第二十四話 婚約破棄
月明かりだけの孤児院の大部屋。幼い子たちと一緒に床につく。
騒動を終えた後は襲撃者を騎士に預けたりと忙しくしていた。グレッチャーとも満足に話せないまま別れてしまっている。
柔らかい耳の温かさが残る手を翳し、惜しむように開け閉めを繰り返す。
「くよくよしててもしょうがない。次にあったときこそ伝えるよ!」
「うー? ロゼ、うるさいー……」
一瞬幼い子を起こしたかと思ったが、どうやら寝言のようだ。寝顔を眺めていたらいつの間にか瞼が降りた。
翌日。
遊びにきたロイゼルやクーヘンを交えて早めの夕食を摂っている最中、建付けの悪い玄関のノッカーが鳴る。
出迎えに向かったシスターが戻ってきた。
「シスター、どなたでした?」
「ロゼのお客さんです。表で馬車が待っているそうです」
手渡された招待状にはラングドアンファン家の家紋。
最後の招待だし、無茶振りにも付き合ってやろうと思うくらいの余裕はあった。
私がエプロンを外して玄関へ向かおうとすると、クーヘンが不安そうに私の裾を掴む。
「大丈夫だから」
頭を撫でて安心させ、私は玄関の外へ出た。
青を基調に美しい装飾で纏めた馬車が夕日に照らされている。
侍女に案内され、私は馬車へ乗り込んだ。向かいの席には何故かメーアが座っている。
「久しぶりねメーア。フォンテーヌ様付きの侍女になったのかしら?」
尋ねながらも、メーアがスーツを来ているのは気になっていた。
メーアは溜め息交じりに丸眼鏡を直す。
「今は侍女ではありません。貴女のせいで嫌な転職をすることになりました」
眉根を寄せるメーア。既にフォンテーヌの無茶振りに晒されているのかも知れないが、深くは追及せずに黙って過ごした。
日没と同時にラングドアンファン家へ着き、フォンテーヌから歓待を受ける。
「まぁ、レザンヌ様。平民の衣装もお似合いで可愛らしいですわ。でも、本日のパーティーのためにわたくしもドレスを用意しましたの。こちらへいらして」
衣装が一室丸ごと用意してあって、先ほどから着せ替え人形をさせられている。
どうして私の寸法ピッタリのドレスがこんなにもあるのかと不思議に思う。
近くで控えていた元筆頭侍女のメーアが丸眼鏡を鋭く光らせた。
「私がレザンヌ様のあらゆるサイズを暴露しました」
カミングアウトを受け、私はすぐに言葉が出てこない。これは序の口で「レザンヌの私生活の全て」をフォンテーヌが掌握したことを意味していた。
メーアが欲しいと言われたあの日、適当にあしらったことが悔やまれる。
やっと納得の一着となったのか、フォンテーヌが満足げに頷いた。
着替え終わるとすぐに大広間へ案内される。
冴える青の大広間には、王族主催のパーティー並みの人数が集まっていた。
フォンテーヌは私の手を引いて壇上へと向かい、大声で紹介を始める。
「こちらは少し前までエクラヴァーグのご令嬢であらせられたレザンヌ様ですわ。今は平民となっておりますので皆様、どうか御贔屓に」
無邪気な笑顔で辛辣な仕打ちをするフォンテーヌ。会場には学友の姿もチラホラと見え、思わず手を胸元に引き寄せた。
貴族たちを直視できずに視線を外すと、壁際にある大きな白い布が視界に入る。
「気になります? 今、開けさせますわ」
従者たちが数人で布を外して現れたのは、巨大な絵画だった。被写体は私だ。
「高名な画家に描かせましたの」
