必要経費って、便利な言葉だよな
25リル。
俺は机の上に並べた銅貨を見つめていた。
何度数えても。
25リル。
「増えたな……」
少し前まで。
俺の所持金は0リルだった。
父さんの工房を掃除して1リル。
石鹸を売って3リル。
蜂蜜パンを買って2リル。
また石鹸を売って。
材料を買って。
また売って。
そして今。
25リル。
「商売ってすげえ」
まだ商売と呼べる規模ではない。
近所の人に石鹸を数個売っただけだ。
それでも。
自分で考えた物を作って。
欲しいと言ってくれる人がいて。
金を払ってくれる。
前世では経験したことがなかった。
「よし」
ここからだ。
まず。
油。
小さな瓶で12リル。
これを買えば、今までよりまとまった量の石鹸を作れる。
残り13リル。
そして。
「…………」
天秤。
8リル。
残り5リル。
「…………」
買える。
いや。
違う。
買えるかどうかじゃない。
必要かどうかだ。
俺は冷静に考える。
石鹸を毎回同じように作るためには、材料の量を揃えたい。
今までは。
これくらい。
たぶんこれくらい。
前回こんな感じだった気がする。
そんな適当な作り方だった。
売り物として続けるなら、それでは困る。
昨日は成功。
今日は失敗。
明日は知らない。
そんな商品を売れるわけがない。
「必要だな」
間違いない。
天秤は必要だ。
これは欲しい物ではない。
商売道具。
つまり。
「必要経費」
なんて便利な言葉なんだ。
◇ ◇ ◇
市場へ向かう。
最初に油を買った。
「一本ください」
「毎度」
12リル。
所持金。
13リル。
重い。
昨日までなら12リルなんて大金だった。
それが一瞬で消えた。
「……仕入れだから」
自分に言い聞かせる。
大丈夫。
これは正しい。
次。
例の露店。
何度も俺を誘惑してきた天秤が。
今日もそこにあった。
「…………」
まだある。
小さな天秤。
8リル。
「坊主」
店主が俺に気づいた。
「また来たのか」
「また来ました」
「本当に欲しいんだな」
「今日は買います」
「お」
店主が笑った。
「金貯めたのか?」
「貯めました」
「偉いじゃねえか」
「商売で使うんです」
「八歳が?」
「八歳が」
店主が少し怪しそうな顔をする。
「何の商売だ?」
「石鹸」
「せっけん?」
「洗濯とかに使う物」
「へえ」
やっぱり知らない。
少なくとも、この辺りでは。
まだまだ売れる余地がある。
「じゃあ8リルな」
「…………」
銅貨を出そうとして。
止まる。
「どうした?」
前世の記憶が。
俺に囁いた。
中古。
露店。
値札なし。
これは。
「7リルになりません?」
「ならん」
即答。
「そこをなんとか」
「8リルだ」
「ずっと売れてないですよね?」
「…………」
店主の眉が動いた。
いける。
「俺、何日も見てましたけど」
「お前が毎日見に来てただけだろ」
「つまり俺しか欲しがってない」
「嫌なガキだな」
「7リル」
「8リル」
「7リル」
「8リル」
「…………7リル」
「増やせよ!」
駄目か。
でも。
もう一押し。
「じゃあ7リルと」
俺は少し考える。
「今度、石鹸一個」
「いらん」
「即答!?」
「何か分からん物はいらん」
ごもっとも。
「じゃあ……」
「8リル」
「…………」
仕方ない。
俺は銅貨を八枚渡した。
「毎度」
代わりに。
小さな天秤が俺の手に渡る。
「…………」
欲しかった。
ずっと欲しかった。
それが今。
俺の物になった。
「へへ」
「嬉しそうだな」
「まあね」
持ち上げる。
左右の皿が揺れる。
中古だから傷はある。
新品でもない。
でも。
「いいな、これ」
なんか。
道具を買うのって。
楽しい。
「…………」
危ない。
この感覚。
知っている。
前世でコーヒーミルを買ったときと同じだ。
「違う」
今回は使う。
絶対に使う。
石鹸作りに必要だから。
必要経費だから。
◇ ◇ ◇
油。
12リル。
天秤。
8リル。
残金。
5リル。
「…………」
25リルあったんだよな?」
革袋が。
一気に軽くなった。
怖い。
金って。
なくなるの早すぎない?
俺は市場を歩く。
今日はもう帰ろう。
必要な物は買った。
これ以上は使わない。
「…………」
足が止まる。
木工品を扱う露店。
小さな木箱が並んでいる。
「…………」
いや。
待て。
石鹸を売るなら。
形も大事じゃないか?
今は適当な木箱に流して。
固まった物を切っている。
だから形がバラバラになる。
同じ大きさの型があれば。
見た目を揃えられる。
「…………」
必要だな。
いやいや。
待て。
本当に必要か?
「これ、いくらですか?」
「3リル」
「…………」
残金。
5リル。
買える。
「いや」
俺は首を振る。
「今日はやめときます」
危ない。
必要そうに見える。
でも。
今すぐ必要ではない。
家にある木箱でも作れる。
父さんは家具職人だ。
頼めば端材で作ってくれるかもしれない。
「成長してる……」
俺。
ちゃんと考えてる。
偉い。
そのまま歩く。
次の露店。
布が並んでいる。
「…………」
石鹸を包むのに。
布。
必要じゃない?
「いやいやいや」
通過。
次。
小さな瓶。
「…………」
香りをつけるなら。
「いらない!」
通過。
次。
木の札。
「値札に――」
「いらない!」
駄目だ。
市場。
危険すぎる。
必要経費という言葉を覚えた瞬間。
全部が必要に見える。
「帰ろう」
俺は市場から逃げた。
◇ ◇ ◇
家に戻る。
「ただいま」
「おかえりなさい」
エレナが俺の持っている物を見る。
「あら。それ買ったの?」
「うん」
「前に欲しがってたやつ?」
「…………」
なぜ知っている。
「父さんから聞いた?」
「昨日、ずっと天秤を見てたって」
ガルド。
余計な報告を。
「でも必要だったから」
「何に?」
「石鹸」
俺は説明する。
今までは材料の量が毎回バラバラだったこと。
同じ物を作るには、量を揃えた方がいいこと。
売り物なら品質を安定させたいこと。
エレナは少し驚いた顔をした。
「ちゃんと考えて買ったのね」
「もちろん」
「蜂蜜パンとは違うのね」
「まだ言う?」
あれも市場調査だ。
……ということになっている。
「油も買った」
「あら」
「これで石鹸をもっと作る」
「今度は失敗しないでね」
「頑張ります」
庭へ行く。
買ったばかりの天秤を置く。
「さて」
前回までの感覚を思い出す。
量を変えながら。
少量ずつ試す。
見た目。
混ざり方。
固まり方。
前と比べる。
一度で完璧な答えが出るわけじゃない。
それでも。
記録して。
次に直す。
「これなら……」
前よりは。
ずっとマシだ。
同じような物を作れる可能性が上がる。
「買って正解だったな」
天秤を見る。
満足。
これは浪費じゃない。
間違いなく。
必要経費だ。
「…………」
すると。
別のことを思いついた。
「記録するなら……」
何をどれだけ使ったか。
結果がどうだったか。
書いて残した方がいい。
ということは。
「紙と筆記具が必要だな」
俺は固まった。
「…………」
必要経費。
また増えた。
恐ろしい言葉だ。
これ。
どこまででも金使えるぞ。




