もう一つ、足りないもの
清めの石鹸。
一個4リル。
売れた。
「…………」
俺は革袋の中を見る。
9リル。
そして。
頭の中に浮かぶ。
市場で見た香油。
一番安い物。
9リル。
「…………」
買える。
ぴったり。
いや。
買わない。
まだ買わない。
俺は学習した。
金がある。
欲しい物がある。
値段がちょうど同じ。
だから買う。
それは。
前世の俺だ。
「今世の俺は違う」
まず考える。
本当に必要なのか。
買ったら、いくら儲かるのか。
それを考えてからだ。
「…………」
成長してるな。
八歳に転生してからの方が。
三十過ぎの頃より金について考えている。
◇ ◇ ◇
机の上に。
清めの石鹸を置く。
形。
前より綺麗。
名前。
ある。
洗浄力。
悪くない。
値段。
4リル。
「で」
手に取らず。
鼻を近づける。
「…………」
いい匂いではない。
何度嗅いでも。
いい匂いではない。
臭い。
というほどでもない。
ただ。
欲しくなる匂いではない。
「ここだよな」
母さんにも。
ミラにも言われた。
匂い。
これを改善すれば。
もっと商品として良くなる。
もしかしたら。
5リルでも。
6リルでも。
売れるかもしれない。
「でも香油が9リル」
一個売って4リルの商品に。
9リルの材料を追加する。
もちろん一個に全部使うわけじゃない。
何個分に使えるか分からないけど。
「……分からない物に全財産は怖いな」
正しい。
非常に正しい。
前世の俺なら。
買ってから考えていた。
今は。
買う前に考えている。
「よし」
香油を買わずに。
香りをつける方法を探す。
◇ ◇ ◇
「母さん」
「今度はなに?」
「いい匂いする物ない?」
エレナが俺を見る。
「急にどうしたの?」
「石鹸」
「ああ」
納得が早くなった。
最近。
俺が変なことを言うと。
大体石鹸。
そう思われている気がする。
「花とか」
「花?」
「いい匂いするやつ」
「庭にも少しあるけど」
「使っていい?」
「何に?」
「石鹸に入れてみる」
エレナが少し考える。
「変なことにならない?」
「分からない」
「…………」
「だから少しだけ」
最近。
俺も学んだ。
分からないことを。
できます。
大丈夫です。
と言わない。
試す。
失敗する。
直す。
それでいい。
「庭のならいいわよ」
「ありがとう」
「でも」
来た。
「肌に使うなら、いきなり誰かに売っちゃ駄目よ」
「分かってる」
「本当に?」
「ちゃんと試す」
「一人で?」
「…………」
父さんに怒られた記憶が蘇る。
「相談します」
「よろしい」
母。
強い。
◇ ◇ ◇
庭。
花を見る。
「…………」
名前。
分からない。
いや。
レインの記憶を探せば。
いくつかは分かる。
でも。
前世の植物とは違う。
見たことのない花もある。
「適当に入れるのは駄目だな」
香りがいい。
だから安全。
そんな保証はない。
口に入れられるもの。
普段から使われているもの。
そういう方が。
まだ安心できる。
「料理……」
台所へ戻る。
「母さん」
「今度は?」
「料理に使う、いい匂いの葉っぱとかない?」
「葉っぱ?」
「香草」
「ああ」
エレナが棚から。
いくつか出してくれた。
乾燥した葉。
小さな実。
それから。
見覚えのあるもの。
「これ」
手に取る。
黄色っぽい皮。
「何?」
「昨日使った果実の皮よ」
匂いを嗅ぐ。
「…………」
柑橘。
完全に同じではない。
でも。
前世でいう。
レモンとか。
オレンジとか。
そっち系。
「これだ」
「皮?」
「いい匂いする」
「するけど」
「捨てるやつ?」
「そうね」
「じゃあもらっていい?」
「いいわよ」
「無料?」
「お金取ってほしいの?」
「絶対嫌」
無料。
素晴らしい響き。
◇ ◇ ◇
とはいえ。
果実の皮を。
そのまま石鹸にぶち込む。
そんな勇気はない。
前世の俺は。
石鹸職人ではない。
柑橘の香りがする石鹸を見たことはある。
それだけ。
「どうやって香りつけてたんだ?」
知らない。
精油?
香料?
