第二十三話 交わらない想い
どれくらいそうして居ただろうか。
お互いの息遣いだけでなく、心音まで重なり合っていく。
私でドキドキしてくれているのが堪らなく嬉しかった。
「グレッチャー、会いに来てくれたんだね」
ようやくグレッチャーを解放して顔を見たら、まるで柘榴石のように頬を赤く染めていた。もし、ここに鏡があったなら私も同じ色をしていると思う。
「相変わらず情熱的だね、ロゼは」
「そう? ……そうかもね」
大自然の中で開放的な気分になっていたときに一番会いたい人に会えたのだ。
適切な距離感とかそういったものは全て忘れて本能のままに行動してしまった。
熱くなりすぎた頬に感じるひんやりとした感覚が落ちてきて、空を見上げる。
「グレッチャー見て! 雪!」
「本当だ。今年の初雪をロゼと一緒に見れて嬉しいよ」
光を乱反射した雪がキラキラと輝く。二人して暫く空を見上げた。
ふとグレッチャーを盗み見ると、その瞳の輝きはシュトと夢を語り合っていたときと同じに見える。
「ここにシュトも居たら良かったのにね。どうしてこうも大切なものって簡単に零れ落ちちゃうんだろ?」
思えば、今までも大切にしたものほど手をすり抜けていった。雪の冷たさもあってか、この手に残せなかったものたちのことがとても愛しい。
グレッチャーも私に視線を戻して「そうだね」と呟いた。
「私も最も大切と思っていたフィアンセに逃げられてしまったよ。奪うと公言していた男は約束を破った癖に、フライングで既に奪われていたとは思わなかった」
それを聞いた私の心臓は跳ねた。グレッチャーはフリーということだろうか。
こんな優良物件の男を逃すなんて馬鹿な女だなと思う。
「必ず奪い返すよ。それと、ロゼに会ったらこれを渡そうと思っていたんだ」
グレッチャーが一つの本を差し出してくる。
受け取って中身をパラパラと捲ると既視感があり、慌てて閉じて表紙を確認する。
「どうしてこの本を?」
「あの騒動で破かれてしまっただろう? だから文官に頼んで写させた。どうか受け取って欲しい」
祖母の形見と同じ内容の本。内容を諳んじられるほどに私が読み尽くした本だ。けれど、改めてこの本を読む気にはなれない。
「ありがとう。でも受け取れない」
「どうしてだい?」
「だってこれ、私が欲しい本じゃないもん」
平民の女の子が王子様と結ばれる「あり得ない夢物語」の典型とも言えるお話。内容が好きだった訳じゃない。祖母の直筆の文字を読んでいる間は、まだ祖母が隣にいる気がして嬉しかったから読んでいただけだ。
「何が書かれているかよりも、誰が書いたのかが私にとって重要なの。だからこれは受け取れないわ。振り向かせたいフィアンセにでも贈ってあげて」
「……そうか」
酷く落胆した様子のグレッチャー。その婚約者は読書が嫌いなのかも知れない。
私が突っ返した本を受け取るときのグレッチャーの手は震えていた。
「グレッチャー、手、寒いの?」
さっきまでと違い今にも泣きそうな目をしているグレッチャー。
私は気付いたら彼の両耳に手を伸ばしていた。
「ロゼ?」
両手でグレッチャーのそれぞれの耳を包み込む。
「グレッチャー温かい。ねぇ、グレッチャーも私の耳を触ってよ」
正面で向き合ってお互いの耳を手で包む。
「温かいでしょ?」
「あぁ、とても」
グレッチャーの手はヒンヤリして気持ちがいいし、このまま今すぐキスをしてしまいたい。でも、婚約者に想いを寄せているグレッチャーは私を受け容れてくれるだろうか。
想いは伝えたい。けれど、迷惑に思われてしまうのも嫌だ。でも、婚約者と上手くいっていない今が最大のチャンスかも知れない。
期待と不安が同時に押し寄せる。
「……ロゼ?」
迷う私が言葉数を少なくしていると心配そうに見つめてくるグレッチャー。
体の奥が熱い。外は雪でこんなにも冷たいのに。
気持ちを伝えたいのに「好き」の言葉が中々出てこない。
ちょっと遠回しに聞いてみようか。
そんな考えが過り、明け透けな誘い文句を試してみようと思った。
「グレッチャー、相談があるんだけど聞いてくれる?」
「何でも聞くよ」
私の心臓はバクバクだ。とても大胆なことを口にしようとしている。
「孤児院の子供たちと触れ合うことで改めて子供っていいなぁと思った」
「うん」
「それでね、あのね。グレッチャーとの子供を産んでみたいなぁと思ったの。ぜ、絶対に迷惑を掛けないと誓うから!」
言い終える前に後悔。グレッチャーの表情には拒絶の色が滲んだから、後半は思わず声をひっくり返してしまった。
グレッチャーは私の耳を包んでいた手を放す。
「もっと自分を大切にするべきだ。貴族に戻れる可能性を捨てないで」
言われて気付いた。
私が自暴自棄になり、貴族との繋がりを望んで今の提案をしたと思われている。そんな風に誤解されたままなのは絶対に嫌だと思い、ゆっくりと言葉を重ねる。
「女将さんにも言われたけど違うよ。誰でもいい訳じゃない」
雪が降りしきる中、真剣な思いでグレッチャーだけを見つめる。
「私は平民のロゼ。そのことに誇りを持って生きている」
風が吹き、粉雪が舞う。肌寒さは彼への想いが拭い去ってくれる。今なら言えそうに思えてそのまま言葉を紡ぐ。
「貴族の子供が欲しい訳じゃない。私はグレッチャーとがいい。グレッチャーじゃないと絶対に嫌だ」
