少し、手が空いた?
セルトへ戻ってから、しばらくが経った。
リーネを出発した時は、エマに石鹸作りを任せて本当に大丈夫なのかと心配していたけど、今のところ大きな問題は起きていない。もちろん、まだセラさんに教わりながらの作業だし、俺たちがいなくても何でもできるというわけじゃない。それでも、行商人を通じて届いた石鹸が宿に並んでいるのを見ると、少しずつ形になっているのを実感する。
セルトに来てから、もう二か月ほどになる。
最初の頃は市場に出る場所を探したり、商品を持ち込んだり、あちこち走り回っていた。それが最近は、以前ほど慌ただしくなくなっていた。
「……なんか、暇じゃない?」
借りている部屋でそう言うと、向かいに座っていたカイルが顔を上げた。
「暇ってほどじゃないでしょ。今日も確認するところはあるし」
「でもさ、前より手が空いてる気がするんだよな」
「石鹸を自分たちで運ばなくなったからじゃない?」
「ああ、それか」
今までは、商品を用意して、運んで、売るところまで俺たちが考えなきゃいけなかった。今はリーネでエマが準備して、行商人が運んでくれる。もちろん、仕入れや売れ行きの確認は必要だけど、全部に俺たちが付きっきりになる必要はない。
「人を雇うって、こういうことなんだな」
「まだ一人だけどね」
「その一人が大きいんだって」
カイルは笑いながら、机の上に置いてあった紙をまとめた。
「手が空いたなら、前に注文してくれた人のところに行ってみない?」
「カバン?」
「うん。実際に使ってみてどうだったか、聞いておきたい」
なるほど。
売れたら終わりじゃない。使っている人の話を聞けば、次に作る時の参考になるかもしれない。
「よし、行こう」
「暇じゃなくなったね」
「仕事を見つけるのが早すぎるんだよ」
「自分で暇って言ったんでしょ」
それはそう。
◇ ◇ ◇
以前カバンを注文してくれた客を訪ねると、ちょうど仕事の合間だったらしく、少し話を聞かせてもらえた。
「使い心地はどうですか?」
俺が尋ねると、相手は背負っていたカバンを下ろした。
「悪くないよ。両手が空くのはやっぱり便利だね」
「おお」
「ただ、ちょっとした物を出す時が面倒かな」
「ちょっとした物?」
「水を飲みたい時とか、すぐ使う物を取りたい時だよ。いちいち背中から下ろさないといけないだろ?」
言われてみれば、その通りだ。
荷物をまとめて運ぶには便利でも、頻繁に使う物まで全部背中に入れてしまうと取り出しにくい。前世では当たり前のように使っていたカバンにも、そういう工夫があった気がする。
「横とかに、小さい入れ物を付けたらどうかな」
「それなら便利かもしれないね」
「でも、あんまり付けすぎると邪魔になりそう」
カイルが言う。
「確かに。歩いてる時に引っかかっても困るしな」
俺はカバンを見ながら、どの辺りなら邪魔にならないか考えた。
ただ、ここで勝手に決めても仕方がない。実際に縫って形にするのはダリオだし、材料や手間が増えれば値段にも関わる。
「帰ったらダリオに相談してみよう」
「うん。まずは、こういう意見があったって伝えればいいと思う」
客に礼を言って、その場を離れた。
売った商品について直接話を聞くのは、思っていたより面白い。褒めてもらえるのも嬉しいけど、不便なところを教えてもらえるのもありがたかった。
「他にも聞いて回る?」
「今日は一人でいいんじゃない? 急に全部変えるわけでもないし」
「それもそうか」
改良案を思いつくと、すぐ試したくなる。
でも、今ある商品がちゃんと売れているなら、慌てて変える必要もない。まずは意見を集めて、ダリオと相談してからだ。
……俺にしては、ずいぶん慎重になった気がする。
◇ ◇ ◇
帰り道、通り沿いの作業場から木を削る音が聞こえてきた。
何気なく中を覗いた俺は、そのまま足を止めた。
「……ん?」
作業場の奥では、一人の職人が木材を加工していた。別に珍しい光景じゃない。セルトにも木工の仕事をしている人はいるし、通りがかりに作業を見かけることだってある。
ただ、その職人が使っている道具には、妙な見覚えがあった。
