第15話:勇者の孤独と詩人の決意
次の日の朝。
カーテンの隙間から差し込む光が、
僕の意識を穏やかに揺り起こした。
(……温かい)
右手に伝わる、柔らかい感触。
左手には、それ以上の柔らかい感触。
薄目を開けて確認すると、
右には銀色の髪、左には金色の髪が枕に広がっている。
僕は、もう一度深く目を閉じた。
(――ついに、僕にもあの伝説が訪れたのか)
(異世界、最高だ……)
このまま時間が止まればいい。
そう心から願った。
「お兄ちゃん、起きてー!!!」
……そんな僕の「第二のロマン」は、
クックの容赦ない声で露と消えた。
くそ。夢はやはり夢なのだ。
現実に引き戻された僕の視界に映ったのは、
ベッドの横で仁王立ちするクックの、呆れたようなジト目だった。
「お兄ちゃん、すっごく幸せそうな顔してたけど、
どんな夢を見てたのかなー?」
「…………」
「……この前、男のロマンが叶ったからそれが、
第二のロマンを呼び起こしてしまったのさ」
僕は寝ぼけ眼のまま、
自分でも意味不明なキメ台詞を放った。
「大丈夫なのか?私のせいで、無理をさせていないか……?」
奥の椅子で装備を整えていたシーマが、真剣な顔で覗き込んでくる。
その気遣いが、夢の残滓で浮ついていた心に少しだけチクリと刺さった。
「大丈夫。言ってみたかっただけだから」
適当に受け流し、僕は意識を切り替える。
「……今日は勇者が治療を終えるはずだ。一度、勇者と会おう」
僕の言葉に、クックもシーマも、引き締まった表情で頷いた。
その時――。
ティーカップを置いて、クックが静かに窓の外を見つめた。
「お兄ちゃん、来ます」
「ん?」
「聖女ティア、勇者カイン、賢者ミア、剣聖グラハス。教会を出て……
今、こちらに向かっています。あと10分で到着しますね」
まるで神の眼で見ているかのような報告。
僕は驚きもせず、肩の力を抜いて答えた。
「向こうから来てくれるなんてね。
このまま気づかないフリをして、驚く準備でもしようか」
「はーい」
平然と会話する僕らを見て、
シーマだけが「なぜわかる……?」と言いたげに驚愕の表情を浮かべている。
けれど、最近の僕らに毒されてきたのか、
彼女はそれ以上追求せず、いそいそと仮面を被り直した。
そして正確に10分後。
――コン、コン、コン。
宿の静寂を破り、重厚な扉が叩かれた。
そこに立っていたのは、
聖女ティア。
そして、その後ろには――。
この世界の「希望」を象徴する、
圧倒的な光を纏った一団。
「こんにちは」
先頭に立つ青年
――勇者カインが、少し照れくさそうに手を挙げる。
「俺は勇者カイン。君に……会いたかったんだ」
伝説の勇者からの、まっすぐな言葉。
僕は立ち上がり、
差し出されたその手をしっかりと握り返した。
「こちらこそ、会いたかったです、勇者様」
その際、僕は確信を得るために小声で尋ねた。
(「……異世界転生ですか?」)
だが、カインはきょとんとした顔をするだけだった。
どうやら、僕らのような「外の世界」から来た存在ではないらしい。
続いて、以前見かけた二人が名乗りを上げる。
「私は賢者ミアよ。よろしくね」
「我は剣聖グラハスだ。小僧、後で話がある」
……最近、王女や英雄にばかり出会う。
運を使い果たしているようで、少し怖くなるほどだ。
彼らの鋭い眼光は、僕の「吟遊詩人」という仮初めの肩書きを貫き、
その奥にある正体不明の「何か」を探っているようだった。
「皆様、改めて……私は吟遊詩人のタナカ。
こちらは妹のクック、そして仲間のシーマです」
僕が挨拶を終えると、クックはいつもの満面の笑顔を浮かべ、
シーマは仮面のまま静かに会釈した。
本題に入るため、僕はカインに問いかけた。
「勇者様は……召喚されたと聞きましたが」
すると、彼はどこか遠くを見るような、透き通った瞳で答えた。
そこには、拭いきれない寂しさが混じっている。
「ああ。俺は魔王が復活するたびに、転生を繰り返しているらしい。
過去の記憶はない。ただ、魔王を倒すこと
……それだけが、俺の存在意義なんだ」
その言葉を聞いた瞬間、
胸が締め付けられるような絶望を感じた。
世界を救うために用意された、
記憶なき「システム」としての人生。
「……悲しいですね」
「いいんだ。それが、俺がこの世界で生きた証になるから」
真っ直ぐな、あまりにも眩しい勇者の瞳。
その傍らにいる仲間たちの眼差しには、
彼への深い愛と信頼が宿っていた。
だからこそ――僕は隠し事をやめた。
「僕とクックは、別の『世界』から来ました。
ここと似ているけれど、全く違う場所です」
「その気になれば……僕らはこの世界で、『神の権能』を行使できます」
静寂が部屋を支配した。
「……アレを倒したんなら、信じるしかないわね」
賢者ミアが溜息をつき、カインが僕をじっと見つめる。
「どうして、それを俺たちに教えたんだい?
