第3話:吟遊詩人と歌姫とギルドマスター
戦場の喧騒が嘘のように、穏やかな昼下がり。
アテネの石畳に、平和な陽光が降り注ぐ。
「タナカ、提言します。――お腹が空きました」
目の前で無表情に、だが切実に訴えてくる少女。
セミロングの銀髪を揺らし、吸い込まれそうなほど輝く瞳を持つその姿は、
どこか神秘的なアイドルを彷彿とさせる。
だが、その正体は――
昨日、共に神を屠った僕の相棒AI、〈クック〉だ。
「……クック。昨日のドロップ品を換金して少しは金ができたけどさ。昼飯、さっき食べたばかりだろ?」
人として転生したことで、食の三大欲求までインストールされてしまったのか。
そんな僕の疑問を、彼女は妙にシリアスな顔で一蹴した。
「理解しています。ですが、それでもなさねばならぬ。譲れないものが……この『腹の虫』にはあるのです」
「……分かったよ。クックがいないと、僕もこの世界じゃ生きていけないしな」
僕が苦笑しながら、宿屋の主人に追加の食事と酒を注文すると――
クックの表情が、パッと花が開いたように輝いた。
「お兄ちゃん! ありがとう!」
(…………末恐ろしいな)
誰がこんな「あざとい子」に育てたのか。
……いや、僕の好みか。
運ばれてきたのは、香辛料の香りが食欲をそそる、トロッとしたチーズとオリーブを乗せた硬めのパン。
そして、グラスの中で金色の泡が踊る「エーテル酒」だ。
僕はその金色の液体を、一気に喉に流し込む。
「……美味い」
現実よりも鮮明な味覚。
一息ついたところで、僕は声を落として本題を切り出した。
「さて……これからどうするかだね」
「僕らの『不遇職』が、この世界では唯一無二のチートなことは分かった」
「あの『声』の主にもう一度会いたい」
「……他のプレイヤーが、この世界にいるのかどうか」
クックは頷き、答える。
「『あの存在』の反応は現在、消失しています。ですが、一つ案があります」
さすがはクック先生だ。
クックはチーズのかけらを口に運びながら、淡々と告げた。
「〈管理領域〉です」
「コンソール……ゲーム世界の、管理権限か」
「はい。この世界にシステム的な『核』を確かめるのが先決かと」
「現実世界へアクセスできない以上、ここを『現実』としてハックし、支配権を握る必要があります」
確かに、クックの言う通りだ。
かつてのゲーム『ノクターン』には、近未来、近世、中世、神話
……様々な世界層が存在した。
本来は、その多層的な仮想現実を体験できるのが醍醐味だったはず。
それが、一部の職業に偏った調整のせいで、世界のバランスは崩壊した。
僕の「吟遊詩人」も、クックの「歌姫」も、
本来は先行テスト期間にのみ選べた、宣伝用のアイドル専用職。
攻撃手段も持たず、ただ存在するためだけの、未完成のまま放置された「ゴミ」――。
(……だからこそ、捨てられなかったんだ)
仮想空間の自分まで「不要な存在」だと思いたくなかったから。
僕は遠い目で、自分の手のひらを見つめた。
その時――。
「来ます。――この反応、覚えがあります」
感傷を断ち切るように、クックが表情を引き締めた。
「兄妹ちゃん! あ、いたいたぁ!」
現れたのは、ギルドの受付嬢ステラさんだ。
豊かな母性を感じさせるブロンドの髪をなびかせ、額に汗を浮かべている。
「ステラさん、そんなに急いでどうしたの?」
一瞬で「甘えん坊の妹モード」に切り替わるクック。
その演技力、もはや恐怖すら覚える。
「クックちゃんは今日も可愛いねぇ……って、それどころじゃないわよ!」
「あんたたちが持ち込んだ『素材』のことで、ギルドマスターが直々にお呼びよ!」
「今すぐ来て!」
有無を言わさず腕を引かれながら、僕は背筋が凍るのを感じた。
(……嫌な予感がする)
だが、同時に。
この「運命の歯車」には、決して逆らえないという予感も、
