馬車って、こんなに疲れるの?
リーネを出て一時間ほど。
最初のうちは、全部が新鮮だった。
街道の両側に広がる畑。少し離れたところで働いている人たち。反対方向から来る荷馬車や、荷物を背負って歩く旅人。遠くに見える林や丘まで、町の中では見られなかった景色ばかりだ。
「ベルクさん、あっちの道は?」
「北西の村へ続いてる」
「あの荷車は?」
「知らん」
「どこから来たんですかね」
「聞いてこい」
「走って?」
「追いつけたらな」
無理に決まっている。
そんな調子で景色を眺めていたんだけど――。
さらに一時間ほど経ったころ。
「……ベルクさん」
「何だ?」
「馬車って、こんなに揺れるんですか?」
「今さら気づいたか」
「最初から揺れてたけど、だんだん気になってきた」
町の中の道と違って、街道は平らじゃない。
車輪が窪みに入るたびに体が跳ねる。小さな石を踏んでも振動が伝わってきて、さっきから尻と腰が地味に痛い。
前世の車とは比べものにならない。
座っているだけなら楽だと思っていた自分を殴りたい。
「まだ午前中だぞ」
「聞きたくなかった」
「エルダまで三日ある」
「もっと聞きたくなかった」
ベルクさんが楽しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
昼前になると、ベルクさんが街道脇の広い場所で馬車を止めた。
「休憩するぞ」
「助かった……」
「爺さんみたいだな」
「尻に年齢は関係ないです」
馬車を降りて体を伸ばす。
歩ける。
地面が揺れていない。
それだけでちょっと嬉しい。
ベルクさんは馬の様子を確認し、水を飲ませてから荷台へ回った。
「俺も何かやります?」
「じゃあ、そっちの袋を取ってくれ」
「これ?」
「ああ」
渡されたのは昼飯だった。
硬めのパンと干し肉。それから母さんが持たせてくれた物も少し食べる。
豪華ではないけど、外で食べると妙に美味い。
「旅って、毎日こんな感じですか?」
「こんな感じって?」
「朝から馬車に乗って、昼に休んで、また進む」
「大体はな。ただ、道や荷物によって変わる。途中で商売することもあるし、馬の調子が悪けりゃ止まる」
「予定通りにいかないんですね」
「予定通りにいく方が楽だけどな」
ベルクさんが干し肉を噛みながら笑う。
「だから余裕を持って動く。食い物も金も、日数ぴったりじゃ困る」
なるほど。
荷物を減らせと言われたから、必要最低限だけ持てばいいのかと思っていた。でも少なすぎても駄目らしい。
必要な余裕と、ただの余計な荷物。
その違いを知るのが難しい。
◇ ◇ ◇
午後。
また馬車に揺られていると、前から一台の荷車がやってきた。
「おーい、ベルク!」
向こうの男が手を上げる。
「おう」
ベルクさんも馬車を止めた。
知り合いらしい。
「どこ行く?」
「エルダだ。そっちは?」
「リーネ。東から布を持ってきた」
「向こうはどうだった?」
「南の道が少し荒れてる。雨が続いたらしい」
「こっちは?」
「西は今のところ問題ない。ただ、二つ先の村で塩が少ないって話を聞いた」
「本当か?」
「昨日の話だ」
二人の会話を、俺は隣で聞いていた。
何の話をしてるんだろうと思ったけど、すぐに分かった。
道と商品。
ベルクさんは荷物を売っているわけでもないのに、普通に商売の情報を集めている。
「そっちの子は?」
「リーネから連れてきた」
「弟子か?」
「違います」
思わず口を挟んだ。
男が笑う。
「元気だな。じゃあ気をつけてな」
「ああ。そっちも」
二台の馬車が別れる。
しばらく進んでから、俺はベルクさんを見た。
「今の人、よく会うんですか?」
「たまにな」
「塩が少ないって話、どうするんです?」
「今すぐどうもしない」
「買って持っていかないの?」
「何でだ?」
「売れるかもしれないから」
「かもしれない、だけで荷を増やすのか?」
「あ」
そうか。
昨日の情報が今日も正しいとは限らない。それに、その村へ着くころには別の商人が塩を持ってきているかもしれない。
「覚えてはおく。ただ、それだけだ」
「なるほど」
「情報一つ聞くたびに荷物を買ってたら、馬車がいくつあっても足りん」
確かに。
俺ならちょっとやりそうなのが怖い。
◇ ◇ ◇
夕方が近づくにつれ、街道を歩く人の数が少なくなってきた。
俺の元気も同じように減っている。
「……あとどれくらい?」
「一時間くらいだな」
「一時間」
「嫌そうな顔するな」
「朝の俺なら、一時間くらい余裕って言ってた」
「今は?」
「長い」
尻が痛い。
腰も重い。
ずっと座っているのに疲れるというのが納得できない。
でも、外へ出て分かったことも多かった。
旅人同士で道の状態を教え合うこと。
商品の不足なんかも、こうやって町から町へ伝わっていくこと。
ベルクさんがただ荷物を運んで売っているだけじゃないこと。
聞くだけだったら、たぶんここまで実感できなかった。
「ベルクさん」
「何だ?」
「来てよかったです」
「まだ一日目だぞ」
「それでも」
「じゃあ明日の朝にも同じこと言えたら大したもんだ」
「なんで?」
「起きたら分かる」
また嫌な笑い方をした。
何だよ。
今度は何があるんだ。
その答えは、たぶん明日の俺の尻と腰が教えてくれる。




