第十九話 家族会議
侯爵邸のダイニングへと足を運ぶ。
踏み入ったダイニングには、既に両親が着席していた。華美な装飾が施された長尺のリフェクトリーテーブルは、いつも以上に距離を感じる。
「レザンヌ、座りなさい。サウレも来るから話はその後でします」
メーアに椅子を引いて貰い着座する。
無言の緊迫感が漂う中、妹のサウレジャルジーを待つ。
どれだけ待っただろうか。
重圧に押し潰されると感じ始めたとき、ようやく妹がやってきた。
妹は無言で私を一瞥し、隣に着席した。
家族が揃ったのに合わせ、豪勢な料理が運ばれてくる。
普段なら香りから中身を想像して楽しむ時間だけど、今の重苦しい雰囲気ではそんな気分にはならなかった。
目を伏せた母が従者たちに告げる。
「貴方たち、今日の給仕は不要です。全員下がりなさい」
父が食事を始めたので私もカトラリーを手に取り、皿に手を伸ばそうとした。
──その瞬間。
「レザンヌ、貴女、下町の大衆酒場に出入りをしているそうね」
母から下町にある女将さんのお店の話題が出て、私の手が止まる。チラリと視線を上げると、母が食事を止めて私を見ていた。
「夜は従業員に娼婦まがいのことをさせている下賤な店と聞きました。そのような店に近づくなど、エクラヴァーグ家の品位が疑われます」
思わずカトラリーを落としてしまい、テーブルに金属質な音が響く。
「ち、違います、お母様。生活苦に喘ぐ平民の女性が生きる糧として自ら行っていることであって、あの店は決して強制などしていません」
「あら、関与を否定するのではなくて擁護するのね? どうしてそのような内情に詳しいのかしら? あぁ、そうそう。騒動の似顔絵の件なら把握していますからね」
やっぱり来た。
ここだけは否定して置かないと、ヘタをすればグレッチャーに飛び火する。
「似顔絵の件なら人違いですわ。どなたかがエクラヴァーグ家を陥れるために魔法で私の姿を模したのではないでしょうか?」
「そう。レザンヌはそう主張するのね。サウレ、例の物を出してあげて」
「はい、お母様」
妹のサウレジャルジーが席を立ち、部屋の隅にあったサービスワゴンを運んでくる。そしてテーブルに一皿だけ移動させ、私に対し不敵な笑みを見せた。
目の前には、丸みを帯びた大きめのクローシュが被せられた一皿。
「お姉様、開けますわ。宜しくて?」
とても嫌な予感がする。しかしここで拒否はできないので私は黙って頷く。
妹が私から視線を外し、銀色に輝くクローシュを取り除いた。
そこにあったのは、残骸と成り果てたかつては本であった紙の束と革表紙。
ボロボロになっているけど見間違えるはずがない。祖母の形見である本だ。
言い逃れのしようがない。これがここにある時点で行動は全て筒抜けだ。完全に顔色と言葉を失う。
「ぅ……ぁ……」
追い打ちをかけるように、母の話題は最悪の方向へ転がり始める。
「大衆酒場の件は一先ず置きましょう。同じ年くらいの青年と良く一緒に居るとの目撃情報も得ました。そういえば、その情報の頃と貴女が夜遅くに帰宅していた時期が被っていますね。レザンヌはどう思いまして?」
「平民の男と夜遅くまで何をしていたのかしら? お姉様ったら大胆~」
サウレの笑い声がとても不快に感じるし、目眩がして平衡感覚も覚束ない。椅子に座っていなかったら倒れていたかも知れないほどだった。
「レザンヌ。王族と婚約している貴女がもし操を汚されていたのならば、どうなるか分かっていて?」
母の目は既に犯罪者を見る目に変わっている。
ここで不貞を否定したとして、どれほど信じて貰えるか分からない。
操を汚されていたとなれば、私は婚約を破棄され、家を追放される。私のことはまだいい。グレッチャーは極刑になってしまう。
奥歯が震え、手にも伝わっていく。それがテーブルに広がり、食器もカチカチと音を立て始めた。
揺れるグラスの水を見て、グレッチャーのアイスブルーの瞳が私の中に蘇る。
「彼とは何も無いのです! 本当に何も!」
私が声を荒げると、母は目を伏せて首を軽く振った。そして妹が新しい資料を私の目の前に置き、母が手振りで資料を読むように促してくる。
「そちらは大通りでの目撃情報をまとめた資料です。その男と随分長い間抱き合っていたそうですね。何も無い? 笑わせないで頂戴」
終わった。もう私に出来ることはほとんどない。せめてグレッチャーが逃げおおせるまで、黙秘権を行使して時間を稼ぐくらいだろう。
私は唇を強く引き結んだ。
「レザンヌ、聞いてますの?」
「お姉様ったらまたお得意の仮病?」
二人からの怒涛の嵐が止まない。耐えていても辛くて、顔面は蒼白となっていると鏡を見なくても分かる。
だんまりを決め込む私に焦れたのか、母は話題を急に変えた。
「そういえば、魔法の講義に全然出ていない話も聞きます。クレールクラフティ卿と距離を取るのは良いとして、これ以上エクラヴァーグ家に泥を塗ることは許しません。さぁ、相手のことを白状なさい。そうすれば揉み消しのためにわたくしが動きます」
母の顔が分からない。
妹の顔も分からない。
父は、私を見てすらいない。