平民を絵にするなんて、何の嫌がらせだろうか。
文句の一つも言ってやろうと思ったが、フォンテーヌは凄く楽しそう。私の絵について熱く語っている。もしかしたら嫌がらせではなく、悲劇のヒロインとしてその物語性に入れ込んでいるのかも知れない。そう考えたら肩の力も抜けた。
侍女が何やら耳打ちをし、フォンテーヌは立腹した後に大きく肩を落とした。
「レザンヌ様、わたくしは挨拶のために他を回らなければなりません。せっかくの記念日ですから、もっと語りたかったのに……」
「なんの記念日なのですか?」
思わず口をついた疑問だったが、フォンテーヌの表情は明るくなった。
「今日はついに猫が砂漠を渡るのですよ。凄いと思いませんこと?」
何の暗喩か分からない。満面の笑顔に押され、一先ず曖昧な微笑みを返す。
「レザンヌ様の魅力でしっかり釣り上げてくださいませ」
「はぁ……」
何を期待しているのか知らないが、フォンテーヌが去って私は手持ち無沙汰となった。辺りを見回すと、ブリュヤントとヴォワレット、妹のサウレジャルジーも遠巻きに私を見ている。
話しかけに行こうか迷っていたら、見知った学友の令嬢たちが訪れた。
「レザンヌ様、いえ、レザンヌ。侯爵から平民だなんて今どんなお気持ちかしら」
「大した魔法も使えなかったのですから元から平民だったのではなくて?」
平民となった私は、彼女たちに言い返すことはできない。聞き流していると、妹のサウレジャルジーがずっとこちらを睨んでいる。不甲斐ない姉で申し訳ないと思うが、今日が最後だから我慢して欲しい。
罵詈雑言の嵐を耐え忍び、一時の静けさの合間を塗って天井を見上げる。豪華なシャンデリアを見ながら、妙な現実逃避をしてしまった。
「平民に落ちた女が上を向くなどおこがましい」
ふいに高圧的な声が割り込み、強制的に現実へ意識を戻すことになる。
デジャヴを感じると思ったら、いつぞやの馬車の男爵だ。
「さっさと死んでいれば良かったものを。高額な手練れを雇ったのに予定外だ」
刺客を送り込んだのはこの男か。
直接の面識は無いが、下町を中心に横暴なことを行って荒稼ぎをしている男爵。ブロートが良く愚痴っていたことを思い出す。
「まぁ良い。絵になるくらい顔は良いし、愛妾にしてやっても良いな。望むなら子も産ませてやろう」
悪寒がゾワリと背筋を伝う。
平民の立場では貴族の男に求められれば断れない。自分の肩を抱きしめ蹲る。
そこにヴォワレットが近寄ってきた。
「レザンヌ様のお陰で全てのピースが揃いました」
ヴォワレットはそのままブリュヤントへ話の水を向ける。
「ここからは引き受けますわ!」
先ほどの男爵の言葉が大音量で会場全体に鳴り響く。ブリュヤントの得意魔法だ。
突然の流れに狼狽する男爵。私も何が何だか分からず混乱した。
「貴方には王族暗殺未遂の嫌疑が掛けられていますわ」
「これはこれはデタイユボンサンス侯爵令嬢様。あらぬ嫌疑ですね」
男爵が喚くのを他所に、大広間の外が騒がしくなった。
「これより、グレナド王子殿下が御入場されます!」
全員が最敬礼で以って迎え、一瞬にして静謐になった壇上に響く一人の足音。
私も決して顔を上げないように殿下の足元だけを見ていた。
「面を上げよ」
碧く澄んだ声。私が愛して止まない声だ。
感情が先走り、勢いよく顔を上げるとグレッチャーの姿がそこにはあった。
(え? グレッチャー? どういうこと?)
