第十八話 騒動の波紋
レッスン棟音楽教室。
鎮座する優雅なグランドピアノ。花形の管弦楽も華やかさを添えている。
奏でる旋律は魔法の力でさらに洗練され、美しい音色を響かせていた。
演奏が終わると笑顔の先生が拍手で以って迎える。
「ブリュヤント様、素晴らしい演奏です! さすがは名家デタイユボンサンスのご令嬢です!」
ブリュヤントの音に関する魔法は群を抜いている。確かに素晴らしいピアノの音色だったし、他の楽器の魅力も一層引き立てていたと思う。
「では、レザンヌ様は少し復習をしましょうか」
「はい」
授業が終わりそれぞれが片付けを始めている中、私だけは居残りを命じられた。
そうして音量に関する課題を出され、げんなりしつつ教室を後にする。
魔法が使えなくなった私では音を増幅することは難しい。いっそ吹奏楽器にでも転向して肺活量勝負とするしか無いのかも知れない。
トボトボと本殿に向かう渡り廊下を歩いていたら、嫌な気分が見せる幻影なのか赤青黄色が道を塞いでいるのが見える。
「随分と遅かったですわね。レザンヌ様、今日の講義はもう終わりでしょう?」
「一緒にお茶をしませんか? レザンヌ様がいると凄く会話が弾みますし、わたくしは嬉しいです」
何故、ブリュヤントが私の予定を知っている。
何故、ヴォワレットの負担を減らすために私が付き合わなければならない。
私は、社交の仮面の上にさらに仮病の仮面を重ねた。
「申し訳ございません。私は体調が優れないのです。そのせいで音楽も精彩を欠き、先生からも居残りを命じられてしまったくらいですので……」
ここ最近で定番の断り文句を使ったのだが、今日に限ってフォンテーヌが妙な笑顔を見せる。
「そう? 下町の騒動の件をご相談したかったのに残念ね。では、わたくしたちだけで平民の処分について話をしましょう。レザンヌ様はご自愛くださいませ」
「あ、あの、体調は優れないのですけど、少しの時間なら大丈夫です!」
「ですって。わたくしが言った通り、レザンヌ様が元気になりましたよ?」
聞き逃せない話題だったので反応したら、ヴォワレットが髪を弄っていた手を止めてブリュヤントへ水を向けた。
「レザンヌ様、貴女……。参加できるのなら最初から誘いを受けて穏便に済ませるべきですわ。仮病の疑念を相手に持たれるとその後の社交が──」
ブリュヤントの烈火の如き小言を聞きながら、楽し気なフォンテーヌたちの背を追って本殿にあるティーサロンへ。
小ぶりなラウンドテーブルには既にお菓子が用意されていた。
「以前、レザンヌ様がご用意して下さったクヌーデルを用意しましたのよ」
やられた。私を釣り上げるのは予定調和だったようだ。
フォンテーヌは無邪気そうな笑顔を浮かべ、料理の解説を始める。
「でも、わたくしの料理人ではあのドス黒い色と背徳感のある味が再現出来なかったのです。不出来な料理人は処分しようかとも思ったのですけど、お父様に止められましたの。ところでレザンヌ様のレシピを教えて頂いても宜しいかしら?」
用意されたクヌーデルは別物の華やかさ。果物が練り込まれ、ピンク、オレンジ、緑と彩り豊かになっているだけでなく、花を模した造形も見事だった。
毒という先入観から、黒紫色のマルールには辿り着けていないのだろう。
「あぁ、私の持病の目眩が! どうしてか原材料が思い出せませんわ! 申し訳ございません」
得意の目眩演技で良く覚えていないアピールをしてみる。私の名演を見て、フォンテーヌの笑顔が曖昧なものにすげ変わった。
「まぁいいわ。最近は魔法の講義を全てお休みされているのですから、目眩は本当だと騙されてあげます」
追及を躱せたと安堵したのも束の間、今度はブリュヤントのエンジンが入る。
「何日も連続で体調が悪くなるなど在ってはなりません。体調管理も貴族としての責務ですわ。ましてや王妃は避けられない公務も多く──」
母親気取りか。未来の王妃としての自己管理についての説教が始まってしまう。
気まずさから視線を僅かに反らすと、ほわほわしたヴォワレットと目が合った。
「長話は後にして、お茶が欲しいと思いますわ。レザンヌ様もそうでしょう?」
「……えぇ、お願いしたいですわ」
助け舟のつもりだろうか。しかしここは乗っておいてお茶を淹れ直して貰う。
私は芳醇なお茶を飲みながら「本題に入るのはいつだろう?」と現実逃避する。
回りくどい皮肉や数々のマウントを耐え忍び、やっと下町の話題へ移った。
「それで市井の騒動の件ですけど……」
そうフォンテーヌが切り出すのと同時に、後ろに控えていた侍女が紙束を持って前に出てきた。ラウンドテーブルに置かれた紙が、フォンテーヌの細い指で私の方へずいっと寄せられる。
「その場に居合わせた画家に騒動の中心人物の似顔絵を描かせましたの」
差し出された絵には、私の顔がバッチリ描いてあった。
心臓は跳ね、唇は乾く。
ブリュヤントは逃げを許さないという眼差しを向けてくるし、ヴォワレットは相変わらず何を考えているのか分からない。
そして、焦る私を見て愉快そうに笑うフォンテーヌ。
「とても良く似ていると思いませんこと?」
頭の中が真っ白になった私は、支離滅裂な理論で無理やり誤魔化しに入った。
「まぁ! 驚きましたわ。レザンヌ様は他人の空似だと仰るの?」
