第七話 幼さとの決別
薄暗い地下水路。
貴族街と運河を繋ぐ唯一の道で、ロイヤルガーデンの脇からここに抜けられることを貴族たちは誰も知らない。
くずれた石壁の隙間に隠してあった下町用の服に着替え、貴族用ドレスを同じ場所に隠す。
シュトとの秘密の関係が増えた直後から妃教育も本格化してしまい、メーア以外の監視の目も増えたので部屋で着替えることすらできなくなっている。
誰もいないと分かっていても、こんな所で着替えるのは抵抗がある。
でも、シュトに会いに行けるのならどうでも良いことに思えた。
ここからはロゼの時間。
私が私のままでいられる素敵な旅の始まりだ。
「これでよしっと」
弾む足どりで外へ出て、春の日差しの眩しさに目を細める。
少し歩けば、いつもの運河脇の船着き場が見えてきた。
「おじさん、今日もお願いね!」
「あ、あぁ……」
ここの定期便を担当している水夫は、どうにも浮かない顔をしている。
「おじさん、何かあったの?」
「え? ロゼちゃんは逆にどうしてそう平然としているんだい?」
信じられないものを見るような目を向けられ、私が知らない何かが起こったことを察した。
「私知らないの! 教えてください!」
素直に伝えると、水夫の険が少し和らぐ。
「……戦争だよ。今じゃ下町はその話題で持ち切りだろう? ってそうか、その話が出てからロゼちゃんをのせるのは初めてだったな」
「戦争!? 私一言も聞いてない!」
社交の場で隣国の話題は頻繁に出ていた。
けど、どこか遠くの出来事に思えていたし、貴族は誰も戦争の話題をしていない。
魔法師団を率いる師匠ですら通常勤務のままだ。
運河をくだるときの普段は楽しいはずの水夫との会話。
それが、恐ろしい真実を知る時間となった。
「俺も又聞きなんだ。南の方で激化してるらしくってさ、騎士団や魔法師団は温存するとかなんとかで、平民の兵士だけで突撃させるんだとよ」
「そ、そんな! だって民を守るための騎士や魔法師団なのに!」
「そんなお貴族様の事情なんか知ったこっちゃねーよ。でもさ、兵が足りないからって何もあんな子供まで……」
◇◆◇◆◇
真実を知った私は、船着き場につくなりシュトの元へ駆けだした。
(シュト……シュト!)
話に聞いた通り、町も物騒な雰囲気に変わってしまっている。
当然だ。
今回の徴兵は12歳以上となっていて、多くの子供たちが戦場に連れていかれる。
その理由が「経験を積んだ熟練兵を消耗するのは惜しい」という騎士側の身勝手なものだ。
あり得ない。
至る所で貴族に対する不満の声や、徴兵を免れるためにどうするかで言い争いが始まっていて、私は耳を塞ぎたくなった。
心地よかった賑やかな喧噪が耳障りな怒号へと変わり、どこまでも輝いて見えた街並みすら色褪せて見える。
足が重い。息が苦しい。
鉛のような感情を抱えて町を駆け抜け、シュトの元へ辿りついた。
「ロゼ、凄い汗だよ? 大丈夫?」
息があがっていてすぐに言葉がだせない。
急いで息を整えようとしていたら、背後から聞き覚えのある碧く澄んだ声が飛んできた。
「シュト! 噂を聞いた。私にできることは何かないか!」
「グレッチャー、君までそんなに慌ててどうしたんだ?」
私の隣まで駆け寄ってきたグレッチャーが、膝に手を当て肩で息をする。
「こんな理不尽な徴兵に従う必要などない! 私がどうにかする!」
息も絶え絶えにグレッチャーは強く吠えた。
シュトの背後で聞いていた大工の親方たちも次々と声をあげだす。
「そうだな。こんな理不尽なことを黙って受け容れることはねーぜ!」
「俺らも抗ってみるからな! シュト、今日はもうあがれ。可愛い恋人が心配してんだろ。安心させてやんなよ」
いつもは恋人と言われて嬉しかったのに、今は申し訳なさと悔しさで押しつぶされそうだ。好きな人が戦争に行くかも知れないのに、私では何もできない。
「シュト、私……」
「ロゼ、グレッチャー、席を外そう。ついてきてくれ」
シュトが先を行くその背を追って歩く。
最近は手を繋いでくれたのに今日はない。
その資格が私にあるかも分からない。
隣を歩くグレッチャーもどこか焦れた様子だ。
「シュト、どこに行くのだ?」
「いいから。内緒話にはうってつけのところがあるんだ」
思い当たる場所があった。
石畳の階段を降り、運河脇の錆びれた遊歩道。
私がシュトに貴族だと打ち明けた石橋の下は、水夫ギルドの航行ルートにない区画だ。
町の音が切り離され、三人の靴音だけが響く。
石橋の影に入ったとき、シュトがふり向いた。
「ここならいいだろう。話とは?」
落ちついたシュトの声に、グレッチャーが噛みついた。
「決まっている! 戦争のことだ! 私との約束を忘れたとは言わせない。高額納税をすれば徴兵を免除されるんだ。その資金援助をしたい!」
知らなかった。
この件に関しては私よりもグレッチャーが詳しそうだ。
普段は冷静なグレッチャーが、取り乱すように声を荒げていく。
なのにシュトは首を緩くふるだけだった。
「ダメだよ。免除の代わりに誰かを推薦する件が残っているから」
「そんなの私が用意する!」
シュトは軽く嘆息して表情を引き締めた。