台があって、刃があって、足元の仕組みが動いている。
「……カイル」
「何?」
「ちょっと、あれ見て」
カイルが俺の視線を追った。
「……え?」
「いや、待って。あれってさ」
「うん。僕も今、同じこと考えてる」
二人でもう一度、作業場の中を見る。
間違いない。
ノルンで、ネイルたちと一緒に作った道具だ。
「なんでここにあんの!?」
思わず声が大きくなった。
作業していた職人が、驚いた顔でこちらを見る。
「あ? なんだ、お前ら」
「あ、すみません! いや、その道具!」
「これがどうした?」
「どこで買ったんですか!?」
「ノルンだけど……」
「やっぱり!」
俺は思わずカイルの肩を叩いた。
「おい! ノルンだって!」
「聞こえてるよ! 僕だって驚いてるんだから!」
「だって、こんなところにあると思わないだろ!」
「それは僕もそうだけど!」
職人は俺たちを交互に見た。
「……なんなんだ、お前ら」
「あの、それ、俺たちが考えた道具なんです!」
「……は?」
「いや、正確には作ったのは職人さんたちなんですけど!」
「レイン、落ち着いて。余計に分かりにくくなってる」
「お前も驚いてただろ!」
「驚いたけど、説明はできるよ」
それはちょっと悔しい。
カイルが一歩前に出て、俺たちがノルンで職人たちに道具の製作を頼んだことを説明した。
台を作ったのはネイル。
刃と金属部分を担当したのはバルド。
足の動きを伝える仕組みを考えて形にしたのはローディ。
俺が持ち込んだ発想を、三人が協力して実際に使える道具にしてくれた。
「へえ。じゃあ、お前らがあれを考えた二人組か」
職人が感心したように言った。
「え?」
「ノルンで買った時に聞いたよ。若い二人が話を持ち込んで作ったんだって」
「……マジですか?」
「ああ。まさか本人たちがこんなところにいるとは思わなかったけどな」
俺も思ってなかった。
そんな話まで伝わっていたなんて、なおさらだ。
「ノルンには別の用事で行ったんだが、向こうでこれを見かけてね。試しに使わせてもらったら、思ったより具合がよかったんだ」
「それで買ったんですか?」
「そういうこと。安い物じゃなかったから、ちょっと迷ったけどな」
「使ってみて、どうですか?」
カイルが尋ねた。
「便利だよ。何でもこれで済むわけじゃないけど、手でやってた仕事の一部が楽になった。使い方に慣れるまでは少しかかったが、今じゃ結構頼りにしてる」
「おお……!」
俺は思わず道具を見た。
ノルンで試した時にも、ちゃんと動いていた。
でも、あれは作ったばかりの道具だった。こうして別の職人が自分の仕事に使っているのを見ると、なんだか全然違って見える。
「いやあ、嬉しいな」
「そんなにか?」
「そりゃもう!」
職人が笑った。
「考えた本人にそこまで喜ばれるとは思わなかったよ」
「だって、セルトでも売ろうとしてたんですよ、俺たち」
「そうなのか?」
「絵を見せて注文を取ろうと思ってたんですけど、全然で」
「まあ、誰でも使う物じゃないからな」
それはそうだ。
値段だって安くないし、木工の仕事をしていなければ買う理由もない。職人が多いノルンと違って、セルトでは欲しがる人自体が限られている。
それでも、こうして一台使われている。
しかも、俺たちが知らないうちに。
職人に礼を言って作業場を出てからも、俺は何度か振り返ってしまった。
◇ ◇ ◇
「……なあ、カイル」
「何?」
「俺たち、セルトであの道具、一台も売れてないよな?」
「うん。注文も入ってないね」
「なのに、もうセルトにあるんだけど」
「そうだね」
「……なんか悔しくない?」
「嬉しいんじゃなかったの?」
「嬉しいよ! めちゃくちゃ嬉しいけどさ!」
カイルが笑った。
「僕たちが売れなかっただけで、道具はちゃんと売れてたんだね」
「……それ、結構刺さるな」
「でも、いいことじゃない?」
「まあな。俺たちがいちいち売りに行かなくても、欲しい人が買ってくれるんだから」
自分たちが直接売ったわけじゃない。
運んだわけでもない。
それなのに、知らないところで誰かが買って、仕事に使っている。
ノルンで作った道具が、ノルンの外でも役に立っていた。
