第二十五話 幸せの魔法
雪解けを迎え、再び春の兆しが訪れる。
私は平民で初の王妃となった。
家族との和解の際に父へ質問したら、「平民になるのが望みなのだろう?」と言われ、ずっとすれ違っていたことを知った。
母の顔を久しぶりにちゃんと見た気がする。
「おめでとうレザンヌ」
母が口うるさかったのは、貴族として残って欲しかったからのようだ。
「抜け出して下町に行っていることにハラハラした日々を過ごしましたわ」
厳格な父も眉尻を下げていた。
「平民となっても私の大切な娘だ。しっかりやりなさい」
父は貴族を嫌がる私との接し方が分からなくて距離を取っていたそうだ。
言葉数は少なかったけど、私がどうしたいのかを問うことが多かったように思う。
妹のサウレジャルジーからは袖を掴まれる。
「お姉様、わたくしは嫌です。貴族に戻ってください」
私が貴族社会と距離を取りたがっていたので、気を引きたくて色々と言ってきたり、炊きつけて貴族としてのやる気を引き出そうとしていたらしい。
「サウレの姉であることは変わらないわ。今まで気付いてあげられなくてごめんなさい」
「許しません。これからたっぷり返して貰いますから」
これから少しずつ家族との関係を取り戻していきたい。
「私、エクラヴァーグの長女として生まれたことを誇りに思います」
◇◆◇◆◇
朝露の残るロイヤルガーデン。
涼やかな青を纏うフォンテーヌ、燃える情熱の赤のブリュヤント、掴みどころのない黄色のヴォワレットが、乗馬服で待ち合わせ場所に現れた。
「平民を体験できるなんて素敵ですわ!」
「わたくしたちが今日は平民としての覇道にご助力致します」
散々せっつかれて企画した平民体験ツアー。
のらりくらりと決行を先延ばししていたら、日付を強引に指定されて今に至る。
「さぁ、下町を征服しに向かいましょう」
盛大な勘違いをしているのには苦笑いを浮かべるしかない。
観念して馬車に乗り込む。
大興奮のフォンテーヌとエンジン全開のブリュヤント。
馬車の中でも勘違いは肥大化の一途を辿り、やり過ごすのも難しくなってきた。
髪を弄ってそしらぬ顔を決め込んでいたヴォワレットに泣きつく。
「ヴォワレット様、助けてくださいませ」
「わたくし、今までレザンヌ様には流され続けたので、ロゼ様の懇願も流すことにしていますの」
「そ、そんなぁ」
全ては私の思い込み。誤解だった。
驚いたことにフォンテーヌとブリュヤントは、私のことが大好きで、仲良くなりたいと思っていたらしい。だから逃げたりやり過ごそうとしても、しつこく絡まれていた訳だ。
ヴォワレットは「レザンヌ様は鈍いからハッキリ言わないと伝わりませんよ?」と二人に言い続けたのだが、二人とも恥ずかしいからとあらぬ方向に最大限の努力をし続けたのだ。
「お二人に会話を譲っていただけなのに、スルーしていたと思われてたなんて心外ですわ。表面だけ取り繕ってスルーしていたのはどちらかしら?」
「ヴォワレット様、本当にごめんなさい!」
勝手に苦手意識を持っていただけで、歪んだ仮面を外せば世界は優しさで包まれていたことを思い知る。
遠目に下町が見えてきて、フォンテーヌが馬車の外を指差す。
「わたくしボートに乗ってみたいわ! メーア、ロゼ様の情報を出しなさい」
「かしこまりました」
メーアは専用知識の家庭教師として同伴している。私の全てを知りたいと願ったフォンテーヌが、個人情報を手に入れてしまったのだ。
「三叉路手前の運河ルートを良くお乗りになられていました。そこからは露店通りが近く、レザンヌ様のお気に入りの屋台もあります」
「ふふっ、行ってみたいわね」
大変なことになる未来しか見えない。下町の皆に心の中で謝っておいた。
◇◆◇◆◇
あの日は大変だった。
