第二十話 居場所
「女将さん! どうして私はランチだけなんですか!?」
農夫から受け取った荷物を抱えての帰り道。水門の脇からの石橋の回廊を抜け、運河沿いの露店通りまで戻ってきたところだ。
麦や香辛料の麻袋を担ぎ、二人して足場の悪い石畳を歩く中、いつまでも夜のお店で働かせてくれないことを私は抗議した。
「そうさねぇ」
「料理の腕も、皿洗いのスピードも上がったと思いません?」
さらには力こぶを叩き、はぐらかす女将さんへアピールを続ける。
重い荷物を持つ腕も逞しくなった。最初の頃は麦の大麻袋を持った次の日には筋肉痛で動けなかったのに、今は二つ同時に担ぐことだってできる。
「そりゃ見違えるほどロゼが努力したのは知ってるよ」
「ならどうして!?」
私は目の前を横切る黒猫を大股で躱す。
再び視線を女将さんへ戻すと、とても渋い顔をしていた。
「あたいの店が夜にどんな営業も兼ねているか知ってるだろ?」
「そ、それだって私は望むところです!」
「馬鹿言うんじゃないよ。ロゼは元貴族じゃないか」
無理だと諭されて私は急に顔が熱くなった。
「今の私は平民です! お金を稼ぐのは当たり前じゃないですか!?」
「ダメだね。ロゼには夜の営業はさせられないよ。あたしゃ別に推奨してる訳じゃないし黙認しているだけだからさ。黙認できない相手は止めるようにしてるんだよ」
女将さんの店は安価な大衆酒場なので給金は安い。生活に困っている未亡人などの女性が、夜の客を取るのは目零しをしているだけと女将さんは語る。
「ほら、これとこれ。倉庫に置いてきちゃいな」
説得が終わらないまま店に戻り、裏の倉庫へ麻袋を仕舞っていく。代わりに今日の分の食材を厨房へ運んだ。
「あの、今は孤児院に厄介になっているけど、私も独り立ちしたいの。そうするとお金が足りなくて……」
女将さんが客席の方に向かい、テーブルをバンバンと叩く。座れと言うサインに私も同じ客席に腰かけると、私を見る女将さんの目が据わっていた。
「あたいはね。未成年に夜の客を取らせる気はないんだよ」
「わ、私は成人……」
「嘘おっしゃい! それにね。生娘のアンタに客を取らせたとあっては、あたいが天国にいったときシュトに顔向け出来ないだろ?」
真剣な眼差しになった女将さんがおいでと手招きをする。
近寄ると優しくハグをされた。
「アンタは私にとって大きい娘みたいなもんさ。ヤケにならず自分を大切にしな」
「はい」
女将さんの体温に包まれながら、少し自暴自棄になっていたことを見つめ直す。
今は孤児院暮らし。
泊まらせて貰う交渉をしに孤児院を訪ねたとき、シスターからグレッチャーの手紙を受け取った。貴族や王族の中で騒動を問題視する声が上がっているから二度と会えないという内容だった。
グレッチャーと会えないまま孤児院で暮らす日々が続き、私も早くグレッチャーを忘れて大人にならなければと焦っていたのかも知れない。
今も女将さんは「ゆっくりでいいんだよ大人になるのは」と頭を撫でてくれる。
私はこんなにも愛されている。
せっかく貴族を辞めたのに、未だに心に仮面を被ろうとしていた。けれど、もう仮面は要らない。
──私は……グレッチャーが好きだ。
「さぁロゼ、開店準備をするよ」
一頻り女将さんに甘えた後は、ランチタイムに向けて怒濤の仕込み時間だ。
熟成の魔法はない。
私が料理をして、ちゃんと美味しくしていかなければならない。難しいけどやりがいもある。
「ロゼ! 店先の掃除とランプ!」
「はーい!」
箒でさっと掃いてから入り口前に打ち水をする。終わったら店内のランプを点け、慌ただしく客席を拭いていく。ランプを点けた際に宙を舞う埃が見えたので、その近辺は特に念入りに。
すると外から店内を覗き込む常連の顔が見えた。
「お、もうやってる? 今日の日替わりは何?」
「いらっしゃいませー! 今日はシュニッツェルだよ!」
それからあっという間に満席になる。
常連が何度も手を出してくるが、既にベテランの域に達しつつある私は触られることなくやり切った。
「あーくそっ! 最近、全然ロゼちゃんに触れないなぁ」
「残念でした~! また明日挑戦しに来てくださいね!」
「今日のシュニッツェル、少しはマシになってたよ。そりゃ以前の方が良いけどさ」
豚肉は、外気温と隔絶された地下水路の一角を間借りして暗所保存している。塩と抗菌作用の強いハーブを練り込み、湿気を防ぐために木屑を何層にも敷いて毎日丁寧に入れ替えているのだ。
それだけやっても以前の味には届かない。
けど、そんな辛口評価にも「魔法の時間は終わったの」と満足げに返す。
「私の愛情。明日も食べに来てよね!」
「ハハハ、ロゼちゃんには敵わないや」
◇◆◇◆◇
ランチタイムの激闘を終えた私は、ブロート組合長の元を訪ねる。
総合ギルド館の受付嬢に「またか」という顔をされるのも慣れたものだ。通い詰めたせいか、最近は待合の中で一番最後に回されることが増えていた。
私一人になった長椅子。ようやく番号が呼ばれる。
ノックをして組合長の部屋の扉を開けた。
「もう来ないでくれないかロゼ」
開口一番にうんざり気味の声を掛けられてしまう。私は敢えて柔らかく返した。
「レジスタンスを解散してくれたらすぐにでも通わなくなりますよ? 私のことを面倒くさい女だと思うのなら今すぐしませんか?」
