ただいま、リーネ
リーネの門をくぐった瞬間、肩の力が抜けた。
たった八日ほど離れていただけなのに、見慣れた通りも店も妙に懐かしい。エルダから戻ってくる途中にも何度か「帰ってきた」と思ったけど、町の中へ入ると実感が全然違った。
「ベルクさん」
「何だ?」
「俺、家帰ります」
「そりゃ帰れ」
「いや、一応ちゃんと挨拶を」
「分かってるよ」
ベルクさんが笑いながら馬車を止める。
俺は荷物を持って降りた。
「ありがとうございました」
「おう」
「結構楽しかったです」
「尻痛いって何回も言ってたけどな」
「それを除けば」
「次も来るか?」
「行きます」
「懲りてないな」
ベルクさんが笑う。
俺も笑って頭を下げた。
「じゃあ、また」
「ああ。家でちゃんと無事に帰ったって顔見せてこい」
「はい」
ベルクさんと別れ、家へ向かう。
見慣れた道。
何度も歩いた道なのに、今日は少しだけ足が速くなった。
◇ ◇ ◇
「ただいまー」
家の扉を開ける。
一瞬、静かだった。
次の瞬間、奥から足音がした。
「レイン!」
「うわっ」
母さんが勢いよく出てきた。
そのまま肩を掴まれる。
「ちゃんと帰ってきた!」
「帰ってくるって言ったじゃん」
「怪我は?」
「ない」
「具合悪くない?」
「大丈夫」
「ちゃんと食べてた?」
「食べてたよ」
「危ないことしなかった?」
「してない」
「ベルクさんに迷惑かけてない?」
「……たぶん」
「レイン?」
「大丈夫! たぶん!」
「なんでそこだけ自信ないのよ」
だって荷物を減らされたり、何度か勝手に動こうとして止められたりしたし。
迷惑を一切かけていないとは言い切れない。
「おいおい、帰ってきたばっかりだぞ」
奥から父さんが出てきた。
「おかえり、レイン」
「ただいま、父さん」
「どうだった?」
「尻が痛かった」
「最初にそれかよ!」
父さんが笑う。
でも本当なんだから仕方ない。
◇ ◇ ◇
荷物を置き、ようやく椅子に座る。
「……ああ」
「何?」
「家の椅子、最高」
「何言ってるの?」
母さんには笑われた。
でも八日間、馬車と宿の椅子ばかりだったんだ。
いつも座っていた椅子なのに、こんなに落ち着くとは思わなかった。
「それで、エルダはどうだった?」
父さんが向かいに座る。
「リーネよりちょっと大きかった。人も馬車も多くて、宿もいっぱいあってさ」
「宿に泊まれなかったりしなかった?」
「最初のところは満室だった」
「ほら!」
母さんがすぐ反応した。
「でもちゃんと別の宿見つけたよ。五軒目で」
「五軒目?」
「その日は商隊が来てて混んでたんだって」
「寝る場所はちゃんとあったのね?」
「ありました」
母さんはようやく安心したように息を吐いた。
そこから、少しずつ旅の話をした。
ラドで泊まったこと。
途中で壊れた馬車を手伝ったこと。
エルダで石鹸を置いてもらったこと。
ベルクさんの仕入れを見たこと。
知らない店を回ったこと。
「待て」
父さんが途中で止めた。
「馬車壊れたのか?」
「俺たちのじゃないよ」
「先に言え!」
「ちゃんと説明しようとしてたじゃん!」
母さんまで心配そうな顔になっている。
話す順番を間違えたらしい。
◇ ◇ ◇
「あ、そうだ」
話している途中で、土産を思い出した。
「これ」
鞄から包みを取り出す。
「何?」
「エルダで買った。父さんと母さんに」
二人が一瞬黙った。
「……土産?」
「うん。そんな高い物じゃないけど」
包みを開く。
固く焼いた小さな菓子。
エルダでは旅人もよく買うらしい。
「食べようよ」
「レインが買ってきてくれたの?」
「そうだけど」
「へえ」
母さんが嬉しそうに笑う。
父さんはもう一個取っていた。
「父さん早い」
「いいだろ。俺への土産でもあるんだから」
「まだ俺食べてないんだけど」
「お前、自分の分も計算して買っただろ?」
「……なんで分かったの?」
「お前の父親だからな」
強い。
反論できない。
俺も一個取って食べる。
「うん。やっぱりうまい」
「初めて食べたんじゃないの?」
母さんが首を傾げる。
「あ」
そうだった。
買ったときは試食していない。
「やっぱりじゃない。普通にうまい」
「怪しいなあ」
「細かいことはいいじゃん」
三人で笑う。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
自分の寝台へ横になった。
「……落ち着く」
宿の寝台が悪かったわけじゃない。
でも、やっぱり自分の部屋は違う。
エルダは面白かった。
知らない物があった。
知らない人がいた。
もっと遠くにも行ってみたいと思った。
王都だって、いつか見てみたい。
でも、外へ出たからこそ分かったこともある。
帰ってくる場所があるのは、かなりいい。
鞄を見る。
小さな馬車の飾りがぶら下がっている。
「……また行きたいな」
今度はどこだろう。
エルダにもう一度行くのもいい。
もっと遠くへ行くのも面白そうだ。
でも明日は、とりあえずトーマだ。
土産も渡さないといけないし、宿の話も頼まれている。
それからハンスさん。
セラさん。
ダリオさん。
「……帰ってきても忙しいじゃん」
思わず笑った。
初めての旅は終わった。
そして俺は、ちゃんとリーネへ帰ってきた。