女給の仕事を体験したいというおねだりが始まり、女将さんが許可してしまったのでカオスなことに。
身分を伏せていたのもあって、常連のお客の洗礼を受けていた。
フォンテーヌは遊戯と勘違いして追いかけっこをした上で客の股間を蹴り飛ばすし、ブリュヤントはお尻を触られるたびに「妊娠してしまいます!」と騒ぎ立てていた。
一度も触らせなかったヴォワレットは、既に達人の域だと思う。
花屋でお供え用の花をヒェンに包んで貰っていると、あの悪夢のような時間も話題に上った。
「今日は墓参りだっけ? それにしても黄色い娘は躱すの上手かったよねぇ。赤い娘はあのくらいで大袈裟すぎ」
「もう! ヒェンったら他人事だと思って!」
「だって他人事だし? 親友だと思ってたのに、妊娠の報告がまだなんだけど?」
ヒェンの言葉に私は目を丸くする。
「い、いつから知って?」
「ふふん、当たり~」
にやけた顔でヒェンは花を見繕い出す。
「カマをかけたの!?」
「まぁね。でも大体分かったよ。女将さんが鼻歌交じりに赤ちゃんの服を縫っていたり、離乳食のレシピを纏めたりしてんだから」
ヒェンが花束を差し出してきた。
「私からのお祝い。で、グレッチャーとの夜はどうだったの? 聞かせてよ!」
「やだやだ、だからヒェンには知られたくなかったのに!」
「いいでしょ! ちょっとくらい。私たちは何でも話し合える親友でしょー!」
花束を抱えて逃げ出すと、背後から大声が聞こえた。
「名前は決まってるのー?」
大通りの真ん中で振り返り、笑顔で告げる。
「むふ、むふふふ! 内緒!」
冷やかしてくるヒェンの言葉を背に、中古アンティーク屋へ。
ドアチャイムをカランカランと鳴らし、店内を覗く。
「時計じいー、クーヘンたちは来てる?」
「ん? おぉ」
生返事の時計じい。隣で作業を見ていたクーヘンが私に手を振る。
「真剣なんだって。邪魔しちゃ悪いよ」
「儂の生涯の集大成にせにゃならん」
王族からの注文に大喜びして作業にかかりきりの時計じい。国王陛下を叱り飛ばしたことがあるなんて夢にも思っていないだろう。
「良い時計にしてね」
「おぅ、任せんかい!」
クーヘンたちを連れて墓参りへ向かう。
マルールの咲く花畑脇のブドウ園を兼ねた区画に、設けられた共同墓地。
ガーデンアーチが何層にも続き、墓地まではブドウのトンネルのようになっていた。
くぐり抜けると、無数の石碑が海原のようになっている。多くの花に囲まれたここは新たな観光スポットとして賑わっているから、亡くなった皆も寂しくはないだろう。
春風が吹き、夜に散ったと思われるマルールの花弁が黒紫色のアーチを描いた。
「シュトも来ていたのかな?」
「……クーヘンがそう思うのなら、きっとそうだよ」
「あ! ジーヴルがいるよロゼ」
子供たちの先発組も見えて、その中に師匠も居た。
私はクーヘンと一緒にお墓の掃除をして、ヒェンのところで買ってきたお花をお供えする。
「花なんてその辺のを供えればいいんじゃないの? クーヘンたちって変なのー」
「うー……ロゼから何か言い返して!」
他の子にからかわれて少しふくれっ面になるクーヘン。私はクーヘンの頭を撫でつつ男の子にカマをかけてみた。
「クーヘンはシュトに最高のお花をプレゼントしたいのよ。そんなんじゃクーヘンの心を射止められないわね」
男の子は顔を真っ赤にして逃げていき、彼の居た場所の石碑が目に入る。
組合長の息子たちの名が刻まれたその石碑は、いつも綺麗に掃除されていた。
「負けないように綺麗にしなくちゃね」
「うん」
師匠の方へ少し視線を送る。
魔法師団の服ではなく、下町のラフな恰好をしていて馴染んだのが一目瞭然だ。
「師匠はどうですか? 学校の方とか」
「私は現場にあまり関わってはいけないと釘を刺されてしまったけどね」
