知らない町は、まだまだある
宿へ戻るころには、外もだいぶ暗くなっていた。
エルダに着いたのは昼過ぎだったはずなのに、そこから宿探し、町歩き、石鹸の店、ベルクさんの仕入れ、それから俺の買い物。初めて見るものが多すぎて、三日間馬車に揺られていたことを忘れるくらい歩き回っていた。
「疲れた……」
「今日はよく歩いたからな」
「馬車から降りたら楽になると思ってたのに」
「明日は歩くぞ」
「先に言わないでください」
今夜くらいは、明日のことを考えずに休みたい。
宿の一階へ入ると、昼間よりずっと賑やかになっていた。
◇ ◇ ◇
食堂の席は、半分以上埋まっていた。
俺たちと同じような旅人もいれば、商人らしい人もいる。数人で酒を飲んでいる一団もいて、あちこちから話し声が聞こえてきた。
「やっぱり人多いですね」
「商隊が来てるって話だったからな」
「全員その人たち?」
「そんなわけないだろ」
空いている席を見つけ、ベルクさんと向かい合って座る。
今日の夕飯は肉と豆を煮込んだものに、パン。それから少しの野菜だった。
ラドの宿と似ているけど、こっちのほうが味が濃い。
「これ、うまい」
「そうか?」
「ラドより好きです」
「宿によって味なんて違う」
「トーマに教えないと」
「また宿屋の友達か」
「飯も見てこいって言われてますから」
そう言いながら、頭の中で覚えておく。
部屋は二人部屋。
今日は混んでいて、宿代は少し高め。
馬車を置ける場所はある。
荷物は部屋まで持ってきた。
夕飯はパンと煮込みと野菜。
「……紙欲しいな」
「何で?」
「忘れそう」
「今さらか」
言われてみれば、出発前に気づくべきだった。
旅の記録をするなら、書くものくらい持ってくればよかった。
「帰るまで覚えとけ」
「十日くらいになったら無理かも」
「まだ三日目だぞ」
そうだった。
体感では一週間くらい旅している。
◇ ◇ ◇
食べながら周囲を見ていると、近くの席から知らない町の名前が聞こえてきた。
聞き耳を立てるつもりはなかった。
声が大きいだけだ。
「――だから、次はセインを通る。あっちならまだ買えるだろ」
「今行っても遅いんじゃないか?」
「西よりはマシだ」
二人の男が酒を飲みながら話している。
「ベルクさん」
「何だ?」
「セインってどこです?」
「ここから北西。俺も何度か行ったことがある」
「遠い?」
「エルダからなら何日かかかる」
何日か。
リーネからエルダまででも三日だった。
その先に、さらに何日も進んだ場所がある。
「結構遠いな」
「もっと遠い町なんていくらでもあるぞ」
「ベルクさん、どこまで行ったことあるんです?」
「王都にも行ったことあるって前に言っただろ」
「あ、そうだった」
そういえば聞いた。
でも、そのときはただの地名として聞いていた気がする。
今は違う。
三日かけてリーネからエルダまで来た。
だから、そのさらに先へ行くということが少しだけ想像できる。
「王都って、ここからどれくらい?」
「今すぐ行く気か?」
「聞いただけです」
「道と季節にもよるが、気軽に行って帰ってこられる距離じゃない」
「へえ……」
ますます見てみたくなる。
◇ ◇ ◇
別の席では、商人らしい三人組が荷物の話をしていた。
さらに奥では、旅人がどこかの道が悪かったと話している。
俺には分からない地名が何度も出てくる。
セイン。
ローデル。
名前すら聞いたことのない村。
全部、この町の外にある。
「なんか変な感じですね」
「何が?」
「リーネにいたときも、町の外にいろんな場所があるって知ってたんですよ」
「そりゃそうだろ」
「でも、知ってただけだったんだなって」
エルダへ来て初めて分かった。
リーネの市場に並んでいた外からの商品。
ハンスさんが仕入れていた物。
ベルクさんが持ってきていた荷物。
全部、どこかの町や村から来ていた。
そこには当然、人が住んでいる。
店があって、宿があって、商売がある。
「まだ三日しか離れてないぞ」
「分かってます」
「その顔で?」
「どんな顔ですか」
「もっと先に行きたそうな顔」
バレていた。
「……ちょっとだけ」
「まずエルダから帰れ」
「はい」
母さんに聞かれたら同じことを言われそうだ。
◇ ◇ ◇
夕飯を食べ終え、部屋へ戻る。
寝台に腰を下ろすと、一気に疲れが戻ってきた。
「明日は何するんですか?」
「午前中に何軒か回る。午後は今のところ決めてない」
「石鹸の店は?」
「今日行っただろ」
「売れたか見に行くとか」
「半日で確認してどうする」
「一個くらい売れてるかも」
「毎日見に行ったら店主に嫌われるぞ」
それは困る。
大人しく待とう。
鞄を置くと、今日買った小さな馬車の飾りが揺れた。
エルダに来ただけでも、俺にとってはかなり遠くまで来た気がしていた。
でも、この町の食堂では、その先の町の話が普通にされている。
さらに先には王都もある。
まだ名前すら知らない町だって、たくさんあるんだろう。
「ベルクさん」
「今度は何だ?」
「いつか王都にも連れてってください」
「まず明日の朝、寝坊しなかったら考えてやる」
「条件軽くない?」
「考えるだけだからな」
「ずるいなあ」
ベルクさんが笑う。
俺も寝台へ横になった。
リーネの外を見てみたい。
そう思って始まった旅だった。
どうやら外へ出たせいで、見てみたい場所は減るどころか増えてしまったらしい。




