もうちょっと、安くなりません?
売れるなら、もっと作る。
昨日の俺はそう考えた。そして今日、俺はそのために必要なものを前にして、早くも現実を見ている。
油。
小さな瓶で12リル。
「高い」
改めて考えても、高い。
石鹸を作り始めた頃から分かっていたことではある。でも、今までは作る量が少なかったから、そこまで大きな問題にはならなかった。
今は違う。
一度に五個作れるようになった。これからもっと増やしたいし、売れるなら当然そうするつもりだ。
そうなれば、必要になる油の量も増える。
「売れば売るほど、油が必要になるんだよな……」
当たり前だ。ものすごく当たり前だ。
でも、なんか悔しい。
せっかく金が増え始めたのに、材料を買えばまた減る。
「商売って、いつになったら金貯まるの?」
◇ ◇ ◇
現在の所持金は33リル。
パン屋に置いてある石鹸が二個。売れれば、一個につき俺に入るのは4リルだから、二個で8リルだ。
ただし、新しい石鹸を作るには油が必要になる。
「一瓶12リルか……」
一瓶なら余裕で買える。二瓶でも24リルだから、今なら買える。
買えるのだが。
「残り9リル……」
嫌だ。
せっかく33リルまで増えたのに、一気に一桁へ戻る。
もちろん、油は石鹸になって、それを売れば金になって戻ってくる。別に24リルが消滅するわけじゃない。
頭では分かっている。
でも、革袋が一気に軽くなるのが嫌なのだ。
「俺、商売向いてないのかな」
金を使いたくない商売人。
仕入れができない。
「……いや、違うな」
使わないんじゃない。
安く買えばいい。
◇ ◇ ◇
市場へ向かい、いつもの油屋へ行く。
「おじさん、油ください」
「またお前か。どれだ?」
「小さい瓶」
「12リル」
いつも通りの値段だ。
「二本なら?」
「24リル」
「…………」
そのままだ。
「安くならない?」
「ならんな」
早い。
天秤を買ったときの店主といい、この町の商人は値引きに厳しい。
「二本買うよ?」
「二本で24リルだ」
「まとめて買うのに?」
「二本でまとめてって言うな」
「…………」
確かに。
ちょっと恥ずかしい。
「じゃあ三本」
「36リル」
「持ってない」
「じゃあ言うな」
完敗だった。
でも、ここで帰ったら何も変わらない。
「おじさん。もっとたくさん買ったら?」
「もっと?」
「十本とか」
そこで初めて、店主の表情が少し変わった。
「お前が?」
「今すぐじゃないよ」
「だろうな」
「でも、これから」
石鹸が売れれば油を使う。作り続ける限り、何度も必要になる材料だ。
「毎回ここで買うなら?」
「量によるな」
「安くなる?」
「そりゃまあ」
来た。
可能性はある。
「どれくらい?」
「だから量による」
「十本」
「一度に?」
「…………」
今は無理だ。
十本なら120リル。そんな金は持っていない。
「いつか」
「話にならんな」
「ですよね」
駄目だ。
未来で大量に買う予定です、と言ったところで、今の値段を下げてくれるわけがない。
◇ ◇ ◇
店の横に立ち、並べられた油を眺める。
どうする。
安く買う方法。
まとめ買いは、今の俺には無理。
別の店を探す?
それもありだけど、そもそも油自体が安い物ではないらしい。
「…………」
俺は並んでいる瓶を見る。
瓶。
瓶。
瓶。
「待てよ」
俺、瓶が欲しいわけじゃない。
欲しいのは中身だ。
「おじさん」
「まだいるのか」
「これって、瓶の値段も入ってる?」
「当たり前だろ」
「じゃあ瓶なしなら?」
「は?」
「俺が容器持ってくるから、中身だけ売ってよ」
店主が少し黙った。
今までと反応が違う。
「できる?」
「できなくはない」
「いくら?」
すぐには答えず、店主が俺を見る。
「お前、これ何に使ってるんだ?」
「石鹸」
「ああ、前も言ってたな」
「売れてる」
「へえ」
「だから、これから何回も買うと思う」
店主が腕を組み、少し考えた。
「容器を持ってくるなら、同じ量で11リルだな」
「1リル!」
下がった。
たった1リル。
でも、一瓶につき1リルだ。
十回買えば10リル。百回なら100リル。
「…………」
でかい。
「もうちょっと、安くなりません?」
「調子に乗るな」
「10リル」
「11リル」
「10リル」
「帰れ」
「11リルでお願いします」
引き際、大事。
◇ ◇ ◇
家へ戻ると、エレナを探した。
「母さん、空いてる容器ない?」
「また何するの?」
「油買う」
「油なら瓶で売ってるでしょ?」
「容器を持っていけば1リル安くしてくれるって」
エレナが少し驚いた顔をした。
「そんなことしてくれるの?」
「交渉した」
「あなた、本当に八歳?」