「なんか、すげえな」
「うん。これはちょっと嬉しいね」
「ちょっと?」
「かなり、かな」
「だろ?」
二人で笑った。
セルトでは注文が取れなかったけど、それで道具が売れていないわけじゃなかった。俺たちが知らないところでも、ちゃんと商売は動いている。
石鹸もそうだ。
エマが作って、行商人が運んで、宿が売る。
俺たちが全部やらなくても、商品が誰かの手に渡っていく。
「……なんか、本当に商売っぽくなってきたな」
「今までも商売だったでしょ」
「いや、そうなんだけどさ」
うまく言えないけど、前とは少し違う。
自分たちの手が届かないところまで、商品が動き始めている。
それが、なんだか面白かった。
◇ ◇ ◇
宿に戻る頃には、すっかり夕方になっていた。
部屋に入ると、カイルが机の上に紙を広げ始めた。
「今日聞いたこと、忘れないうちに書いておこう」
「ああ、カバンのこと?」
「それも。道具の話もね」
「なるほど」
カイルは以前の注文について書いた紙を探し、それから別の紙を引っ張り出した。
俺も手伝おうとして、机の端に積んであった紙を持ち上げる。
「……これ、何だっけ」
「どれ?」
「数字が書いてある」
「それだけじゃ分からないよ」
「俺も分からないから聞いてるんだって」
カイルが覗き込む。
「ああ、それは市場に出た時の記録じゃない?」
「そうだっけ?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
よく見ると、紙の端には日付らしきものも書いてあった。
別の紙にはカバンの注文数。
その下には、火付け道具を作る時に使った材料の覚え書き。
さらにその下から、宿の人と話した内容を書いた紙まで出てきた。
「……多くない?」
「二か月も商売してれば、これくらいにはなるでしょ」
「いや、そうなんだけどさ」
俺は紙を机に並べた。
書いていないわけじゃない。
売れた数も、使った金も、気になったことも、その時々で残している。
ただ、全部が別々の紙に書かれている。
しかも、後から見返すことをあまり考えていなかった。
「エマの方がちゃんとしてるんじゃないか?」
俺が言うと、カイルが笑った。
「作った数とか、渡す先とか、ちゃんと分けて書いてたもんね」
「俺たち、雇った人に負けてない?」
「勝ち負けじゃないでしょ」
「いや、なんか悔しい」
エマは、仕事を始めてすぐに記録の仕方を考えていた。
俺たちは二か月もセルトにいるのに、いまだに紙をひっくり返している。
これでは、後で半年分の売上や経費をまとめようとした時に困るだろう。
「なあ、カイル」
「何?」
「これ、ちゃんと整理しない?」
「僕もちょうどそう思ってた」
「売上と、使った金と、注文した物と……あと、今日みたいに聞いた話も」
「全部一緒にする?」
「いや、それだとまた分かんなくなりそう」
口にしてから、少し考えた。
商売の金を記録するものと、商品についての話や思いつきを残すもの。
同じ紙に書く必要はない。
むしろ、分けた方が後で探しやすい。
「用途ごとに分ければいいんじゃないか?」
「例えば?」
「金の記録は金の記録。注文は注文。思いついたことは……俺が忘れないようにするやつ」
「最後だけ雑だね」
「一番大事かもしれないだろ」
「忘れる自覚はあるんだ」
「ある」
そこは否定できない。
俺は机に広がった紙を見た。
新しい商品を考えるのも、売り方を工夫するのも面白い。
でも、商売を続けるなら、後から見返せるようにしておくことも必要なんだろう。
エマには、すでにその大切さが分かっているらしい。
だったら、俺たちも負けていられない。
「明日、使いやすい紙とか帳面を探してみようぜ」
「いいね。今ある記録も整理したいし」
「よし、決まり」
そう言って、俺は机の上の紙をひとまとめにした。
すると、その下からもう一枚出てきた。
「……あ」
「今度は何?」
「これ、前に買おうと思ってた物のメモだ」
「買ったの?」
「いや、忘れてた」
カイルが呆れた顔をする。
「やっぱり、先に整理した方がよさそうだね」
まったくもって、その通りだった。