軽くパニック。グレッチャーがグレナド王子殿下と呼ばれている。振った馬鹿な女は私だったと知り、目眩すらしてきた。
殿下は書状を諸手で突き出して掲げ、書かれた男爵の罪状を朗々と読み上げる。
その中で知った色々な真実。
平民を煽っていたのも男爵だった。傲慢な男爵にブロートが反発を見せたのも理解できる。
メーアの裏にいたのもこの男で、国の情報を他国に流すことで小銭稼ぎをしていたようだ。
証言が襲撃者、侍女メーア、組合長ブロートと平民ばかりで弱かったが、先ほどの本人の自供と合わせると意味合いが変わってくる。
「馬鹿な!? あれは言葉の綾で、私が王族の暗殺未遂などと大それたことは……」
殿下が手で合図をすると、背後に控えていた衛兵たちが前に出てきた。
「私自身が襲われた当事者であり、証人だ。ラーシュブリュ・クロカンブッシュ男爵を捕えよ」
瞬く間に男爵は取り押さえられ、猿轡を嵌められて騒ぐことすら封じられた。
殿下は男爵に一瞥すらせず、会場の貴族たちに向き直る。
「続いてもう一つの重大発表がある」
会場全体が言葉の続きを待った。
「私、グレナド・ラヴァンドゥーとレザンヌ・エクラヴァーグの婚約を破棄する」
宣言と共に法衣を纏った神官たちが現れ、婚約を白紙に戻す儀式の準備を行う。
婚約の儀で使われる伝統的な祭祀具が祭られていくのを見て、サーっと血の気が引く。こんなことになるのなら殿下と会うべきだった。そうしていたなら、想い人と添い遂げる未来を得られたというのに。
「レザンヌ・エクラヴァーグ、壇上へ」
神官に呼ばれ、逃げられないことを悟る。
やはり「大切なものほど指の隙間から零れ落ちる」と、思わずにはいられない。
私は出来るだけゆっくりと壇上に登り、グレナド殿下に対し跪く。
心を閉ざし、白紙に戻す宣言を受ける。殿下が七大精霊たちへ二人の別れを告げていった。
一番好きな人から衆目に晒されて断罪されることの残酷さ。
頭を垂れる今は、まるでギロチンの枷を嵌められた罪人のように感じた。
読み上げが終わる。
これで全ての繋がりが絶たれてしまったのだろうか。
そんなことはない。それだけはどうか同じ想いであって欲しい。
縋るようにグレッチャーの顔を見上げた。
「グレッチャー……」
堰を切ったように涙が溢れて止まらず、私の涙に周囲は騒然となる。
ダメだ。貴族然として振る舞う仮面をつけることができない。
気づいたときには駆け出していた。
「通して下さい! 通して下さい!」
大勢の貴族を掻き分け、必死に逃げ出す。
碧く澄んだ声が追いかけてくるも、ドレスの裾を持って走り続けた。
大階段を駆け降り、煌びやかなエントランスを駆け抜ける。正門の方へ走り続け、大きな噴水の前に辿り着いたところで腕を掴まれた。
「レザンヌ、いや、ロゼ。待って欲しい」
どうして放っておいてくれないの。もう繋がりは無いし、仮面をつけた私も、本当の私も見られたくはない。
なのにグレッチャーは私の腕を強く掴んで放さない。
「渡すものがある」
私は観念してグレッチャーへ向き直った。
遅れてやってきた彼の従者が一冊の本を手渡している。
「この本は私が徹夜をして書いた。今度は受け取ってくれるよね?」
この場では断りようもないので受け取った。
本にはグレッチャーの手癖が残る文字が並んでいる。王子様と平民の男の子が二人で協力し、貴族と平民の垣根を無くしていく物語。
さっきまでの涙とは違う涙が流れ、止まらなかった。
「とても夢のある、素敵な物語ですね」
殿下は私を抱き寄せ、指で私の涙を拭う。
「ロゼは早とちりしすぎだよ。改めて平民のロゼに伝えたい」
抱き寄せていた腕を解放し、グレッチャーは一歩距離を取る。
「私、グレナド・ラヴァンドゥーは、心からロゼを愛している。どうか私と結婚してはくれないか」
言葉を聞いた瞬間、世界が輝いた。私が思い込みで拒絶していた全ての景色が、急速に色づいていくのが分かる。
「……私でいいの?」