「最近それ多くない?」
しばらくして、エレナが空いている容器を一つ持ってきてくれた。
「これなら使っていいわよ。でも割らないでね」
「分かってる」
「これ、高かったんだから」
その一言で、持つ手に力が入る。
「いくら?」
「あなたの石鹸より高いわよ」
「怖いこと言わないで」
絶対に割らない。
1リル節約するために、それ以上の容器を割ったら笑えない。
◇ ◇ ◇
再び油屋へ戻った。
「持ってきた」
「本当に来たのか」
「11リル」
「はいはい」
持ってきた容器に油を入れてもらい、量を確認する。いつもの小瓶とほぼ同じだ。
俺は銅貨十一枚を渡した。
所持金は22リル。
「減ったな……」
でも、本来なら残りは21リルだった。
今は22リル。
つまり、1リル多く残っている。
「…………」
いいじゃん。
たった1リル。されど1リル。
そもそも俺は最初、この1リルを稼ぐために父さんの工房を掃除したのだ。
そう考えると、かなり大きい。
節約した1リルも、稼いだ1リルも、最後に残る金は同じなのだから。
「おじさん」
「今度はなんだ?」
「これからもここで買う」
「そりゃどうも」
「もっと買うようになったら、10リルにして」
「売れてから言え」
「覚えといて」
「はいはい」
今は11リル。
でも、いつかもっと買う。
そのときは、また交渉すればいい。
「なんか、楽しくなってきたな」
安く買えたのが嬉しい。
前世の俺なら、1リル程度の差なんて気にもしていなかったと思う。
……いや。
だから貯金427円だったのか。
◇ ◇ ◇
家へ戻り、さっそく石鹸を作る。
新しい型。天秤。記録用の木板。そして材料。
最初の頃と比べれば、ずいぶん道具も増えたし、手際もよくなった。
一回目は、たぷんたぷん。
二回目は、なんとか固まった。
あの頃とは全然違う。
「慣れたな」
今では五個をまとめて作る。
香りに使う材料は、ミラからもらった果実の皮。ここに金はかかっていない。
油も、今までより1リル安く買えた。
ほんの少し。
本当にほんの少しだけど、利益が増える。
「父さんの言ってた通りだな」
材料を少し安くする。
一度に作れる量を増やす。
失敗を減らす。
商品の価値を上げて、少し高く売る。
一つ一つは小さくても、それを何度も繰り返せば大きくなる。
それが利益になる。
◇ ◇ ◇
数日後。
新しく作った五個の石鹸を持って、パン屋へ向かった。
「ミラ」
「ちょうどよかった」
「え?」
店に入った瞬間に言われる。
「二個とも売れたわよ」
「本当!?」
「うん」
ミラから銅貨八枚を受け取る。
所持金、30リル。
「戻った……」
油を買ったのに、また30リルまで戻ってきた。
革袋の重さに、ちょっと感動する。
「それと、三個欲しいって」
「誰が?」
「一人じゃないわよ」
「え?」
「三人。一人一個ずつ」
「…………」
一個5リル。
三個なら15リル。
しかも、ちょうど今、俺の手元には五個ある。
「ある」
「もう?」
「五個持ってきた」
「じゃあ三個置いてく?」
「うん。残り二個も置いてく」
「全部?」
「売れそうなら」
「分かった」
五個全部が売れれば、ミラの分を引いて俺に入るのは20リル。
「…………」
いい。
回ってる。
油を買う。
作る。
売る。
金が戻ってくる。
その金で、また油を買う。
初めて、商売がぐるぐる回り始めた感じがする。
「これだ」
「何が?」
「商売してる感じ」
「今まで何してたの?」
「石鹸作ってた」
「それも商売でしょ」
そうなんだけど。
今までは、作って売って、喜んでいただけだった。
今は違う。
仕入れて、作って、売って、また仕入れる。
少しずつだけど、ちゃんと金も残る。
「レイン、嬉しそうね」
「うん」
「そんなにお金好き?」
「大好き」
「即答するのね」
仕方ない。
今世の目標は100万リル。
そして老後は、湖の近くでのんびりスローライフ。
そのための大事な金だ。
◇ ◇ ◇
帰り道。
俺は革袋を軽く握りながら考えていた。
最初は、一個売れただけで大喜びした。
今は五個。
次は十個。
その次は、もっと。
もし本当にそこまで売れるようになったら、一瓶ずつ油を買っている場合じゃない。
もっと大量に。
もっと安く。
「おじさん」
油屋の店主の顔が浮かぶ。
『売れてから言え』
「言ったな」
いいだろう。
売る。
もっと売って。
今度は本気で値段を下げてもらう。
そのためにも、まずは今ある注文をちゃんとこなす。
「……結局、やること増えてるな」
老後のスローライフを目指しているはずなのに。
八歳の俺は。
前世より忙しくなり始めていた。




