子供の商売だと思ってた?
五個の石鹸をミラの店に置いてから、三日が経った。
その間、俺は新しい石鹸を作りながら、何度もパン屋へ行きたい衝動と戦っていた。
売れたかな。
まだかな。
一個くらい売れたかな。
いや、もしかして全部売れた?
「……気になる」
前世で通販を頼んだあとの配送状況くらい気になる。
でも、一日に何度も確認しに行くのは格好悪い。
俺は商売人だ。
どっしり構えていよう。
「レイン」
「なに、母さん」
「今日、もう三回外見てるわよ」
「…………」
全然どっしりしていなかった。
◇ ◇ ◇
結局、昼を過ぎたところで我慢できなくなった。
「ちょっとパン屋行ってくる」
「はいはい」
エレナの返事が完全に分かっていた人のそれだった。
市場を抜け、いつものパン屋へ向かう。
店に入った瞬間、焼きたてのパンの匂いがした。
相変わらず危険な場所だ。
今日は買わない。
絶対に買わない。
「ミラ」
「あ、レイン」
「石鹸――」
「売れたわよ」
「全部!?」
「全部」
「よし!」
思わず拳を握った。
五個完売。
そのうち三個は予約されていたとはいえ、残り二個も売れた。
ミラが銅貨を並べる。
「私の分を引いて、20リルね」
「ありがとう」
受け取る。
所持金、50リル。
「…………」
50。
ついに。
「50リル……」
「そんなに嬉しい?」
「めちゃくちゃ嬉しい」
最初は0リルだった。
父さんの工房を掃除して、ようやく手に入れた1リル。
それが今、50リル。
もちろん、この中から油も買う。全部が貯金というわけではない。
それでも。
「増えたなあ……」
ちょっと感動する。
100万リルまでは、まだ果てしなく遠いけど。
今だけは見ないことにしよう。
「それでね」
ミラが言った。
「まだある?」
「石鹸?」
「うん」
「今作ってる」
「何個?」
「五個」
「それだけ?」
「…………」
それだけ?
少し前まで、一個売るのに必死だったんですけど。
「なんで?」
「欲しいって人がいるの」
「何人?」
「四人」
「また?」
「それと――」
ミラが店の奥を見る。
「あなたに会いたいって人も」
「俺に?」
「うん」
嫌な予感。
八歳児に会いたがる大人。
前世なら警戒するところだ。
「誰?」
「雑貨屋の人」
「…………」
そっちか。
◇ ◇ ◇
ミラに言われて少し待っていると、しばらくして一人の男が店へ入ってきた。
四十歳くらい。
細身で、髪をきっちり後ろへ流している。
服装も市場の客とは少し違って、きちんとしていた。
「この子か?」
「そう」
ミラが俺を指す。
「レイン。この人、ハンスさん」
「どうも」
「……本当に子供だな」
第一声がそれ?
「八歳です」
「聞いている」
ハンスと呼ばれた男が俺を見る。
というか。
観察している。
「清めの石鹸を作っているのは君か?」
「そうです」
「親ではなく?」
「俺です」
「作り方も?」
「俺が考えました」
正確には。
前世でなんとなく知っていたものを、この世界で試した。
だけど。
そこまで説明するわけにはいかない。
「ふむ」
ハンスが腕を組む。
「最初に聞いたときは、子供の遊びだと思っていた」
「…………」
ちょっとムカつく。
「でも売れてる」
「ああ。それで見に来た」
「どこで知ったんですか?」
「うちの客だ」
「え?」
「君の石鹸を買った客が、うちで似た物はないのかと聞いてきた」
なるほど。
パン屋で買った人が。
雑貨屋でも探した。
「それでミラに?」
「そういうことだ」
ハンスが店の端を見る。
いつも石鹸を置いている場所。
今は。
空。
「商品は?」
「売り切れました」
「次は?」
「作ってます」
「いくつ?」
「五個」
「少ないな」
「…………」
今日二回目。
俺。
頑張って五個作れるようになったんだけど。
◇ ◇ ◇
「ハンスさんは雑貨屋なんですよね?」
「ああ。市場の東側に店がある」
記憶を探る。
あ。
分かる。
何度か前を通ったことがある。
日用品。
布。
食器。
小さな道具。
いろんな物を置いている店だ。
「それで」
ハンスが言う。
「君の石鹸を、うちにも置かないか?」
「…………」
来た。
パン屋だけじゃない。
雑貨屋。
本来。
石鹸を置くなら。
どう考えてもこっちの方が自然だ。
「置きたいです」
「即答か」
「条件は?」
ハンスの眉が少し動いた。
「条件?」
「一個売れたら、いくらですか?」
「…………」
今度は。
ハンスが黙る。
「君、本当に八歳か?」
「今日それ二回目です」
ミラが後ろで笑っている。
ハンスは少し考えてから言った。
「清めの石鹸は一個5リルだったな」
「はい」
「うちで売るなら、君から3リルで買う」
「3リル?」
「ああ。私は5リルで売る」
俺に。
3リル。
ハンスに。
2リル。
「…………」
ミラより多い。
ミラは一個売れると1リル。
ハンスは2リル取る。
「高くない?」
「何がだ?」
「ハンスさんの取り分」
「嫌なら自分で売ればいい」
ぐっ。
正論。
「うちは毎日店を開けている。客も来る。商品を置く場所も使うし、客への説明もする」
「…………」
「それに、私は売れなければ損をする」
「え?」
「買うと言っただろう」
あ。
そうか。
ミラの場合。
売れたら金をもらう。
売れなければ。
俺に返ってくる。
でも。
ハンスは。
先に俺から買う。
「売れなくても3リル?」
「ああ」
「…………」
なるほど。
違う。
これは。
今までと違う売り方だ。
「何個?」
「まず十個」
「…………」
「作れるか?」
十個。
今。
一度に五個。
二回作れば。
十個。
一個3リル。
十個なら。
30リル。
まとめて。
一気に。
「作ります」
「いつ?」
「少し待って」
「どれくらいだ?」
「…………」
分からない。
作るだけじゃない。
固まるまで。
時間も必要。
「できたら持っていきます」
「分かった。出来を見て問題なければ十個買おう」
「約束?」
「商売だからな」
ハンスが手を出す。
「…………」
握手?
