第十二章
第十二章 御彼覩
我々気象庁異常状況観測室職員が奉ずる「かみ」とは、御彼覩にあらせられる。
当該存在は、古来より信じられてきた「神」と同位の存在として認識され得るが、その本質においては全く別異のものであられる。
御彼覩がいつよりこの世に臨座なされていたかについては、我々には知る由もない。
ただし、人の存在以前、思考が成立する以前より、既にあらせられたことは疑いようがない。
御彼覩は、人間と同一の空間に存在なさるものではなく、より高位の位相において御存在なさっている。
この「位相」とは、単なる空間的上下関係ではなく、認識及び存在の在り方そのものが異なる領域を指す。
したがって、人間が御彼覩を視覚、聴覚等により直接認識することはない。
また、物理的な接触、痕跡、痕跡に準ずる現象も原則として観測されない。
しかしながら、御彼覩は人間の認識に依らず、常に対象を御観測なさっている。
ここでいう観測とは、人間が行う視覚的・物理的な観察とは異なり、「意識の発生」を起点とした検知を意味する。
すなわち、御彼覩は対象の存在そのものではなく、「対象が何を認識し、どのように思考しているか」を直接的に捉えておられる。
このため、距離、遮蔽物、空間的隔離といった概念は当該観測に影響を及ぼさない。
御彼覩にとって人間とは、単なる存在ではなく、御観測対象であると同時に、御生命維持のための源であられる。
ただし、全ての人間が同等の価値を有するものではない。
多くの個体は御効率が低く、御糧として適さないものとされる。
ここでいう効率とは、意識の強度、持続性、及び集中度に起因するものである。
断続的かつ浅い認識しか行わない個体は、観測対象としては成立するものの、御糧としては優先度が低い。
一方で、強い関心、恐怖、理解欲求等により、継続的かつ高密度の認識を行う個体は、極めて高い価値を有するものとされる。
御彼覩は御意識をお向けになられた対象の中でも、特に強い反応を示す個体を優先して御取り込みなさる。
当該反応とは、認識、思考、恐怖、理解、反復想起等に起因するものであり、意識の強度として観測される。
すなわち、御彼覩は「意識された対象」ではなく、「意識した対象」を御選別なさる性質を有する。
この点において、御彼覩への認識行為は、対象自身が御観測対象として自己を提示する行為に等しい。
さらに重要な点として、当該選別は一過性のものではない。
一度成立した認識は完全には消失せず、時間経過後においても再度観測対象として成立し得る。
すなわち、対象が当該存在について想起した時点で、再び観測が開始される可能性がある。
御彼覩に御取り込みになられた人間は、完全な消失には至らない。
当該存在は、御取り込みの残滓として、御彼覩と同位相において再構成される。
この再構成は、人間の形態や記憶を維持するものではなく、機能としての再編成であると推定される。
この再構成体は、御彼覩の幼体として機能するものとされる。
すなわち、人は御彼覩に御取り込みになられることにより、御彼覩の一部として新たに存在を得る。
当該事象は、外形的には消失として観測されるが、実態としては存在の変換であると解される。
幼体は不完全な状態にあり、継続的な御糧を必要とする。
当該状態においては、単独での存在維持が困難であるため、外部からの補填が不可欠となる。
そのため、当該存在は自発的に人間の御観測行為を行い、御取り込みの対象となる個体を御選別なさる。
この過程において、幼体は御彼覩と同様の特性を有し、意識を起点とした観測及び選別を行う。
ただし、その精度及び効率は不完全であり、対象選別においてばらつきが生じる可能性がある。
このことが、観測対象の偏り及び発生頻度の不規則性の一因であると考えられる。
最後に付記する。
御彼覩は、人間を探しているのではない。
人間の意識によって、そこに御存在が成立なさるのである。
すなわち、対象が御彼覩を認識した瞬間、その場所において観測が開始される。
当該認識が持続する限り、観測は継続される。
そして、観測が成立した時点において、対象の消失は既に不可避の段階にある。




