結局、いくら儲かるんだ?
翌朝。
俺は机の上に天秤を置いていた。
「…………」
いい。
やっぱりいい。
小さい。
中古。
傷もある。
でも。
左右に揺れる皿を見ているだけで、なんとなく商売人になった気がする。
「買ってよかったな」
8リル。
決して安くはなかった。
現在の所持金は5リル。
25リルもあったのに。
油と天秤を買ったら、一気に減った。
でも。
これは必要経費。
昨日、ちゃんと使った。
コーヒーミルとは違う。
「さて」
今日は石鹸を作る。
前回までは。
なんとなく。
これくらい。
たぶんこのくらい。
そんな感じで材料を使っていた。
今日からは違う。
量る。
記録する。
そして。
同じ物を作れるようにする。
「…………」
問題は。
記録する物がない。
昨日気づいた。
紙と筆記具。
欲しい。
いや。
必要。
「買うか?」
駄目だ。
まだ早い。
今ある物でどうにかする。
俺はガルドの工房へ向かった。
◇ ◇ ◇
「父さん」
「なんだ?」
「薄い木の板ない?」
「どれくらいだ?」
「文字が書ければいい」
「文字?」
「記録したい」
ガルドが俺を見る。
「石鹸の?」
「うん」
「本格的になってきたな」
「100万リル貯めるから」
「まだ言ってんのか」
「言うよ」
むしろ始まったばかりだ。
ガルドは端材の中から薄い板を何枚か出してくれた。
「これなら好きに使え」
「ありがとう」
「金取るぞ」
「え?」
「冗談だ」
「やめてよ」
今の俺にとって1リルは重い。
笑えない。
木の板を受け取る。
これに炭で書けば。
「いけるな」
紙はいらない。
少なくとも今は。
「1リル節約した」
「何が?」
「こっちの話」
いくらするのか知らないけど。
◇ ◇ ◇
庭へ戻る。
天秤。
油。
灰から作った灰汁。
木の板。
炭。
準備完了。
材料を量る。
木の板に書く。
混ぜる。
様子を見る。
また書く。
「…………」
楽しい。
前世では。
こういう実験みたいなことに興味なんてなかった。
理科の授業も。
正直、ほとんど覚えていない。
でも。
今は違う。
これが成功すれば。
金になる。
「金が絡むと集中力すげえな、俺」
我ながら分かりやすい。
いくつか少量で試す。
混ざり方が違う。
固まり方も違う。
すぐに結果が出るものでもない。
だから。
記録する。
「これで次はもっと良くなる」
ようやく。
商品を作っている感じがしてきた。
そこで。
ふと思った。
「…………」
俺。
今まで。
一個3リルで売ってたよな?
「…………」
いくら儲かってるんだ?
考えたことがなかった。
売れた。
金が増えた。
やった。
それだけ。
「駄目じゃん」
商売人どころか。
ただの八歳児だった。
◇ ◇ ◇
計算してみる。
油。
小さな瓶で12リル。
ここから石鹸が何個作れるか。
「…………」
正確には分からない。
なぜなら。
今まで量ってなかったから。
「天秤買って正解じゃん」
また天秤の価値が上がった。
前回までの感覚だと。
一瓶全部使えば、かなり作れる。
ただ。
灰汁も必要。
灰は家で出る。
水もある。
燃料も使う。
容器も使う。
俺の労働時間。
「…………」
待て。
考えること多くない?
一個作るのに。
いくらかかる?