たぶん。
その辺。
「精油の作り方……」
知らない。
「ですよね」
現代知識。
相変わらず。
肝心なところで役に立たない。
でも。
試せる。
少量。
それが今の俺のやり方だ。
香りを移せないか。
乾かしたらどうなるか。
細かくしたらどうなるか。
いくつか。
安全そうな範囲で試す。
もちろん。
石鹸自体も少量。
失敗しても。
被害は小さい。
「…………」
こういうとき。
天秤。
本当に便利だな。
買ってよかった。
8リル。
元は取れている。
たぶん。
◇ ◇ ◇
数日後。
試作品。
三個。
一個目。
何もしていない。
いつもの石鹸。
二個目。
香草を使ったもの。
三個目。
果実の皮を使って試したもの。
「…………」
見た目。
そこまで変わらない。
問題は。
匂い。
一個目。
「いつもの」
二個目。
「…………微妙」
悪くない。
でも。
石鹸として欲しい香りかと言われると。
よく分からない。
三個目。
鼻を近づける。
「…………お?」
もう一度。
「おお」
弱い。
かなり弱い。
でも。
爽やかな香りがする。
「来たんじゃない?」
エレナを呼ぶ。
「母さん」
「できたの?」
「嗅いでみて」
「大丈夫?」
「嗅ぐだけ」
エレナが三個目に鼻を近づける。
「あら」
「どう?」
「いい匂い」
「でしょ?」
「前のより好き」
「…………」
来た。
「いくら?」
「また?」
「大事だから」
エレナが石鹸を見る。
形。
揃っている。
そして。
ほのかに爽やかな香り。
「5リルなら」
「…………」
上がった。
また。
1リル。
「買う?」
「家にたくさんあるからいらない」
「…………」
市場調査。
失敗。
でも。
5リル。
可能性はある。
しかも。
今回使った香りの材料。
「0リル」
捨てるはずだった果実の皮。
それで。
価値が上がった。
「これだよ」
俺が欲しかったのは。
こういうやつだ。
高い材料を買って。
高い商品を作る。
それだけじゃない。
捨てる物。
余っている物。
安い物。
それを使って。
価値を作る。
「…………」
商売って。
面白いかもしれない。
◇ ◇ ◇
翌日。
試作品を持って。
ミラのパン屋へ行く。
「また来た」
「客に言うことじゃないよ」
「今日は何?」
「新商品」
「また石鹸でしょ?」
「新しい清めの石鹸」
ミラに見せる。
「嗅いでみて」
「…………」
ミラが少し警戒しながら。
鼻を近づける。
「あ」
「どう?」
「前よりいい」
「でしょ?」
「これ、何の匂い?」
「果実の皮」
「へえ」
ミラがもう一度嗅ぐ。
「私はこっちの方が好き」
「じゃあ」
来た。
価格。
今まで。
4リル。
香りつき。
「5リル」
言った。
ミラが俺を見る。
「また上がった」
「良くなったから」
「最初3リルだったじゃない」
「進化してるから」
「石鹸が?」
「俺も」
「自分で言う?」
ミラが笑う。
そして。
もう一度石鹸を見る。
「5リルか……」
「…………」
高い?
まだ早かった?
4リル?
いや。
待て。
すぐ値下げするな。
前の俺は。
5リルと言って。
相手が迷った瞬間。
3リルに下げた。
今回は。
待つ。
「…………」
「…………」
長い。
体感。
一分。
実際。
数秒。
「じゃあ一個」
「!」
心の中で。
叫ぶ。
売れた。
「5リルね」
「うん」
銅貨を受け取る。
五枚。
現在の所持金。
14リル。
「…………」
増えた。
香油。
買わなかった。
9リル。
使わなかった。
それなのに。
香りのついた石鹸は作れた。
「俺」
「なに?」
「今日めちゃくちゃ偉くない?」
「知らないわよ」
でも。
本当に。
ちょっと嬉しかった。
金を使わずに。
工夫して。
商品の価値を上げた。
前世の俺なら。
とりあえず香油を買っていたと思う。
「成長してるな」
貯金。
14リル。
100万リルまでは。
まだ。
信じられないくらい遠い。
でも。
少なくとも。
9リル全部使って。
0リルにはならなかった。
それだけでも。
俺にとっては。
かなり大きな進歩だった。