私から言うのは怖くて、どうしても「好き」の二文字は出てこなかった。先にグレッチャーの気持ちが知りたい。
「だからダメかな?」
どうか拒まないで欲しい。たった一夜でもいいから。
その切なる願いは、グレッチャーが目を伏せたことで叶わないことを知る。
「できない。私も嫌だ」
グレッチャーの気持ちを知り、感情が込み上げて来て耐えられそうになかった。
涙を見せないように空を見上げて隠す。
「そっか……うん、分かった。困らせてごめんね」
「違う、誤解だロゼ。話を聞いてくれ」
私は最初からお呼びじゃなかったのだろう。
彼が優しいから今までのスキンシップを拒まなかっただけなのに、私はどういうことか彼も同じ気持ちのはずだと舞い上がっていたんだ。
私は、気付いたときにはグレッチャーを振り解いて駆け出していた。
「ロゼ! 待ってくれ!」
背後から何度も呼び止める声が続く。
それでも私は必死に雪の山道を駆け降りた。
こんな愚かな女の顔は恥ずかしくて見せられないし、見せたくない。
雪が音を消してくれる。情けない私の泣き声も一緒に消してくれてホッとする。もし晴れていたら、この失恋は耐えられなかった。
息が上がる中、不安定な山道をもう少し。この一帯さえ抜ければ小川沿いのあぜ道が見えてくる。他の誰かがいれば着けられる。見られたくない自分を隠す仮面を。
山道を抜ける直前、ふいに複数の人影が視界に飛び込んだ。
「ここに居やがったか。散々探させやがって!」
「エクラヴァーグの女、死ね!!」
黒装束の四人が襲い掛かってくる。前衛の二人は大振りのマシェットを持っていて、後衛の二人もショートソードを構えている。
私の家名を呼ぶのだから私が狙いなのは確実で、いつぞやの師匠の警告が今になって想い起こされる。
「逃がすな! そっちから回り込め!」
逃げなければと思っても、限界まで走った後で思うように動けないし恐怖も襲う。完全に息も切れていて、悲鳴を上げることすらできずに身を縮めた。
碧く澄んだ声が詠唱を紡ぐ声が響き、私は心の中でグレッチャーを強く呼ぶ。
──フレッシュドゥグラッセ・コンセキュティフ!!
氷の矢が風を裂き、光の軌跡を描く。
森の方から無数の氷の矢が飛来し、次々と黒装束の男たちに命中していった。
体格の良い男なのに前衛二人は吹っ飛ばされ、後衛もたたらを踏んでいる。
グレッチャーが駆け寄ってきて私を庇うように敵との間に割って入った。
「ロゼ! 無事か!?」
まだ息が整わなくて返事ができない。グレッチャーは私を背にしたまま呟く。
「あの装束は耐魔法防御が仕込まれている。並みの魔法じゃ大したダメージが与えられない」
私も南の国には魔法の効きにくい反物があると授業で習った。あの黒装束は恐らくその類のものだろう。
吹っ飛ばされていた敵も辛うじて受け身を取り、立ち上がった。
「誰だ? 情報に無いぞ?」
「目撃者は今のところコイツだけだ。一緒に始末するぞ」
「詠唱の隙を与えるな!」
敵は俊敏な動きでグレッチャーを包囲する。数を活かして断続的に攻めてくるので、大魔法の長尺詠唱は困難な状況だ。グレッチャーは詠唱破棄できる初級魔法で応戦しているけど旗色は悪い。
「グレッチャー! 危ない!」
氷の矢を掻い潜った敵にグレッチャーは肉薄されてしまう。寸でのところで手持ちのダガーを取り出して応戦し、マシェットをギリギリの所で躱す。
しかし、躱し切れなかったのか、左腕から鮮血が走る。
雪が赤く染まった瞬間、兵たちの帰還日の光景がフラッシュバックした。
「いやぁぁぁぁグレッチャー!!」
私が拒まれたことなんてどうだっていい。
好きな人に先立たれるのは、もう絶対に嫌だ。
足も声も震える。それでも救いたい一心で私は大声を出した。
「私が狙いなんでしょう! こっちに来なさいよ!」
「ロゼ、危険だ!」
背後に回り込もうとすると、敵の一人が食いついた。一人だけでも引き剥がせればグレッチャーなら勝てるはず。それに詠唱だって済ませた。
問題は祝福なしの私の魔法がショボイことだけ。敵は下卑た表情を浮かべる。
「結構、いい女じゃねーか。殺す前に少しは楽しめるといいなぁ」
ギリギリまで引きつけ、捕まえようと敵が手を伸ばしてきたのをクルリと躱す。
「な!?」
「ランチタイムで磨いてきたのよ!」
手を伸ばしてくる呼吸や間合いの読み方は、散々やってきたのだ。今だけは常連のお客に感謝しよう。
ここしかないと思い、魔法を発動する。
「フレッシュドゥルィミエラ!!」
瞬きほどの一瞬、閃光が走る。
「ぐぁぁ、目が!」
私では光量も照射時間も足りない。けれど至近距離で使えば一瞬の目くらましくらいは出来るのだ。
視力が回復した敵は凄い形相で私を睨んでくる。
「このアマ! ぶっ殺す!」
「させない!」
既に敵三人を斬り伏せたグレッチャーが敵の背後に迫り、一撃の元に倒した。
目の前の光景に私は腰を抜かし、その場にペタンコ座りをする。
すると、笑顔のグレッチャーが手を差し伸べてきた。
「全く、お転婆なお姫さまだよロゼは」
「お姫様は柄じゃないわ。それに好きな人は自分の手で守りたいの」
そこへ遠くから私たちの名を呼ぶ声が届く。
「ロゼー!」
「グレー!」
騒動を遠くから見届けた子供たちが手を振っていた。