俺も手を出す。
大人の手。
八歳の手。
大きさが全然違う。
「よろしく」
「よろしくお願いします」
なんか。
すごい。
今まで。
一個。
二個。
売っていた。
それが。
一度に十個。
「30リル……」
「何か言ったか?」
「何でもないです」
危ない。
金額が口から出た。
◇ ◇ ◇
ハンスが帰ったあと。
俺はミラを見る。
「十個だって」
「聞いてた」
「30リル」
「嬉しそうね」
「そりゃ嬉しいよ」
「でも、一個3リルでしょ?」
「うん」
「今までより安いじゃない」
「…………」
そう。
そこ。
一個5リルで。
ミラに売ってもらえば。
俺には4リル。
ハンスに売れば。
3リル。
一個につき。
1リル少ない。
十個なら。
10リル違う。
「…………」
でかいな。
急に。
不安になってきた。
「損した?」
「私に聞かれても」
考える。
ハンスなら。
十個まとめて買う。
売れるまで待つ必要がない。
俺が店に立つ必要もない。
客も。
ハンスが持っている。
その代わり。
一個あたりの利益は減る。
「…………」
卸売り?」
前世で聞いたことがある。
作る人。
売る人。
その間の値段。
たぶん。
こういうことだ。
「悪くない気がする」
「ならいいんじゃない?」
「軽いな」
「だってレインの商売でしょ?」
「八歳だよ?」
「都合のいいときだけ八歳になるのやめなさい」
「…………」
最近。
母さんだけじゃなく。
ミラまで強くなってきた。
◇ ◇ ◇
家へ帰る。
「父さん!」
「今度はなんだ!」
「十個作りたい!」
「増えたな!?」
工房からガルドの声が飛んできた。
「売れる!」
「そりゃよかったな!」
「雑貨屋が買うって!」
「…………」
少し間があった。
工房から。
ガルドが出てくる。
「雑貨屋?」
「うん」
「どこの?」
「ハンスさん」
「ハンス?」
知っているらしい。
「父さん知ってる?」
「何度か仕事したことがある。棚を作った」
「信用できる?」
「商売には細かいが、変な奴じゃない」
「…………」
よかった。
八歳児。
知らない大人との取引。
冷静に考えると。
ちょっと危ない。
「今度から、そういう話は先に俺か母さんに言え」
「はい」
「金の話なら特にな」
「はい」
ここは。
素直に聞く。
俺の中身が三十過ぎでも。
この世界の商売については。
父さんの方が詳しい。
「それで十個か」
「うん」
「なら、あの型じゃ足りないな」
「やっぱり?」
「もう一つ作るか」
「本当?」
「端材でいいならな」
「ありがとう!」
ガルドが工房へ戻る。
俺はその背中を見ながら。
考える。
十個。
30リル。
もし。
ハンスの店で売れたら。
次も。
十個。
その次も。
「…………」
まずい。
口元が緩む。
商売が。
パン屋から。
雑貨屋へ。
少しずつ。
俺の知らない客へ。
広がっていく。
「100万リル……」
まだ。
遠い。
ものすごく遠い。
でも。
前みたいに。
ただの夢ではなくなってきた。
そんな気がする。
「よし」
まず。
十個。
ちゃんと作る。
それから。
30リル。
そして。
貯金。
今度こそ。
ちゃんと貯める。
「…………」
その前に。
油。
足りるかな。
結局。
金を稼ぐためには。
金がいる。
「世の中、うまくできてんなあ……」
八歳にして。
俺は少しだけ。
資本主義の厳しさを思い出していた。




