この鞄、買って正解だったかも
第二の商品を探し始めてから、俺は町を歩くときに人の持ち物を見るようになった。
何を使っているのか。どんな使い方をしているのか。そして、どこで不便そうにしているのか。
昨日までは気にもしていなかったのに、「何か売れるものはないか」と考え始めると、町の見え方まで少し変わる。
「商売人っぽくなってきたな」
貯金5リルだけど。
そこは今、関係ない。
◇ ◇ ◇
市場を歩いていると、また荷物を抱えた男を見かけた。
昨日とは別の人だ。
片手には布袋。もう片方には細長い包み。さらに腕に別の荷物まで抱えていて、落としそうになっては持ち直している。
「…………やっぱり不便そうだな」
昨日見た男も、買った物を両手いっぱいに抱えていた。
袋はある。
鞄もある。
肩から掛ける物だって見たことがあるし、旅人が大きな荷物を背負っていることもある。
だから、この世界の人間が「荷物を背負う」という発想を知らないわけではない。
でも、前世で俺が当たり前に見ていた物とは少し違う。
「リュック……」
背中に背負う鞄。
二本の肩紐で背負うから、両手が空く。口を閉じられて、中にはいくつか物を分けて入れられる。
俺が前世で使っていた物にも、小さな収納がいくつも付いていた。
「これ、いいんじゃない?」
普通の袋より持ちやすい。
両手が空く。
買い物にも使えるし、旅にも使える。
それに。
通りの向こうを、腰に剣を下げた男が歩いていく。
「冒険者とか絶対使うだろ」
剣と魔法の世界。
ようやく異世界らしい客が見えてきた。
◇ ◇ ◇
家へ戻ると、仕事場にいたガルドを捕まえた。
「父さん、ちょっといい?」
「ん? 今度は何を売る気だ?」
「なんで分かったの?」
「最近のお前がその顔で来るときは、大体金の話だからな」
ガルドが楽しそうに笑う。
ひどい言われようだ。
でも否定できない。
「こういう鞄って作れる?」
俺は木板に炭で絵を描いて見せた。
四角っぽい袋。
そこから二本の紐。
ガルドが木板を受け取る。
「…………なんだこりゃ」
「鞄」
「亀じゃなくて?」
「どこが亀なんだよ!」
「いや、ここが足で、この辺が甲羅かと」
「鞄! これは紐!」
ガルドが声を上げて笑った。
「悪い悪い。お前、商売はともかく絵描きにはならない方がいいぞ」
「なる予定ないよ」
知ってる。
自分でも下手なのは分かってる。
「で、こいつをどうするんだ?」
「背中に背負う」
俺は自分の肩を指しながら説明する。
「こっちと、こっちに紐を通して、両肩で背負うんだ。そうすれば両手が空く」
「ふむ」
さっきまで笑っていたガルドの顔が、少しだけ職人のものに変わる。
「旅人が背負ってる荷袋とは違うのか?」
「似てる。でも、もっと普段から使いやすくしたい。背中にこう沿う感じで、口もちゃんと閉じられて、中も少し分けられたら便利だと思う」
「なるほどな」
俺の記憶にあるリュックを、できるだけ説明していく。
大きな収納。
小さな収納。
口を閉じる仕組み。
そして肩紐。
「肩のところは太い方がいいと思う」
「ほう。なんでだ?」
「細いと重い物を入れたとき痛いから」
ガルドが自分の肩に指を当て、少し考える。
「確かにな。重さを受ける場所が細けりゃ、その分食い込む」
「でしょ?」
「そこまで分かってるなら、自分で作ればいいじゃねえか」
「作り方は知らない」
「…………」
「使ったことがあるだけ」
ガルドが俺を見る。
そして、ため息をつくように笑った。
「お前、そういうの多いな」
「俺も最近そう思う」
石鹸もそう。
紙もそう。
マヨネーズもそう。
現代人。
便利な物を使うことに関してはプロ。
作ることに関しては、驚くほど役に立たない。
◇ ◇ ◇
「形の相談くらいなら俺でもできるが、実際に作るなら革か布を扱う職人だな」
「やっぱり?」
「父ちゃんは家具屋だからな。無理やり木で作ってやってもいいぞ」
「絶対重いじゃん」
「丈夫だぞ?」
「いらないよ」
「そうか。自信作になると思ったんだが」
「嘘つけ」
またガルドが笑う。
こういうところを見ると、仕事の話をしているのに少し変な感じがする。
見た目は八歳の息子と、その父親。
話している内容は新商品の相談。
まあ。
二度目の人生なんだから、こういう親子がいてもいいか。
「革職人か……」
