まずは、話してみよう
エマと会うことを決めてから、俺たちは一度セルトを離れる準備をした。
といっても、半年の滞在をやめるわけじゃない。
宿には数日留守にすると伝え、市場へ出る予定も入れない。石鹸を置いてもらっている店や宿についても、今すぐ俺たちがいないと困る状態ではなくなっていた。
こういう時、毎日市場に立たなくてよくなったのは助かる。
「最初の頃だったら無理だったな」
「毎日場所借りてたもんね」
「そう考えると、ちゃんと変わってるな」
セルトに来た頃は、商品を並べて、売れるまでそこに立っていた。
今は宿に置いてもらえるし、必要な時だけ市場へ出ればいい。数日くらいなら、俺たちがいなくても問題ない。
そうしてセルトを出て、二日。
久しぶりにリーネへ戻ってきた。
◇ ◇ ◇
家へ顔を出したり、セラさんに挨拶したり。
やることはいくつかあったけど、今回戻ってきた一番の目的は決まっている。
ハンスさんの店へ行くと、すでに一人の女性が待っていた。
「来たか」
「お久しぶりです」
「思ったより早かったな」
「会ってから決めたかったんで」
ハンスさんが笑って、それから隣に立つ女性を見る。
「こっちが話してたエマだ」
「エマです。よろしくお願いします」
「レインです。こっちはカイル」
「よろしく」
エマは俺たちより少し背が高かった。
落ち着いた茶色の髪を後ろでまとめていて、服装も特別目立つところはない。
なんというか、本当に普通の人だ。
いや、何を期待してたんだ俺は。
「とりあえず座れ。立ったままじゃ話しづらいだろ」
ハンスさんに言われ、店の奥へ移動する。
四人で机を囲んだところで、少しだけ空気が固くなった。
「……」
「……」
何から話せばいいんだ?
人を雇う時って、最初になんて言うんだろう。
前世でも雇われる側しかやったことないぞ。
「レイン」
「分かってる」
隣から小声で言ってきたカイルを止める。
とりあえず仕事内容からだ。
「ハンスさんから聞いてると思うんですけど、お願いしたいのは石鹸を作る仕事です」
「はい。セラさんから作り方を教わると聞いています」
「最初はそうなります。慣れたら、一人でも作れるようになってもらいたくて」
「毎日作るんですか?」
いきなり質問が返ってきた。
「いや、そこなんですけど……」
俺はカイルを見る。
カイルも俺を見る。
まだ決めてない。
「今のところ、毎日じゃなくていいと思ってます」
カイルが答えた。
「必要な数を決めて、その分を作ってもらう形になると思います。ただ、これから量が増える可能性はあります」
「減る可能性もありますよね?」
今度は俺たち二人とも少し黙った。
ある。
普通にある。
「あります」
ここで誤魔化しても仕方ない。
「セルトでは今のところ売れてます。でも、ずっと同じだけ売れるとは約束できません」
「分かりました」
エマはそれ以上追及しなかった。
ただ、ちゃんと覚えておくように頷いた。
思っていたより、しっかり聞いてくる人だ。
◇ ◇ ◇
今度は、俺たちからエマのことを聞いた。
今の店では四年ほど働いているらしい。
商品の受け取り。
棚への補充。
在庫の確認。
客への受け渡し。
忙しい時には店主の代わりに店番もする。
「物を作る仕事は?」
「ほとんどしたことないです」
「細かい作業とかは?」
「普通だと思います」
「普通」
「得意だって言って、できなかったら困るので」
なるほど。
「でも、同じ作業を続けるのは苦じゃないです。今の店でも、入ってきた商品を数えたり分けたりすることは多かったので」
それはありがたい。
俺だったら途中で別のことを始めそうだ。
横を見ると、カイルがこっちを見ていた。
「何?」
「別に」
絶対同じこと考えただろ。
「エマさんから、他に聞きたいことあります?」
そう聞くと、少し考えてから口を開いた。
「あります」
「どうぞ」
「お二人とも、十五歳なんですよね?」
そこか。
「はい」
「二人で商売を始めたのも最近だと聞きました」
「そうですね」
正確には俺はもっと前から色々やっているけど、カイルと二人で始めたのは成人してからだ。
「これからも、リーネで仕事をするんですか?」
答えようとして、止まった。
これは結構大事な質問だ。
俺たちは今セルトにいる。
半年が終わればリーネへ戻るつもりだけど、ずっとリーネだけで商売をするつもりはない。
「たぶん、リーネだけにはならないです」
正直に答える。
「今はセルトにいますし、これから他の町へ行くこともあると思います」
「じゃあ、また何ヶ月もいなくなることも?」
「あると思います」
エマは少し考え込んだ。
「私が働く場所は?」
「最初はリーネです」
そこは決まっている。
セラさんから石鹸作りを覚えてもらう必要があるし、作った石鹸を行商人へ渡すのもリーネだ。
ただ、その先はまだ分からない。
「ずっとリーネかって聞かれると……約束はできないです」
「なるほど」
また頷く。
嫌そうでも、嬉しそうでもない。
ただ確認している。
「もし別の町で働いてほしいってなったら、その時はちゃんと相談します。いきなり明日から来てくださいとかはしません」
「それなら大丈夫です」
少しだけ、エマの表情が緩んだ。
「住む場所まで勝手に決められたら困るので」
「それは俺も困ります」
「レインは自分で決める側でしょ」
カイルに突っ込まれた。
「そうだけど」
エマが小さく笑った。
初めてだった。
さっきまで仕事の話ばかりだったから、ちょっと安心する。
◇ ◇ ◇
それから、給料についても話した。
ハンスさんに教えてもらった相場を基準にしながら、最初は働く日数に合わせて払う。
石鹸の量が増えて、任せる仕事も増えたら、その時に改めて考える。
まだ決め切れていない部分については、決まっていないとそのまま伝えた。
「随分正直に話すんだな」
途中でハンスさんが言った。
「後から違うって言われる方が困るじゃないですか」
「まあな」
俺たちだって初めてなんだ。
最初から全部完璧には決められない。
だからこそ、分からないことまで分かったふりはしたくない。
一通り話し終わったところで、俺はエマを見る。
「どうです?」
「どう、というのは?」
「話を聞いてみて」
エマはすぐには答えなかった。
少し考えてから、逆に聞いてくる。
「私でいいんですか?」
「まだ決めてません」
「あ、そうなんですね」
「だから今日会ったんです」
紹介されたから、その場で採用。
それでは会いに来た意味がない。
「できれば、セラさんのところで一度やってみてもらいたいです」
「石鹸作りを?」
「はい」
実際にやってみて、エマが無理だと思うかもしれない。
セラさんから見て、向いていないかもしれない。
俺たちだって、そこで初めて分かることがあるはずだ。
エマは少し考えてから頷いた。
「分かりました。やってみたいです」
よし。
まだ決まったわけじゃない。
でも、手紙に書かれた名前だけだった人と、ようやくちゃんと話ができた。
次は実際に働いてみる。
俺たちが初めて誰かを雇う話は、そこでようやく決まりそうだった。




