要はない。
でも、せっかく背負い鞄が形になっている。ここで止めるのも、なんだかもったいない。
「まずロイド」
「だな」
「25リルで買うか聞く」
「いきなり25リルって言うのか?」
「駄目?」
「駄目じゃねえが……先に聞いてみたらどうだ?」
「何を?」
「いくらなら買うか」
「…………なるほど」
こっちから値段を言う前に、相手がいくらなら欲しいと思うのかを聞く。
「それ、いいね」
「ただし、一人に聞いただけで決めんなよ」
「…………」
「その顔は一人で決めるつもりだったな?」
「ロイド、実際に使ってるし」
「だから意見は大事だ。でも、あいつ一人が客じゃねえ」
確かに。
ロイドが30リルでも欲しいと言ったからといって、他の人も30リル出すとは限らない。逆にロイドが20リルまでと言っても、別の人なら25リル出すかもしれない。
「何人かに聞く?」
「その方がいいだろうな」
「誰に?」
「知らん」
「そこ考えてよ」
「お前の商売だろ」
「一緒に作ったじゃん」
「急に仲間にするな」
「売れたら利益欲しいって言ったじゃん」
ダリオが黙った。
「言ったよね?」
「……言ったな」
「じゃあ仲間」
「都合のいいときだけ使いやがって」
そう言いながら、ダリオは少し笑っている。
◇ ◇ ◇
ここまでの話を、もう一度頭の中で整理する。
商売に動かせる金は27リル。
貯金は5リル。これは触らない。
背負い鞄を三個作るなら48リルで、21リル足りない。
ただし、金をどう用意するか考える前に、そもそも25リル前後で買いたい人がいるのか確かめる。
「こうして並べると、やることが見えてくるな」
前世の俺なら、たぶん「欲しい!」だけで50リルの鞄を買っていた。
今は48リルの商品を作るのに、こんなに悩んでいる。
「成長したな、俺」
「何が?」
「金の使い方」
ダリオが俺を見る。
次に、俺の腰にある50リルの革鞄を見る。
そして、もう一度俺を見る。
「説得力ねえな」
「この鞄は結果的に投資になったから!」
「結果的に、な」
「そこ大事?」
「一番大事だろ」
くそ。
言い返せない。
◇ ◇ ◇
店の外が少しずつ夕方の色になってきた。
俺は何度目か分からないくらい入口を見る。
「ロイド来ないね」
「来るって約束してねえからな」
「今日来てほしい」
「知らん」
「呼んできて」
「どこにいるか知らん」
「使えない召喚装置だなあ」
「表出ろ」
「もう店の入口にいるよ」
「じゃあそのまま帰れ」
そのときだった。
「なんだ、またやってんのか?」
聞き覚えのある声に振り返ると、仕事帰りらしいロイドが笑いながら立っていた。
「ロイド!」
「お、おう」
俺が駆け寄ると、なぜか一歩引かれた。
「なんだよ。怖えな」
「聞きたいことがある」
「鞄?」
「鞄」
俺は完成した試作品を指差した。
「直した」
「お、もう?」
「それで――」
聞きたい。
いくらなら、この鞄を買うのか。
でも、そこでダリオの言葉を思い出した。
一人だけで決めるな。
「ロイド」
「なんだ?」
「明日、暇?」
ロイドが露骨に嫌そうな顔をした。
「お前、その聞き方絶対ろくなことじゃねえだろ」
「大丈夫」
「何が大丈夫なんだよ」
「ちょっとだけ付き合ってほしい」
「だから何に?」
俺は完成した背負い鞄を持ち上げる。
「これが、いくらなら売れるか調べたい」
作る前に、売れるか調べる。そして作る金も、ちゃんと考える。
前世では欲しい物の値段を見るときくらいしか、真剣に金のことなんて考えなかった。
それが今は、売る前の商品のために硬貨を並べて、足りない21リルをどうするか悩んでいる。
なんか。
少しずつ、本当に商売をしている気がしてきた。