「嫌だ。俺の代わりに誰かを犠牲にするくらいなら俺が行く。それに二年後にはロイゼルが12歳になる。その資金援助はできればロイゼルに……どうか頼む」
シュトの金色の瞳には揺るぎない覚悟が宿っていた。
それでも私は思いとどまって欲しいと願う。
「シュト……そんなに焦って結論をださなくてもいいじゃない。親方たちも言っていたけど、ギリギリまで足掻いて道を探してみようよ。ロイゼルもクーヘンもその方が喜ぶと思うな」
声を震わせずにどうにか言い終えた。
見つめ返されて、涙が零れそうになるのを必死で耐える。
グレッチャーは荒々しくシュトの胸倉を掴み、石壁へシュトの背を叩きつけた。
「そうだ、諦めるな! 私がシュトを学校の先生にする。だから行くな!」
乾いた笑いを浮かべるシュト。
「先生か。まるで夢のような物語だな」
「それを現実にするんだろう! 私と君で!」
「……グレッチャー、夢の時間は終わったんだ」
シュトは目を伏せて顔を背けた。
もう私たちの言葉は届かないのだろうか。
胸倉を掴んだままのグレッチャーが、膝からくずれおち、大声で泣きだした。
「頼む! どうか行かないでくれ! 私にとって初めて同じ志を持つ仲間であり、大切な友人なんだ! 私から友人を奪う権利があるというのか!?」
グレッチャーの泣き声が、石橋の下の空間で反響していく。
声につられ、私の涙腺も壊れた。
どれだけ我慢しても止まらない。
「私の料理を食べてくれるって言ったのに……」
もれた言葉は、シュトが悪いかのように責めてしまう。
二人して泣きじゃくっていたら、シュトが小さく溜息をついた。
「分かったよ、全く。15日後の出征当日ギリギリまで行かなくて済む方法を模索するから」
たった15日。
だけどこれがシュトを助けられる猶予期間。
私はグレッチャーと顔を見合わせ、頷きあう。
「ロゼ、私はすぐに行動を起こす。君も何かしらアプローチをしてくれ」
「分かった。任せて」
師匠に相談しよう。
私が頼りにできるのは師匠しかいないし、このような非人道的なことを師匠が望んでいるとは思えない。
──パァン!!
やれることを指折り数えていたら、乾いた音が突然鳴った。
慌てて視線をあげると、平手打ちをふり抜いたシュトが目に入る。
「二度とそんなことを言うな。ロゼの気持ちはロゼだけのものだ。物を扱うように言うグレッチャーとは口も利きたくない」
「これは私の本心だ!」
グレッチャーがそう叫んで石橋の下から駆けだしていく。
私は急な事態が飲みこめず、両拳を胸元で握りしめたまま固まっていた。
シュトが近寄ってきて、私の両拳を優しくそっと包む。
「ロゼの手、冷たくなってる。ごめんな? こんなごたごたに巻きこんで」
「ううん。それはいいの。グレッチャーから何を言われたの?」
なぜか目をあわせようとしないシュト。
「言いたくない」
拒絶の色を強めた声に、喉の奥がきゅっと閉まる。
「愛する人に隠しごとをされるなんて、私やだな」
「それをロゼが言うのか?」
貴族としての身分を隠し、嘘だらけの今の私に言葉が突き刺さる。
でも、言えないことも多いけど、シュトには何でも話してきたつもりだった。
「だって私のことでケンカしたんでしょ? 知る権利くらい私にもあるよ。教えてくれたら何でも言うことを聞くよ?」
シュトは私の手を包んだまま、彼の口元まで持ちあげていく。
「シュト?」
「なら、教えて欲しいことが一つだけある」
「うん。何でも聞いて」
エクラヴァーグ家のことを尋ねられたら正直困る。けれど答えよう。
貴族社会の秘密より、私にはシュトが大事だ。
シュトは私の手を彼の唇へと押し当てた。
唇が当たる箇所が熱を持っていき、私の中に早鐘となって木霊していく。
「ロゼの名前が知りたい。偽りのない本当の君の名前を……俺は知りたい」
貴族だと打ち明けた後も避け続けた話題。
私をロゼとして見て欲しくて、貴族として見て欲しくなくて言えなかった。
それが壁となっていたのなら失敗だ。
私の心はとっくにシュトのものだから。
「レザンヌ……レザンヌ・エクラヴァーグです」
言い終えてシュトの嬉しそうな顔を見た瞬間、私から抱きついて唇を重ねる。
離れたくない思いをこめて強く抱きしめた。
心臓の音と肌が触れあう熱だけを感じて、二人で溶けあう。どこまでも──。
◇◆◇◆◇
数日後。
師匠に相談の手紙を送ったら、近日中に調査して折り返すと返信があった。
やっぱり師匠は知らなかったのだと確認できてホッとしている。
それでも不安な気持ちは抑えられないので、調査結果を待たずに私邸へ訪問しようと考えながら、日課のダンスレッスンをこなしていく。
しかし、私は上手く踊れず何度もステップのミスをした。
「あらあら、お姉様。お粗末ですね。殿下の婚約者は無理ではなくて?」
ミスのたびに妹のサウレジャルジーが茶々をいれてきて、少し陰鬱になった。
「憂いごとがあるのです。サウレには悩みがなさそうで羨ましいわ」
普段なら流す嫌味なのに、今日は皮肉で返してしまう。
妹は微かに眉を顰めた。
「わたくしにも憂いはあります。将来の旦那様が南に出征したのです。平民のお守りで監督役とは言え、戦場に赴くなんて気が気ではありませんわ」
私は反射的に妹の両肩を捕まえ、正面を向かせて睨みつけた。
「詳しく聞かせなさい!」