「ですから、世の中には似ている人が三人はいると聞きますし……」
「普通は見た目の魔法で濡れ衣をかけられたと主張すると思いますけど?」
のらりくらりとやり過ごす。この件についてはブリュヤントが一言も言及してこなかったので助かった。
「で、では体調も優れないので、ここで失礼させて頂きます」
似顔絵が貴族の間で出回っていることを早めに師匠へ相談しなければならない。
中座を申し入れ、席から立ち上がったところをフォンテーヌに呼び止められる。
「筆頭侍女についてレザンヌ様がどのようにお考えか聞いておきたいわ」
今度はメーアを出汁にいちゃもんをつけてくるのか。
「申し訳ございません。私の筆頭侍女が何か粗相をしたのでしたら謝ります」
早く帰りたいし、ここは平謝りの一手。
するとヴォワレットから思いも寄らぬことを言われる。
「そうやって受け流していれば傷つかないのですね。わたくしも見習いたいわ」
普段から受け流しているヴォワレットから言われると嫌味にしか聞こえない。訝しんでいたら、目を輝かせたフォンテーヌが柏手を打った。
「いーこと思いついちゃった! レザンヌ様はもう帰っていいわ! ブリュヤント様、ヴォワレット様、お耳を拝借できるかしら?」
態度の急変ぶりを気味悪く思いつつ退室した。
それから数日が経過。
自室のベッドの上で何度も転がり、ひたすら愚痴る。
「あぁ~下町に行きたいよぉ」
騒動の日。女将さんから下町に来ないように言われてしまい、授業が無くても私は下町にいけない日々が続く。
ブロートが私を人質にして、グレッチャーを呼び出す可能性は拭いきれない。
女将さんにグレッチャーの安全のためと言われれば何も言い返せなかった。
「元気してるかな? 会いたいよ」
グレッチャーと過ごした時間や肌の温もりを思い返す。
会えなくなってグレッチャーの存在の大きさを思う。秘密を分かち合うグレッチャーには完全に心を許していたと今更気付いた。
下町でのグレッチャーの立場が奪われたことを心苦しくさえ感じる。もし困っているのなら力になりたいし、頼られたい。
シュトの代わりを求めているのだろうか。自分自身の気持ちなのに分からない。けれど、私にとってグレッチャーが大切で、会いたい気持ちに嘘はない。
シュトが居なくなってすぐに心惹かれるなんてダメなのに、シュトの居ない寂しさを分かち合えて、心の隙間を埋めてくれるグレッチャーのことばかり考えてしまう。自分でも節操がなさすぎると思うけれど、グレッチャーは今の私の支えだった。
一頻り思い出に浸った私はようやく重い腰をあげる。
今日の魔法の授業もサボリ。
この機に調理部屋へ籠って料理修行をしていたら、師匠からの手紙が届いた。
「ふむふむ。来いってことね。日時は……って今日じゃん!」
大慌てで出掛ける準備をして、魔法師団団長室のあるヴィトラル塔へ向かう。
一見何もない、鳥たちが近寄らない一角。認証パスを翳すと薄い油膜のようなものが浮かび、空間が僅かに歪む。中に入ると、荘厳な色硝子から差し込む光が眩しく映った。
塔の中央にある螺旋階段を登ろうと近づくと、逆に師匠が駆け降りてくる。
その勢いに目を白黒させていたら、降りてきた師匠に両肩をガシッと掴まれた。
「レザンヌ! どうして一度も授業に出ない!?」
魔法を使えなくなってからは何となく師匠を避けていた。師匠は避けている理由を聞こうとしていたのに、私が授業にも一切出席しないからヤキモキしていたらしい。
「体調が優れなかったのです。あと、少しばかり自主トレを頑張ろうかと思って、秘密特訓をしていたのですよ」
必死に嘘を重ねる。料理の特訓をしていたのは事実だ。味覚に鋭敏な師匠なら魔法を使わない料理はすぐにバレてしまうだろうし、同じ水準までは戻してから再会したかった。
なのに、師匠は寂しそうに眉根を寄せる。
「レザンヌ……私はそんなに信用ないのかい?」
やるせなさを込められた声色に強い罪悪感を抱く。
だけどこの秘密だけは打ち明けられない。これを言ってしまったら私は貴族で居られなくなる。
「ごめんなさい。今はまだ言えません」
小さく嘆息した師匠が私の頭に軽く手を乗せた。
「いつかレザンヌから話してくれると信じているよ。けれど、もう一件確認しておきたいことがある」
「私の似顔絵が出回っている件ですか?」
師匠はしっかりと頷く。
「そう。それと併せて、レザンヌが平民の男の子と浮気をしている疑惑が浮上しているんだ。心当たりはあるかい?」
絶対に言えない。
もしグレッチャーの件が私の婚約者にバレたら、彼は処刑されてしまう。
私が顔を強張らせて押し黙ったのを見て、師匠も何かを察したようだ。
「いつまでも隠し通せないと思うよ」
「はい」
師匠に隠し事をしたまま、私は踵を返す。
色硝子から降り注ぐ陽光が、私の心と同じように複雑な色合いをしていた。
師匠と別れ、項垂れながら侯爵邸に戻る。
吹き抜けのエントランスではメーアが待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、レザンヌ様。ダイニングにて旦那様と奥方様がお待ちです。家族会議をするそうですよ。お急ぎください」
最も恐れていた展開。ついにこの日が来てしまった。




