初めて、町の外へ
出発の日。
いつもよりずっと早く目が覚めた。
窓の外はまだ薄暗く、町も静かだった。二度寝できそうな時間なのに、目を閉じてもまったく眠れそうにない。
遠足の前みたいだ。
……十三歳なら、別に間違ってないか。
「起きてる?」
「うん」
母さんの声がして、俺は荷物を持って部屋を出た。
◇ ◇ ◇
「忘れ物ない?」
「昨日確認した」
「お金は?」
「ある」
「薬は?」
「ある」
「外套は?」
「あるって」
朝食を食べながら、母さんの確認が続く。
昨日も同じことを聞かれた気がする。でも今日は本当に出発する日だから、母さんも落ち着かないんだろう。
「エレナ、その辺にしとけ」
「だって心配でしょう?」
「聞きすぎて、逆に何を確認したか分からなくなるぞ」
「父さん、もっと言って」
「ただしベルクの言うことは聞けよ」
「そっちも昨日聞いた」
結局、二人とも同じだった。
朝食を終えると、父さんが俺の荷物を持ち上げる。
「これなら大丈夫そうだな」
「ベルクさんに減らされたからね」
「旅慣れてるやつの言うことは聞いとけ。持っていける量と、持って歩ける量は違うからな」
「うん」
母さんから保存の利く食べ物を少し渡されたけど、それもベルクさんと相談して食べるように言われた。
荷物がまた増えた。
ベルクさんに怒られないだろうか。
◇ ◇ ◇
家を出るころには、空もだいぶ明るくなっていた。
父さんと母さんも一緒に南門まで来る。
朝のリーネは、普段見る昼の町とは少し違った。店の扉はまだ閉まっているところが多く、代わりに荷車や商人の姿が目立つ。
南門に近づくにつれて、町の外へ向かう人も増えていった。
「あ」
門の近くに、見覚えのある馬車が止まっている。
「おう、来たな」
ベルクさんだ。
昨日見た改良版のカバンも、すでに荷物と一緒に積まれている。
「遅くない?」
「まだ時間前だ」
「一応確認です」
「その言い方、便利だな」
最近よく使っている気がする。
ベルクさんは俺の荷物を軽く確認してから、父さんと母さんの方を向いた。
「預かるよ」
「ああ。よろしく頼む」
「無茶をさせるつもりはない」
「本人が無茶しようとしたら止めてくれ」
「父さん」
「大事だろ」
否定できないのが悔しい。
母さんは俺の服を少し直してから、顔を見る。
「ちゃんと食べるのよ」
「うん」
「体調が悪かったらすぐ言う」
「うん」
「知らないところに一人で行かない」
「分かってる」
「それから――」
「エレナ」
父さんが笑う。
「帰ってくるぞ」
「……そうね」
母さんも少し笑った。
「行ってらっしゃい、レイン」
「行ってきます」
父さんとも軽く拳を合わせる。
「しっかり見てこい」
「何を?」
「知らん。お前が見たいもんだ」
「適当だなあ」
「帰ってきたら聞いてやる」
それなら、話すことは山ほどできそうだ。
◇ ◇ ◇
「じゃあ行くぞ」
ベルクさんが御者台へ上がる。
俺もその横に乗った。
馬車がゆっくり動き始める。
南門へ近づくと、門番がベルクさんに声をかけた。
「また出るのか」
「ああ。今度はエルダだ」
「そっちは?」
「連れだ」
門番が俺を見る。
「息子には見えんな」
「こんなでかい息子がいたら俺も驚く」
「十三歳だよ」
「ほらな」
何が「ほらな」なのか分からない。
簡単な確認を終え、馬車は再び動き出した。
門の下を通る。
頭上を見上げると、いつも町の中から見ていた石造りの門が、今日は逆方向へ流れていった。
そして。
馬車が門を抜ける。
「……おお」
思わず声が出た。
目の前に伸びているのは、町の道じゃない。
街道だ。
左右には畑が広がり、その向こうには林が見える。遠くには低い丘が続き、道の先はその間へ消えている。
もちろん、町の近くまで来たことがないわけじゃない。
でも今日は違う。
このまま帰らない。
この道を進んで、三日かけて別の町まで行く。
「そんなに珍しいか?」
ベルクさんが笑う。
「珍しいですよ」
「ただの道だぞ」
「ベルクさんにはね」
俺にとっては、十三年越しの初めての景色だ。
馬車が進むたびに、リーネの門が少しずつ小さくなっていく。
振り返れば、まだ町の壁が見える。
もう少し進めば、それも見えなくなるんだろう。
「ベルクさん」
「何だ?」
「エルダまで、よろしくお願いします」
「今さらだな」
「町を出たから、一応」
「三日後に同じ元気が残ってるといいな」
「そんなに大変?」
「まず今日一日、馬車に乗ってみろ」
ベルクさんが妙な笑い方をした。
なんだよ。
ただ座ってるだけじゃないのか?
少しだけ嫌な予感がしたけど、今はまだ気にしないことにした。
前を見る。
知らない道が、ずっと先まで続いていた。




