旅の宿って、こんな感じ?
夕方。
「見えてきたぞ」
ベルクさんに言われて顔を上げると、街道の先に家が集まっているのが見えた。
「今日泊まるところ?」
「ああ。村の名前はラド。小さいが、街道沿いだから宿はある」
あと一時間と言われてから、本当に一時間近く揺られた。
途中から景色を見る余裕もなくなっていた俺にとって、村の姿はかなりありがたい。
「やっと降りられる……」
「エルダまで歩くか?」
「馬車でお願いします」
「だろ?」
悔しいけど、馬車の方がいい。
痛いだけで、歩くよりずっと早い。
◇ ◇ ◇
ラドは、リーネとは比べものにならないくらい小さな村だった。
周囲に壁はなく、街道沿いに家や店が並び、その外には畑が広がっている。歩いている人も少なく、馬車が入っても振り返る人はほとんどいない。
旅人が通るのは珍しくないらしい。
「店、少ないですね」
「村だからな」
「リーネの市場に慣れてると、かなり違う」
「ここじゃ必要な物が買えれば十分だ」
ベルクさんは迷うことなく、一軒の建物へ馬車を寄せた。
一階が食堂で、横には馬を繋ぐ場所がある。二階にはいくつか窓が並んでいた。
見た瞬間、トーマの家を思い出す。
「宿?」
「ああ。前にも泊まったことがある」
馬車を止めると、中から年配の男が出てきた。
「お、ベルクじゃないか」
「久しぶりだな」
「エルダか?」
「分かるか?」
「西へ向かって来たんだから、だいたいな」
二人が笑う。
ベルクさん、本当にいろんなところに知り合いがいるな。
◇ ◇ ◇
宿へ入る前に、まず馬と荷物をどうするか決める。
馬は宿の裏にある小さな厩へ。馬車はその横へ置き、荷物は全部降ろさず、必要な物だけ持っていく。
「盗まれないんですか?」
「絶対とは言わん。だから金や高い物は置いていかない」
「石鹸は?」
「持っていく」
「五個ですよ?」
「五個でも俺が買った商品だ」
そうだった。
もう俺の物じゃない。
ベルクさんは石鹸と金、それから必要な荷物を持つ。改良したカバンも一日使ったまま背負っていた。
「肩どうです?」
「今聞くのか?」
「気になって」
「前よりはいい気がする。ただ、一日で決めるな」
「はい」
ダリオさんにも、何日か使った感想を持ち帰ろう。
俺も自分の荷物を持って宿へ入った。
◇ ◇ ◇
「二人で一部屋?」
宿の主人が聞く。
「空いてるなら別で」
「空いてるよ」
ベルクさんが二部屋頼む。
俺は横で値段を聞いて、頭の中に覚えておいた。
「何だ?」
ベルクさんが俺を見る。
「いや、宿代を」
「払うのはお前だぞ」
「え?」
「自分の分はな」
「聞いてない」
「今聞いたな」
嘘だろ。
いや、考えてみれば当然か。
俺の旅行代までベルクさんが出す理由はない。
「食事も?」
「自分で食う分は自分で払え」
「…………」
「帰るか?」
「泊まります」
予備の金を持ってきてよかった。
これも必要な出費だ。
必要な出費。
……旅って金かかるな。
◇ ◇ ◇
部屋はかなり簡素だった。
寝台が一つと、小さな台。それから荷物を置ける程度の空間があるだけで、トーマの家の宿より狭い。
でも、汚いわけではない。
寝具もちゃんと整えられている。
「なるほど」
俺は部屋を一周した。
トーマに、他の宿を見てきてと言われていた。
部屋の値段。
食事。
荷物をどうしているか。
全部覚えて帰らないといけない。
……なんで俺が宿の調査員みたいになってるんだろう。
まあ、面白いからいいけど。
◇ ◇ ◇
夕食は一階の食堂だった。
パンと煮込み料理、それに野菜。
味は悪くない。
「リーネとそんなに変わらないですね」
「何を期待してたんだ?」
「もっと知らない料理が出てくるかと」
「一日西へ来ただけだぞ」
「それもそうか」
隣の卓には、俺たちと同じような旅人が二人いる。
奥には村の人らしい男たちが酒を飲んでいた。
ベルクさんは食事をしながら、宿の主人と話し始める。
「明日の西の道は?」
「問題ないよ。昨日エルダ側から荷車が二台来た」
「雨は?」
「こっちは降ってない。向こうも大丈夫らしい」
「エルダは何か変わったことあるか?」
「さあな。最近は人が多いって聞いたが」
「何かあるのか?」
「そこまでは知らん」
ベルクさんはそれ以上無理に聞かなかった。
分からないことは、分からないまま。
昨日の塩の話と同じだ。
「レイン」
「はい?」
「食わないならもらうぞ」
「食べます」
話を聞くのに夢中で、手が止まっていた。
◇ ◇ ◇
食事のあと、少しだけ村を歩いた。
店はもう閉まり始めていて、見られたのは数軒だけだった。日用品を置いている小さな店と、食べ物を売っている店。それから旅人向けなのか、馬や馬車に使う物を扱っているところもある。
リーネなら市場を歩けば大抵の物が見つかる。
ここでは、そもそも選べるほど店がない。
だからといって、不便そうに暮らしているわけでもない。
必要な物が違うんだろう。
宿へ戻るころには、空はすっかり暗くなっていた。
「明日は早いぞ」
「何時?」
「日の出前には起きる」
「早くない?」
「昼まで寝たいなら、エルダに着くのが一日遅くなるな」
「起きます」
部屋へ戻り、寝台に横になる。
「……あ」
腰が重い。
尻もまだ痛い。
ベルクさんが朝になれば分かると言っていたけど、もう分かる気がする。
明日起きたら、これがもっと痛くなってるのか?
初めての旅。
今のところ楽しい。
ただし、体以外は。




