第六話 対岸へ続く道
厳しい寒さも峠を過ぎ、農村の畑も新しい季節を歓迎しているように見える。
夕日が照らすあぜ道は、私にとって幸せスポットだ。
ロイゼルとクーヘンは家が近づくのに待ちきれず駆けだしてしまい、シュトと二人きりででこぼこ道をゆっくり歩く。
「全く、クーヘンたちは元気だよね。私は仕事でもうへとへとなのに」
「ロゼもずいぶんと体力をつけたと思うよ。去年の夏頃は笑顔すらなかったからね」
この一年でたくさんのことがあって、大切な思い出も増えた。
肩を並べてこうして歩く時間がかけがえのない宝物に思える。
「まだまだだよ。私の目標は女将さんなんだから!」
女将さんは早朝の仕入れから昼も夜も働いて、翌日の仕込みまでしているのだ。
しかも子育てつきで。どんな体力おばけと何度思ったことか。
シュトが小さく笑う。
「目標が高すぎないか?」
「えー? それをシュトが言うの?」
シュトの目標は貴族と平民が手を取りあう世界。
まるで「Un chat qui a traversé le désert(砂漠を横断する猫)」のような夢だけど私は好きだし、応援もしている。
「確かに遠いけど、一歩一歩近づいている。それもロゼのお陰だよ。いつもありがとう」
私がシュトたちに勉強を教えて、シュトたちが孤児や他の子供たちに勉強を教えている。
皆の識字率が向上し、教養も身についてきたのはシュトが頑張ったからだ。
「どういたしまして。でも、シュトは教えるの上手いよ。私じゃ皆をあそこまで導けなかったなぁ」
子供たちが興味を持つように例え話をしたり、好奇心を上手に煽るシュトは先生に向いている。
最近では貴族からの連絡事項を読む仕事が子供たちにできた。
本当に凄いことだと思う。
はにかんだ笑顔を見せるシュト。
「それこそまだまだだよ。俺の夢は途上なんだ。でも、教えるのが上手いって言ってもらえて嬉しい。これから先もずっと支えてくれないか?」
ずきりと胸が痛む。
私の自由は成人まで。いや、成人を待たずに消えるかも知れない。
妃候補としての教育も本格化してきているし、成人と同時に結婚が待っているからもう時間はなかった。
「婚約者がいるからなぁ、もちろん応援は続けるよ!」
涙は見せられない。だから思い切って笑った。
笑顔を見せて欲しいのに、シュトは表情をくもらせる。
「ロゼ、無理して笑うなよ」
「え? 無理なんてしてないけど?」
「嘘。だってロゼの笑いは変だからすぐに分かるよ」
「う……それを言われると辛い」
皆に笑い方が変と言われているのを思いだし、恥ずかしくて頬を両手でさする。
言われるのを気にして一度は淑女然とした笑みを使ったのだが、「余計に気持ち悪い」と言われ、下町では使わなくなった。
そのときもシュトが「ロゼはロゼの笑い方の方が素敵だ」と言ってくれて、素の笑いに戻したんだっけ。
私が私のままでいられる、ありのままの笑顔に。
「ハハハ! 俺はロゼの笑い方も含めた全部が好きだよ!」
シュトが心から笑ってくれたことに胸が熱くなってくる。
気づけば私も空を見上げて笑っていた。
「むふふ、むふふふふ! 春には滝も見に行けるし、楽しみだよね!」
明るい未来だけを見つめて前に進みたい。
王妃の立場になれば、シュトの夢をもっと後押しもできるはず。
そう考えれば王妃だって悪くはないと思える。
シュトへ視線を戻すとなぜか立ち止まっていた。
「どうしたのシュト?」
ついさっきまで笑顔を見せていたのに、急に何かを押し殺したような顔になっていて戸惑う。
何度か声をかけてもシュトは黙ったままだった。
あまりに沈黙が長くて少し心配になりだしたとき、シュトは目を伏せた。
「俺はロゼに伝えたいことがある!」
真剣な様子に思わず唾を飲みこむ。
言われる言葉が分からない不安からか、心臓の高鳴りが止まらない。
一つ深呼吸をして心をおちつける。
「……うん。伝えたいことって?」
私の問いかけにシュトは答えない。
何度も拳を握り直したり、俯いて顔をあげたりを繰り返す。
どれだけ待っただろうか。
陽は山間にほとんど埋まり、辺りも薄暗くなっていた。
強い北風に身震いしたとき、シュトが顔をあげ真剣な眼差しを見せる。
「俺はロゼが好きだ!」
「わ、私もシュトが好きだよ?」
私が反射的に答え、シュトは何度も強く首をふる。
「違う! 違う違う違う! 俺は……俺はロゼを一人の女性として愛している!」
困惑と歓喜。シュトの言葉が私の心に春の嵐を呼ぶ。
今の気持ちをどう表現すれば良いのか分からない。
私は言葉を返せず、ただシュトを見つめた。
「誰よりもロゼが大切で、ロゼと一緒にいたい。俺が自分の夢を言葉にすることができたのも、ロゼがいたからなんだ!」
胸が締めつけられる。まさか初恋が両想いだなんて夢にも思わなかった。
初めて会ったときから、一つ年下なのに頑張るシュトに心惹かれ、彼と共に歩んだこの一年。
私の下町の生活にはシュトが欠かせなかった。
弟のロイゼルと出会い、クーヘンとも出会えた。孤児のクーヘンを妹として引きとったと聞いたとき、驚いたことを今でも鮮明に思いだせる。
シュトに貴族であることがバレてしまい、唯一秘密を共有する関係になってからは本当に夢のような時間が続いていた。