長年見てきた家族の顔なのに、私には家族に張り付いた貴族の仮面が気持ち悪く思えてならなかった。
揉み消すとはグレッチャーの存在を消す提案だ。絶対に呑むことは出来ない。
私は最後の抵抗として母を睨む。
「レザンヌ、貴女……はぁ、泣きたいのはこっちです」
「まぁ! お姉様は泣いているの?」
私は震える手を隠す。気付けば、テーブルの上には無数の滴の痕が落ちていた。
そこで唐突にグラスを置く音が響く。
ずっと黙って聞いていた父が、口を開いた。
「そんなことはどうでも良い」
ワインを飲んでは渋い顔をして目を細めていた父が、真剣な眼差しを私に向け、顎の前で手を組む。
「レザンヌ、私から確認することは一つだけだ」
侯爵当主としての圧に私は返事が出来ず、ただ喉を鳴らす。
「今ここで、炎の矢の魔法を使ってその成れの果てを焼け。それが出来たなら相手の男は見逃してやろう」
祖母の形見である本を燃やせと父は言う。その意思表示で以って全てを無かったことにするという手打ちの提案。だけど今の私には無慈悲な通告書だった。
うまく息ができない。
再び空気を求め、呼吸は浅く速くなってゆく。
この状況で魔力を失ったことが突きつけられてしまい、私は過呼吸を起こした。
「どうしたレザンヌ? 初歩の魔法だ。まさか出来ないとは言わないよな?」
「この温情を振り払う理由はありまして? レザンヌ、貴女一体何を隠しているの?」
「お姉様の弱い魔法でも紙を焼くくらいできますわよね?」
言の葉はまるでギロチンの刃のよう。貴族としての心は刈り取られてしまった。
もういい。もう全てを手放そう。
グレッチャーが害されることがあれば、私もすぐに後を追う。向こうにはシュトも居るのだ。怖くも寂しくもない。
家族の用意した貴族としての処刑台に私は乗った。
「……実は、その深夜帰宅の日を境に魔法が使えません」
私以外の家族全員が息を飲む。
父がワイングラスを倒し、母は言葉を失って額に手をやる。妹は大きくのけ反り、私から数歩遠ざかった。
侯爵令嬢としてのレザンヌ・エクラヴァーグは本日をもって──死んだ。
父から下がるように言われ、自室に戻る。
その後は軟禁状態で過ごす日々。
侍女も全て剥がされたからメーアの顔も長いこと見ていないし、湯浴みも出来ていないから体臭も気になり始めたところだ。
このまま飼い殺しになるくらいなら、いっそ家を追放されて平民にでもなった方がまだマシに思う。
そう考えて無為の時間を過ごしていたら、久しぶりに侍女が私の部屋を訪れた。
「レザンヌお嬢様、旦那様が書斎にてお呼びです」
「メーアでは無いのね……」
「彼女は解雇されました」
「……そう」
塩対応のメーアが居なくてほっとしたのか残念なのかも分からない。
新しい侍女は仕事熱心なようで無駄口は一切叩かないようだ。雑談をすることもなく父の書斎へと着いた。
重厚な扉が断罪の扉に見える。
「旦那様。レザンヌ様をお連れしました」
「入れ」
侍女に扉を開けて貰い、私は部屋に入る。
「お父様、レザンヌです」
父は私に背を向けたまま、窓の外を見ている。
外は真夏の日差しが照り付けているし、魔法の空調が効いているこの部屋と違って暑そうだ。
そんな感想を抱く間も父は動かないし、座れとも言われないからずっと扉の前で立ち尽くすしかない。
長い時間立ち続けていたら、父が小さく溜息を吐いた。
「レザンヌ。エクラヴァーグ家としての方針だけを伝えておく」
私は覚悟を決め、「はい」と答える。
父はようやく私へと向き直った。
最後に見た父は、無感情な目をしていた。
「レザンヌ、お前は……」
◇◆◇◆◇
「むふ、むふふ、むふふふふふ! さようならレザンヌ。こんにちはロゼ!」
家からの除名と婚約破棄を宣告され、私は平民として自由を得た。その上でこの騒動に関して、一切の追及をしないとの沙汰が王族判断で下されている。
グレッチャーに影響が出なかったことが本当に嬉しい。
それに、これからの生活への不安よりも、手に入れた自由への期待の方が勝る。
「持っていく物はこれで全部かな?」
そこまで荷物は多くない。下町で貴族のドレスは着れないし、せいぜい下着や小道具を持っていくだけだ。お金は無いけれど、女将さんのところで働けば最低限の生活はできるだろう。寝泊りはシスターにでも相談してみようか。そんなことを考えながらウキウキで準備を進める。
魔法も、家名も、身分も失った。けれど、私は生きている。
それに、ロゼという名前もある。
「シュト、貴方の分まで私は生きるよ」
沢山の希望を詰め込んだトランクを抱え、私は平民としての一歩を踏み出した。
侯爵邸を出たとき、背後から声が掛かる。
「お姉様! 本当に出ていかれるのですか!?」
私は一度振り返り、カーテシーを披露した。
「もう姉ではございません。お体にお気をつけてお過ごしくださいませ、サウレジャルジー様」
そして二度と振り返る事の無い華麗なターンを決め、弾むような足取りで貴族街を後にする。
遠目に見える下町の街並み。
夕焼けに染まる下町の煙が、新しい家族としての私を呼んでいるように思えた。




