住んでても、知らないことはある
翌朝。
「起きろ」
「……起きてます」
「目閉じてるぞ」
「起きながら閉じてるだけです」
「じゃあ置いてくぞ」
「起きます」
寝台から体を起こす。
昨日あれだけ歩いたせいか、今度は足が重い。馬車で尻と腰を痛めたと思ったら、町に着いたら足まで追加された。
旅って、思っていたより全身を使うらしい。
「王都は?」
「何が?」
「寝坊しなかったら考えてくれるって」
「まだ宿から出てもいないだろ」
「覚えてますからね」
「朝から元気だな」
眠いけど、そこは忘れない。
◇ ◇ ◇
朝食を済ませると、すぐに宿を出た。
今日は昨日より少しだけ人が少ない。とはいえリーネの朝よりは馬車も旅人も多く、通り沿いではすでに店を開け始めている人たちがいた。
「今日は何軒?」
「午前中に三軒。増えるかもしれん」
「増える?」
「話してる途中で寄る場所ができることもある」
「予定通りにはいかないんですね」
「旅して商売してると、そんなもんだ」
一軒目は、昨日仕入れた店とは別の食料品店だった。
ベルクさんが店主と話している間、俺は馬車から袋を二つ運ぶ。
「これ、どこ置けばいいです?」
「そこの台でいいぞ」
「はい」
一つ目を置いて、もう一つ。
そこまで重くはないけど、地味に腕へくる。
「見てるだけじゃなかったんですか?」
「昨日はな」
「今日は?」
「働け」
「聞いてない」
「今言った」
ベルクさんが普通に次の荷物を指す。
まあ、連れてきてもらってる身だ。
これくらいはやろう。
◇ ◇ ◇
二軒目では、持ってきた商品の受け渡しだけで終わった。
三軒目は少し大きな店で、食料品だけでなく旅用品や日用品も扱っていた。
「ベルク、こっちは?」
「今回は持ってきてない。リーネじゃ値段が合わなかった」
「そうか」
店主とベルクさんが話している間、俺は店先の商品を眺める。
昨日の店とはまた違う物が並んでいた。
欲しいわけじゃない。
見ているだけだ。
昨日ちゃんと一個買ったから、今日は大丈夫。
「その子、昨日も連れてたな」
急に声をかけられ、顔を上げる。
「レインだ。リーネから連れてきた」
「商売を教えてるのか?」
「勝手についてきただけだ」
「言い方」
間違ってはいないけど。
店主が笑って、棚から小さな袋を取り出した。
「じゃあちょうどいい。リーネじゃ、これは売ってるか?」
「え?」
袋の中を見せてもらう。
乾燥させた細い葉のような物が入っていた。
「何ですか、これ?」
「煮込みに使う香草だ。西じゃそこそこ使う」
「見たこと……ないと思います」
「なら、持っていけば売れるか?」
急に聞かれて、言葉が止まった。
「えーっと……」
知らない物。
リーネではあまり売っていない。
なら持っていけば売れる。
――とは限らない。
昨日から散々それを見てきた。
「分からないです」
素直に答えた。
◇ ◇ ◇
「リーネに住んでるんだろ?」
「住んでます。でも、これを欲しい人がいるかまでは分からないです」
「料理には使わないのか?」
「うちでは見たことないです。でも、他の家は分からないし、食堂とか宿で使ってるかもしれないし……」
考え始めると、何も断言できない。
リーネで十三年暮らしている。
でも、町中の家の料理を知っているわけじゃない。
全部の店の商品を覚えているわけでもない。
「ハンスさんなら知ってるかな」
「誰だ?」
「リーネの雑貨屋です。いろんな商品扱ってるから」
店主がベルクさんを見る。
「そのハンスって、前に話してたやつか?」
「ああ」
「じゃあ今度聞いといてくれ」
「覚えてたらな」
「覚えとけよ」
ベルクさんが笑う。
俺ももう一度、袋の中を見る。
「少しだけ持っていくのは?」
「お前が買うのか?」
「いや、ベルクさんが」
「勝手に俺の金を使うな」
「昨日ベルクさんも少量なら試せるって言ってたじゃないですか」
「だからって何でも試してたら馬車が埋まる」
「ああ……」
それもそうだった。
試すにも限界がある。
◇ ◇ ◇
店を出てからも、さっきの香草が少し気になっていた。
「俺、リーネのこと全然知らないかも」
「急にどうした」
「だって、あれが売れるか聞かれて何も分からなかったし」
「普通だろ」
「十三年住んでるのに?」
「十三年住めば、町の全員が何食ってるか分かるのか?」
「分かんないですね」
「俺だって長いこと行商してるが、全部の町のことなんて知らん」
ベルクさんは歩きながら、次に寄る店の方へ目を向ける。
「だから知ってるやつに聞くんだよ。食い物なら食い物を扱ってるやつ、布なら布を扱ってるやつにな」
「何でも自分で知ってなくていい?」
「全部覚える前に爺さんになるぞ」
それは嫌だ。
俺は一度死んでるんだから、今度はもっと別のことに時間を使いたい。
「じゃあ、ハンスさんに聞けばいいか」
「帰ったらな」
「忘れそう」
「お前、昨日からそればっかりだな」
本当に何か書くものを持ってくればよかった。
◇ ◇ ◇
そのあとも二軒ほど店を回った。
最初は三軒と言っていたのに、結局五軒。
途中で「あいつにも聞いておくか」とベルクさんが予定を変えたせいだ。
俺は荷物を運び、店の人に挨拶し、ときどき横で話を聞いた。
昨日まではベルクさんについて歩いていただけだった。
今日は少しだけ仕事を手伝っている。
宿へ戻るころには腕も足も疲れていたけど、不思議と嫌ではなかった。
「ベルクさん」
「何だ?」
「行商人って、商品より知り合いの方が多くないです?」
「何だその数え方」
「だって昨日から、どこ行っても知り合いじゃないですか」
「長く続けてりゃ増える」
「俺、エルダの知り合い一人できましたよ」
「誰だ?」
「石鹸の店の人」
「向こうがお前を知り合いだと思ってるかは知らんぞ」
「……次行ったとき確認します」
「やめとけ」
笑われた。
でも、リーネの外に知っている人ができたのは初めてだ。
町のことは、まだ全然知らない。
それでも昨日よりは、ほんの少しだけエルダが知らない場所じゃなくなった気がした。




