ここが、エルダか
三日目の昼を過ぎたころ。
「もうすぐだぞ」
ベルクさんのその一言で、眠気が一気に飛んだ。
「見える?」
「まだだ。もう少し先」
「もう少しってどれくらい?」
「一時間もかからん」
「長いな」
「三日乗ってきて、今さら一時間を長いと言うのか」
「着くって聞いたあとの一時間は長いんですよ」
昨日の俺なら、一時間と聞いただけで尻を押さえていた。
今も痛くないわけじゃない。でも初日よりはだいぶマシだ。座り方を変えたり、休憩のたびに体を動かしたり、少しずつコツも分かってきた。
三日で人間は成長する。
主に馬車への耐性が。
「前より道が広くなってません?」
「ああ。エルダへ出入りする馬車が多いからな」
言われてみれば、朝からすれ違う人も増えている。
荷物を積んだ馬車。
数人で歩いている旅人。
剣を腰に下げた人もいれば、籠を背負った人もいる。
リーネを出た初日は、誰かとすれ違うたびに目で追っていた。でも三日目になると、さすがに全部を見ることはなくなった。
「慣れたな」
「何が?」
「初日は馬車一台来るだけで見てただろ」
「……見てました?」
「見てた」
自覚はなかった。
ベルクさん、意外と見てるな。
◇ ◇ ◇
それからしばらく進むと、街道の先に建物が見え始めた。
最初は数軒。
さらに進むと、その向こうにも屋根が並んでいる。
「あれ?」
「あれだ」
ベルクさんが前を指す。
「エルダ」
俺は思わず御者台から身を乗り出した。
「落ちるぞ」
「落ちません」
「座れ」
「はい」
大人しく座り直す。
でも目は前から離せなかった。
近づくにつれて、町の姿がはっきりしてくる。
リーネと同じように町を囲う壁があり、街道の先には大きな門が開いている。ただ、門の前にいる人と馬車の数はリーネより多い。
「結構いる」
「今日は特にな」
「商隊?」
「たぶんそれもある」
昨日聞いた話では、西から商隊が入っているらしい。
門の前には荷を積んだ馬車が何台も並び、歩いて入る人もいる。
「もっと小さいと思ってた」
「リーネより少し大きいって言っただろ」
「聞くのと見るのは違いますね」
「だから来たんじゃないのか?」
「そうでした」
まさにそれだ。
話だけなら、何度も聞いた。
でも今は、その町が目の前にある。
◇ ◇ ◇
門に着くと、すぐには中へ入れなかった。
前に馬車が三台並んでいる。
「待つんですか?」
「見れば分かるだろ」
「リーネだとこんなに並んでなかったから」
「普段はここまでじゃない。今日は人が多い」
門の近くでは、荷物を確認されている商人もいる。
ベルクさんは特に焦る様子もなく、自分たちの順番を待っていた。
「石鹸って聞かれたら何て言うんです?」
「石鹸って言う」
「知らなかったら?」
「洗うための商品だって説明する」
「それだけ?」
「それ以上何を言うんだ?」
「製法とか」
「門で教えてどうする」
それもそうだ。
余計なことは言わない。
ハンスさんにも何度か教えられた気がする。
しばらくして俺たちの番になった。
「どこから?」
「リーネ」
「商売か?」
「ああ。雑貨と乾物、それから細かい物をいくつか」
ベルクさんが慣れた様子で答える。
荷物を簡単に確認され、いくつか質問されたあと、ようやく通された。
馬車が門を抜ける。
そして――。
「……おお」
リーネを出たときと、ほとんど同じ声が出た。
◇ ◇ ◇
まず目に入ったのは、人の多さだった。
道幅は広い。
それでも馬車と人が行き交っているせいで、リーネの市場周辺より騒がしく感じる。
通り沿いには店が並び、その間に宿らしい建物もいくつか見えた。食べ物を売る店、道具を並べる店、布を扱っている店。
見たことのある物も多い。
でも、並び方や店の雰囲気が少し違う。
「あっち何の店ですか?」
「知らん」
「ベルクさんでも知らないんだ」
「俺はエルダの全店舗を覚えてるわけじゃないぞ」
「あとで見に行っていい?」
「宿を取ってからだ」
「はい」
そうだった。
まず今日寝る場所を確保しないといけない。
「いつも泊まるところあるんですよね?」
「ある。ただ、空いてればな」
その言い方が少し気になった。
◇ ◇ ◇
「満室?」
「ああ。悪いな、ベルク」
最初に入った宿で、いきなり断られた。
「商隊が来てるせいか?」
「それもある。昨日から一気に埋まった」
「一部屋も?」
「ない」
宿を出る。
「……どうするんです?」
「次」
「焦らないんですね」
「焦ったら部屋が空くのか?」
「空かないです」
「じゃあ探すぞ」
正論だった。
二軒目。
「一部屋ならあるよ」
「二人なんだ」
「なら無理だね」
三軒目。
「今日はいっぱいだ」
四軒目。
「空いてるけど、馬車を置く場所がない」
思ったより大変だ。
「ベルクさん」
「何だ?」
「最悪、同じ部屋でも俺はいいですよ」
「俺も別に構わん。ただ、部屋自体がない」
「ですよね」
問題はそこだった。
◇ ◇ ◇
五軒目で、ようやく空きが見つかった。
「二人なら一部屋でいいか?」
宿の主人に聞かれる。
ベルクさんが俺を見る。
「どうする?」
「取ろう」
即答した。
「もう探したくないです」
「俺もだ」
少し狭い部屋だったけど、寝台は二つある。
馬車を置く場所も確保できた。
十分だ。
「宿代、思ったより高い……」
値段を聞いて、つい呟いた。
「今日は人が多いからな」
「混んでると上がるの?」
「宿による」
なるほど。
需要と供給。
前世でも同じだった。
「トーマに教えよう」
「誰だ?」
「宿屋の友達。向こうの宿を見てこいって言われてるんです」
「それで宿代を覚えてたのか」
「飯と荷物の扱いも」
「遊びに来た割に忙しいな」
「俺も今そう思いました」
荷物を部屋へ置く。
窓から外を見ると、さっき通ってきた道が見えた。
知らない人。
知らない店。
知らない町。
三日かけて、ようやく着いた。
「ベルクさん」
「何だ?」
「ちょっとだけ外見てきてもいい?」
「一人で?」
「……駄目でしたね」
「忘れるの早すぎるだろ」
父さんと母さんとの約束。
知らない場所で勝手に動かない。
到着して一時間も経っていないのに破るところだった。
「荷物を片づけたら俺も出る。ついてくるなら来い」
「行きます」
「即答だな」
当たり前だ。
ここがエルダ。
初めて来た、リーネ以外の町。
見たいものなら、いくらでもあった。




