第7話:聖女と勇者への道
グランロードの少年、クロウが静かに、
しかし重い事実を語り出した。
「ある日、この世界の地下宮殿より魔物が溢れ出した。
愚かな異教徒が、ダンジョンのコアと市民を生贄に魔王降臨の儀式を行ったのさ。
異次元の穴が発生し、そこへ魔王が降り立った」
少年の瞳が、遠くを見るように揺れる。
「時を同じくして、帝都のアヤソフィアにて『勇者パーティ』が召喚された」
僕はクックと顔を見合わせ、小声で囁き合った。
「……特別クエスト〈魔王〉の導入にそっくりだ」
「でも、勇者召喚なんて設定、元々のゲームにはなかったよな?」
「はい。データベースには存在しません」
クックの瞳が、解析を急ぐように明滅する。
「彼らがサポートキャラなのか」
「それとも私たちのような『異物』なのか……」
もし、味方ならこれほど心強いことはない。
だが。
もし彼らが、僕たちを排除すべき「バグ」と見なす敵対存在だとしたら……。
背中に、嫌な汗が流れた。
「クロウ……その勇者たちは今、どこで何をしているんだ?」
「勇者たちは今、魔王討伐のための試練を受けているよ」
少年の姿をした導き手は、淡々と答える。
「それが終われば、決戦に向かうはずだ」
すぐには会えないか。
焦る気持ちを抑え、僕は核心に触れる。
「……魔王は、やはりイベントクエストなのか?」
「それが何なのかは分からない」
クロウは首を振り、真っ直ぐに僕を見つめた。
「けれど、君たちにはティアという聖女に会う必要がある」
「……きっと、役に立つはずだ」
自分の役割を全うするように、確信を込めてそう告げた。
導かれるまま、僕らは礼を言い、
ギルド本部を後にした。
受付のサカモトさんに宿の手配を頼むと、彼女は心配そうに眉を寄せた。
「帝都には危険な場所もあります。気の荒い冒険者や盗賊にはお気をつけて」
(……これは絶対にフラグだ。やめてくれ!)
「え~、怖いっ! お兄ちゃん、守ってね?」
クックが妹モードで甘えてくるが、
本気を出せば街一つを一節で灰にできるお前が一番危ないんだよ……。
バザールを歩きながら、僕はため息をつく。
「やっぱり、強制参加させられる気がする。
……しかも、僕らがやらないとこの世界が終わるような嫌な予感だ」
「同感です。ノクターンの特別クエストは、当時は『別次元のイベント』でしたが、
今は現実としてこの世界に溶け込んでいるように見えます」
……嫌だな、あんな無理ゲー。
「でも、やるしかないんだろうな。歴史オタクと有能AIの力で、このクソゲーをぶっ潰してやろうぜ」
「お任せください。タナカと私がいれば、全世界を敵に回しても負けません」
「私たちは、既に神すら超えているのですから」
惚れ惚れするほど頼もしい相棒だ。
生前の僕が手に入れた、唯一の幸運がクックだったのかもしれない。
教会へ向かう道中、巨大な建物が目に留まった。
アヤソフィアだ。
「約100年前まではビザンツ帝国の帝都として栄え、
その滅亡とともにオスマン帝国の都となりました」
歴史の変遷を語るクック。
石の都は、ただ「祈る神の名」を変えただけだった。
やがて辿り着いた教会。
そこには、天使のような佇まいの聖女がいた。
肩までの白髪に、金と黒のオッドアイ。
神秘を纏ったその少女は、僕らを見ると――
無機質な声で語り出した。
『――よくぞ参りました』
『私はティア、神の依代』
彼女の瞳が、僕の魂を見透かすように固定される。
『あなたはどちらを選びますか?』
『戦い、時を渡るか』
『逃げて、世界の終焉を迎えるか』
(……究極の二択!?)
(聞かなかったことにする選択肢はないのかよ……!)