肩を竦める師匠。
一番乗り気だった師匠は、各所から止められたのもあって今は先生を育てるポジションで関わっている。
幼い子たちが師匠の周りに群がっていく。
「ジーヴル、ロゼ。帰ろー」
「ロゼー?」
「ごめん。私は今日、もう一つ用事があるから」
「えー?」
師匠は私にウインクをして見せた。
「師匠、お願いします」
「任された。さぁいくよ皆」
子供たちを見送り、私はラール湖へ向かう。
チラホラと夏の花がひょっこり顔を出している。まだ草は柔らかく、弱い風でもそよそよと靡く。
これから夏に向けて草木はより青さを増していくのだろう。
新緑の香りを堪能しながらスキップで進むと、ラール湖が見えてきた。
「おじさん久しぶり」
水夫の男性とやりとりをして、貸しボートを借りた。
そうして湖をゆっくり漕いでいく。
オールが奏でる水音も時折跳ね、軽やかに鳴る。
流れる時間までもがゆっくりになっていく気がした。
湖の中央に位置取り、本を取り出す。
仰向けになって寝そべれば、優しい波が背中を支えてくれた。
雲一つ無い空に二羽の鳥が飛んでいくのが見え、しばらく眺めた後に本を開く。
水の流れを感じる中での読書。祖母の命日には欠かせないルーティンだ。
「ロゼ」
碧く澄んだ声が、本に没頭していた私を遮る。
「あら奇遇ね? グレも読書?」
「ロゼから贈って貰った本があるからね」
そういって一冊の本を掲げて見せるグレナド。
祖母の形見の本を私が書き写し、プレゼントしたのだ。
二人してそれぞれのボートで寝そべり読書をする。
私は、貴族と平民が手を取り合う世界を、二人の男の子が作る物語を読む。
彼は、王子様と平民の女の子が全ての障害を乗り越えて結ばれる物語。
「むふ、むふふ! むふふふふ! これってすっごいことだよね」
平民と貴族が一緒に通う学校が間もなく完成する。シュトが願って手を伸ばした世界がすぐそこにある。
平民のロゼは万難を排し、王子と結ばれて王妃になった。
二つのUn chat qui a traversé le désertは今、現実となる。
猫たちはついに砂漠を渡ったのだ。
──チャポン。
船体が大きく揺れる。グレナドが舟を乗り移ってきた。
「もう、ひっくり返ったらどうするのよ?」
「砂漠が渡れたんだ。こんな小舟を渡るくらい造作もないさ」
体を起こすと、グレナドが私の髪をかき上げてくれた。
そのまま二人でキスを交わす。
「……グレ、私、幸せだよ」
温かさを確かめるように何度も何度も。
◇◆◇◆◇
──épilogue.
学校が完成し、初代校長にはロイゼルが就任した。
反対の声も多かったが、国王グレナドと王妃ロゼが猛プッシュしたのだ。誰も逆らえる訳が無い。
ロイゼルは身に余る光栄と言い、必死に努力を続けている。
旗に姿を変えて校長室に飾られた本。
中央に力強く書かれた「必ず夢と約束を叶える!」の言葉が実現されたことを、見上げるたびに誇らしく思う。
ブリュヤントは熱血指導の教員として平民たちに勉学を教えているし、フォンテーヌは芸術分野の促進に熱心だ。一番意外だったのはヴォワレット。彼女は経営コンサルタントとして経済に携わっている。今ならば人の顔色や機微を読むのが得意な彼女らしいとも思えた。
クーヘンは時計じいの店で働き始めた。時計じいも今では名匠と呼ばれたりもしているが本人は「気取った呼び方は好かん!」と言い張っている。ヒェンは南の国の商人を射止めて結婚したが、既に離婚して出戻っていた。
「ママー、本を読んでるの?」
「むふ、むふふ。さぁシュト、あちらで絵本を読んであげるわ」
(シュトが夢見た世界を紡いでゆくよ。……だから、見守っていてね)
未来を想い、そっと手記を閉じた。




