俺、もう浪費家じゃなくない?
焼き串。
一本4リル。
手持ちは65リル。
買える。
余裕で買える。
なんなら二本いける。
「…………」
焼けた肉から脂が落ち、炭の上でじゅっと音を立てる。
香ばしい匂いが俺の鼻を直撃した。
腹も減っている。
今までの俺なら、たぶんもう買っていた。
「一本」
言いかけて、止まる。
違う。
思い出せ。
さっき学んだばかりだ。
この65リルは、全部使っていい金じゃない。
次の石鹸を作るための材料費がいる。油だって買わなければならないし、家の灰も減ってきている。
焼き串は。
商売に必要か?
「……いらない」
「ん?」
店のおじさんが俺を見る。
「なんでもないです」
俺は焼き串に背を向けた。
一歩。
二歩。
三歩。
振り返らない。
五歩。
まだ大丈夫。
十歩。
「…………」
勝った。
俺は拳を握った。
「勝ったぞ……!」
前世から続く浪費癖に。
俺はついに勝った。
4リルを守った。
日本円にすれば、俺基準で400円くらい。
たった400円。
されど400円。
こういう小さな積み重ねが、やがて大きな貯金になる。
「俺、もう浪費家じゃなくない?」
思わず口から出た。
香油も我慢した。
天秤だって、欲しいと思った瞬間には買わなかった。
油の値段も交渉した。
ハンスとの取引条件だってちゃんと確認した。
そして今。
焼き串まで我慢した。
「…………」
完璧じゃん。
もう大丈夫だ。
前世の俺とは違う。
今世の俺は、金を管理できる男になった。
八歳だけど。
◇ ◇ ◇
そうなると。
次に考えるべきことは一つだった。
「この65リル、分けた方がいいな」
今使っているのは、ただの革袋だ。
その中に全部の金を入れている。
売上も。
材料を買う金も。
貯金する金も。
全部一緒。
これが良くない。
65リル持っていると、65リル使えるような気がしてしまう。
でも実際には違う。
次の仕入れに使う金は残さなければならない。
商売で何か必要になったときの金もいる。
そして、何より貯金。
「分ければいいんだよ」
単純な話だ。
仕入れ。
貯金。
自由に使っていい金。
三つに分ける。
そうすれば、自分が本当に使っていい金が一目で分かる。
「天才か?」
いや。
普通だ。
前世でやれ。
◇ ◇ ◇
問題は、どうやって分けるか。
小さな革袋をあと二つ買えば済む。
たぶん、それが一番安い。
「…………」
そう。
一番安い。
分かっていた。
分かっていたのに。
俺は市場を歩いていた。
「見るだけ」
買うとは言っていない。
どんな物があるのか確認するだけ。
市場調査。
これも商売人として必要な――
「……いや、今の危ないな」
市場調査。
前にも聞いた言葉だ。
蜂蜜パンを食ったときの俺が言っていた。
気をつけよう。
◇ ◇ ◇
革製品を扱う店を見つけた。
財布。
ベルト。
手袋。
小さな袋。
用途のよく分からない革紐。
いろいろ並んでいる。
「何か探してるのか?」
店主に聞かれ、俺は目的を説明した。
「金を三つに分けたいんです」
「硬貨の種類か?」
「いや……まあ、そんな感じです」
売上と仕入れと貯金。
そこまで説明する必要はないだろう。
「なら、これでいいんじゃないか」
出されたのは、小さな革の銭入れだった。
今使っている物より少し丈夫そうで、中が三つに分かれている。
「お」
これだ。
まさに欲しかったやつ。
「いくらです?」
「15リル」
「…………」
15リル。
高い。
焼き串なら三本食ってもお釣りが来る。
いや、焼き串換算するな。
でも、これなら金を分けて管理できる。
浪費を防げる。
貯金もしやすくなる。
長く使うなら悪くない。
「これ――」
ください。
そう言おうとした。
そのとき。
店の奥に。
何かが見えた。
◇ ◇ ◇
「…………あれは?」
「ああ?」
店主が俺の視線を追う。
「あれか」
棚の奥に置かれていたのは、革の小さな鞄だった。
袋というより、鞄。
腰のベルトに通して使うらしく、蓋がついている。
革も厚い。
金具もしっかりしている。
端には細かな飾り縫いまで入っていた。
「見てもいいですか?」
「構わんが、お前には少し大きいぞ」
「見るだけです」
大事なことなので、もう一度言う。
見るだけ。
店主が鞄を取ってくれた。
受け取る。
「…………」
いい。
まず、革がいい。
何がどういいのかは分からない。
でも、いい。
触った感じがもう違う。
蓋を開く。
中には三つの小さな収納がある。