困惑する僕をよそに、
彼女は古いイベントNPCのように淡々と、言葉を重ねる。
『勇者よ、試練にて力を示し、魔王を討伐しなさい』
『〈バシリカ・シスタン〉にて〈聖剣〉を手に入れるのです』
ツッコミを入れる間もなく――
視界が、急激なブラックアウトに飲み込まれた。
次の瞬間。
激しい光が弾け、僕たちの意識をどこかへ連れ去っていった。
「……あ、どうぞ。よくいらしてくれました」
「ティアと申します。ご用件は何でしょうか?」
目を開けると、そこには神々しさが抜け落ち、
普通の少女に戻った彼女がいた。
クックが持ち前の愛想で、
クロウからの紹介であることや、
勇者が現在試験中であることを聞き出していく。
「神言は私の意志とは無関係に降りるのです……」
ティアは少し困ったように眉を下げた。
「勇者の資格を持つ者が現れると私は依代となりますが」
「その間の記憶はありません」
(……転生者の可能性も、ゼロではないか?)
僕がそんな思考を巡らせていた、その時。
ティアが再び、静かに目を閉じた。
「……まぁ!」
再び目を開けた彼女の瞳が、驚きに揺れる。
「あなたにも神言があったのですね」
彼女は僕を真っ直ぐに見つめ、
花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「二人目の勇者よ、歓迎します」
やはり運命は、僕らを無理やり物語の主役に引き摺り下ろすらしい。
「……職業は、吟遊詩人と歌姫ですか……」
ステンドグラスの光に彩られた部屋で、
ティアは困惑の表情を浮かべた。
「そうだよぉ~。戦闘できない私たちは、どうすればいいの?」
クックが殊更に弱々しく、縋るように尋ねる。
「私にお伝えできるのは、試練を乗り越え『聖剣』を手に入れること……」
「それだけです。聖剣がなければ、魔王は決して倒せません」
彼女のオッドアイが、まっすぐに僕らを見つめる。
「魔王の名は、アーリマン」
「理想郷アルカディアに現れた、ステュクス城に君臨しています」
……アーリマン。
アンラ・マンユ、すなわち根源的な悪の概念か。
教会を出た後、僕はクックに聞いた。
「過去のクエストログ、一応、聞いていい?」
「了解。当時のデータを照合します」
一拍置いて、クックが無機質な数字を並べた。
「参加パーティ、10,200組」
「聖剣入手、16組」
「魔王到達、6組」
「……そしてクリアは、『ゼロ』です」
「……むちゃくちゃだな」
僕は乾いた笑いをもらした。
「当時のユーザーが『自殺スポット』にしてたのも納得だ」
呆れを通り越し、もはや逆に笑えてくる。
そんなクソゲーのど真ん中に、僕たちは放り出されたのだ。
普通なら、無理だろう。
――僕たち以外は。
「とりあえず、作戦会議だ。腹が減っては戦はできないしな」
僕らはコンスタンティノープルの流行だという「コーヒーハウス」に入った。
煮出したトルコ式コーヒーの苦味、蜂蜜の甘い香り。
僕はコーヒー、クックは蜂蜜コーヒーを注文した。
小さな陶器のカップは熱く、
黒い液体は修道士の薬のように苦かったが、
それが不思議と心を落ち着かせた。
取手付きのカラフルな陶器を持ったまま――
「これ、おいしい……ね、お兄ちゃん!」
キャラを忘れて、瞳を輝かせながら感動するクック。
不便で、けれどどこか美しいこの場所。
僕が長年旅をしてきたあの世界に似たこの世界は、
今もまだ、優しいだけではない。
理不尽が牙を剥き、弱者が踏みにじられる冷酷な側面も持っている。
けれど、あの絶望的な現実と比べれば。
魔王の一つや二つ、超えてみせようじゃないか。
「クック、振り返りをしよう。……僕らは絶対に死なない」
僕が静かに決意を口にすると、相棒は空になったカップを置き、
満面の笑みで頷いた。
「うん! 大丈夫だよ、お兄ちゃん」
その瞳には、一抹の不安もなかった。
「お兄ちゃんは神様より強いんだから。……私もね!」
彼女の屈託のない笑顔が、
暗雲漂うこの世界に差し込む、明日への確かな希望に見えた。