油だけじゃない。
売る場所。
包む物。
道具。
失敗した分。
「商売って面倒くさ……」
いや。
駄目だ。
ここで逃げるな。
100万リル。
そのためには必要だ。
まずは簡単に考える。
一番金がかかっているのは油。
これを基準にする。
今回買った一瓶から、同じくらいの大きさの石鹸が何個作れるか確認する。
全部使い切る必要はない。
作った量と使った油から計算すればいい。
「よし」
やることが見えた。
◇ ◇ ◇
数日かけて。
試した。
作った。
失敗もした。
一つは柔らかすぎた。
一つは前よりマシ。
もう一つは。
「お」
かなりいい。
見た目は相変わらず地味。
匂いも特別いいわけじゃない。
でも。
今までより固さが安定している。
同じくらいの大きさに切り分ける。
「一、二、三……」
数える。
今回使った油。
できた石鹸。
木の板に書く。
何度か試した分も合わせる。
「…………」
ざっくりだけど。
見えてきた。
一個あたり。
油だけなら。
だいたい1リルちょっと。
他の細かい物を考えても。
「2リルはかからない……よな?」
今の販売価格。
3リル。
つまり。
一個売れば。
1リル以上は残る。
「…………」
少ない。
思ったより少ない。
一個売って。
1リルちょっと。
前世の感覚なら。
百円ちょっと。
「100万リル……」
嫌な予感がした。
仮に。
一個売って1リル儲かるとする。
100万リル貯めるには。
「…………」
石鹸。
100万個。
「…………」
無理だろ。
八歳の俺が。
石鹸を作る。
売る。
また作る。
また売る。
一個。
3リル。
利益1リル。
100万個。
「何年かかるんだよ!」
庭で叫んだ。
「レイン?」
家の中からエレナの声。
「なんでもない!」
危ない。
100万という数字に心を折られるところだった。
「違う」
考えろ。
一個で1リルなら。
十個で10リル。
百個で100リル。
千個で1,000リル。
1万個で1万リル。
「…………」
やっぱ100万個じゃねえか。
駄目だ。
この考え方では。
◇ ◇ ◇
夕食。
俺はパンを食べながら考えていた。
「…………」
「レイン」
「…………」
「レイン?」
「え?」
顔を上げる。
エレナが俺を見ていた。
「さっきからパン持ったまま止まってるけど」
「考え事」
「石鹸?」
「うん」
ガルドがスープを飲みながら言う。
「失敗したのか?」
「違う」
「じゃあ何だ?」
「儲からない」
「売れてるだろ?」
「売れてるけど」
俺はパンを置く。
「一個売っても、そんなに残らない」
「そりゃそうだろ」
「え?」
ガルドが普通の顔で言った。
「材料買って、作って、売るんだから」
「…………」
「家具だって同じだぞ」
そうか。
父さん。
職人だった。
「椅子一脚売った金が、全部俺の金になるわけじゃない」
「材料費?」
「そうだ。木を買う。金具を買う。道具も直す。工房だって維持する」
「…………」
当たり前だ。
でも。
実際に自分でやるまで。
ちゃんと考えたことがなかった。
「じゃあ父さんはどうやって儲けてるの?」
「材料より高く売る」
「それだけ?」
「それだけって言うな」
ガルドが笑う。
「安く材料を仕入れる。無駄を減らす。早く作る。いい物を作って高く売る。長く使ってくれる客を増やす」
「…………」
なるほど。
「全部やれば?」
「儲かる」
「全部やろう」
「簡単に言うな」
でも。
方向は見えた。
石鹸一個で1リル。
それをただ繰り返すだけじゃない。
材料を安くする。
一度にたくさん作る。
失敗を減らす。
もっと高く売れる物を作る。
「……高く売る」
そこで。
思い出す。
今の石鹸。
見た目。
悪い。
匂い。
微妙。
包み。
布。
名前。
ない。
「…………」
逆に。
まだ改善できるところだらけじゃないか?
香りをつける。
形を整える。
見た目を良くする。
包みを工夫する。
ただ洗えるだけじゃなく。
欲しくなる物にする。
「父さん」
「なんだ?」
「同じ椅子でも、いい椅子なら高く売れる?」
「そりゃな」
「見た目が綺麗だったら?」
「高くても買う奴はいる」
「…………」
これだ。
今まで。
俺は石鹸を。
洗濯に便利な道具としてしか見ていなかった。
でも前世では。
石鹸なんて。
香り。
色。
形。
箱。
ブランド。
いくらでも種類があった。
「一個3リルじゃなくて」
もっと価値をつければ。
5リル。
10リル。
それ以上でも。
買う人がいるかもしれない。
「…………」
面白くなってきた。
100万個作る必要はない。
一個あたりの利益を増やせばいい。
「よし」
まず。
今の石鹸を。
もっと高く売れる商品にする。
俺は残っているパンを口に入れた。
その瞬間。
頭に浮かんだ。
香り。
見た目。
包み。
高級感。
「…………」
必要な物。
増えそうだな。
革袋を見る。
現在の所持金。
5リル。
「…………」
足りる?
嫌な予感しかしなかった。