さらに、細い革紐を入れられそうな場所と、小さな道具を差せそうな部分までついている。
「これ……」
金。
記録用の木板。
木炭。
小さな天秤は無理でも、商売で使う細かい物ならまとめられる。
今は市場へ行くたびに、必要な物をそれぞれ持っている。
これがあれば。
「全部まとめられる……」
「商人がよく使う物だ」
「商人が?」
「ああ。金だけじゃなく、帳面や筆記具なんかを持ち歩くからな」
「…………」
商人。
その一言が。
俺の心に刺さった。
「いくらです?」
「50リル」
「高っ!」
思わず声が出た。
50リル。
今の俺の全財産。
65リル。
買える。
買えるけど。
買ったら15リル。
「さっきのは15リルですよね?」
「ああ」
「これは50リル」
「ああ」
「三倍以上じゃん」
「革も作りも違うからな。金具も使ってる」
店主は淡々としている。
「さっきので十分だと思うぞ」
「…………」
店主。
もっと売ろうとしてくれ。
その言い方をされると。
逆に欲しくなる。
◇ ◇ ◇
俺は二つを見比べた。
15リルの銭入れ。
50リルの革鞄。
目的は金を分けること。
それだけなら。
15リルでいい。
いや。
小さな革袋を二つ買うだけなら、もっと安く済むかもしれない。
「…………」
でも。
この鞄なら。
金だけじゃない。
木板も入る。
木炭も入る。
商売で使う小物も入る。
丈夫。
長く使える。
買い直す必要がない。
そして。
「見た目も大事だよな……」
「何が?」
「商売人として」
「お前、八歳だろ」
「それは今関係ないです」
ハンスみたいな商人と話す機会も増えるかもしれない。
そんなとき。
ボロい革袋より。
ちゃんとした鞄を持っていた方が。
信用。
される。
かもしれない。
たぶん。
「…………」
これは。
浪費か?
違う。
金を管理するため。
商売道具をまとめるため。
長く使うため。
つまり。
「必要経費だな」
「何が?」
「これください」
「本当に?」
店主に心配された。
◇ ◇ ◇
50リルを払った。
65リル。
あった。
俺の金が。
15リルになった。
「…………」
腰には。
上等な革鞄。
中には。
15リル。
収納。
三つ。
「…………」
分けるほどなくない?
気づいてはいけない。
これは必要経費。
今は少ないけど。
これから増える。
売上。
仕入れ。
貯金。
三つに分けるために買った。
「そう。貯金のために買ったんだ」
完璧。
むしろ。
これは節約。
安い物を何度も買い直すより、最初からいい物を買った方が結果的に安い。
「…………」
あれ?
この理論。
前世でも使った気がする。
確か。
28,000円のコーヒーミルを買ったとき。
『どうせ長く使うなら、ちゃんとしたやつ買った方が安いだろ』
そう言った。
そして。
一回使った。
「…………」
いや。
違う。
今回は違う。
これは毎日使う。
絶対使う。
俺は腰の革鞄を撫でた。
いい革だ。
やっぱり買ってよかった。
たぶん。
◇ ◇ ◇
家に帰る。
エレナが俺を見る。
正確には。
俺の腰を見る。
「レイン」
「はい」
「それ、どうしたの?」
「買った」
「いくら?」
「…………」
なぜ。
母親という生き物は。
一番聞かれたくないところから聞いてくるのだろう。
「50リル」
「…………」
エレナが黙った。
工房から出てきたガルドも黙った。
二人が俺を見る。
「違うんだ」
何も言われていないのに。
俺は説明を始めた。
「売上と仕入れと貯金を分ける必要があって」
「うん」
「商売道具も持ち歩けて」
「うん」
「丈夫だから長く使えて」
「うん」
「結果的には安く――」
「レイン」
「はい」
「今、いくら残ってるの?」
「15リル」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙。
やめて。
何か言って。
ガルドが口を開いた。
「次の油は?」
「11リル」
「買ったら?」
「4リル」
「…………」
「…………」
父さん。
その顔やめて。
「でも必要経費だから!」
「その言葉、便利だな」
「俺もそう思う!」
思わず答えた。
エレナが吹き出した。
◇ ◇ ◇
その夜。
俺は枕元に革鞄を置いた。
格好いい。
使いやすい。
丈夫。
収納も多い。
買ったことに後悔はない。
ない。
……たぶん。
手持ち。
15リル。
次の油。
11リル。
残り。
4リル。
「…………」
昼間の俺。
『俺、もう浪費家じゃなくない?』
訂正します。
全然。
治ってませんでした。