悪用されるとは思わなかったのか?」
「……信頼できると、確信したので」
カインは一瞬驚いた後、
今日一番の笑顔を見せた。
「ありがとう。俺を道具じゃなく、
一人の人間として見てくれたのは……君が初めてかもしれない」
僕は決意を込め、彼らの瞳を一人ずつ見据えて告げた。
「提案があります。僕らも、魔王討伐に協力させてください」
「――ただし、僕らのやり方で」
本当は、平穏に隠居していたい。
最強の力を完全に、持て余していた。
けれど。
守りたいものが、また増えてしまった。
隣にいるシーマを、不条理な運命のまま死なせたくない。
そして、この真っ直ぐな勇者を――。
誰もが憧れる「勇者」の姿のまま、
救いたい。
「魔王を倒し、その先の……
誰も見たことがない『エンディング』を、一緒に作りましょう」
僕の言葉に、
クックが誇らしげに胸を張り、シーマが強く頷く。
勇者御一行とティア。
言葉の重みを噛み締めるように力強く頷いた。
「では、まずは皇帝に謁見して君たちを正式にパーティに加える!
城に住処も用意させよう、すぐに――」
そう言って今にも走り去ろうとする勇者カインを、
僕は慌てて制止した。
「いえ、目立ちたくないので……。
皇帝には話だけ通しておいていただければ」
丁重に断ったつもりだったが、そうはいかなかった。
騎士団長を兼ねる剣聖グラハスの「軍としての打ち合わせも必要だ」
という正論に押し切られ、結局セッティングされてしまったのだ。
しかも、予定は明日。
……この国のトップ層は、そんなに暇なのだろうか。
「わかりました。明日、トプカプ宮殿に参ります」
それだけ伝えると、勇者一行は満足げに去っていった。
別れ際、
カインは「またゆっくり話したい」と名残惜しそうに、
何度も握手を求めてきた。
一行を見送り、静かになった室内。
そこには一人、仮面を外し、
複雑な表情を浮かべるシーマがいた。
「んー。やる気は溢れてきたけど、不安もあるな」
僕が思わず独り言を漏らすと、
クックが淡々と告げる。
「正直、私たち二人だけの方が確実に魔王を滅ぼせますけどねー。
勇者様たちが同行する以上、
より『確実な案』を遂行しないといけませんし」
その言葉に、シーマがギョッとした顔で固まる。
「あ、あとシーマ。明日の宮殿も、
これからの魔王討伐も、無理についてこなくていいからね」
彼女の身を案じてそう言ったのだが、
シーマは静かに首を振った。
「二人の邪魔になるのは、理解している。
けれど……少しでも二人の役に立つなら……」
そこまで言って、シーマは俯いた。
唇が、かすかに震えている。
「やっぱり……私は……役に立たないか?」
消え入りそうな声。
そして
――信じられないほど殊勝な、「上目遣い」。
(シーマさん……!?)
以前までのクールな仮面の剣士はどこへ行ったのか。
キャラ崩壊が激しすぎて、
こちらも対応に困る。
だが、その潤んだ瞳を見過ごすことはできなかった。
「……シーマは、僕のそばにいてくれるだけでいいんだ」
必死に捻り出した、自分でも寒気がするようなチャラ男台詞。
しかし、彼女には効果絶大だったらしい。
「そばに……? 置いてくれるの……? ほんと……?」
シーマの頬が、見る間に朱に染まっていく。
だが、その甘い空気は一瞬で切り裂かれた。
「――お兄ちゃん。いい加減にして?」
背後から響く、
心臓が凍りつくような氷点下の声。
恐る恐る振り返ると、
そこには般若のごとき笑顔を浮かべたクックが立っていた。
「ダメ女製造だけは、絶対に許しません」
「……あとシーマさん! あなたもそろそろシャキッとしなさい!」
「……っ!」
「ひっ……!」
そこから、果てしない時間が流れた。
正座させられた僕とシーマは、
クック先生によるこっぴどいお説教を受ける羽目になった。
「いいですか、お兄ちゃん。今の発言はコンプライアンス的に――」
「シーマさんも! 元王女で、剣士ならシャキッと――」
窓の外では、いつの間にか帝都が夜の帳に包まれていた。
絶え間なく続くクックの叱咤激励(?)を聞きながら、
僕は遠い空を仰ぐ。
明日の宮殿謁見が、
今日よりも平穏であることを願うばかりだ。