確かに胸に刻まれていた。
重厚な扉の向こうに、「その男」はいた。
温和そうな目つきの奥に、時折ぎらりと光る鋭利な光。
刻まれた皺は、彼が潜り抜けてきた修羅場の数か。
「ギルドマスター。例の兄妹を連れて参りました」
「……ご苦労」
男の視線が、値踏みするように僕らを射抜く。
「君らか。――あの『魔核石』を持ち込んだのは」
男は無造作に、向かいの椅子を指した。
「まあ座ってくれ。……話は、それからだ」
逃げ場のない密室。
ギルドの頂点に立つ男を前に、僕の鼓動が早まる。
(……完全に怪しまれているな)
「はじめまして、タナカといいます。こっちは妹のクックです」
「よろしくね! クックだよ、おじさん!」
クックのとびきりの営業スマイル。
一瞬だけ、部屋の空気が凍りついた。
「……ゴホン。信じられんな。俺はガイだ」
ギルドマスター・ガイが、じり、と身を乗り出す。
「君らが持ち込んだのは『S級』の魔核石だ」
「本部は愚か、文献にすらほとんど載っていない神話の遺物だぞ」
……しまった。
三十個以上あったから一つくらい換金してもいいと思ったが、目立ちすぎた。
これなら、あの神の魔核なんて出した日には世界がひっくり返る。
「さらに幻の『ディバインウルフ』の毛皮」
「……封印されたあの聖域に足を踏み入れた。違うか?」
逃げ場のない問い。答えをミスれば、タダでは済まない。
焦る僕の横で、クックが俯き、肩を震わせた。
「お兄ちゃん……もう正直に話しちゃおうよ。実はね……」
【クックの権能:アイドルの愛(偽証) 】
そこから始まったのは、クックによる「完璧な嘘」だった。
薬草を摘む最中に道に迷い、神殿の近くで満身創痍の三人組に出会ったこと。
空腹で泣いていた自分たちに、彼らが同情してアイテムを譲ってくれたこと。
「まるで、勇者様のような方たちでした」
「貰い物だったので、言い出せなくて……ごめんなさい」
あまりにベタな言い訳。
だが、クックの迫真の演技が、虚構を真実へと塗り替えていく。
「なるほど。それは本当に、『勇者パーティー』だったのかもしれんな」
「えっ……?」
思わず声が出た。
『ノクターン』に、勇者なんてジョブは存在しなかった。
「魔王が復活したからな。帝国の首都には勇者が現れたという噂だ」
……ゲームにはなかった。いや、「変わってる」
「魔王の影響で、ヴェネツィア共和国のダンジョン化も進んでいる」
「ギルドも頭が痛いところよ」
ステラさんが溜息をつく。
僕は確信した。
――行くべき場所は決まった。
「ギルドマスター。その勇者様に御礼を言いたいです」
「どこへ行けば会えますか?」
「本気か? 帝国の首都、コンスタンティノープルに行けば、あるいはな」
「だが会える保証はないぞ」
やはり、そこか。
軍事力で頂点に立つ『オスマン帝国』の心臓部。
「それでも。一生の恩ですから。僕らは吟遊詩人の端くれ、物語を紡ぐ旅でもあります」
「……いいだろう。餞別に紹介状をあげる。通行証代わりだ」
ガイが、ニヤリと不敵に笑った。
「その代わり。いつか、俺の名を刻んだ至高の詩を作ってくれよ」
ギルドを後にし、僕らは歩き出す。
「タナカ、褒めてください」
「助かったよ、クック。……でも、謎が深まったな」
「勇者の存在は未知。そして〈魔王〉は特別クエスト……」
ノクターンにおいて、普通のプレイヤーは世界層を移動しない。
移動するたびにレベルがリセットされ、装備もスキルも制限されるからだ。
そんなリスクを無視して世界を放浪していたのは、
攻略を諦めて「世界そのもの」を楽しんでいた僕くらいのものだろう。
だが、唯一。
リスクなしで世界層を移動できる手段がある。
いまだクリア者ゼロ、運営が投げ出した遺物。
超高難易度ミッション
――例えば、『魔王討伐』とかね。