どこか紹介してもらおうか。
そう考えながら、何気なく腰へ手を伸ばした。
指先が革に触れる。
「…………」
高かった。
ものすごく高かった。
三つに分かれた収納。
丈夫な革。
金具。
装飾。
商人向けだと言われ、俺は50リル払った。
「…………いるじゃん」
「何がだ?」
「革職人」
ガルドも俺の腰を見る。
「ああ、その鞄の店か」
「そう!」
「なるほどな。役に立ったじゃねえか、その高い鞄」
「でしょ?」
「まだ店を思い出しただけだけどな」
「…………」
余計な一言を。
でも今日は違う。
あれは浪費ではなかった。
未来への投資だった。
……まだ決まってないけど。
◇ ◇ ◇
革鞄を買った店は、市場の端に近い場所にある。
あの日、俺は実用的な15リルの小銭入れを買うつもりだった。
それなのに気づけば、50リルの革鞄を腰につけて店を出ていた。
思い出すだけで胸が痛い。
「いや、今日で全部ひっくり返す」
50リルの浪費が。
50リルの投資だったことを証明する。
そんな謎の使命感を抱えながら、俺は店の扉を開けた。
◇ ◇ ◇
「いらっしゃ――お?」
奥にいた男が俺を見ると、すぐに笑った。
「お前、あのときの坊主じゃねえか!」
「覚えてた?」
「そりゃ覚えてるさ。15リルの小銭入れを見に来て、50リルの鞄買って帰った八歳なんて忘れられるか」
「…………」
そう言われると。
改めてひどいな。
男は俺の腰を見ると、さらに嬉しそうに笑った。
「ちゃんと使ってんじゃねえか。どうだ? いい鞄だったろ?」
「悔しいけど、かなり使いやすい」
「だろ? 俺が作ったんだからな」
「自分で言うんだ」
「職人が自分の仕事に自信なくしてどうする」
嫌いじゃない。
こういう人。
「それで? 今日は何だ。また鞄か?」
「そう」
「おお。今度はもっと高いやつか?」
「買わないよ!」
「残念だな。80リルのがあるぞ」
「見せないで」
「見るだけならただだぞ?」
「だから見せないで!」
危ない。
この店。
俺と相性が悪い。
いや、良すぎるのかもしれない。
「今日は買いに来たんじゃなくて、作ってほしくて来た」
「作る?」
「今ここにない鞄」
男の表情が少し変わった。
「へえ」
俺は革鞄から木板を取り出した。
「こんなの」
「…………」
男が黙る。
「何?」
「絵がひどい」
「父さんにも言われたよ!」
「はははっ! そうか!」
なんでそんなに嬉しそうなんだ。
◇ ◇ ◇
「で、こいつを背負うのか?」
「そう」
男は笑うのをやめると、今度は真剣に木板を見始めた。
「両肩で?」
「うん。紐を二本にする」
「旅用の荷袋ならあるぞ」
「それより、もっと鞄っぽくしたい」
「鞄っぽくってのが分からんな」
「俺も説明が難しい」
「おい、考えた本人だろ」
「使い方は分かるんだよ。作り方が分からない」
「面白いこと言うな、お前」
俺は身振りを交えながら、覚えている限り説明した。
背中に沿うようにする。
両肩で重さを受ける。
荷物を出し入れする口があって、勝手に開かないようにする。
できれば中を分けたい。
小さい物を入れる場所も欲しい。
そして、一番大事なのは。
「背負ったまま両手が使える」
「なるほどな」
男が腕を組む。
「買い物だけじゃなく、旅にも使えそうだな」
「でしょ?」
「道具を持ち歩く職人にもいいかもしれん」
「あ」
それは考えてなかった。
「父さんも使うかな」
「家具職人か?」
「そう」
「なら細かい道具を分けられるようにしたら便利かもしれんな」
「それ、いい!」
俺が思いつかなかった使い方が、もう一つ出てきた。
これだ。
俺は完成した物を知っている。
でも。
この世界で何に使えるかは、この世界の人間の方が詳しい。
「おじさん、名前は?」
「今さらかよ」
男が笑う。
「ダリオだ」
「俺はレイン」
「それは知ってる。50リルの坊主」
「普通にレインで覚えて」
◇ ◇ ◇
ダリオは店の奥から革を何種類か持ってきた。
「お前の腰の鞄みたいな厚い革だけで作ると、かなり重くなるぞ」
「じゃあ薄い革?」
「軽くはなる。ただ、大きい鞄なら荷物の重さがかかる場所は傷みやすい」
「布は?」
「使えるぞ。むしろ本体は丈夫な布にして、底や紐の付け根だけ革で補強する方が軽いかもしれんな」
「なるほど……」
