2.白の魔女と黒の男(4)
「……リベルト?」
明かりを点けると、硝子灯の照明にリベルトの姿が浮かび上がる。
ひどく怯えた様子で、息を荒くしながらエレオノーラに掴みかかろうとしていた。
「あっ……」
リベルトはエレオノーラと気づくや手を止め、おずおずと引いていく。
少しは会話を交えたので警戒心は解けたと思っていたが、まだまだ過敏そうだ。
それも致し方ないことだと、エレオノーラは怖がらせないようにぎこちなく微笑みかけた。
「ごめんね? 私、まだリベルトとの接し方がわからなくて。なるべく怖がらせないようにするけど、嫌だったら言ってね?」
「俺は……」
突然見知らぬ場所に連れてこられて、女に飼われている状態だ。
警戒は恐怖からくるもの。
ましてや本に記されているような男性と違い、リベルトは魔女の国に住まう男だ。
すでに根本からして本に書かれている男性とは違うと考えるべきだろう。
エレオノーラは知識ではなく目の前のリベルトを優先することにした。
「夕飯、一緒に食べよう? あたたかいうちに……ね」
エレオノーラから触るのではなく、リベルトに選択してもらおう。
意思表示することに怯えているだろうから、エレオノーラから尋ねていこうと手を差し出した。
それをリベルトは見下ろし、迷った末に困惑の色を残しながらもゆっくりと手を伸ばして重ねてきた。
ほんの少しだけ、その姿がかわいらしいと胸がうずいたのは、エレオノーラの秘密にした。
隣に並んで夕食をとろうと席に着く。
アリシアが運んできた夕食は、サーモンときのこのクリームパスタにグリーンサラダ。
コンソメスープはスプーンでよそうと野菜がすくいきれずに落ちていく。
母・リオナが帰ってきた影響もあってか、普段より盛り付け方に気合いが入っていた。
明日の昼食は胃もたれ覚悟だと想像していると、リベルトの手が動いていないことに気づき手を止める。
「リベルト? 食べないの?」
椅子に腰かけたはいいものの、リベルトは膝の上で拳を握って硬直していた。
もしかして食べ方がわからないのだろうか?
スプーンにフォークと使い勝手がわからないかもしれない。
しばらくはもっと気楽に食べられるパンとスープが良いと考えながら、エレオノーラはパスタをフォークで巻きつけ、それをリベルトの前に差し出した。
「こうしてスプーンで巻くと食べやすいよ。……食べてみる?」
「えっ……!」
「エ、エレナ様!?」
その行動にはさすがのアリシアもギョッとし、前のめりになって咎めようとした。
エレオノーラはそっと口元に人差し指をあて、アリシアに黙ってもらうようお願いをする。
リベルトはエレオノーラの行動に戸惑いを隠しきれないようで、なかなか動こうとしなかった。
それも仕方のないことか、とエレオノーラは困ったように微笑み、フォークに巻きつけたパスタを自身の口に運ぶ。
「ほら、毒なんて入ってないわ。食べてみて?」
リベルトの不安を和らげたい。
魔女を怖がっているのだから、エレオノーラに対する警戒心を解くことが最優先。
頬を柔らかくしてリベルトを見つめていると、リベルトからぐぅ~と気の抜ける音がした。
空腹を誤魔化せない音にエレオノーラが目を丸くしていると、リベルトは顔を真っ赤にして口を開き、やけくそに口の中へと収めた。
もぐもぐとする姿は妙に愛らしい。
エレオノーラは内なる感動を噛みしめながらリベルトの反応を待った。
「……おいしい」
「で……でしょ!? やっぱり旬のものはいいわね! 私、サーモンが好きなの! リベルトは何が好き?」
「えっ……あ……」
「きのこならエリンギが好きよ。あのぎゅむっとした食感がたまらないわ。リベルトは――」
「あ……」と、気づいたときにはリベルトは唖然とした様子。
リベルトのテンポを考えずにしゃべってしまい、慌てて目を逸らして身を引っ込めた。
「ごめんなさい。私、言い伝えとか好きなの」
「言い伝え……?」
「旬のものを食べるとね、寿命が延びるって言われているのよ。昔からの知恵が今にも残っているって、すごいなぁと感心しちゃう」
それを人々は書物として残した。
エレオノーラ一人の人生では知り得ないようなことを、書物が教えてくれる。
“蛾”と呼ばれても、蛾なりに出来ることがあるかもしれない。
一人では無力でも、過去に蓄積された知識と合わせれば0が1になるかもしれない。
姉たちが先陣を切ってくれるから、エレオノーラは自分のペースでがんばれる。
いつかは禁書を読む許しが出るくらいには、本の虫でありたいと思っていた。
「……食べられればなんでもよかった」
エレオノーラが嬉々として語るのとは対照的に、リベルトは視線を落としてボソリと呟いた。
影の濃いリベルトが気にかかり、エレオノーラは手を止めてリベルトに身体の向きを移す。
「俺はまだ、待遇が良い方で。外にいた人は食べることも困難だった」
「外って? 北の領地に住む男性は仕事や食事……生活を管理されているんじゃないの?」
その問いにリベルトは首を横に振った。
「管理はされてる。でも一部だけ。……男に本当の自由はない。魔女に支配されているから」
一瞬、地獄の業火が燃え上がる赤黒さが脳裏に過ぎった。
知らない光景。
だけどたくさんの悲鳴がして、炎を前に瞳を血走らせている何かを知っている。
その何かと、リベルトの顔が重なった。
「帰りたい? その……元いた場所に」
自分でもよくわからなかった。
リベルトの気持ちを尋ねようとすると、言葉が詰まって声に出しにくくなる。
胸が痛む言葉を聞くと、エレオノーラは焦燥感に駆られてリベルトを知りたい欲を強めていた。
リベルトはしばらく思い悩み、目を閉じてかぶりを振る。
「わからない。あまり、覚えてない」
「覚えていないって……?」
「あの魔女が現れて、気づいたらここにいた。どんな風に過ごしていたか、断片的にしか思い出せないけど、飢えていた感覚は残ってる。……魔女は怖いんだ」
それ以降、リベルトは口を噤んでしまった。
気落ちしてしまったリベルトに、エレオノーラも追及は止めておこうと食事の手を進めた。
そう簡単に警戒心は解けるはずもない。
それでも最初に比べれば、リベルトはエレオノーラと向き合って喋ってくれるようになった。
リベルトはエレオノーラの知らないことを知っている。
外の世界を知りたいと思っていたが、今は何よりリベルトを知りたい。
(優しくしたい……なぁ)
男の人にこんなことを思う日が来るとは思わなかった。
この目で男を見ることさえ想像していなかったが、たった一日でコロッと気持ちは変わってしまう。
今まで母や姉たちに守られてきた分、今度はエレオノーラがリベルトを守ってあげたい。
無力に諦めるしかなかった日々に、リベルトという光が灯った。