でも、この夢は覚めなければならないと私の理性がささやく。
「ありがとう、嬉しい。私も……シュトのことを愛しているわ。だけど婚約者がいるの。それに知っているでしょう?」
「俺はロゼが貴族でも構わない! むすばれるべき恋じゃないことくらい分かっている! それでも好きな気持ちに嘘はつけない……つけないんだ」
陽は沈み、お互いの顔がはっきりとは見えなくなる。
けれど、それで良かったのかも知れない。涙も見せずに済むから。
シルエットだけになったシュトを見ながら、今までのことを思い返す。
様々なところに連れだしてくれて、人との繋がりがどんどん膨らんでいった。
そういや、女将さんのお店を紹介してくれたのもシュトがキッカケだっけ。
◇◆◇◆◇
「ねぇ、ロゼ。自分の名前を間違えそうになるのはどうしてなんだ? それにその持ち歩いている厚手の革で挟んだ紙の束は何なの? 高価そうだけど……」
シュトが訝しんでいる。
どうしても最初に「レ」を言おうとしてしまうことを追及され、私は背中に大量の汗をかいていた。
「え、えーっと、名前は間違ってないよ、ちょっと滑舌が悪いだけ。これはお祖母さ……おばあちゃんの形見なの」
本くらい普通だろうと思っていたけど、下町では見慣れない紙の束としか認識されなかった。
シュトはマジマジと覗きこんでくる。
「不思議な模様だね」
「ん? これは文字だよ」
平民は文字も知らないのか。
色々と常識が違い過ぎていつボロが出てしまうか怖くなってきた。
シュトが不敵で挑発的な笑みを見せる。
「ねぇ、ロゼ。文字を俺に教えてくれないか?」
これはチャンスだ。
勉強を餌に交換条件をだしてみる。
「料理を教えてくれるところを紹介してくれるなら……」
「一番人気は女将さんの店だね。でもあの店、未成年は雇ってないけどロゼはいくつなの?」
どうせ嘘はついているし、何個増えても構いやしないと思って私は割り切った。
「18! 18だよ!」
「え? 俺より三つも年上だったのか。全然見えないな」
◇◆◇◆◇
二歳もサバを読んでいたのは後にバレてしまったけれど、シュトが秘密にしてくれているから私はまだあの店で働くことができている。本当に感謝だ。
「新しいレシピを覚えたから、シュトに食べて欲しい。私はシュトのお嫁さんには成れないかも知れないけど、せめて結婚するまでは私の料理を食べてくれる?」
言い終える前にシュトから抱きしめられた。
「当たり前だ。俺はいつまでもロゼのを食べたい」
「いつまでもは無理だよ。私には婚約者がいるから……」
やばい。涙が止まらない。
一番好きな人の想いを、私が断らなければならないことがこんなに辛いとは思わなかった。
シュトがゆっくりと抱きしめていた手を放し、一歩後ずさる。
「困らせて悪かった。答えもいらない。ただ、俺の気持ちを知っていて欲しい」
バツを悪そうにしたシュトが手を差しだしてきた。
理性は手を取るべきではないと訴えている。
取れば別れがもっと辛くなるのは嫌でも理解している。
なのにシュトの笑顔を見た瞬間、いつの間にかその手をとって指を絡めていた。
互いに言葉はない。
手をつないだままゆっくりと家路を歩く。
遠くから私とシュトを呼ぶクーヘンたちの声が聞こえる。
けれど、急がずにゆっくりと。この愛おしい時間を抱きしめるように。
心臓の音しか聞こえないほどに胸は高鳴り、手の温もりを二人で分けあいながら。
その後はよく覚えていない。
クーヘンから「二人とも顔が真っ赤!」と言われて言い訳をした気もするけど、気づいたときには侯爵邸の自室に帰ってきていたのだ。
でも、手に残る温もりが、夢ではなかった実感として今も残っている。
「むふ、むふふ、むふふふ!」
両想いだ。まるで物語の世界の住人になった気分。
高揚感のままソファーから立ちあがると、メーアが汚物を見るような目をした。
「何ですかいきなり気持ち悪い。早く湯浴みをしてください。私は用事がありますので手伝いもなくお一人で」
「はーい」
「……本当に気持ち悪いですね」
メーアが手伝いを放りだすのは今に始まったことではないし、そんなことくらいでこの幸せな気持ちは止まらない。
浴室に一人で入る方が気持ちも楽だ。
広々とした浴室の大理石に一人分の足音が響く。
無機質に感じていた彫刻も今日は温かさを感じていた。
侍女数人にかしずかれるよりも、この空間を独り占めできることが幸せ。
体を洗って湯船に浸かる。
洗う間も終始思いだし笑いをしてしまった。
「顔がずっとニヤけちゃうよ。次からどんな顔してシュトに会おう? あ、浮気ってどこからがボーダーなんだろう?」
デートは何度もしているし、ハグも頻繁にしている。
貴族感覚ではアウトばかりだけど、私の感覚はもう壊れてしまっているかも知れない。
「ひょっとして、キ、キキキキ、キスまでだったらOKだったり!?」
一人だから口にしたけど、ダメなのは分かっている。
妄想するだけならタダだし、今はこの夢のような時間に浸りたい。
「やばいなー……シュトからの愛でのぼせちゃいそうだよ」
メーアが帰ってこないのを良いことに、私は長風呂をしてしまった。