俺は木板に書き足していく。
全部革。
却下。
布と革。
候補。
「肩紐は太くしたい」
「ああ。それはいいと思う。ただ太くするだけじゃ硬いな」
「柔らかくできる?」
「やりようはある。布を重ねてもいいし、柔らかい革を使ってもいい」
ダリオが俺の肩幅を見る。
「ただ、お前に合わせて作ったら大人は使えねえぞ」
「俺用じゃないよ。売るんだから」
「売る?」
ダリオが手を止めた。
「これを?」
「うん」
「まだ作ってもいないのに?」
「売れると思う」
「ははっ!」
また笑われた。
「なんだよ」
「いや。いいな、お前」
「何が?」
「そういうところだよ。普通は作ってから売れるか心配するもんだ」
「俺も心配はしてるよ」
「顔が全然心配してねえ」
そうかな。
結構売れると思ってる。
特に冒険者には。
◇ ◇ ◇
「試しに一個作るとして……」
ダリオが材料を見ながら考える。
「本体は丈夫な布。底と紐の付け根を革で補強する。留め具もいるな。最初だから途中で作り直すかもしれん」
「いくら?」
「20リル」
「…………20か」
「高いか?」
「安くはない」
「正直だな」
ダリオが苦笑する。
「まあ、完成品を一個買うのとは違うからな。俺も形を考えながら作る。お前の絵じゃ分からんところも多いし」
「絵の話まだする?」
「しばらくする」
この人。
絶対しつこいタイプだ。
「でも20リルなら、払う」
「本当にいいのか?」
今度はダリオが少し驚いた。
「失敗するかもしれんぞ」
「分かってる」
「八歳が20リルをそんな簡単に出すなよ。こっちが不安になる」
「俺も昔はもっと簡単に50リル出してたから」
「それ俺の店だろ!」
二人で顔を見合わせる。
先に吹き出したのはダリオだった。
「はははっ! そうだったな!」
「今回はちゃんと考えてるよ」
「ならいい。俺も金をもらう以上、できるだけいい物にはする」
その言葉を聞いて、少し安心した。
◇ ◇ ◇
「ただ、一個お願いがある」
「なんだ?」
「一緒に考えさせて」
ダリオが首を傾げる。
「俺は鞄を作れない。でも、どんな形にしたいかは分かる。だから俺が欲しい形を言う。作れるかどうかとか、どう作るかはダリオが考えてほしい」
「なるほどな」
ダリオは木板と俺を交互に見る。
「つまり、お前が注文の多い客で、俺がそれを形にする?」
「……言い方は嫌だけど、そんな感じ」
「面白そうじゃねえか」
ダリオがにやりと笑った。
「やってみるか」
「うん」
「ただし、無理なものは無理って言うぞ」
「そのときは別の方法考える」
「よし」
ダリオが大きな手を差し出した。
俺も手を出す。
大人と八歳。
手の大きさが全然違う。
「よろしく、レイン」
「よろしく、ダリオ」
「売れたら俺にも儲けさせろよ」
「もちろん」
「売れなかったら?」
「…………」
「おい」
「一緒に反省しよう」
「俺まで巻き込むな!」
店の中に笑い声が響いた。
◇ ◇ ◇
帰り道。
試作費として20リル。
また金が減る。
普通なら、ここで少し不安になるところだ。
いや。
普通に不安ではある。
でも今日は、それ以上に楽しみだった。
俺が知っている形を、ダリオがこの世界の材料と技術で作る。
それが本当に使える物になるのか。
そして、本当に売れるのか。
まだ何も分からない。
ふと腰を見る。
50リルの革鞄。
もしあの日、15リルの小銭入れを買っていたら。
この店のことを、ここまで強く覚えていただろうか。
ダリオに相談しようと思っただろうか。
もしかしたら。
本当に。
50リルの出費が第二の商品につながるかもしれない。
「…………ほら」
俺は革鞄を軽く叩いた。
「やっぱり買って正解だったじゃん」
必要経費。
投資。
未来のため。
散々使ってきた言い訳が、初めて本当になるかもしれない。
そう思ったところで、嫌な考えが浮かんだ。
これで背負い鞄が売れなかったら。
50リルに追加で20リル使っただけでは?
「…………考えるのやめよう」
今は未来だけ見よう。
第二の商品。
背負い鞄。
まだ試作品すらないし、売れる保証もない。
それでも。
石鹸を初めて作ったときより、少しだけ楽しみだった。
今度は一人じゃない。
俺の知っているものを、この世界の職人と一緒に作る。
なんだか本当に。
商売を始めている気がした。