日課になりつつあるレジスタンスの解散交渉。
ブロートには来客用ソファーに移動すらして貰えず、彼は執務机で何やら作業を継続している。だから机の上にわざとらしく体を投げ出して邪魔をしてみた。
そろそろ折れてくれても良いと思うのに、ブロートは中々に強情だった。
「ふぅ、あのなぁロゼ。それほどにどうにかしたいのならお前が実家を動かせば良いだろう? 貴族としてレジスタンスを潰すくらい造作もないだろうに」
「残念でしたー。私に貴族の価値は無いし、私のお願いでお父様は動きません~」
戦争で息子たちを失ったブロートは、眉間の皺を深くする。
「……それほど簡単に親子の縁や情が切れる訳が無いだろう?」
「いえいえ、それが貴族社会ですから」
私が机を占有し続けていたら、ブロートがペンを持ち出して顔に近づけてきた。
慌てて飛びのき、「とにかく解散を」と伝えるも、ブロートはそっぽを向く。
「どうしてそれほどまでに貴族を庇う?」
「逆です。私は平民を守りたいのです。シュトが愛し、グレッチャーが思い描いた未来。それを紡ぐのが私の役目だと信じています」
貴族社会と平民の暮らしの両方を知る私だからできる、いや、私にしか出来ないことがきっとある。二人に恥じない自分であるためにも、その役目を全うしたい。
私は扉へ向かって歩き、ドアノブに手をかけてから一度振り返る。
「二度とあのような蛮行が行われないよう、今後は手を取り合って考えていきませんか?」
ブロートの「検討する」という言葉に満足し、私は組合長室を後にした。
日も傾き始めたので、時計じいのところへ子供たちを迎えに行く。
子供たちは店内でかくれんぼをしていたようで、私が時計じいに叱られた。孤児院への帰り道もかくれんぼの話題が続く。
「ロゼが呼びに来なきゃ見つからなかったのに!」
「それだと帰り着くのが暗くなっちゃうでしょ」
「ねぇ、ロゼ。ロゼはかくれんぼ好き? 私はねぇ、お外でするのが好き」
一度もしたことの無い遊びを尋ねられて、私は人差し指を顎に当てて考える。
「んー、私は中でするのが好きかな?」
「どうして?」
「だって外は新しい何かを見つけにいく方が楽しいでしょ?」
私は子供たちの前へ躍り出て、軽やかなステップを踏んでターンしては皆の顔を見回す。
この坂道を上るときの子供たちの笑顔が好きだ。
それは初めて見たときから変わらないし、今なら自信を持って言える。
「ここが私の居場所。素敵でしょ?」
ざぁっと風が吹き抜け、空を見上げる。
モコモコ雲とシワシワ雲がどっちもあって、夏から秋に変わり始めている。
「ロゼー、今の動き素敵! 教えて教えて!」
「あ、ずるい! 僕にもクルっと回るのをお願い!」
「むふ、むふふ! 順番にね!」
私が笑うと、皆の輪の外にいたクーヘンもやっと笑顔を見せてくれた。笑い合える時間が嬉しいし、守っていきたいと強く思った。
孤児院に帰るとすぐさま戦争だ。住まわせて貰っている分は働いて返す。
「さ、皆。箒とモップ、雑巾も急いで用意して。日没までに終わらせるよ!」
子供たちを指揮しながら掃除を済ませ、全員分の食事を用意する。皆が食事をしている間に薪を割っては湯を沸かす。湯は3つの盥に移し、タオルと一緒に食事を終えた子供たちへ渡していく。
「わわっ! 零れる!」
「慌てないでゆっくり運んでね」
大きめの盥を危なっかしく運ぶ子供たち。
眺めてばかりもいられない。
幼い子たちのグループの服をドンドンと剥ぎ取っていき、私も服を脱いで皆して体の拭き合いっこをしていく。
最初は綺麗だったお湯も、あっという間に黒ずんでいった。
「ロゼは肌が綺麗だよなぁ!」
貴族だったからか、子供たちに比べれば私の肌は綺麗だけど、幼いとは言え男の子にマジマジと見られるのは恥ずかしい。
「ロゼってば恥ずかしがってて変~!」
「皆も大人になれば分かるから」
「私もロゼみたいに早く大人になりたい~」
そう言われてドキッとする。
平民の暮らしを始めてまだ間もないし、独り立ちも出来ていないのだ。
「私もまだ子供だよ」
「えー? 大人だよ?」
「さっきと言ってることが違うよ~、変だー!」
女将さんやグレッチャーが守ってくれて今の私がある。いくら背伸びをしたって子供は子供なのだ。
「きっと皆にも言葉の意味が分かるときが来るから。はい、お終い!」
子供たちの体を拭き終え、頭を優しく撫でた。
体を清め終えた後は、子供たちに勉強を教える。幼い子がウトウトし始めたら、今度はやんちゃな子を寝かしつける時間だ。
「ふぅ、今日も終わった」
本当にクタクタになりながらも充実した一日を終える。
真っ暗な部屋の中、天井に手を翳して見た。そうして見つめ直した私の手は、魔法が使えない今の方が輝いて見えた。
◇◆◇◆◇
孤児院の朝は早い。
誰よりも早く起きて皆の服を洗い、洗濯物を干していく。
優しくなった朝日に、夏の終わりが近づいているのを感じた。眩しさに目を細めていると、最も聞きなれた声を耳が拾う。
「こちらにいましたか。連日探すハメになりましたよ、全く」
振り返るとそこには丸眼鏡を直すかつての侍女、メーアの姿があった。
差し出された招待状を受け取る。
エクラヴァーグの家紋入りの封書を見て、私は顔を顰めた。




